子供が健やかに育ってほしいと思うのは、誰にも共通する願いです。そのためのひとつは学力です。この学力を育てることが、子供の成長の中心の課題です。その学力の周辺の余技として音楽やスポーツや様々な趣味の世界があります。だから、学力をつける時間を確保したあとに、音楽やスポーツの時間を確保していくことです。
音楽の目的は、将来、日常生活の中で音楽を楽しめるようになるための技術を身につけることです。運動の目的も、将来、日常生活の中でスポーツを楽しむための技術を身につけることです。決して、将来プロとなるための練習をしているのであありません(ほとんどの人にとって)。親は総合的に子供の成長を考えて、バランスよく子育てをしていくことが大事です。
学力を教科によって分けると、国語と算数が二つの大きな柱になります。国語と算数数学は、小中高と学力の中心になります。しかし、この二つの教科は、性格に大きな違いがあります。ひとつは、国語はやらなくてもある程度できるが、やっても完璧にはできない教科であるのに対し、算数はやらなければできないがやれば百点も取れるようになる教科だということです。
これは、国語と算数が次のような構造を持っているからです。
▽算数
勉強して身につける部分
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生活の中で身につける部分
▽国語
勉強して身につける部分
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生活の中で身につける部分
算数は、勉強をすることがほとんどすべてです。
国語は、勉強以外の生活を国語的にしていくことが大切です。
だから、話したり、聞いたり、読んだり、書いたりする日常生活を充実させていくことが大事になります。
一般に、小学校低学年では、算数にかける時間の2倍から3倍を国語的な勉強にかける必要があります。そのためには、生活の中で国語の力をつけていく工夫をすることが必要になります。
科学技術教育に力を入れているドイツでも、小学校低学年の国語の授業時間は、算数の授業時間の2~3倍になっています。
言葉の森の作文の特徴は、対話があることです。
ひとつは、先生が毎週電話で生徒に説明するので、先生と生徒の個人的な対話が生まれます。
もうひとつは、作文に書くことを準備するために、子供が親にいろいろな話をしたり、話を聞いたりします。親子の対話が、作文の勉強の予習になっているのです。
そのほかに、先生と保護者との電話やメールでの対話もあります。
facebookなどを通して保護者どうしの対話もこれから増えていくでしょう。
コミュニケーション能力は、コミュニケーションによって育ちます。
教材だけが与えられて、それを黙々とこなし提出するという勉強では、コミュニケーション能力の出番はありません。
反応があるから、書いたり話したりすることに意欲的になれるのです。
今の社会では、幼児期から、子供たちは、コミュニケーション能力の発達を阻害する環境に取り囲まれています。
今日のfacebook記事にそんなことを書きました。
作文の勉強には、生きた人間どうしの触れ合いが必要なのです。
====3日のfacebook記事より====
情報機器は、成長した大人にとっては便利なツールです。
しかし、成長途上の幼児にとっては、コミュニケーション能力を阻害する危険なツールになります。
テレビやビデオやパソコンは、ちょうどアイロンとかヤカンとか電気コンセントのようなものと考えておくといいのです。
もちろん、今の世の中では、人工的なものを避けることはできません。
幼児が、テレビやビデオやパソコンの機械的な音声にさらされたら、その倍以上、親が人間のコミュニケーションをすることです。
大事なことは、人間の音声の背後に本当の人間がいて、人間の表情の背後に本当の人間がいることです。
機械が機械の音を出したり、音楽を流したりするのはいいのです。
いけないのは、機械が人間の声を出したり人間の顔を流したりすることです。
テレビのアニメやCDの読み聞かせがそれだけで与えられれば、子供のコミュニケーション能力は損傷を受けます。
しかし、親がそばにいて一緒に話しかけるようにすれば、傷ついたコミュニケーション能力はその場で修復されます。
人間の成長に最も大事なものは、生きた人間なのです。
「対話の教育」ということを考えていて、ふと、幼児の成長も同じだなあと思いました。
今日は3月3日、雛祭り。
お雛様たちも、久しぶりに表に出て楽しくコミュニケーション。
天気がいいので、子供たちも外に出て、楽しく遊ぶ一日になるでしょう。
====引用ここまで====