国語の勉強法には2種類あります。
ひとつは、対処療法的な勉強法、もうひとつは根本治療的な勉強法です。
対処療法的な勉強法というのは、言葉の森のホームページの「国語の勉強法」に書いてあるような理詰めに考える解き方を身につける勉強法です。
国語というと感覚的な読み取りだと思っている人が多いので、選択した答えが間違っている場合でも、なぜかとと問う人が少なく、「当たった。はずれた」というレベルで考えてしまう人が多いようです。しかし、それでは試験にはならないので、問題の背後には必ずその裏づけになる理屈が隠されています。その理屈を考えることが国語の問題の解き方です。
この理詰めに解くという解き方を知るだけで、国語の成績が急に上昇することがあります。
世間でよく行われている国語の指導とは、こういうものです。「国語力は読書では身につかない」などと豪語する人がときどきいますが、それはこの理詰めのテクニックを教えれば成績が上がるということで言っているのです。
しかし、理詰めに解く勉強法だけでは、国語の成績はすぐに限界が来ます。
理詰めに解くのが対処療法的な勉強法だとすると、対処療法では対応できないレベルがあるのです。それが、本当の意味での読解力です。
つまり、テクニックで成績が上がるのは、その生徒の本当の読解力の範囲までなのです。だから、国語力をつけるためには、根本的に読解力を向上させなければなりません。それが、根本的な勉強法です。
根本的な国語力をつける前提は、まず文章が自然に読めるということです。
日本語の文章は、日本で生まれ育った人なら誰でも自然に読めると思われがちですが、その読み方には深さの差があります。ある文章があった場合、それを表面的に読むか、より深く読み取るかの差が、その人の読書生活の中に現れてきます。
子供時代に、読んでいる本が面白くて止まらなくなった、という経験を持つ人は多いと思います。そのときの読み方が深い読み方です。
つまり、文章を読むことが読むという意識なしにできるようになり、書かれている内容に没入できる状態になることです。読解力の根底には、この読んでいる内容に引き込まれて、自分がまるでその本の中にいるような状態になることがあります。
言葉の森では、読書は読解力の大前提だと教えています。「国語の成績は読書では身につかない」という考え方とは正反対です。それは、文章の内容を生き生きと味わうような読み方こそが、文章を読み解く前提になるからです。これは、特に物語文の読解にあてはまります。物語文を読む前提は、登場人物に感情移入しながら読む読み方ができるということだからです。
だから、小学生時代は特に、国語の問題集を解く勉強のようなことをするよりも、読書をたっぷりしておくことが大事なのです。(つづく)
幼児や小学校1年生から作文の勉強をする子が増えています。
小学校でも、書くことに力を入れるということで、低学年から日記などの宿題を出すところが増えてきているようです。
しかし、小学生のころの作文指導は、大人はつい間違いを直すこと中心に見てしまうので注意が必要です。
これは、お母さんでも同じです。
真面目で熱心な先生やお母さんほど、間違いがあるとすぐ直してしまいたくなるのです。
ところが間違いは、そこで直さなくても読む力がつけば自然に直るものがほとんどです。
間違いを直すことによって、せっかく褒められると思って書いた子供の作文をけなすかたちになってしまうところに大きな問題があります。
しかし、間違いを直さないと、その間違いが定着しやすくなるのも事実です。
では、どうしたらいいかというと、最初から間違って書かないようにすればいいのです。
最初から正しい書き方をするためには、正しい書き方をよく読んでおく必要があります。
だから、作文を書く前に、読書をたっぷりしておく必要があるのです。
低学年のころの作文指導は、上手に書くことを目的としません。
正しい書き方を身につけ、楽しく書くことを学ぶために勉強していきます。
低学年のときに楽しく書くためには、できるだけ直す注意をしないことです。
そして、この楽しく書いた土台の上に、中学年になってからの表現を工夫した作文、高学年になってからの考える作文。中学生や高校生になってからの創造性のある作文と続いていくのです。
====facebook記事より====
昔、教室に浪人生がひとり、お母さんと一緒に来ました。
「作文というのが苦手で、実は小学生以来今まで、夏休みの宿題などは母が全部代筆していた」と言うのです。
お母さんも、大変でしたね。
「でも、今回浪人になったのをいい機会に、小論文の勉強をしようかと思って」ということでした。
そこで、いつものように、「大丈夫ですよ」(笑)
早速、その場で体験学習。
子供も、親も不安そうです。特に、子供の方は作文を書いたことがない……。
しかし、小6相当の課題(といっても、実はかなり難しい)を説明して、書いてもらうと、何と書けるではありません。
親子でびっくり!
というか、何が何でも書けるように説明してしまうのです。
その後、教室に通うようになり、1年間毎週しっかり作文(小論文)を書いて、大学も無事に合格。
毎週休まず来て、毎回力作を書いていました。
どうしてそれまで作文を書けなかったかというと、小学生の低学年の時期に、作文に関するトラウマがあったのです。
最初に作文を書いて喜んで先生に見せたら、自分が褒めてもらいたいところは全然褒めてもらえず、逆に自分が予想もしなかったところで注意されたのです。
「文の終わりには、まるをつけなきゃね」とか何とか。
文章を書く上でルールなどは、誰も教えなくても、本を読んでいるうちに自然に身につけます。
だから、低学年のうちは、直さなくていいのです。
そして、低学年のうちほど、作文はすぐには直りません。本を読んでいる量がまだ少ないからです。
小学校低学年のうちは、作文に力を入れるよりも、読書や対話に力を入れていくのがいいのです。
====引用ここまで。====
【参考記事】
対話を生かした、幼児と小学校低学年の作文学習
https://www.mori7.com/as/1764.html