もらうより、あげる方が楽しい。
買うより、売る方が楽しい。
教わるより、教える方が楽しい。
これがデフレの時代です。
供給が常に需要を上回るので、消費はどんどん楽になりますが、しかしその分雇用はどんどん厳しくなります。
そういう時代に生き残るには、まず自分が今の仕事を離れても、他人に提供できる何かを持つことです。
つまり、他の人に、あげるもの、売るもの、教えるものがあれば、それがこれからの時代の生き残りの切り札になります。
それは、子供の教育も同じです。
今の社会の枠にあてはまる人間になるだけでなく、自分から何かを作り出すことのできる人間になることが子供たちのこれからの勉強の目標です。
なぜなら、今の社会の枠組になっているものは、デフレの時代に対応するために、これからますます、国外化、自動化、機械化していくからです。
楽になる物やサービスの恩恵を受けながら、自分が提供できる新しい文化を創造することが、これからの時代の生き残り戦略です。
今日もさわやかな日本晴れ。
収穫の秋、食欲の秋、読書の秋です。
facebookグループ「読書の好きな子になる庭」では、子供向けの本のおすすめを募集しています。
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国語力と読書とは関係がないという人がいます。
そう言えるのは、第一に短期間のことについてです。
第二に、読んでいる本が易しすぎる場合についてです。
国語力を建物にたとえると、その建物は、小高い丘の上に建っています。
国語の成績を上げるコツは、短時間で説明でき、ほとんどの子はすぐに成績が上がります。
国語力の建物は、すぐに建つのです。
しかし、問題は小高い丘の方です。
その建物が建っている丘は、その子のこれまでの読書や経験が積み重なってできたものです。
小学生の場合は、大きく言えばそれまでの読書の量です。
読書量が丘の高さになり、それはその上に建つ建物の高さよりも決定的なものなのです。
中学生や高校生になると、丘はだんだん大きくなります。
それはやがて小さな山のようになり、そこに、裾野、中腹、山頂などの区別ができるようになります。
易しい本ばかり読んでいると、裾野だけが広がり、中腹や山頂が形成されません。
しかし、易しい本がよくないというのではありません。
易しい読書の裾野があるからこそ、中腹や山頂につながる道ができるからです。
山頂近くの読書とは、入試問題の国語の文章と同じぐらいのレベルの読書です。
そこまで読んでいる子は、建物をわざわざ建てる必要がないぐらい、読書力だけで国語力をカバーできるのです。
昨日の「子育て講座」は、読解力のつけ方についてでした。
そこで出された質問のひとつが、上の「国語力と読書は関係があるか」ということでした。
約1時間、実際の国語問題をもとにして長々と話をしたので、聞いているお母さん方は眠かったと思います。
でも、このわずか1時間ぐらいの説明を、子供の実際の国語のテストにあてはめて話してあげると、すぐに成績が上がるのです。
その効果は、中学生や高校生という学年が高いほど顕著です。
それは、既に小高い丘ができている年齢なので、建物の高さがすぐに国語の成績につながるからです。
ただし、その場合でも、全体の高さを決めるのは、丘の高さと建物の高さの合計です。
だから、第一に読書、第二に読解力をつけるコツという順番なのです。
言葉の森作文ネットワーク
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国語の読解問題の解き方のコツを身につけるには、子供が解いたものを親も一緒に解いてみることです。
そして、選択問題については、なぜその答えが正しくて、それ以外の答えが正しくないかを理詰めで説明してみることです。
このときに大事なのは、なぜそれ以外の答えが正しくないかの方です。
つまり、合っていることが大事なのではなく、間違っていないということが大事なのです。(これが消去法の解き方)
しかし、問題を解いていると、親でも説明できないものが出てきます。
そのときはどうしたらいいのでしょうか。
親の友人に聞いてみるというのでもいいのですが、基本的には、その問題はできなくてもいい問題だと考えればいいのです。
日本語を何十年も使っている大人が説明できない国語の問題は、できなくてもいいか、答えが間違っているかのどちらかです。
実際に、生徒がときどき持ってくる正答率の低い国語の問題の中には、答えがおかしいというものもかなりあります(笑)。
この考えをもっと広げると、国語以外の勉強についても、同じことが言えます。
社会生活を立派に営んでいる大人が教えられない勉強は、もともとする必要のない勉強です。
少なくとも、小中学校の義務教育の間の勉強は、親が教えられる範囲までのものを徹底することに力を入れることです。
そして逆に、社会生活を送るために必要なことで、学校や塾では教えていないことがあります。
それを教えるのが、親子の対話です。
勉強は、受験のためにするものではなく、よりよい人生のためにするものです。
この原点を忘れないようにしていきましょう。
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注意しない。直さない。あるがままを褒める。
これが、子供を伸ばす秘訣です。
今週行っている作文発表会で、見学に来たお母さんたちは、自分の子供の発表をしっかり褒めてくれたようです。
注意したり直そうとしたりすれば、そういうところはいくらでもあるはずです。
しかし、そういうことは、誰でもできます。
難しいのは、今のあるがままを褒めるということで、特に自分の子の場合は、これは決心しなければなかなかできません。
しかし、この単に褒めることが子供たちの実力を伸ばしていきます。
植物になぞらえれば、褒めることは太陽の光のようなものです。
毎日の読書や音読や対話は、水やりのようなものです。
太陽の力と水の力で植物はしっかり成長して花を咲かせます。
直したり注意したりすることは、花が咲いたあとに、その花に注文をつけているようなものです。
先日、小学校3年生の子で、塾から帰ってくるのが8時過ぎなので、そのあとは何もできないから、作文の勉強は土曜か日曜に時間をかけてじっくりやっているというお母さんの話を聞きました。
そういうやり方をすると、大抵親子喧嘩になり、親も子もくたびれてしまいます。
塾から帰ってくるのが8時過ぎというところに問題があるのであって、そんな塾などには行かせずに、家で楽しく読書と遊びと対話をしている方がいいのです。
そして、そういう毎日の太陽と水やりの積み重ねの上に、作文の勉強は平日の夕方に1時間か1時間半で済ませてしまえばいいのです。
毎日の積み重ねがあれば、作文はすぐに書けます。
毎日の積み重ねがない中で、作文だけをうまく書かせようとするから、無理に引っ張ってやらせるような形になるのです。
ほかの勉強であれば、無理にやらせれば一応できることはできます(長い目で見ると実力はつきませんが)。
しかし、作文はメンタルな勉強なので、無理にやらせようとすると、ますますできなくなります。
例えば、子供を叱って、「さあ、今日の『楽しかった思い出』という課題の作文を早く書きなさい!」というようなものです。
大事なことは、何か月かがんばってやることではなく、長く続けてやることです。
そのために大事なのが、直したり注意したりせずに、ただ褒めることと毎日の自習を続けることなのです。
※ただし、言葉の森では、子供が作文をなかなか書き出せず、お母さんの手ではどうしていいかわからないときは、教室に電話をすればすぐにその子に追加の説明をするようになっています。
書けないときにすぐに電話をしてくれればいいのですが、ときどき、親子でさんざん喧嘩をして収拾がつかなくなって電話をかけてくる場合があります。そういうときは、まず子供を立ち直らせるのに一苦労(笑)。
そして、たまには、お母さんやお父さんに、「今日はもう書かなくていことにして(考えただけで勉強になっているので)、親子で仲直りをしておいしいものでも食べに行ってください」というアドバイスになることもあります。
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■世界を襲う大きな変化
子供たちの教育を考える際に、日本の社会の現状がどうなっているかということと、これからの社会がどうなるかという見通しを持つことは、きわめて重要になっています。それは、これまでの社会がある一定の方向に(例えば高度成長経済やその後の停滞した経済のように)長期間続く傾向に動くものであったの対して、これから起こる変化は、もっと激しいものになるからです。
結論を言えば、これまでの、与えられたものだけをただ消化して安定した職業につくという既定のコースは急減します。そういう社会が今後も続くとしたら、それは現在の利権社会が今後も同じように存続することになります。そのような社会では、これからの国際環境の変化に対応できませんから、結局現在の社会は日本が鎖国でもしない限り大きな変化に見舞われることになるのです。
■グローバリズムの未来と多様な未来
では、新しい社会はどういうものになるのでしょうか。そこには二つのシナリオが考えられます。そのひとつは、グローバルな競争社会です。国境の壁が今よりも更に徹底して取り払われ、弱肉強食の世界が地球を覆い、すべての国でひとつの言語が人類の共通語となり、やがて強力な単一の君主制とカースト制、つまり身分制が人種を基準として確立するような安定した世界です。問題は、このシナリオがエゴイズムを前提とした、どちらかと言えば人間性の低い人たちによって担われていることです。
もうひとつのシナリオは、国家や民族や言語の多様性を残したまま、ゆるやかな連帯でつながる平和な世界です。しかし、この第二のシナリオを遂行する中核となる国はまだありません。日本が世界への責任に目覚めない限り、第二のシナリオは発動しないのです。
■日本の文化が対立の焦点に
そして、この二つのシナリオの対立の最後の焦点となるのが、やはり日本なのです。
今、世界ではさまざまな地域で民族や宗教や国家間の争いが起こっています。しかし、これからの紛争や戦争は、ある意味でいずれ収集できる性格のものです。それは、多くの紛争が単に相互のエゴイズムによって生まれているからです。エゴイズムの世界は強弱の論理でまとまりやすいのです。
ところが、日本の場合は性格が違います。日本は、エゴイズムを原理としたばらばらな個人の集まりによって作られた国ではなく、地域や歴史や文化のつながりによって有機的に生まれた国だからです。だから、グローバリズムの広がりと最も根本的にぶつかるのが日本の文化です。
このために、これからの世界の変化は、現象的には世界の各地で行われながらも、本質的には日本を焦点にして行われることになります。そういう大きな変化の流れがある中で子供たちをどう育てるかというビジョンが必要になっているのです。(つづく)
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■繰り返し読むことが理解の王道
難しい文章であっても、繰り返し読んでいると読むにつれて内容が理解できるようになります。
文章の理解というものは、知らない単語を調べたり文章の意味を人に聞いたりする中でできるのではありません。そういう方法は理解できる気がするだけで、読んだものが自分の血や肉になる読み方ではありません。
文章は丸ごと繰り返し読む中でそのエッセンスが自分の理解力を育て、その中の表現が自分でも使えるようになるのです。
この音読をもっと徹底したのが暗唱です。音読と暗唱の両方をやるのが大変なときは、どちらか一方でかまいません。一般に学年が上がると、子供はだんだん暗唱が苦手になります。それは暗唱の力がなくなるからではなく、物事を理解して記憶しようという意識が前面に出てくるので、単純に繰り返し音読するということをしにくくなるのです。そういうときは、簡単にできる音読だけを毎日続けるという方法が有効です。
課題長文は1200字程度のものが多いので、全部読んでも2、3分です。ところがこの2,3分の音読を毎日続けていると、どの子も必ず読む力がつき、文章の表現力が増してきます。それは課題の長文がその学年の子にとっては、やや難しいものになっているからです。
■音読や暗唱のコツ
子供が音読をしているときは、小さい声で読んでもふざけて読んでも気にしません。毎日声を出して読むことが大事なので、読み終えたつど褒めてあげることが大事です。もちろん、読み方の間違いがあれば直してあげます(中学生が課題長文を読む場合、読み間違いがかなりあるはずです)。しかし、大事なことは、毎日読むことと、それを親が褒めてあげることですから、必要以上に注文はつけないことが大事です。
暗唱の仕方は、学習の手引に動画を載せていますが、。要点は、やや早口で、同じ調子で、立ち歩きながら(の方がやりやすいことが多い)、決めた回数を繰り返し音読することです。ただし、早口とは言っても、最初の数回はゆっくりていねいに正確に読まなければなりません。最初に間違って読むと、あとから直すことが難しくなるからです。
この方法をうまく子供に伝えるためには、本当は親も一度は暗唱の練習をしてみるといいのですが、そういう練習をしない場合でも、やりやすい原則はできるだけ守るように続けさせてください。
このやりやすい方法と正反対なのが、ゆっくりと心情を込めて読むこと、ときどき違う調子で読むこと、きちんとした姿勢で動かずに読むこと、回数を繰り返さずに覚えることを目的として読むこと、声を出さずに黙読で読むこと、最初から早口で読もうとして間違った読み方で読んでしまうこと、などです。
■音読をもとにその長文を子供から親に説明させ家族で対話をする
音読、暗唱の次に大事なことは、毎週の課題を子供からお父さんやお母さんに説明する時間を作ることです。自由な課題のときは何を書くか、題名課題のときはその題名でどんなことを書くか、感想文課題のときは元になる長文の内容を説明するようにします。子供の方から親に課題を説明することで、子供の自覚が生まれます。そして、その子供からの説明をもとに、お父さんやお母さんが雑談風に似た話をしてあげます。この両親と知的な対話をするという習慣が子供の思考力を伸ばします。
ところで、子供はせっかく親の話を聞いても、それを作文にうまく書くことができません。しかし、そこでがっかりせずに子供の書いた作文については、いつも温かく関心を持って見てあげることです。作文を書く意欲は、身近なお父さんやお母さんがその子の作文の勉強に関心を持っていることによって育ちます。そして、親から聞いた話は、そのときの作文の中には生かされなくても、必ず子供の心の中に残り、あとから子供の考え方や生き方の中に生きてくるのです。
■書けないときはすぐに相談の電話を
さて、作文を書いている最中の場面で、共通の相談をよく受けます。
多いのが、なかなか書けずに何時間も考えていたというものです。先生からの電話のあとすぐに書くというのが原則ですが、電話のあとまもなる食事の時間になったりテレビを見る時間になったりすると、作文は中断してしまいます。
また、作文の中には、課題にあった例が思いつかず、なかなか書き出せないというものがあります。作文は、最初にすぐに書き出せないと、その書き出せない状態が長くなればなるほどますます書けなくなります。電話のあと10分も考えているようだったら、親が指示して教室に再度電話をさせてください。それで書けないという問題はほぼ解決します。たまに、親に叱られてべそをかきながら電話をしてくる子がいますが、そこまでこじれさせてはダメです。にこやかに早めに対応することが大事です。
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■多読と精読が国語力を育てる
毎日の自習は、国語や作文の本当の実力をつけるためのものです。そのための最も有効な自習は、好きな本を毎日読むこと(多読)と、少し難しい言葉や言い回しのある文章を繰り返し読むこと(精読)です。これと正反対の国語の勉強が、国語の問題集を解くような勉強です。
ここは、きわめて多くの人が誤解していることですが、国語の問題集を解くような勉強をしても、国語の実力はつきません。数学の勉強法は数学の問題集を解く形でしかできませんから、多くの人はその延長で国語の勉強も問題集を解くような形を考えてしまいます。そして、実際に、学校でも塾でも通信講座でも、国語の勉強として教えられる方法は、この問題集を解く形の勉強法なのです。
ところが、実際に中学生や高校生で国語の得意な子を見てみると、そういう問題集を解いて力をつけたというような子はいません。国語の得意な子は、問題を解くような勉強をしなくても生まれつき得意なのだと言う人もいます。しかし、それは生まれつきではなく、毎日の生活の中で自然に多読と精読をしてきたおかげなのです。
小学校時代の学力の基本は国語力です。算数などの教科は、あとから取り組んでも時間をかければできるようになります。国語だけは時間をかけてもなかなかできるようにはなりません。だから、小学校時代は、勉強よりも宿題よりも、読書を優先させるぐらいでちょうどいいのです。学校の宿題が多くて大変なときは、お母さんが代わりにやってあげてもかまいません。そして、子供には確実に読書の時間を確保しておくことです。
■親が本を読む姿を見せること
子供に本を読ませる秘訣は、まず毎日のページ数を決めて読ませることです。例えば、毎日10ページ以上というページ数であれば、だれでも本を読むことができます。本にはもともと読み手を引き付ける力がありますから、毎日読んでいれば、必ず読むことが好きになります。
そのためには、子供の実力に相応の少し易しめの楽しい本を読ませることです。「怪傑ゾロリ」のような本でも、子供が楽しんで読んでいれば、それがいちばんいい本です。
子供が読書好きになるもう一つの方法は、親も同じように親の好きな本を読む姿を子供に見せることです。親の読書好きと子供の読書好きには、高い相関があります。子供のいる前で親が本を読んでいる姿を見せることが最も簡単な読書の教育です。
■精読とは繰り返し読むこと
さて、多読で読む力の基礎をつける一方、もう一つ大事なのは、精読で読む力をつけることです。しかし、精読とはじっくり読むことではありません。繰り返し読むことです。やや難しい文章を繰り返し読むために最も役に立つ方法が音読です。
音読をすすめる人の中には、何のために音読をするのかわかっていない人がかなりいます。ただ昔からある方法だからという理由で、昔からある有名な文章を音読させることが目的のようになっている音読のすすめがほとんどです。そうではなく、音読の最も重要な意義は、繰り返し読むためには音読が有効だということにあるのです。
難しい文章であっても、繰り返し読んでいると、読むつれて内容が理解できるようになってきます。文章の理解というのは、知らない言葉を調べたり、文章の意味を人に聞いたりする中でできるのではありません。そういう方法は、理解できた気がするだけで、読んだものが自分の血や肉になる読み方ではありません。文章は、丸ごと繰り返し読む中でそのエッセンスが自分の理解力を育て、その中の表現が自分でも使えるようになるのです。この音読をもっと徹底させたものが暗唱です。(つづく)
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■毎日やることが自習の原則
次は、毎日の自習の習慣です。
この自習の習慣というものは、家庭の実態によってさまざまなバリエーションがあります。だから、他の家庭でできることでも、自分の家ではできない、あるいは、別のやり方の方がいいということも当然あります。そこで大事になるのが、お母さんやお父さんの工夫です。言葉の森の自習を機械的にあてはめてやらせるのではなく、その子の実態に応じて無理なく、しかし最も有効な方向でやらせるのが、いちばん身近な親の役割です。
ですから、言葉の森で提案している自習は、あくまでも目安として、実際には家庭での実情に合わせて柔軟に取り組んでいってください。
ただし、柔軟にとは言っても、重要な原則があります。それは、毎日欠かさずにやることです。読書や音読や暗唱が続かなくなるのは、毎日ではなく気の向いたときに、又は週に数回というペースでやるからです。短い時間の単純な勉強は毎日やると決めておけば続きますが、時間のあるときにやるという形では、どんなにがんばっても続かなくなります。
子供が風邪や旅行などで数日自習を休んだときは、元の生活に戻っても、自習も自然に戻るということはありません。そこは、親が、「じゃあ、また自習を始めようね」と言う必要があります。
そのタイミングを逸して、子供が自習をしない状態がずるずると続いているときに改めて自習を開始する方法として役立つのが、月の切り換わりや学期の切り換わりのときです。例えば、「しばらく自習を休んでいたけど、今度、○月になったらまた始めようね」ということを前月の末のうちに言っておきます。間違っても、当日急に、「今日から自習を始めるよ」などと言ってはいけません。子供が心の準備をしてそれなりに納得した状況を作っておくことが大事です。こういうちょっとした工夫ができれば、何事もスムーズに進みます。
■親がいないとできない自習ではなく
短い時間の自習を毎日するのに最適な方法は、朝ご飯の前に勉強をすることです。しかし、中には、朝食を食べない家庭や、毎日朝ぎりぎりまで起きないという家庭もあります。そういう家では、またその家庭なりの時間帯を確保するようにしてください。
自習を長く続けるためには、親がいないとできないという形にしないことです。例えば、夜一緒にお風呂に入ったときに暗唱するという家庭もありますが、その習慣は、子供がひとりでお風呂に入るようになると途絶えてしまいます。
朝ご飯の前の音読や暗唱でも、親が長文をチェックして聞いているような形では、親がいないとできない自習になってしまいます。親は自分の仕事をしながら(朝ご飯の支度をしたり、新聞を読んだりしながら)、聞くともなしに子供の音読を聞いていて、子供が読み終えたら褒めてあげるという無理のない形がいいのです。
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