小学校6年生の子生徒のお母さんから、森リンの点数についての質問がありました。表現語彙はとても高いが、思考語彙が少ないために点数がなかなか上がらないということです。
これは小中学生であれば、多くの人が感じていることだと思います。森リンは大学入試の小論文の評価に合うように作られているので、作文に書くテーマ自体が難しいものであることを前提にしています。すると自然に、作文の中に、実例だけでなく、その実例の裏付けになる説明や考えを書くようになってきます。
ですから、今、小中学生で思考語彙の点数が低い人でも、課題がこれからだんだん難しくなり、その難しさに合わせた文章書いてると自然に思考語彙の点数が上がってきます。
言葉の森の「森リンの丘」というサイトに、小学校1年生から高校3年生・社会人までの代表作品が学年別に載っています。(ただし、小学校4年生までの作品は、上手な作品を掲載すると、そのことによるマイナスの方が大きいため今は載せていません。お母さんやお父さんが、子供に、「こういうふうに書いてみなさい」と言うことが多く、ほとんどの子供がそれによって劣等感を持ってしまうからです。)
ここで、高学年や中学生、高校生の作文を見ると、森リンの点数がどういうふうに上がっているかが分かると思います。
思考語彙の点数を上げるコツは、実例だけでなく説明や意見を書くことです。ですから、接続語や助動詞の使い方が大事になってきます。
接続語いうのは、「例えば」「しかし」「だから「すなわち」「したがって」「言い換えれば」「つまり」「わかりやすく言えば」など、自分の書いた文章を、別の言葉で言い換えるような内容を書いていくことです。
助動詞というのは、「だろう」「に違いない」「かもしれない」「のはずだ」などの言葉です。思考語彙というと、「思う」とか「思った」という言葉を考えがちですが、森リンの点数は、同じ語彙は1種類として数えるので、「思う」がたくさん使われていても思考語彙が増えたことにはなりません。いろいろな言い方で自分のい考えた内容を表していくのが大事です。
ところで、森リンの点数を上げる上でいちばん大事なことは、やはり難しい文章を読むことで、自然に難しい語彙を使えるようになることです。
個々の作品んついては、点数が高かったり低かったりしますが、年間を通してみると、真面目に勉強している生徒は、必ず右肩上がりに点数が上がっていきます。
以前、ひとりずつの生徒に、その棒グラフをフラッシュで表示していたのですが、フラッシュの使用をやめたので、いまはその棒グラフが表示されていません。今後、html5のグラフ機能で、各人の作文の進歩が一目でわかるようにしていきたいと思っています。
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ウェブの生誕何十周年だとかいうことを聞いたので、昔の言葉の森のページを見てみました。
1996年9月に開設したのですが、そのころの画面はなく、1年後の1997年の画面がありました。
今とあまり変わらない……(笑)。
中央やや左にかいてあるモグラのような得体の知れない動物は、当時小2の子がかいた「コモリン」という名前の想像上の生き物です。
http://web.archive.org/web/19970502140902/http://www.mmjp.or.jp/shine/
これを見ると、当時からかなり進んだページを作っていたのだとわかります。
その後、開発をしていなかったので、今はかなり遅れていますが。(^^ゞ
しかし、これからまたがんばっていきたいと思っています。
これから作るのは、スマートフォンに対応したページです。
しかし、その後の流れを予測すると、たぶんスマートフォン対応のページというのは将来なくなると思います。
昔、携帯対応のページというのがありました。文字だけの軽いページでしたが、その後スマートフォンがリッチなページを表示できるようになると必要なくなってしまいました。
今、スマートフォン対応のページが必要なのは、スマートフォンで見ることのできる画面が小さいからです。
ところが、今、googleが開発しているグラスは、たぶんウェブをスマートフォンの画面で見るのではなく、眼鏡の中で見るのだと思います。(あくまでも推測)
すると、サイズの制約というものはなくなります。
そして、サイズの制約がなくなるどころか、360度すべてがウェブの画面として表示されるようになります。ほとんどマトリックスの世界です(笑)。
インターネットの進歩は速いので、追いつくことを考えるよりも、新しい展開を予測して先取りしていた方が楽しいと思います。
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小学校低学年の勉強で大事な事は、長時間はやらないこと、毎日やることとです。
そして、一度始めたことはできるだけ長く続けるようにすると、そのほかの勉強も、勉強以外の生活もいろいろなことが継続しやすくなります。「継続は力なり」という言葉はよく言われることですが、これは勉強でも人生でもいちばん大切なことだと思います。この継続が習慣を形成し、習慣が第二の天性を形成するのです。
言葉の森で小学校低学年から勉強を始めた子は、誰でも途中で一度や二度はスランプに陥ることがあります。ある学年のときに、その前の学年よりも字数も森リンの点数も下がるということがあります。しかし、そういうときでも細く長く続けていた子は、その後必ずまた再び実力を伸ばしていくようになるのです。
そのようにして、高校生まで勉強続けた生徒は、文章を書くことに対する自信がついてきます。文章力は大学入試の小論文試験などで使うこともありますが、それ以上に社会に出てから大きく役に立つものです。
なぜこういうことを自信を持って言えるかというと、小学校低学年から高校生以上まで続けた生徒をたくさん見てきたからです。その反対に、途中でやめてしまった子は、その理由がどうであれ、やはりもったいないと思います。受験などで多忙のためにいったん退会せざるをえなかった生徒は、また時間を見てできるだけ早い時期に再開するといいと思います。
この高校生まで継続する力が、小学校低学年のころの勉強の仕方にあります。
低学年の勉強で大事なことは、成果を上げることではありません。成果を上げようとすると、どうしても長時間勉強をさせたり、難しい問題をできるようにさせたりしたくなります。大事なことが成果をあげることではなく子供が自分の力で毎日勉強する習慣を作ることです。
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鳥インフルエンザが問題になりそうな時期に、あまりいい話題ではないかもしれませんが、教室の近くに来ている野鳥たちの話です。
言葉の森の通学教室では、昔オカメインコや文鳥を買っていました。ヒナから育てた手乗りのオカメインコや文鳥なので、よく教室の中を自由に飛び回っていました。
しかし、オカメインコや文鳥は、もともと南の国にいる鳥なので、日本の冬の寒さには屋外では耐えられません。そこで今はペットの小鳥ではなく、言葉の森の近くに来る野鳥たちを手なづけることにしました。野鳥といっても、スズメやハトやカラスやツバメです。
でも、この中でカラスだけは、性格のいいカラスと悪いカラスがいるようで、性格のいい方の(たぶんハシボソガラス)は温和なのですが、性格の悪い方のカラス(たぶんハシブトガラス)は、ほかの鳥たちをいじめるようなのです。やがてその性格のいい方のカラスも来なくなってしまいました。そこで、カラスはペットからは除外。
毎朝餌をやっているうちに、スズメたちはだんだん慣れてきて、お腹がすくと窓の外で鳴き出すようになりました。やがて、そのスズメが言葉の森の建物の東側にある電気メーターに巣を作ってしまいました。電気メーターなので、たぶん冬でも温かいのでしょう。先日、その巣からヒナのスズメが飛び出してきました。
今は住宅事情でペットを飼えない家庭も多いと思いますが、子供たちはみんな動物好きです。マンションなどでもベランダに小鳥たちの巣を置いておけば、家でペットを飼わなくても、自然にいる生き物たちと接する機会が増えるのではないかと思いました。
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スズメなら私の住んでいる東京でも見かけます。
夏のある日の朝散歩でマンションに住んでいるのでマンションのそこら辺をうろちょろしていると見かけない声がしたので探してみるとすぐに見つかりました。招待は野鳥のそこら辺を飛び回っているスズメでした。私は興味本位で追いかけまわしました。もちろんスズメはびっくりしてそこら辺を逃げ回り捕まえるのに結構な時間と筋肉を使いました。(笑)帰ってきてすぐ学校に行ったので机の上でぐだーっと白目見せながら寝ていました。学校の友達のMちゃんからは本当に大丈夫と言われました。これからもスズメをあちこち頑張って探し回ろうと思います。
スズメが都会で最近少なくなったのは、巣を作れるような空間が、今の家にはなくなっているからのよう。
公園に巣箱などを設置してあげたらいいのにね。
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5月1日のfacebook記事に、手書きの話を書きました。
どうやって書いたかというと、手書きで書いたのです(笑)。
やり方は、まず、スマートフォンでNoteAnytimeβを起動。mazec2βという文字認識ソフトとつなげているので、指で書いた文字がすぐに認識されます。
(いずれのアプリも、android、iOSに対応しているようです。このアプリを作ったMetaMojiは、一太郎の浮川さんの作った会社です。さすが。)
同音異義語の変換と選択という作業がないので、キーボード入力より、考えの流れが中断されません。これは、日本語入力にとって画期的なことです。
英語などは、同音異義語が少ないので音声入力も簡単なのですが、日本語の音声入力は、同音異義語に加えて漢字で書くか仮名で書くかという選択もあるので、かなり大変です。
その点、手書き入力はそういう煩わしい、文章を書くのに本質的なことではない操作で頭を悩ますことがありません。
手書きで書いてテキスト変換した文章をコピーして、そのあとtumblrというブログサービスに投稿してみました。これでインターネットに接続すれば、いつでもどこからでも利用できます。
手書き入力の利点は、文字以外に、絵や図も簡単に書けることです。そして、小学校1年生でも、テキスト入力ができることです。
漢字変換機能もあるので、自分の書いたひらがなの文字を漢字に変換すれば、漢字も覚えられます。(たぶん、そういう勉強的な使い方をする子はあまりいないと思いますが)
これで何がいちばん変わるかというと、小学校1年生から森リンという小論文自動採点ソフトを使えるようになることです。森リンは、文章を解析して、表現の多様性や思考性や語彙の難易度を数値で表します。だから、自分の書いた文章が客観的にどういうレベルにあるかということを判断できます。
これまでの作文指導は、人間が評価する形しかありませんでした。人間が評価するときのいちばんの欠点は、評価力のない人が文章を評価すると、欠点を指摘するだけで終わってしまうことが多いというです。これで、多くの子が作文嫌いになってきたのです。
これから、家庭でもタブレット端末を使うことが多くなると思います。
たぶん、今年あたりから、小学校1年生の子が、自分で手書きで書いた作文を、言葉の森の「作文の丘」からテキストで送り、「今日の作文の森リン点は、80点だった」などと喜ぶような日が来るのではないかと思います。
【参考ページ】(宣伝するわけではありませんが)
「あらゆる端末で使える手書きノートアプリNote Anytime」
http://product.metamoji.com/ja/anytime/
====facebook記事、ここから。
これからは手書きの時代になりそうです。
特に日本語は音素数が少ないので、同音異議語が多いからです。
それがダジヤレを作りやすいという利点にもなっていますが。
むかーし、十五年程前ですが、やはリタブレットで、小学校低学年の子に手書きでパソコン入力をしてもらったことがあります。
当時の子供たちが今年ちょうど大学四年生ぐらいです。
そのころはまだ機能が低くて手書きはストレスがたまりました。
でも、今の手書きは全く快適です。
たぶんこれからの作文は、タブレット作文になると思います。
もう、字がきたないとか、漢字を使わないとかいった小言はなくなります(笑)。
キーボードの歴史は、せいぜい数十年。手書きの歴史は、その百倍はあります。
新しいツールによって古い文化がよみがえってきたのです。
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タブレットPCとスマホの登場によって。日本語の書き方も大きく変わりそうです。
これまではキーボードから入力することが主流でした。携帯電話が普及することによって、一時親指入力が広がりましたが、現在スマホやタブレットPCなどで主に行われているのは、音声入力と手書き認識入力です。
特に日本語では同音異義語が多いことから、音声入力やキーボード入力よりも手書き入力が今後広がっていくと思われます。
手書き入力で大事なことは、字が上手かどうかということよりも、読みやすいかどうかということになります。さらに新しい要素として、これまで以上に書き順というものが重要になってきます。
また、音声入力で重要なのは、聞き取りやすい話し方をすることです。音声入力であれば、たくさんの文字数を楽に話すことができるので、作文の価値は量よりも質だということがますますはっきりしてきます。
音声入力を構成を意識して書くためには、事前の構成メモ(構成図)が必要です。したがって作文を書く上で大事なことは、書くことそのものよりもその前の考える過程、つまり考える中身になってきます。
現在、論文でコピー&ペーストのような書き方が容易になっています。すると、論文の価値は、内容が立派かどうかということよりも、自分らしいオリジナルな中身があるかどうかということになってきます。
今日インターネットの世界では、テキストだけではなく画像や音声さらに動画も多用されるようになっています。作文を表現学習のひとつと考えるならば、文章は中心となるとしても、その文章を補完するものとしての画像や音声どはこれからますます重要になってきます。つまり、作文も、作文を中心としたプレゼンテーションのような学習になってくると思われます。
(写真は、教室の近くの並木のクスノキ)
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今日のfacebook記事は、インターネット端末のシェアでした。
調べたのは、言葉の森のサイトにアクセスしている端末に関してですから、正確さは限定付きです。
しかし、いろいろな調査を見ても、インターネットエクスプローラのシェアが次第に低下し、google Chromeのシェアが伸びているのは間違いないようです。
今の傾向をずっと延長していくと、15年後ぐらいにはシェアの逆転が起こりそうですが、ドッグイヤーと言われる世界のことですから、単純な延長ということはあり得ないでしょう。
さて、言葉の森のサイトにアクセスしている端末の多くがパソコンではなく、スマホになっていました。
スマホの人は、これまでかなり見にくかったと思います。
この連休中に、言葉の森のページは、パソコンにもスマホにも両方同時に対応できるものにしていきたいと思います。
昨日、スマホの操作をいろいろテストしていて、入力方式が大きく改善されているのを知りました。
パソコンのキーボードに慣れている人は、スマホでの入力はかなりしにくいと思います。しかし、今は、音声入力や手書き文字入力が、実用的なレベルになっています。
今後、タブレットが増えるにつれて、入力方式は、キーボードから手書きに変わっていくのではないかと思いました。
日本語の場合は特に、キーボードでは同音異義語の変換に時間がかかります。これは音声入力でも同じです。しかし、手書きの場合はかなり速く書いても書いたとおりに認識してくれます。
昔、言葉の森では、パソコンを使うのは、原則としてローマ字を打てるようになった小4ぐらいからとしていましたが、今後は、手書きですから年齢の壁はなくなると思います。
また、作文というのも、ただ文章を書くだけのものではなく、そこに必要に応じて絵や写真や音声を入れた総合的な表現学習になると思います。
そして、音声入力がもう実用化していることから考えられるのは、これからはますます文章というものは、その長さではなく質で評価されるということです。
連休の後半は、ホームページの改良作業になりそうです。
====facebook記事より
明治のはじめのころ、ランプ屋をしていた己之助さんは、自分の村に電気が引かれるに反対していました。
しかし、火打ち石で火をつけるのに失敗したとき、「古くせえもなあ、役にたたねえ」と言った自分の言葉にふと気づき、自分が古い商売を守るために村の新しい発展を邪魔しているのだということを悟りました。
ということをふと思い出したのは、昨日と今日、ホームページにアクセスする端末を見ていて驚いたことがあったからです。
大雑把に言うと、
・インターネットエクスプローラ8が10%(WindowsXPか)
・インターネットエクスプローラ9が30%(Windows7か)
・Google Chrome が10%
・スマホのiPhoneが15%
・スマホのAndroidが15%
・タブレットのiPadが5%
・同じくタブレットのAndroidが5%
ぐらいの割合だったのです。
これからはパソコンよりもスマホやタブレットが、インターネットの端末の主流になることがはっきりわかりました。(既に、そういう調査もいろいろ出ているようですが)
そして、その新しいスマホやタブレットでも、どのOSが主流になるかということは、これからまた大きな変化があると思います。
「古くせえもなあ、役にたたねえ」という言葉を教訓としてこれから新しいことに挑戦していきたいと思います。
====
(写真は近所に咲いていたわすれな草)
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日本では、江戸時代のころ、「老」という言葉は尊称として使われていました。例えば、幕府の役職でも、「大老」「老中」「若年寄」などという言葉がありました。一方、今でも、自分を謙遜する場合、「若輩」などという言葉を使います。水戸黄門が、ご老公として諸国を旅したのも、こういう文化の背景があったからでしょう。
江戸時代の武士の勤務には定年制がなく、何歳でも本人が希望するまで勤めることができました。もちろん、家督を子供に譲り早々と引退することもできました。
長寿の人には、「老衰」と称して褒美が与えられました。当時は、「老」も「衰」も褒め言葉でした。姥捨て山(うばすてやま)のような話とは正反対の文化があったのです。
江戸時代の日本人の子育ての基礎となった「和俗童子訓」は、貝原益軒の晩年81歳のころに書かれたものです。
また、日本文化のもうひとつの基礎となっている武士道の源流とも言える「葉隠」は、山本常朝が主君の死のあと隠棲した地で聞き書きとして書かれたものです。
これに対してヨーロッパの思想や文化のひとつの背景となっているデカルトの「方法序説」は、デカルトが20代の初めに考えた思想がもとになっています。
デカルト自身は、物質と精神のそれぞれについてバランスのとれた考えを持っていましたが、デカルトの思想は、主にその物理的世界観だけが一人歩きする形でその後の科学技術文明の基礎となりました。
「葉隠」の中に、こういう話があります。
……世の中にはわかるものとわからないものとがある。
わからないものの中には、よく考えてわかるものと、時間がたてばわかるものとがある。
また、いくら考えても、時間がたってもわからないものもある。……
これに対して若いデカルトの考えはこうでしょう。
……世の中にあるものは、すべてわかるようにできている。
わかるためには、それをできるだけ小さく分けて、わからないものがなくなるまで細分化していくことだ。……
こういう考え方の差異が、勉強の仕方の違いにも結びつきます。
日本的な「老」の勉強法の典型的なものは、「読書百遍意自ずから通ず」でしょう。欧米的な「若」の勉強法は、「わからないところがなくなるまで分けるスモールステップ」です。
この二つの異なる方法論をうまく組み合わせることがこれから必要になってきます。
老の文化と若の文化の差は、教育の分野だけでなく、政治の世界にも経済の世界にもあてはめることができます。
今、政治の世界で常識のように思われている三権分立や多数決による民主主義などは、もともと人間が個々ばらばらの存在で、個人のエゴイズムによって行動するという人間観をもとに成立しています。その前提自体を見直すこともこれから必要になってきます。
近代の資本主義と科学技術の文明は、欧米の若い文化を基盤にして成立しました。
しかし、その文化が今行き詰まっています。環境の破壊、科学技術の暴走、戦争の危機、金権の政治と文化などがその端的な例です。
この行き詰まりを切り開くことができるのは、日本で育まれていた老の文化です。なぜなら日本の社会は、外見上欧米化は進みましたが、その精神の中ではまだ日本古来の文化が息づいているからです。
欧米の若い文化と日本の老の文化を融合する際に大事なことは、外見上の欧米と外見上の日本にとらわれるのではなく、その背後にある文化としての欧米と文化としての日本を見ることです。
教育の方法論についても、この文化的な見方がこれから必要になってくるのです。
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