「あ~、もういやだ、やっていられない!」
仕事で、家事で、煮詰まることは誰しもありますね。そんな時、みなさんはどうなさいますか?
不貞寝するという方法もありますが、起きてなお、さきほどの気持ちを引きずっていることも多々あります。
じょうずにリフレッシュするためには……。
人気の脳科学者茂木健一郎さんが、非常にわかりやすい説明をしています。
←←←←←←引用ここから→→→→→
【行動することで気分が前向きになる】
脳科学者の茂木健一郎氏の心に響く言葉より…
仕事ができる人、社会に影響力を持つ人は、皆さん、脳のリセットが上手です。
脳のリセットといっても、何かを捨てたり消したりするわけではなく、脳のモードを切り替えるということ。
これは、誰にでもできます。
私は、今の日本人こそ、脳のリセットが必要な時期ではないかと思っています。
この効果的なリセットの方法は大きく2つあります。
1つ目が1日に何度も実行すべき“短期的”なリセットで、2つ目が数日に1度のペースで行いたい“長期的”なリセットです。
短期的なリセットの場合、これが上手にできるようになると、限られた時間を有効に使えるようになります。
人の気分は、外部から何か刺激が加わらないと変わりにくいです。
だから何かを始めたくても、なかなか始められない人が多い。
しかし、彼女と一緒に部屋にいる時、突然、上司が入ってきたら、誰でも瞬時に恋愛モードが仕事モードに切り替わるはず。
このほか締め切りや納期が迫るといったことで初めてモードチェンジが起きる方もいるでしょう。
これを受動的でなく能動的に起こせるようになると、リセットが上手になるだけでなく、時間の管理もうまくなります。
それにイヤなことがあっても気分を一新できるようになりますよ。
具体的にいうと、自分の気分が一瞬で変わる行動が何であるかを見つけ、それを日常生活の中に取り入れていくのがいいでしょう。
脳は「気分が変わるから行動する」のではなく「何か行動することで気分が前向きになる」という流れのほうが、スムーズにいく仕組みになっている。
2つ目の“長期的”なリセットとは長時間かけて、価値観や思考をリセットすることを指す。
人は、気分だけでなくいわゆる“マインドセット”(価値観や考え方のセット)もほかから刺激を受けなければ、なかなか変えられない傾向があります。
すると脳の海馬や扁桃体という部位の細胞が同じつながり方をし続け、古い価値観に引きずられ成長できません。
例えば有名人の講演会、異業種交流会など、新しい価値観を教えてくれそうな人と数日に一度は会ったほうがいい、という意味だ。
そして“実際に会う”ことこそが何より重要です。
実をいうと、人の脳は“シリコンバレーではこうしている”といった情報をメディアから入手するだけでは、それほど強い刺激を受けません。
実際に自分の体でその雰囲気を感じることで、初めて脳が刺激を受け影響されるのです。
『DIME 2012年18号』小学館
【人の心に灯をともす】
http://merumo.ne.jp/00564226.html より (抜粋)
←←←←←引用ここまで→→→→→
「やっぱり!」
と膝をたたかれた方もおられると思います。
気分を変えるため、疲れをとるため、今日は何にもしないでいようという休日。
なぜか夜になっても、あいかわらず体も心もだるいまま。
それよりも、部屋の模様替えをするとか、ちょっと電車ででかけるとか、何かしてみたほうがと案外スッキリすることが多いです。
こういうしくみだったのですね!
(宮崎 みどり)
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みなさんは、月に何冊くらい本を読まれますか?
松岡正剛さんの「千夜千冊」
http://1000ya.isis.ne.jp/file_path/table_list.html#table1 を目指して? 通勤途上では必ず文庫本をという方や、毎晩寝る前には読書の習慣があると言う方は多いと思います。
一方で、子どもには「読書しなさい」と口うるさく言うのものの、自分は忙しくてなかなか本に手が伸びない方が多いのも事実です。そんな、子どもが本を読まないと言ってお悩みのご家庭は、まずおうちの方が率先してご自分が本を読む時間を作るとよいと思います。親が熱心に本を読んでいるのを見れば、子どもも自然に本に興味を持ち始めます。そこで、子どもも巻きこんで、時間は短くても毎日、テレビを消して静かな環境で、親子の読書タイムを作ってみましょう。
そんなことで、「うちでは、毎日本を読むのがあたりまえ」になり、読書習慣が生活の一部となる、そんな理想的なことが実現できるのでしょうか?
ちょっとしたコツで、できるのです。
以下は、2006年の言葉の森のホームページの記事からの引用になりますが、継続させるコツがわかりますよ。
==============(引用ここから・一部抜粋)
「読書を歯磨きのように」
読書というものは、毎日読む習慣がないと、自然に消滅していきます。テレビも同様で、連続ドラマなどを見出すと、つい毎日気になって見るようになりますが、いったん見ることをやめると、あらためて見たいという気が起きなくなります。
読書は毎日読んでこそ読み続けられるものです。週に2、3日読むという読書生活はすぐに週に0冊の生活に変わります。週に7日読むときに初めて読書生活が成り立つのです。
と考えると、読書をさせるためのコツは簡単です。毎日本を読む時間を作ればいいのです。
ここで問題なのは、自分が本好きのお母さんほど、「読書は強制してまで読ませるものではない」という考えを持っていることです。しかし、昔と今とでは読書以外の環境がまったく違います。最初は半強制的に、「1日○ページ読むこと」というふうに決めなければ読み始められません。「たまには本でも読んだらどう?」という控えめなアドバイスの仕方では、子供が本を読むようにはなりません。「読みなさい」と言って初めて読むことができるのです。
半強制的に読ませることによって読書嫌いになったという子はいません。逆に、半強制的に読ませることによって読む力がつき、どの子も本好きになっていくのです。
ですから、親は子供に読書を勧めるときに、子供に歯磨きをさせるぐらいの断固とした確信を持ってさせる必要があります。子供に歯磨きをさせるときに、「歯磨きを無理にさせて、嫌いになったら困る」と心配する親はいません。逆に歯磨きをさせ続けることによって次第に、子供は食後に歯を磨くと気持ちがいいということを実感していくのです。
また、読書の内容も、子供の興味に合わせて低くする必要はありません。ときどき、「漫画や雑誌のようなものでも読んでいるうちに、もっとちゃんとした読書に進んでいくのでは」と期待するお母さんがいますが、漫画を読んでいるうちに読書も好きになったという子はいません。漫画の好きな子は、そのままずっと漫画しか読みません。それぐらい現代の社会では、魅力的な漫画がふんだんに発行されているのです。しかし逆に、読書の好きな子が漫画も好きだということは自然にあります。だから漫画そのものが悪いというのではありません。漫画が発展して読書につながるという考えが甘いということなのです。
小学4年生のころまでは、いい本がたくさんあります。このころは読書選びにあれこれ考える必要はありません。、図書館や書店にある本をどんどん与えていけばいいのです。確かに、どの子もおもしろがって読むような本はありますが、親がそういう甘い味付けのある本をわざわざ探してあげなければ読めないということではありません。本として発行されているほどの本であれば、どの本も読み出せばそれなりにおもしろくなるものです。
家庭での毎日の勉強が終わったら、子供に向かって、「はい、勉強のしめくくりは読書50ページね。それが終わったら遊びなさい」と言うだけです。それを歯磨きと同じように毎日続けていけば、どの子も例外なく読書好きになっていきます。読書50ページは、小学校高学年の子が普通に読んで約1時間ほどかかる長さです。低中学年の子は、その子の読む力に合わせて、ページ数を少なくしていけばいいと思います。また、低中学年のころは、読み聞かせも読書と同じ効果があります。読み聞かせは幼稚園までと思わずに、小学校4年生ぐらいの子でも、寝る前の本読みをときどきしてあげるといいと思います。ただし、コツは「優しく楽しく面白く」ですから、読んだあとに問題を出すようなことはしないで、にっこり笑って寝るだけにしてあげてください。
===============(引用ここまで)
学年が進んできたら、親子で話題の本を読み合うなどという楽しみもでてきますね。さあ、今日から実践してみましょう。
facebook上では、「読書の好きな子になる庭」というグループで、みなさんがいろいろなジャンルの本を紹介したり、家庭での読書についてさまざまなコメントを下さったりしています。こちらもぜひ参考になさってください。
http://www.facebook.com/groups/118437524908264/
(みやざき)
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幸せになるためのいちばん簡単でいちばん確実な方法は、今の自分がすでに幸せであることを知ることだと思います。たくさんの愛情を注がれて今の自分があること、そして、自分の内にある大きな可能性などなど。ほかの誰でもない自分自身を信頼し、自分に期待すること、それが生きがいにもつながる、本当の幸せではないでしょうか。
自分の外側に期待するとあてがはずれたときに大きな失望を味わうことになります。たとえ、一時的に欲求が満たされたとしても、その満足感が永遠に続くわけではありません。ほしかった物がやっと手に入ったとき、そんなときは確かにうれしいけれど、そのうれしさはいつか色あせるものです。
私たちは、一人一人が自ら光を発する太陽のような存在なのだと思います。自分で明るさやあたたかさを発信できるにもかかわらず、他人に照らしてもらうこと、あたためてもらうことばかり考えていると、いつしか自分自身の輝きを失ってしまいます。また、自分から周囲を照らすことは、自分の内にある不安や恐れを消すことにもつながります。
自分の幸せは自分で作り出すものです。他の人や外側の世界にそれを求めていてはいつまでたっても本当の幸せをつかめません。また、先のことを思いわずらったり、他人と比較したりしていると、今ある幸せさえも逃げていってしまいます。自分を信頼し、自分に期待すること、これができていれば現実に一喜一憂することもなくなるはずです。どんなことがあっても乗り越えていかれるという覚悟を決めて進んでいくと、不思議といいことが魔法のように振りかかるものです。うそだと思ったらやってみてください。(笑)
(山田)
以下、言葉の森ホームページからの引用です。
https://www.mori7.com/as/1523.html
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
教育の目的は、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献と結びついています。
第一は、幸福に生きるための教育です。
この前提として、幸福とは外的な環境によってもたらされるものでなく、内的な決心によって得られるものだという考える必要があります。
もちろん、これは、自分の置かれた状況に対する変革を否定するものではありません。しかし、変革は自分の幸福のために行うのではなく、社会に対する貢献のために行うものだと区別して考える必要があるのです。
幸福とは、いつも自然に元気で明るくいることです。単純ですが。
これを、各人が試行錯誤の中で獲得するものだと考える人もいるでしょう。しかし、同じように、数学の公式(例えば三角形の面積の求め方など)を試行錯誤の中で獲得するべきだと考える人はいません。過去の人類の知識や経験の蓄積を生かして、その蓄積を土台にしてより進んだ試行錯誤をするというのが人間らしい試行錯誤です。
また、幸福は主観的なものだと考える人もいるでしょう。しかし、教育における幸福とは、人間に幸福を押しつけるものではありません。幸福の理論と方法を伝え、その理論と方法を選択できるようにすることです。
人間は、幸福が選択できる状況であっても、あえて不幸を選ぶ場合があります。芸術の場合は更に不幸の昇華がその芸術の価値になっている場合もあります。だから、大事なことは、幸福になることではなく、幸福を自由に選択できるようになることです。
この幸福のための教育が、未来の教育のひとつの分野になります。
現代では、幸福のような主観的な価値観に左右されるものは教育が取り上げるべきではないという考えがあります。しかし、人類の長い歴史の中で、幸福に生きることはだれにとっても大きな関心事でした。そして、その関心に応えていたものが宗教でした。
宗教の問題点は、論証できない架空の前提も含めてすべてを丸ごと信仰することが要求されることです。教育が宗教と異なる点は、選択の自由があることです。
幸福に生きるための教育の教材は、プラスのシミュレーションとマイナスのシミュレーションになるでしょう。小説や実話の例をもとに、いかに人間が幸福に生きたか、あるいは不幸を克服したかを追体験する練習です。
そして、幸福に生きる方法の基本は、感謝の反復と、幸福であることを決心する勇気だと思います。
幸福とは、弱々しい生き方ではありません。どんな場面でも幸福に生きるというたくましい生き方です。
幸福の教育は、まだ研究途上です。これから、さまざまな理論や方法が生まれていくでしょう。そして、やがて幸福の教育が広がるにつれて、世の中は次第に明るくなり、その社会を土台にして更に進んだ幸福の教育が発展していくのだと思います。
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昨今の中高生のいじめや自殺の報道を見ると、本当に胸が痛みます。何が子供たちをここまで追い詰めたのか、経済発展のみを追い求めた、夢のない大人が反省するべきなのでしょうか?
文科省は脱ゆとり教育と銘打って、指導内容を増やし学力向上を目指しているようです。しかし喫緊の課題は学力よりも「生きる力」の向上であるように思います。たくましく生きてこそ習得した学力も生かすことができるのですから。
ちゃくちゃくさん、こんにちは。
江戸時代に日本を訪れたヨーロッパ人たちが一様に驚いたのは、子供たちが楽しそうに遊びまわっている様子だったそうです。
当時のヨーロッパには、子供が楽しく遊ぶという光景がなかったのです。
そして、当時の日本は、世界で最も進んだ教育をしていました。
いま大事なのは、そういう日本の文化を現代の状況の中で思い出すことです。
その出発点は、文科省でも学校でもなく、家庭なのだと思います。
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自然が毎日繰り返す、朝焼けのドラマ。
青い空とオレンジ色の雲を背景に、無数の鳥たちが、あるいは群れて、あるいは一羽で、南へ、東へ、西へ、思い思いに飛んでいく。
見る見る明るくなる空を見ていると、大きなところですべてがうまく行っている気がする。
ゆっくり動く雲、新しいシナリオで次々と塗り替えられる空。
地上のシナリオも、静かに変わっているのだろう。
(写真は「写真集」からのものですが、今朝の空はちょうどこんな感じでした。)
現代は、シナリオが人間の意志で次々と変わっていく時代です。
大事なことは、どんな状況になっても、そこを出発点として新しい対応を考え出していくことです。
それが、自分でシナリオを作ることです。
それでは、今週もいい1週間をお過ごしください。
(中根)
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自分の足で歩く。
自分の手で作る。
自分の頭で考える。
それが、今の日本に求められていることだ。
戦後は米ソの狭間で、今は米中の狭間で、大国にはさまれて生きる国、日本。
どちらの側につくのかではなく、自分がどういうビジョンを持っているかを示すことが第一だ。
子供たちの自立は、大人の自立に支えられている。
日本が独立することが、子供たちの教育の最初の出発点だ。
普通の国民は、年中政治や経済のことを考えているわけにはいきません。
日々の仕事があるからです。
特に、マスメディアが歪んだ報道を続ける現代では、判断のための正しい材料を集めるだけでも一苦労です。
しかし、政治の動きは、必ず日々の生活に影響を与えます。
だから、政治を判断する大きな基準として考えるのは、それが自分の足で歩くことにつながるのかどうかということです。
自分の足で歩いてさえいれば、うっかり間違った方向に行ったとしても、すぐ引き返せばいいだけだからです。
そして、間違ったことさえも、いい経験になるのです。
教育も、政治も、生活も、本質はみんな似ています。
今日は秋晴れの日曜日。
自分の足で納山を歩いてみたいい気のする日です。
豊かな日本の自然に感謝。
今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
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最近、小学3年生ぐらいの子のお母さんやお父さんから、「塾の宿題が多すぎて……」という声をよく聞きます。
小学校の3、4年生からそんなに勉強させていては、将来必ず頭が悪くなります(笑)。
親は、よその子がやっているので不安。
塾は、よその塾がやっているので不安。
互いに不安の中で子育てをしているのです。
多すぎる宿題がなぜよくないかというと、できる問題もできない問題も同じように解くので、できる問題を解く回数が多すぎる一方、できない問題を解く回数が少なすぎることになるからです。
そして、もっと大きな問題は、勉強しているというポーズが優先されがちなので、立ち止まって自分が納得するまで考えるという肝心の中身がなくなってしまうことです。
では、どういう勉強がいいかというと、小学生はまず勉強よりも読書を優先することです。
そして、親子の対話のある楽しい家庭にすることです。
そして、算数は教科書準拠の問題集を1冊用意して、できない問題が1問もなくなるまで、何度も繰り返し解くことです。
この「できない問題を繰り返し」ということが、塾や通信講座の勉強では対応できません。
だから、無駄とわかっていても、大量の宿題を出す仕組みになっているのです。
最も賢い勉強法は、同じものを繰り返す家庭学習です。
これは、教科書準拠の基礎の問題を解くときも同じ、受験用の高度な問題を解くときも同じです。
塾や予備校は、受験前の1年間、模試で自分の位置と弱点を知り、志望校の受験情報を知るために行くところです。
勉強は、最初から最後まで教えてもらうのではなく、わからないところだけ教えてもらうという形でやるとき、最も能率のいいものになるのです。
(中根)
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体験学習をしている子供のお母さんの中には、子供につきっきりでアドバイスをして、長時間熱心に教えてしまう人も多いと思います。
作文というものは、特に低学年の作文の場合は、大人が見れば不十分なところだらけです。小学校1年生の生徒では、会話の改行など何度教えてもわからないのが普通です。それは、普段の会話で話し言葉にカギカッコがついていたり、改行されていたりするようなものを見ていないからです。会話がカギカッコで改行だとわかるのは、そう書いてある本を何度も読んで自然にそのルールを覚えるからです。
ところが、大人は、自分にわかっていて子供にわからないことを、つい理屈で教えてしまおうとするのです。理屈で教えたことは、一度ではなかなか身につきません。すると、熱心に教えれば教えるほど、大人は叱ることが多くなり、子供は勉強が苦手だと思うようになるのです。
熱心に教えれば確かに少しずつではあっても効果は上がりますが、それよりも大きいマイナスは、そういう勉強の仕方は長続きしないということです。それは、勉強をすることによって、親も子もくたびれてしまうからです。
力のつく勉強は、長続きする勉強です。長続きさせるためには、教える方も教わる方もくたびれずに行うということが大事です。そして、その中でも特に、教える側がくたびれないということが大事なのです。もし、お母さんが子供に教えていて負担に感じることがあったら、次の点をまず改善するようにしてください。
・作文の授業でない日に、毎日長文の音読や暗唱を行い実力をつけておく
・毎日読書をして、文章を読むことに慣れておく
・作文の課題を事前に見て、その課題に合ったお父さんやお母さんの似た話をしておく
以上の、作文の授業のない日にやっておく準備ができていれば、もし当日、作文が書けなくなっても対処の仕方は簡単です。それは、親子で一緒に構成図を書くことです。その場合、親が子供と話をしながら親のペースで構成図を書いていきます。これでは、親の書いた作文のようになりますがそれでもいいのです。
何度かこういうやり方で構成図を書き、それをもとに作文を書かせていると、子供はすぐに自分で書く要領を身につけます。
このあたりの方法でわかりにくいところがありましたら、いつでも言葉の森事務局にお電話でご相談ください。
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「何でも自由に書いていいよ。」
作文が苦手な子供に作文を書かせるときについ言ってしまう言葉ですが、自由ほどむずかしいものはありません(笑)。子供は、何をどう書いていけばよいのか途方に暮れてしまいます。でも、最初に、全体の構成を示し、それぞれの部分にどんなことを書いて、どんな表現を入れればよいかを説明すると、見よう見まねで書けるようになるものです。作文の世界も「初めに型ありき」なのです。骨組みのしっかりした作文を書けるようになれば、最初の大きな山は越えたと言えるでしょう。
最初に型を示すことの利点は、もう一つあります。それは、できあがった作文について、プラスの評価がしやすいということです。説明したとおりに書けているところをほめてあげればよいからです。特に、作文に苦手意識がある子供は、ほめてもらえると安心して、作文を書くことに対する抵抗がぐっと小さくなります。
以下、2007年の言葉の森のホームページの記事からの引用です。
==========
子供の作文が型にはまっていると注意を受けた人は多いと思います。
言葉の森の作文指導は、型を重視したものだからです。しかし、この型を決める指導によって、どの子も、楽に自由に書けるようになっていったのです。
人間は、もともと与えられた型で満足する存在ではありません。型が決まってくれば、自然にその型から離れて自由に書きます。しかし、逆に、型がないところでは、自由に書くということ自体ができなくなります。
言葉の森に来る高校生の中で、成績が優秀なのに作文だけは苦手という人がときどきいます。共通しているのは、どう書いたらいいのかわからないということです。そこで、次のように指導します。「字数は短くていいから、最初の段落でこういう意見を書いて、次の段落でこういう実例を書いて、その次の段落でこういう実例に広げて、最後の段落でこういう形にまとめるといいよ。字数は全体で100字ぐらい書ければ十分だからね。」
どうして「字数は短くていいから」ということを何度も言うかというと、大事なのは型であって、内容や分量ではないことをはっきりさせるためです。
それで、実際に100字しか書けない生徒でも、書き終えたあとは、文章を完成させたという満足感が残ります。すると、次の週からは、もうどんどん書けるようになるのです。これまで、いかに型を教えられていなかったかということです。
これに関連して、もっと自由な題名で自由に書かせたいというご意見をときどき受けます。
自由に書かせるというのは、一見子供にとっても先生にとってもやりやすい勉強のように見えます。しかし、それが続くのはせいぜい数ヶ月です。
自由に書かせていると、先生のアドバイスは自然に注意することに向けられます。最初のうちは、意味のある注意ができても、次第に注意することがなくなってきます。すると、「もっと心をこめて書きなさい」とか、「もっと子供らしく書きなさい」とか、「もっと気合いを入れて書きなさい」などという、子供にとって何をどう努力したらいいのかわからないアドバイスをするようになるのです。そのようにして、多くの子供が、作文は難しいものだと思うようになっていったのです。
では、自由に書かせて褒める指導をすればいいのかというと、これもすぐに限界が来ます。いつも「よく書けたねえ」と褒めているだけでは、子供は次第に書くことに飽きてきます。
課題があり、項目があり、目標があるからこそ、意欲的に勉強を続けていくことができるのです。
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(山田)
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