昨日に引き続き、対話の話です。
対話のきっかけは、子供からの説明がベスト。
子供がちょっと難しい長文を毎日音読していて、その内容を週末の家族の団欒の時間にお父さんやお母さんに説明します。
そのときに大事なことは、その説明がどんなに下手でも短くてもわかりにくくても、それをそのまま認めてあげることです。
間違っても、「そんな説明じゃわからない」「もっとくわしく」などと言ってはいけません。
でも、最近、いろいろな子に話を聞いてみると、ほとんどの家庭でそういうことを言っていたようです(笑)。
まったく……。注意されてがんばる子や、間違いを指摘されて上達する子などいないと何度も言っているのにね。
お父さん、お母さんは、自分の子供のころをふりかえって、どういうときにやる気が出たかよく考えてみてください。
親に小言を言われてから急にやる気が出てきたなんて人いないでしょ(笑)。
言葉の森で、先日、作文発表会をやりました。
みんなの前で、自分の作文を(できれば暗唱して)発表するのです。
中には恥ずかしがり屋で、やりたくないと言っていた子がいましたが、それはそれで参加不参加は自由です。
しかし、リハーサルでみんなの発表を聞いているうちに、そういう子も、「やってみる」と言い出しました。
それは、なぜかというと、リハーサルで、一切何も注意せず、どんな発表の仕方も全部褒めてあげたからです。
これが、「もう少し声を大きく」とか「姿勢をよくして」とか「もっとゆっくり」などといちいち言っていたら、みんなもっと緊張する暗い真面目な発表会になったでしょう。
子供時代に、そんな真面目なことをする必要などありません。
どんなことも、面白おかしくどんどん褒めて明るくやっていくのがいいのです。
だから、もちろん叱ることがあっても、明るく強く元気いっぱいに叱れば、その叱り方は一瞬で、いつまでも尾を引きません。
対話の命は脱線です。
子供がひとこと説明したら、お父さんお母さんがそれに尾ひれをつけて、自分の好きなことをどんどん喋っていけばいいのです。
すると、子供も、「なるほど。そういう適当なことでいいんだ」と負けずに自分の言いたいことを言い出します。
だいたい、人前で自分の言いたいことや自慢話を言って、認めてくれるところなど家族以外にありません。
と言っても、お母さんと子供が一対一でまるで面接か何かのように話すだけでは、雰囲気が盛り上がらないということもあります。
そういうときは、近所の子供やお母さんお父さんも入れて、対話の会です。
子育てには、親の企画力もちょっと必要なのです。
ゴニョゴニョゴニョ。木の実の秋は、リスも対話です。
「だから、対話リスって言うんだ」
「そりゃ、違うでしょ」
日本人の対話は、欧米人のディベートとは違います。
意見の異なる部分を論破し合うのではなく、実例の異なる部分を認め合うのです。
だから、子供との対話も同じ。
子供が、「こんなことがあって、こう思った」と言ったら、親は、「お母さんは、そう思わないわ」などと言わずに、「お母さんも、(それと似た話で)こんなことがあったわ」と言うのです。
すると、お父さんがやってきて、「パパは、ちょっと違うけど、こんなことがあったぞ」などと言うのです。
そうして、互いに異なる実例を共有し合うのが対話です。
ときどき、似た例を探すのに、インターネットで検索してホームページをコピーして渡す人がいます。みんなやっていると思いますが(笑)。
でも、いちばんいい実例は、そういう正確ないデータよりも、お父さんやお母さんの体験談です。
ところで、お父さんは物事を説明的に理解しているので、なかなか体験談が出てきません。
しかし、子供が喜ぶのは、お父さんの自慢話です。
ここで、お父さんが自慢話を始めたときも、お母さんは、「私は、そうは思わないわ」などと言わずに、「私にも、似た例があるわ」と続ければいいのです。
似た例を広げていくことで、子供の創造力も広がります。
なぜかというと、子供は、自分の体験と異なる似た例を知ることで、その隙間を埋めようとするからです。
そして、対話は子供の思考力も育てます。
対話の中では、「どうして」という言葉がよく出てきます。
異なる実例を理解しようとするとき、子供はそれを自分の知っているメタ言語で理解しようとするからです。
今日は、昨日にもまして更に快晴。(超快晴とでも言うのかなあ)
まだ朝ですが、秋の夜長はみんなの自慢話で家族の対話を楽しんでください。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)