何かの分野で一人前になるには、そのことに時間をかけなければなりません。その時間は、3000時間とか4000時間とかいう単位です。
理屈だけで考えると、物事は理解できればすぐに身につくような気がしますが、その理解できたことが本当に自分の手足のように自由に使えるようになるにはそれだけの時間がかかるのです。
ところで、今メジャーな音楽やスポーツの分野は、先人からの蓄積の長い伝統があります。すると、その分野をマスターし、そこで一人前になるためには更に長い時間がかかります。
だから、どんなに運動神経のいい人でも、サッカーも一流、野球も一流、バスケットボールも、水泳も、ゴルフも一流というわけにはいかないのです。どの分野でも優れたプレーをすることはできるかもしれませんが、一流になるのは、ひとつの人生でひとつの分野に限られるのが普通です。
個性の大切さということは誰でもわかっていますが、いざ実際に自分や自分の子供のことを考えると、つい大勢に従ってしまいがちです。それは、これまでの教育がそうだったからです。
これからは、意識的に、自分の好きなこと、ほかの人のあまりしていないことに時間を使うようにしていくことが大事だと思います。
====5月12日のfacebook記事より
http://www.facebook.com/kotobanomori
これからは、個性の時代です。
今は、スポーツの種目にしても、音楽の楽器の種類にしても、勉強の教科にしても、メジャーなものの割合が多すぎる気がします。
その人気にはそれなりの理由があるのですが、その理由のひとつは、メジャーなものの方がいざというとき「食っていける」可能性があるということがあります。(学ぶ機会が多いということもありますが)
しかし、そういう分野は競争相手も多いので脚光を浴びるのは一握りだけで、長時間の練習を余儀なくされる割に、ほとんどが「一応できる」というところにとどまってしまいます。
同じように時間をかけるなら、すぐに第一人者になれるような特殊な分野を目指すことが、これからの時代の傾向になります。
そのためには、まず好きなことをたっぷりする時間を確保しておくこです。
今日は、曇りのち晴れ。
気持ちのいい日曜日になりそうです。
先日、スカイマップというスマホのアプリを入れました。
それで空を見ると、夜だけでなく、昼間でも雨の日でもいつでも、頭上にどんな星が浮かんでいるのかわかります。
しかも、足下を見ると、地球の裏側の星の配置もわかるのです。
夜中でも、「ああ、太陽はいま、この辺か」という感じです。
今ごろの季節の深夜は、ちょうど頭上にこと座のベガが光っています。
もう夏ですね。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
====
(写真は、スクリーンショットのこと座)
先日、金(きん)が暴落しました。一方、日本と米国の株価は、今も上昇を続けています。
しかし、今、こういう金融商品を動かしているのは、米欧日の際限ない印刷マネーでバブル化した数字だけの金額を動かすことのできるグループなのです。
株にしろ金にしろ、このような金融商品はプラスに動いたときの利益よりも、マイナスに動いたときの損失が決定的に大きいという特徴を持っています。だから、私たちは、このようなバブルに動かされずに、未来の社会の展望を静かに考えてみることが大切だと思います。
今、日本と世界の経済は大きく変わろうとしています。未来に待っているものは、ひとことで言えば、お金という制約のなくなった世界です。
例えば、国が国民全体に、毎月百万円ずつお小遣いを渡すようになるとします。それなら、誰でも自分の必要なものを買うことができます。これを現実の紙幣や貨幣で渡すのでは手間がかかって大変ですから、データベースに入れた数字として、それぞれのスマホのアプリとして扱えるようにすればいいのです。
しかし、このお小遣いのうち、買う必要がなかった分のお金は、貯蓄しておくことができません。デジタルのお金は、生鮮野菜のように、日がたつにつれて価値が下がっていき最後はそのまま消滅してしまうからです。だから、野菜や果物は、どの家庭でも普通に消費できる分ぐらいしか買わないように、未来のお金も、必要な人が必要なだけ使うようになるのです。(つづく)
※経済の話ですが、後半から教育の話に結びついていく予定です。
5月10日のfacebook記事に、次のようなことを書きました。「作文も、日記も、小論文も同じです」。
このことについての説明です。
以前、中学生でよく書けている生徒が、初めて行った塾で作文を書き、その塾の先生から、「これでは、小論文ではなく作文だ」と言われてショックを受けたという話を聞きました。
こういうことを言う先生がときどきいるのです。
言っていることは、大体推測できます。つまり、実例が豊富に書かれているので、「実例中心の文章=作文」と見なされてしまったのです。
では、その塾の先生の言っている小論文とは何かというと、「説明と意見中心に書かれている文章=小論文」ということなのです。
文章には、構成と題材と表現と主題があります。そのほかに、正しい表記の仕方というのもありますが、これは誰でも同じようにできるようになるので、個性の違いは、構成、題材、表現、主題の違いとして表れます。
人に見せる文章で、ひとまとまりの構成があって、自分らしい題材(実例)が使われていて、表現の工夫があり、ひとつの主題でまとめてあれば、それがいい文章です。そこに、作文、日記、小論文の区別などする必要はありません。
日記であっても、その日の出来事を時間どおりに書くという構成があり、その中に自分らしい事実が書かれていて、気持ちよく読めるような表現が工夫されており、その日に感じたことをわかりやすく伝えたいという主題があれば、それはいい文章なのです。「これじゃあ、日記でしょ」「はい、そうです」。それでいいのです。
文章力を育てていれば、作文でも、日記でも、小論文でも同じように上手に書けます。
大事なのは、文章を書くことを通して、構成、題材、表現、主題を深め広げる力をつけることです。
子供が一生懸命書いていれば、それをたくさん褒めて、その文章力を伸ばしていくことが大事なのです。
「5月10日のfacebook記事より」
http://www.facebook.com/kotobanomori
====
人間には、もっといろいろなことを学んで成長したいという気持ちがあります。
植物に水をやるように、その気持ちを育てていけばいいのです。
そのためには、その子のやっていることを認めて褒めてあげることです。
今、地表に出ている葉や花がどうであろうと、根をしっかり張ってさえいれば、やがて時期が来て大きく成長しはじめるのです。
作文の勉強を見ていると、そういうことをよく思います。
子供がお母さんに作文を見せたとき、
「わあ、よく書けたね。すごいね。ここがいいね」
などと、手ばなしで喜んであげれば、子供は親に毎回作文を見せるようになります。
そして、どんどん上手になっていきます。
褒めるだけでは物足りなかったら、親の似た話を楽しくしてあげればいいのです。
「お母さんも、小学校のとき似た話があったよ。それはね……」
という感じです。
ところが、こういう接し方とは反対に、こんなふうに言ってしまうお母さんやお父さんも多いのです。
「書けた? 見せてごらん。うーん、まあいいんだけど……」
このあと、
「この字が違っている」「ひらがなが多い」「字がきたない」「この文がおかしい」「つながりが変」
などと、次々とアドバイスをしてしまうのです。
塾の先生も同じです。
子供が作文を見せたとき、
「これじゃあ、作文じゃなくて日記でしょ」とか、「これは、作文であって小論文ではないよ」とか、意味不明のことを言ってアドバイスする先生が結構多いのです。
作文も、日記も、小論文も同じです(笑)。
人間は引っ張られて成長するのではなく、毎日の水やりによって自然に成長していくのです。
====