「どうして勉強しないといけないの?」
子どもにこんな質問を投げかけられたとき、みなさんはどう答えますか? 答えに戸惑った経験のある方はいらっしゃいませんか? 実は、私もさっぱりわからなくなることがあります。
先日、教室に置いてあった雑誌に、ちょうどこの質問に触れた記事が掲載されていました。『子どもへのまなざし』で有名な佐々木正美先生の書かれたものです。
佐々木先生は、どうして勉強するかと聞かれたら、
「あなたの友だちや周りの人たち、自分にとって大切な人を幸せにするためだよ」
と答えるそうです。そして、子どもは、親の愛情を無条件で受け取ることができれば、自然と誰かを幸せにしたいという気持ちになる、とも。このサイクルができていれば、子どもは意欲的に学習に取り組むようになるし、恐れることなく自分の道を歩いていくことができるというお話でした。
親は単純に子どもがかわいいものです。だから、このサイクルは自然にできあがるような気もします。しかし、佐々木先生は、現場での長年の経験から、現代ではそう簡単にはいかないと指摘しています。
それはなぜでしょう。どうも、親の自己愛の強さがその一因のようです。自己愛が強まると、子どもに対しての願望や要求が強くなり、その結果、子どもがそのハードルを越えられないと、責めたり拒絶したり。すると、子どもの側もおどおどしてしまい、本来の自分を親にさらけ出すことができなくなってしまいます。
(自分のために)成績がよい子であってほしい。(自分のために)運動もできる子であってほしい。(自分のために)人前に出して恥ずかしくないルックスの子であってほしい。ここまで露骨な願望はそうないと思いますが、このような子どもに育てることができたら、「子育てに成功したよき母」というセルフイメージを確立することができ、自己愛も満たされることでしょう。しかし、自己愛から生まれるゆがんだ愛情は、ある程度の年齢まではよい子を育てることができるかもしれませんが、結果として子どもの意志を奪ってしまうのではないかと思います。
子どものためと思ってしていることは、本当に子どものためか。自己愛からのものではないか。一度、立ち止まって吟味してみるのもよいかもしれません。自己愛を手放すことができたとき、その親子ならではの「どうして勉強しないといけないの?」に対する答えが見えてくるのではないかと思います。
(菅野)
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今年の夏は、読書感想文の宿題についての相談がかなりありました。
なぜ学校でそういう宿題を出すのかというと、普段の授業で読書感想文の書き方についての指導をしていないからです。もし、普段の授業で感想文の書き方を教えていて、その練習を家庭でも行えるようにするということで宿題を出しているのであれば問題はないのですが、ほとんの場合はそうではないと思います。学校で感想文の書き方を教えていないから、家庭での宿題として出しているのです。
ここで問題になるのは、そういう宿題を出された小学校低学年の家庭です。子供はどう書いていいのかわかりません。親もどう教えていいのかわかりません。しかし、宿題として出されているぐらいだから、ほかの家庭では子供が自分でその感想文の宿題をやっているのだろうと思ってしまうのです。ところが、小学校の低学年で、自力で上手な読書感想文を書ける子などはひとりもいません。
これと似ているのが、小学校高学年あるいは中学生での、難しいテーマで書く作文の宿題です。毎年よくあるのが「人権」「平和」「環境」などについての作文です。これも、普段、学校の授業でそういう勉強をしたり、そのことについての作文を書いたりしている延長で、家庭でも宿題として取り組もうということならいいのですが、実際は、学校で教えていないから家庭での宿題として出しているのだと思います。
学校は、勉強を教えるところであって、点数をつけるところではありません。宿題を出す前に、授業の中できちんと指導することに取り組んでほしいと思います。
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教室の子供たちの中に、一度の注意ですぐに言うことを聞ける子と、何度目かの注意でやっと言うことを聞くタイプの子とがいます。最終的にはみんな言うことを聞くのでいいのですが、この両者のタイプの違いはどこにあるかというと、家庭での親の注意の仕方にあると思います。
一般に女の子は、優しいひとことですぐに言うことを聞きますが、男の子は注意されていても知っていて言うことを聞かないという傾向があります。これは、たぶん生物の生存上、その方が有利だったからです。
ところが、注意するのは主にお母さんですから、男の子に注意する場合、女の子に注意するのと同じように口で言うだけで済ませてしまうことが多いのです。
例えば、「○○を片づけておきなさい」「はい」と言っても、男の子はすぐには片づけようとせずにそのまま忘れてしまうことがあります。口で注意したのに実行しなかったという状態が何度か続くと、子供は、「言われたことは一度で言うことを聞かない方が楽だ」という能率のよさを学習してしまいます。最初に学習したことは強固ですから、その後、いくら厳しくしても、一度で注意を聞けない子になってしまうのです。
男の子に注意する場合、口で言ったことは必ずその場で実行させるというところまで持っていくというようにするといいと思います。
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言葉の森に来る生徒の中に、ほかの通信講座で作文の勉強をしていたが書けないので言葉の森でやることにしたという方がかなりいます。
他の作文の通信講座の中には、電話指導や担任制をうたっているところもありますから、言葉の森での作文指導とあまり変わらないと思う人もいるかもしれませんが、中身は全く違います。
どこが違うかというと、言葉の森の電話指導は毎週あるということです。毎週同じ先生が同じ生徒に電話をするので、その生徒の勉強の様子がよくわかるということです。同じ先生で何年も習うということもありますから、小学生で勉強を始めた子がいつの間にか高校生になっていたということもよくあります。言葉の森以外の作文通信講座では、そういうことはまずないと思います。
だから、最初の勉強でどこを選ぶかということはとても大事なのです。
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本日はこちらのグループを紹介致します。
「漢字の糸」(
https://www.mori7.com/okakj/ )
キャッチフレーズは「漢字の面白さ、再発見」。
グループを設立した当初は、「難字」「難読漢字」「四字熟語」などを取り上げ、クイズ的な楽しさで“知識を増やす”場を目指していました。
しかし、辞書とにらめっこをしつつ毎回の記事内容を考えるうちに、いつの間にやらその方針が微妙に変化していったのです。
「この漢字の部首は○○」
「書き順を間違えやすいが、実はこう」
「当て字で、こんなに難しい読ませ方がある」
……こういった知識は、確かに分かりやすいです。
というより“分かった気になりやすい”のですね。
どれだけ画数が多かろうと、普段目にする機会が少なかろうと、「そういうものだから」と説明されてしまえばそれまでだからです。
対して。
当たり前のように慣れ親しんだ、画数の少ない“単純”な字ほど、その成り立ちや、込められている意味について本当のところを知らなかったりします。
「一」「二」「三」は見たままとして……4はなぜ「四」(五画ですね)なのか? さらに、「五」「六」「七」の字が、どうしてその数量を表すのか?
「山」「木」「水」が“象形文字”なのは分かるが……では水に「てん」がついてどうして「氷」なのか? 「永」は形が似ていて間違えやすいが、何がどう違うのか?
考えたこともないから答えられない、のですね。
つい、我々は「『一』という漢字が書ける」ことに価値を置きがちです。
それこそ「『一たす一は二』の計算ができる」、というのと同じ意識で。
こうした漢字の「知られざるところを知る」ことこそ、面白さに繋がるのでは。
大人でも取り組める、本当の「漢字の学習」になるのではないか……と、勝手に思っています。
以下は、上記グループの記事からの抜粋です。
上記の疑問の一つ、「氷」と「永」について取り上げたところ、よろしければご覧ください。
====================================================
【管理人Iの投稿】
本日の一字は……「氷」、で涼しく参りましょう。(笑)
「水」に「`」という実に単純な字……。
と思いきや、この「`」、本当はただの点ではなく「にすい」の形として「凍ること」を表しているのだそうです。
というより、「にすい」そのものが「氷」からできた部首とも言われます。
言われてみれば、「冷」「凍」「凝」など、氷に関係しそうな字はみんな「にすい」ですね。
皆さんもパソコンで「こおり」を変換してみてください。
「冫」=「にすい」が出てきます。
それと、本来の形である「冰」という字も……。(◎o◎)!
【参加者Mさんのコメント】
では、「永」はどうなっているの?「`」の位置が違うだけだけど、「氷」とは親戚ではないのかしら?
【翌日、管理人Iの投稿】
と、いうわけで、早速はりきって本日の一字をアップ。(笑)
「永」です。
ナイスなご質問をいただいたので、お答えさせていただきました。
昨日の一字「氷」とは形が似ていますが、あちらは「冰」を本字とする“会意文字”。
こちらは“象形文字”であり、「河川が“ながく”流れていく形」から成り立ったのだそうです。
つまり「`」も含めて川の道筋を絵的に表したもの。
なんとなく……目を細めて見ると、上流から下流へ、枝分かれしながら水が流れていく様子に見えなくも……ない?(^_^;)
こう考えると、「およぐ」の「泳」も納得かも。
ちなみに「泳」は、「さんずい」と音の「永(エイ)」から成る“形声文字”です。
【参加者Mさんのコメント】
早速ありがとうございました。
「氷」も「永」も、字としては簡単な字なので、今まで辞書を引く事はありませんでした。今回いい勉強になりました。教室で知ったかぶりして皆に自慢しちゃおうかな。。(^o^)
【管理人Iの返信】
そうなんです。入り組んだ難しい字になると、案外パーツから意味が読み取れたりするものですが、画数の少ない字ほど「なぜこんな簡単な字が“あの意味”を表すのか」と逆に不思議になるのです……。
このグループでは今後とも、そのあたりを掘り下げていきたいと思っております。
【参加者Yさんのコメント】
字の意味からは外れますがこの字は「永字八法」と呼ばれ書に必要な止めや点など(あとは省きますが)技法が全て含まれていて字を練習するのには一番適していると言われる字ですよね。今日の字の元の意味も勉強になりました!!
【管理人Iの返信】
新たなアプローチからの補足、ありがとうございます!
「永字八法」……聞いたことがあるようなないような、でしたが、たいへん分かりやすい説明で納得がいきました。
確かに点があり、はねがあり、はらいがあり……ですね。書道の授業の時も、そう教わった上でこの「永」の字から練習したかった。(^_^;)
こちらこそ、勉強させていただきました!
【参加者Mさんの再コメント】
「永字八法」の楷書筆法を、昔の人はうまい字を発見したものだと思い感心させられます。この「永」という字が、楷書の各部分をほとんど具備していますが、楷書はすべての始点と終点が45度を標準としています。若干、角度のずれはあるものの、字を習うひとつの手がかりとして、45度を覚えておくと書きやすくなると思います。書道の領域になってしまい、すみません。。。
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このように、様々な知識をお持ちの方が集まっている、楽しいグループです。
(いとう)
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「あ~、もういやだ、やっていられない!」
仕事で、家事で、煮詰まることは誰しもありますね。そんな時、みなさんはどうなさいますか?
不貞寝するという方法もありますが、起きてなお、さきほどの気持ちを引きずっていることも多々あります。
じょうずにリフレッシュするためには……。
人気の脳科学者茂木健一郎さんが、非常にわかりやすい説明をしています。
←←←←←←引用ここから→→→→→
【行動することで気分が前向きになる】
脳科学者の茂木健一郎氏の心に響く言葉より…
仕事ができる人、社会に影響力を持つ人は、皆さん、脳のリセットが上手です。
脳のリセットといっても、何かを捨てたり消したりするわけではなく、脳のモードを切り替えるということ。
これは、誰にでもできます。
私は、今の日本人こそ、脳のリセットが必要な時期ではないかと思っています。
この効果的なリセットの方法は大きく2つあります。
1つ目が1日に何度も実行すべき“短期的”なリセットで、2つ目が数日に1度のペースで行いたい“長期的”なリセットです。
短期的なリセットの場合、これが上手にできるようになると、限られた時間を有効に使えるようになります。
人の気分は、外部から何か刺激が加わらないと変わりにくいです。
だから何かを始めたくても、なかなか始められない人が多い。
しかし、彼女と一緒に部屋にいる時、突然、上司が入ってきたら、誰でも瞬時に恋愛モードが仕事モードに切り替わるはず。
このほか締め切りや納期が迫るといったことで初めてモードチェンジが起きる方もいるでしょう。
これを受動的でなく能動的に起こせるようになると、リセットが上手になるだけでなく、時間の管理もうまくなります。
それにイヤなことがあっても気分を一新できるようになりますよ。
具体的にいうと、自分の気分が一瞬で変わる行動が何であるかを見つけ、それを日常生活の中に取り入れていくのがいいでしょう。
脳は「気分が変わるから行動する」のではなく「何か行動することで気分が前向きになる」という流れのほうが、スムーズにいく仕組みになっている。
2つ目の“長期的”なリセットとは長時間かけて、価値観や思考をリセットすることを指す。
人は、気分だけでなくいわゆる“マインドセット”(価値観や考え方のセット)もほかから刺激を受けなければ、なかなか変えられない傾向があります。
すると脳の海馬や扁桃体という部位の細胞が同じつながり方をし続け、古い価値観に引きずられ成長できません。
例えば有名人の講演会、異業種交流会など、新しい価値観を教えてくれそうな人と数日に一度は会ったほうがいい、という意味だ。
そして“実際に会う”ことこそが何より重要です。
実をいうと、人の脳は“シリコンバレーではこうしている”といった情報をメディアから入手するだけでは、それほど強い刺激を受けません。
実際に自分の体でその雰囲気を感じることで、初めて脳が刺激を受け影響されるのです。
『DIME 2012年18号』小学館
【人の心に灯をともす】
http://merumo.ne.jp/00564226.html より (抜粋)
←←←←←引用ここまで→→→→→
「やっぱり!」
と膝をたたかれた方もおられると思います。
気分を変えるため、疲れをとるため、今日は何にもしないでいようという休日。
なぜか夜になっても、あいかわらず体も心もだるいまま。
それよりも、部屋の模様替えをするとか、ちょっと電車ででかけるとか、何かしてみたほうがと案外スッキリすることが多いです。
こういうしくみだったのですね!
(宮崎 みどり)
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みなさんは、月に何冊くらい本を読まれますか?
松岡正剛さんの「千夜千冊」
http://1000ya.isis.ne.jp/file_path/table_list.html#table1 を目指して? 通勤途上では必ず文庫本をという方や、毎晩寝る前には読書の習慣があると言う方は多いと思います。
一方で、子どもには「読書しなさい」と口うるさく言うのものの、自分は忙しくてなかなか本に手が伸びない方が多いのも事実です。そんな、子どもが本を読まないと言ってお悩みのご家庭は、まずおうちの方が率先してご自分が本を読む時間を作るとよいと思います。親が熱心に本を読んでいるのを見れば、子どもも自然に本に興味を持ち始めます。そこで、子どもも巻きこんで、時間は短くても毎日、テレビを消して静かな環境で、親子の読書タイムを作ってみましょう。
そんなことで、「うちでは、毎日本を読むのがあたりまえ」になり、読書習慣が生活の一部となる、そんな理想的なことが実現できるのでしょうか?
ちょっとしたコツで、できるのです。
以下は、2006年の言葉の森のホームページの記事からの引用になりますが、継続させるコツがわかりますよ。
==============(引用ここから・一部抜粋)
「読書を歯磨きのように」
読書というものは、毎日読む習慣がないと、自然に消滅していきます。テレビも同様で、連続ドラマなどを見出すと、つい毎日気になって見るようになりますが、いったん見ることをやめると、あらためて見たいという気が起きなくなります。
読書は毎日読んでこそ読み続けられるものです。週に2、3日読むという読書生活はすぐに週に0冊の生活に変わります。週に7日読むときに初めて読書生活が成り立つのです。
と考えると、読書をさせるためのコツは簡単です。毎日本を読む時間を作ればいいのです。
ここで問題なのは、自分が本好きのお母さんほど、「読書は強制してまで読ませるものではない」という考えを持っていることです。しかし、昔と今とでは読書以外の環境がまったく違います。最初は半強制的に、「1日○ページ読むこと」というふうに決めなければ読み始められません。「たまには本でも読んだらどう?」という控えめなアドバイスの仕方では、子供が本を読むようにはなりません。「読みなさい」と言って初めて読むことができるのです。
半強制的に読ませることによって読書嫌いになったという子はいません。逆に、半強制的に読ませることによって読む力がつき、どの子も本好きになっていくのです。
ですから、親は子供に読書を勧めるときに、子供に歯磨きをさせるぐらいの断固とした確信を持ってさせる必要があります。子供に歯磨きをさせるときに、「歯磨きを無理にさせて、嫌いになったら困る」と心配する親はいません。逆に歯磨きをさせ続けることによって次第に、子供は食後に歯を磨くと気持ちがいいということを実感していくのです。
また、読書の内容も、子供の興味に合わせて低くする必要はありません。ときどき、「漫画や雑誌のようなものでも読んでいるうちに、もっとちゃんとした読書に進んでいくのでは」と期待するお母さんがいますが、漫画を読んでいるうちに読書も好きになったという子はいません。漫画の好きな子は、そのままずっと漫画しか読みません。それぐらい現代の社会では、魅力的な漫画がふんだんに発行されているのです。しかし逆に、読書の好きな子が漫画も好きだということは自然にあります。だから漫画そのものが悪いというのではありません。漫画が発展して読書につながるという考えが甘いということなのです。
小学4年生のころまでは、いい本がたくさんあります。このころは読書選びにあれこれ考える必要はありません。、図書館や書店にある本をどんどん与えていけばいいのです。確かに、どの子もおもしろがって読むような本はありますが、親がそういう甘い味付けのある本をわざわざ探してあげなければ読めないということではありません。本として発行されているほどの本であれば、どの本も読み出せばそれなりにおもしろくなるものです。
家庭での毎日の勉強が終わったら、子供に向かって、「はい、勉強のしめくくりは読書50ページね。それが終わったら遊びなさい」と言うだけです。それを歯磨きと同じように毎日続けていけば、どの子も例外なく読書好きになっていきます。読書50ページは、小学校高学年の子が普通に読んで約1時間ほどかかる長さです。低中学年の子は、その子の読む力に合わせて、ページ数を少なくしていけばいいと思います。また、低中学年のころは、読み聞かせも読書と同じ効果があります。読み聞かせは幼稚園までと思わずに、小学校4年生ぐらいの子でも、寝る前の本読みをときどきしてあげるといいと思います。ただし、コツは「優しく楽しく面白く」ですから、読んだあとに問題を出すようなことはしないで、にっこり笑って寝るだけにしてあげてください。
===============(引用ここまで)
学年が進んできたら、親子で話題の本を読み合うなどという楽しみもでてきますね。さあ、今日から実践してみましょう。
facebook上では、「読書の好きな子になる庭」というグループで、みなさんがいろいろなジャンルの本を紹介したり、家庭での読書についてさまざまなコメントを下さったりしています。こちらもぜひ参考になさってください。
http://www.facebook.com/groups/118437524908264/
(みやざき)
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幸せになるためのいちばん簡単でいちばん確実な方法は、今の自分がすでに幸せであることを知ることだと思います。たくさんの愛情を注がれて今の自分があること、そして、自分の内にある大きな可能性などなど。ほかの誰でもない自分自身を信頼し、自分に期待すること、それが生きがいにもつながる、本当の幸せではないでしょうか。
自分の外側に期待するとあてがはずれたときに大きな失望を味わうことになります。たとえ、一時的に欲求が満たされたとしても、その満足感が永遠に続くわけではありません。ほしかった物がやっと手に入ったとき、そんなときは確かにうれしいけれど、そのうれしさはいつか色あせるものです。
私たちは、一人一人が自ら光を発する太陽のような存在なのだと思います。自分で明るさやあたたかさを発信できるにもかかわらず、他人に照らしてもらうこと、あたためてもらうことばかり考えていると、いつしか自分自身の輝きを失ってしまいます。また、自分から周囲を照らすことは、自分の内にある不安や恐れを消すことにもつながります。
自分の幸せは自分で作り出すものです。他の人や外側の世界にそれを求めていてはいつまでたっても本当の幸せをつかめません。また、先のことを思いわずらったり、他人と比較したりしていると、今ある幸せさえも逃げていってしまいます。自分を信頼し、自分に期待すること、これができていれば現実に一喜一憂することもなくなるはずです。どんなことがあっても乗り越えていかれるという覚悟を決めて進んでいくと、不思議といいことが魔法のように振りかかるものです。うそだと思ったらやってみてください。(笑)
(山田)
以下、言葉の森ホームページからの引用です。
https://www.mori7.com/as/1523.html
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
教育の目的は、人間の生きる目的である幸福、向上、創造、貢献と結びついています。
第一は、幸福に生きるための教育です。
この前提として、幸福とは外的な環境によってもたらされるものでなく、内的な決心によって得られるものだという考える必要があります。
もちろん、これは、自分の置かれた状況に対する変革を否定するものではありません。しかし、変革は自分の幸福のために行うのではなく、社会に対する貢献のために行うものだと区別して考える必要があるのです。
幸福とは、いつも自然に元気で明るくいることです。単純ですが。
これを、各人が試行錯誤の中で獲得するものだと考える人もいるでしょう。しかし、同じように、数学の公式(例えば三角形の面積の求め方など)を試行錯誤の中で獲得するべきだと考える人はいません。過去の人類の知識や経験の蓄積を生かして、その蓄積を土台にしてより進んだ試行錯誤をするというのが人間らしい試行錯誤です。
また、幸福は主観的なものだと考える人もいるでしょう。しかし、教育における幸福とは、人間に幸福を押しつけるものではありません。幸福の理論と方法を伝え、その理論と方法を選択できるようにすることです。
人間は、幸福が選択できる状況であっても、あえて不幸を選ぶ場合があります。芸術の場合は更に不幸の昇華がその芸術の価値になっている場合もあります。だから、大事なことは、幸福になることではなく、幸福を自由に選択できるようになることです。
この幸福のための教育が、未来の教育のひとつの分野になります。
現代では、幸福のような主観的な価値観に左右されるものは教育が取り上げるべきではないという考えがあります。しかし、人類の長い歴史の中で、幸福に生きることはだれにとっても大きな関心事でした。そして、その関心に応えていたものが宗教でした。
宗教の問題点は、論証できない架空の前提も含めてすべてを丸ごと信仰することが要求されることです。教育が宗教と異なる点は、選択の自由があることです。
幸福に生きるための教育の教材は、プラスのシミュレーションとマイナスのシミュレーションになるでしょう。小説や実話の例をもとに、いかに人間が幸福に生きたか、あるいは不幸を克服したかを追体験する練習です。
そして、幸福に生きる方法の基本は、感謝の反復と、幸福であることを決心する勇気だと思います。
幸福とは、弱々しい生き方ではありません。どんな場面でも幸福に生きるというたくましい生き方です。
幸福の教育は、まだ研究途上です。これから、さまざまな理論や方法が生まれていくでしょう。そして、やがて幸福の教育が広がるにつれて、世の中は次第に明るくなり、その社会を土台にして更に進んだ幸福の教育が発展していくのだと思います。
☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
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昨今の中高生のいじめや自殺の報道を見ると、本当に胸が痛みます。何が子供たちをここまで追い詰めたのか、経済発展のみを追い求めた、夢のない大人が反省するべきなのでしょうか?
文科省は脱ゆとり教育と銘打って、指導内容を増やし学力向上を目指しているようです。しかし喫緊の課題は学力よりも「生きる力」の向上であるように思います。たくましく生きてこそ習得した学力も生かすことができるのですから。
ちゃくちゃくさん、こんにちは。
江戸時代に日本を訪れたヨーロッパ人たちが一様に驚いたのは、子供たちが楽しそうに遊びまわっている様子だったそうです。
当時のヨーロッパには、子供が楽しく遊ぶという光景がなかったのです。
そして、当時の日本は、世界で最も進んだ教育をしていました。
いま大事なのは、そういう日本の文化を現代の状況の中で思い出すことです。
その出発点は、文科省でも学校でもなく、家庭なのだと思います。
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