言葉の森を始めたころ、というのはもう何十年も前ですが、そのころにちょうどファミコンゲームなどが出て、「ゼルダの伝説」や「ファイナル・ファンタジー4」というロールプレイングゲームがはやりかけていました。
このゲームの面白さを勉強にも生かそうと思い、言葉の森の課題の名称も、ロールプレイング・ゲーム風に「アカシアの山」とか「イチゴの丘」などという名前にしたのです。
しかし、勉強をゲームのように面白いものにするということは、まだできていません。それは、ゲームというものの本質が、勉強の本質と似てはいながらも、ストレートに結びつくものになっていなかったからです。
ところが、最近、ゲーミフィケーションという言葉を知り、それに関する本を何冊か読み、新しいアイデアが湧いてきました。
これまでのゲーム論は、ゲームというものの表面劇な面白さにとらわれているために、勉強に結びつけるときにわざとらしい面が出ていました。それは、ゲームの面白さというものが、本当のところで把握されていなかったからだと思います。
ゲームを教育に生かそうとするときによく言われる言葉は、「チョコレートでブロッコリーを包んで食べさせる」ということです。確かに、教育にゲームを使ったものを見ていると、膨大な予算と時間をかけていながら、どれも教育としては失敗しているか、ゲームとしては失敗しているかのどちらかのものばかりです。
小さな幼児相手の、漢字や計算の練習ならゲーム化してもそれほど問題はありませんが、それ以上の考える勉強になると、ゲームを勉強に生かすということで作られたゲームは、よほど暇な人でない限り飽きてしまうのです。
そこで、ゲームのひとつの要素である競争や賞罰や交流を活用する試みも出て来るのですが、それらは実は、ゲームの本質ではなくむしろゲームに付随する現象のようなものです。
では、ゲームの面白さの本質は何かということを考えて、次のようなことに思い至りました。
まず、自分自身が目標を決めるということです。
次に、それを明示化することです。
次に、それを数値化し、集計化し、実感できるものにします。
そして、目標に応じた成果を達成したあとに、再び新たな自分の目標を作るというサイクルです。
これに使えるのが、折れ線グラフとタイマーです。
ちょうど、html5では、折れ線グラフなどがhtmlの機能になるので、ウェブも活用できます。(今のところ、対応しているブラウザは、グーグルクロムやインターネットエクスプローラ9ですが、いずれもまだ使いにくいところを改良している途中のようです)
しかし、インターネットが利用できるとは言っても、日常的に手軽に使えることが大事なので、基本は、手書きの紙とペンです。
自分で試しにやってみたら、かなり面白いです。
これなら、つまらない勉強も熱中してできます。
だから、逆に、大人が子供の勉強をあおるために使うのではなく、子供が自分自身のために使うことが大事です。
つまり、勉強そのものを目的とするのではなく、勉強のあとの自由な創造の時間を活用するために、その手段としての勉強を能率よく素早く済ませるために使うということです。
このゲーム化した勉強法を、これからの子供たちの家庭学習に生かしていきたいと思っています。
勝海舟は、貧しかったために英語の辞書が買えず、知人から借りた辞書を全部書き写しました。
しかも、日中の仕事が終わってからの夜だけの作業でした。
やっと書き写し終えた1冊は売って家計の足しにし、自分用にもう1冊書き写しました。
海舟の自伝である「氷川清和」に、そんな話が載っています。
今だったら、辞書をコピーするだけでも大変だと思うところですが・・・・・・。
それに比べると、現代は自分で学ぶための機会が豊富にそろっています。
例えば、ヤフーにも、グーグルにも英文翻訳のページがあります。
また、英文のカタカナでの読み方を教えてくれるページもあります。
これらのページを利用すれば、いくらでも自分にとって必要な勉強をすることができます。
勉強は、もう人に教えてもらうものではなく、自分で学ぶものになっているのです。
足りないのは、海舟が行ったような燃えて学ぶ気概です。
だから、これからの教育で最も大事なことは、自分で学ぶという姿勢を子供のころから作っておくことです。
勉強そのものよりも、勉強を楽しむ姿勢を作っておくことが大事なのです。
今日はさわやかな青空。
春の七草という言葉を聞くと、春がもうすぐそこまで来ている感じがします。
それでは、今日も、いい一日をお過ごしください。