漢字の勉強をなぜするのかというと、漢字のテストでいい点を取るためでも、漢検に合格するためでもありません。
小学生の場合は、ふりがなのふっていない少し難しい文章を自由に読めるようになるためです。
読み方をもう知っている大きい生徒の場合は、書きにくい漢字を使って少し難しいことを自由に考えることができるようになるためです。
そのように勉強の根本がはっきりしていれば、テスト前の一夜漬けの勉強などしなくてもいいのです。(してもいいけど)
勉強全体についても同じことが言えます。
勉強の目的は、勉強力を土台として、自分が自由に何かを創造することができるようになることです。
ところが、小さいころから創造的な遊びを制限して、勉強の時間を取りすぎている子も、最近は結構多いのです。
子供は、やる気になる時期が来れば、止めても勉強するようになります。
その勉強の動機になるのが、小さいころから積み上げてきた創造の喜びです。
こういう原点の姿を忘れないようにしていきたいと思っています。
空を見ると、月がだいぶ細くなっていました。もうすぐ新月です。
まだ寒い日が続きそうですが、少しずつ春の気配が感じられてきます。
季節にも原点があるとしたら、それはやはり春でしょう。
今日も原点を大事にして、いい一日をお過ごしください。
言葉の森を始めたころ、というのはもう何十年も前ですが、そのころにちょうどファミコンゲームなどが出て、「ゼルダの伝説」や「ファイナル・ファンタジー4」というロールプレイングゲームがはやりかけていました。
このゲームの面白さを勉強にも生かそうと思い、言葉の森の課題の名称も、ロールプレイング・ゲーム風に「アカシアの山」とか「イチゴの丘」などという名前にしたのです。
しかし、勉強をゲームのように面白いものにするということは、まだできていません。それは、ゲームというものの本質が、勉強の本質と似てはいながらも、ストレートに結びつくものになっていなかったからです。
ところが、最近、ゲーミフィケーションという言葉を知り、それに関する本を何冊か読み、新しいアイデアが湧いてきました。
これまでのゲーム論は、ゲームというものの表面劇な面白さにとらわれているために、勉強に結びつけるときにわざとらしい面が出ていました。それは、ゲームの面白さというものが、本当のところで把握されていなかったからだと思います。
ゲームを教育に生かそうとするときによく言われる言葉は、「チョコレートでブロッコリーを包んで食べさせる」ということです。確かに、教育にゲームを使ったものを見ていると、膨大な予算と時間をかけていながら、どれも教育としては失敗しているか、ゲームとしては失敗しているかのどちらかのものばかりです。
小さな幼児相手の、漢字や計算の練習ならゲーム化してもそれほど問題はありませんが、それ以上の考える勉強になると、ゲームを勉強に生かすということで作られたゲームは、よほど暇な人でない限り飽きてしまうのです。
そこで、ゲームのひとつの要素である競争や賞罰や交流を活用する試みも出て来るのですが、それらは実は、ゲームの本質ではなくむしろゲームに付随する現象のようなものです。
では、ゲームの面白さの本質は何かということを考えて、次のようなことに思い至りました。
まず、自分自身が目標を決めるということです。
次に、それを明示化することです。
次に、それを数値化し、集計化し、実感できるものにします。
そして、目標に応じた成果を達成したあとに、再び新たな自分の目標を作るというサイクルです。
これに使えるのが、折れ線グラフとタイマーです。
ちょうど、html5では、折れ線グラフなどがhtmlの機能になるので、ウェブも活用できます。(今のところ、対応しているブラウザは、グーグルクロムやインターネットエクスプローラ9ですが、いずれもまだ使いにくいところを改良している途中のようです)
しかし、インターネットが利用できるとは言っても、日常的に手軽に使えることが大事なので、基本は、手書きの紙とペンです。
自分で試しにやってみたら、かなり面白いです。
これなら、つまらない勉強も熱中してできます。
だから、逆に、大人が子供の勉強をあおるために使うのではなく、子供が自分自身のために使うことが大事です。
つまり、勉強そのものを目的とするのではなく、勉強のあとの自由な創造の時間を活用するために、その手段としての勉強を能率よく素早く済ませるために使うということです。
このゲーム化した勉強法を、これからの子供たちの家庭学習に生かしていきたいと思っています。