言葉の森の教室の歴史の記事をアップロードしました。
「日本の作文教育の草分け、言葉の森」
https://www.mori7.com/an/13.html
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■■受験のための教育から実力のための教育へ。
■■競争の教育から独立と創造の教育へ。
■作文教室のスタートは1970年代後半
言葉の森の前身「のびのび文章教室」が作文指導を始めたのは1970年代後半で、当初は大学生を対象にした就職試験対応の作文教室でした。
当時、作文教室というものはどこにもなく、教材は当時からすべてオリジナルなものでした。
その後、1990年に法人として発足し、対象を小学生にまで広げました。
最初は通学だけの教室でしたが、学年が上がるにつれて教室の時間内に通えない生徒も出てきたため、電話による通信指導も行うようになりました。
通信指導が定着してきたころ、2000年代にインターネットの普及が始まり、それに合わせて言葉の森の生徒も全国に広がりました。
■創造性を育てる作文教育を目指して
言葉の森が作文指導を始めたのは、作文教育を通して子供たちの個性、知性、感性を育てるためです。
そのため、作文の学習が創造性の開花に結びつくような工夫をさまざまに行ってきました。
言葉の森には、教室の理念に賛同して参加してくださる方が多く、小学校1、2年生だった生徒が、高校3年生まで続けるということもよくありました。
教室に来る生徒は、作文の好きな子が多く、当時はそれに合わせて、文章力も学力も優れた生徒に学年以上の高度な指導を行っていました。
■作文小論文の入試の広がりに対応
やがて、知識中心の詰め込み教育に対する反省から、大学入試で小論文試験を行うところが増え、言葉の森も入試に対応した指導を行うようになりました。
また、国語の読解力を伸ばしたいというニーズもあったため、小学校高学年からは感想文指導を増やすようになりました。
更に、作文小論文の客観的な評価を行うために、自動採点ソフト「森リン」を開発し、2005年に国際特許を取得しました。
■これからの時代に必要な学力の中心となる作文
これからの時代に求められる教育は、大きく四つに分けられます。
それは、
(1)受験のための教育から実力ための教育へ、
(2)学校や塾に任せる教育から家庭を主体にした教育へ、
(3)点数のための教育から文化のための教育へ、
(4)競争を目的にした教育から独立と創造を目的とした教育へ、
です。
これらの教育の中心となるのが、読書、作文、対話などの、考える力を育て、人と人との交流の中で、創造性を伸ばす教育です。
言葉の森は、この新しい教育を目指して、これからも教材開発を進めていきたいと思っています。
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facebook記事より。
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人生には、いつも小さな勇気を必要とすることがあります。
それを続けているうちに、次第に自信が育っていきます。
だから、子供にとって勇気と自信は、交互に進む右足と左足のようなものです。
人の言うことを素直に聞いているだけでは、自分らしい人生は歩めません。
子供の勇気を支えるために、親も時々小さな勇気ある行動を心がける必要があります。
受験というのも、小さな(人によっては大きな)勇気を必要とする出来事です。
ここでどういう選択をするかということが、その成否とは別にその後の自信につながります。
明るい薄曇りの空が広がって、今日も過ごしやすい一日になりそうです。
近所の垣根に、もう気の早いアジサイがつぼみをつけていました。
もうすぐ梅雨ですね。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
(中根)
(写真は、
http://www.ashinari.com/ より。近所のアジサイはまだこんなに開いてはいません)
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帰国子女の日本語教育に関する記事をアップロードしました。
「帰国子女の日本語教育は、毎週の作文と毎日の自習の中で」
https://www.mori7.com/an/12.html
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■日本語の教育は、勉強ではなく生活の一部
海外で暮らす子供たちにとって、いちばんの悩みの種は日本語を使う環境が乏しいことです。
特に小学校低学年は、母語の基礎ができる大事な時期ですから、この時期に日常生活の中で日本語に触れる機会を増やしていくことが必要になります。
言葉の教育は、勉強ではなく生活の一部として行っていく必要があるのです。
■日本語を生活の中で確保するさまざまな方法
日本語の力を維持し育てるために、海外で暮らす人たちはさまざまな工夫をしています。
例えば、家庭の中で母親と話すときは日本語だけにする、日本語のアニメや漫画や映画をできるだけ見るようにする、日本語を使って友達と遊ぶ機会を作るなどです。
日本語学校で勉強するよりも、家庭の中で日本語を使うことが、日本語教育の中心になります。
■言葉の森の作文指導と毎日の自習
言葉の森の作文指導は、海外の生徒にも、担当の先生が毎週電話で説明をします。電話のあとすぐに書くようにしているので、出し忘れということがありません。
更に、毎日の自習として10分程度の音読や暗唱をすることをすすめています。また、次の週の課題について親子で対話をすることが予習です。
作文の学習を中心に、日本語の勉強が日常的に行えるようにしているのです。
■帰国子女の作文入試にも対応
言葉の森では、帰国子女の作文入試対策も行っています。
志望校の過去問に合わせた指導は、受験の数ヶ月前からになりますが、普段の作文の学習もそのまま入試に対応できるレベルの高い内容です。
中学入試、高校入試、大学入試のすべてに対応できる実績を持っているのが言葉の森の特徴です。
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国語力、作文力のつけ方、低学年から国語力をつける意義の記事を載せています。
「大人になっても通用する本当の作文力をつけるなら言葉の森」
https://www.mori7.com/an/9.html
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■これからますます必要になる作文力
これまでは、覚えた知識を再現する記憶型の勉強が中心でした。しかし、これからは、思考力や表現力を見る作文型の勉強が中心になります。
公立中高一貫校の入試でも、公立高校の入試でも、大学の入試での、小論文のウエイトが次第に高くなっています。また、就職試験でも文章表現力が重視されています。
■学校や塾ではなかなかできない作文指導
ところが、従来の勉強スタイルでは、子供たちの作文指導はうまくできません。答えのある勉強であれば、その答えを目標にした一斉指導ができますが、作文指導は答えのない勉強です。
ひとりひとりの個性を見ながら、文章力を伸ばしていく指導は、これまでとは違う独自の指導法が必要なのです。
■通信教育の作文指導は、易しいうちは書けるが、難しくなると書けなくなる
通信教育ができるのは、勉強が易しいうちだけです。小学校1~4年生の間は、生活作文が中心なので、どこで教えても子供たちは楽しく作文を書きます。
しかし、学年が上がり、入試問題に出てくるような長文を読み感想文を書く段階になると、通信教育では作文の勉強は続けられなくなります。それは、書けなくなったときのフォローがないからです。
低中学年のころに、いくら楽しく書いていても、それが高学年の難しい課題の作文力に結びついていなければ、作文の実力がついたとは言えません。
■毎週の電話指導で親身の対応ができる言葉の森の通信教育
言葉の森の通信教育では、毎週担当の先生がそれぞれの生徒に電話で指導をします。その生徒のこれまでの実力を見ながら、無理のない指導ができます。
また、書いている途中でも、わからなくなったときは、すぐ教室に電話をして質問することができます。
言葉の森の特徴は、通信教育でありながら担任制と電話指導が充実していることです。
■毎日の自習と、家族の対話が広がる予習
作文力をつけるには、週1回の勉強だけでは足りません。言葉の森では、毎日10分程度の簡単な自習をすることを子供たちにすすめています。
その自習をもとに、次の週の課題について家族で対話をしてくるのが予習です。お父さん、お母さんと交わす知的な対話は、作文力を育てる以上に子供たちの思考力や感受性を育てます。
■文章の語彙力を解析するソフトで客観的な進歩がわかる
言葉の森では、独自に文章の語彙力を解析するソフトを開発しています。
主観的になりがちな作文力の評価に、客観的な基準を設けることで、子供たちの勉強の目標をわかりやすくしています。
自動採点ソフトによるベスト10のページ→
森リンの丘
(2005年国際特許:
特許庁のページで、「言葉の森」と検索すると表示されます。)
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「あらゆる学力の基礎、国語力をつけるなら言葉の森の作文・感想文指導」
https://www.mori7.com/an/10.html
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■国語力の中心は読解力、そして今後は作文力
国語の勉強の中心は読解力です。文章を読み取る力があらゆる学力の基礎になります。
そして、作文小論文の入試が増えるにしたがって、これからは作文力が国語力の重要な要素になってきます。
ところが、読解力、作文力をつける学習法を教えられるところはほとんどありません。
■国語の問題集を解く勉強では、国語力はつかない
国語の問題集を解く形の勉強では、できない問題は、いくら答えを見て解説を聞いてもできるようにはなりません。また、できた問題は、もともと問題を解かなくてもできた問題です。
国語の学力は、問題集の中で身につけるのではなく、日常生活の国語的な環境の中で身につけるものなのです。
■漢字の書き取りだけできても、国語力はつかない
漢字の書き取りは時間のかかる勉強なので、その勉強が国語の勉強だと思われがちです。しかし、漢字ができても国語力はつきません。
文章を読むための手段として漢字を読む力があり、作文を書くための手段として漢字を書く力があります。国語力の中心になるのは、読解力と作文力です。
■難しい文章を読み取り、感想文を書く勉強法
言葉の森の勉強法は、入試問題に出てくるような難しい長文を読み、その感想文を書くという形で進めます。
こういう高度な学習を通信指導でできるのは、先生からの毎週の電話指導があるからです。
難しい文章を読み取り、自分なりの感想を考える中で、本当の読解力、作文力がついてきます。
■受験だけでなく、将来も役立つ厚みのある国語力
言葉の森の勉強をより充実させるためには、毎日10分程度の自習と、家族の対話という予習が必要になります。
普段の生活の中で国語力を伸ばすことによって、受験だけでなく将来も役立つ厚みのある国語力がついていくのです。
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「小学校低学年のうちにつけたい国語力、作文力」
https://www.mori7.com/an/11.html
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■低学年だからこそ国語力、作文力がつく
国語力は、音楽やスポーツと同じように身体的な学力です。知識をつければ力がつくという教科ではありません。
だから、いったん国語が苦手になると、その苦手を逆転することがなかなかできなくなるのです。
■英語の早期学習は、日本語の力が確実についてから
英語の早期学習は、日本語の力がまだ充分についていない低学年のうちに始めると、弊害が生じることがあります。
せっかく英語を勉強しても、日本語の力がないと、日本語も英語も不十分なまま成長してしまいます。
小学校3年生までは、日本語の学習を最優先して取り組む必要があります。
■低学年のうちに、毎日の勉強の習慣をつけるなら国語の自習から
小学校1、2年生のうちは、勉強の習慣が最も容易に身につく時期です。
この時期の勉強の中心を音読や読書など国語の自習にしておくと、他の教科の勉強もスムーズに進むようになります。
低学年の国語力作文力は、問題を解いて○×をつけるような勉強ではなく、読むこと書くことを中心にした勉強で身につきます。
■低学年から始めた子ほど長く続けて実力がつく
国語や作文の学習は、上達するまでにかなり時間がかかります。また、国語力は、年齢に応じた学力なので、学年を先取りして進むことはなかなかできません。
国語力、作文力は、長く続けることによって実力がつく勉強ですが、低学年から始めた子ほど、中学生、高校生になっても作文の勉強を続けやすいのです。
■これからますます必要になる国語力、作文力
これまでの勉強は、覚えた知識を再現するような勉強でした。そういう勉強は、一斉授業でも、全員一律の教材でも充分に力をつけることができました。
しかし、これからはひとりひとりが自分の個性を生かして、文章を読み取り、考え、自分らしく創造することが求められてきます。
低学年のうちから、この新しいスタイルの勉強に慣れておくことが大事になってきます。
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このあと、受験の国語・作文、帰国子女の国語教育、家庭でできる作文指導などの記事を続けて載せる予定です。
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facebookの記事より。
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子供のころ、凧揚げで遊んでいるとき、「駆け凧」ということをよく言いました。(かなり古い子供時代ですが)
弱い風でも揚がる凧になるように、微妙に糸を引いたり緩めたりするのがコツなのですが、小さい子の中には、そういうことを面倒がって、走って凧を揚げようとする子もいました。
すると、凧は確かに揚がりますが、その凧は、もう走り続けないと揚がらない凧になってしまうのです。
それと同じことを、子供たちの勉強の仕方を見ていてふと思いました。
宿題のような強制的な勉強があると、確かに子供はそれに合わせて勉強しますが、宿題がないと勉強しない子になってしまうことも多いのです。
学校で「朝の読書」をしているところでは、子供たちが逆に、学校で本を読んでいるからという理由で、家で本を読まなくなってしまうこともあるようです。
強制的なことがあると、子供は、強制されないことはしなくてもいいと勘違いしてしまうのです。
では、どうしたらいいかというと、それは、学校や塾の宿題よりも、家庭での勉強と読書の時間を優先することです。
宿題があってもなくても、家では毎日同じことをするという習慣をつけておくといいのです。
そのためのひとつの方法が、勉強や読書の記録をつけることです。
人間には、よりよいものに向かう自然の性質があるので、真実が見えれば、自然に正しい行動が始まります。
大事なことは、よい方向に引っ張ることではなく、正確な事実を見る機会を作ることだと思います。
昨日は満月でした。
空を見ると、ちょうど雲の隙間から月が出てくるところでした。
今日も、朝のうち雲がありましたが、だんだん明るくなってきました。
道路の横の植え込みに、ヒルガオの花がちらほら咲いています。
花言葉は、絆だそうです。確かに、つるがからまっているところが……(笑)
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1位の作品は、要約の部分が多かったため代表作品にはなりませんでした。
4月の森リン大賞(中3の部68人中)
ゴミから考える生き方
ポケット
ゴミには、あまり良いイメージを持つ人はいない。何故なら、ゴミというものは、自分のいらなくなった物の集まりだからだ。しかし、ゴミの中にも、その人がいらなくなっただけで、まだ使えるものはたくさんあると思う。また、新しいものに作り替えることも出来ると思う。しかし、昔はこうしたゴミをすべて燃やしたり、埋めたりして来た。最近になって、ようやくリサイクルという方法で、ゴミを分別して捨て、分別したうちの使えるものをまた新たな資源として使うようになった。このように、ゴミはすべてではないがリサイクルで資源として再活用が出来る。僕は、このゴミの様なものも生かせるような人間になりたいと思う。
そのような人間になるには、二つの方法がある。一つ目は、やはり、物事の良い面を見るように常に心がけることが必要であると思う。何故なら、悪い点しか見ることが出来ない人は、ゴミのことも、要らないものだから埋めてしまい、また新しいものを買えば良いなどと考えるはずだ。到底、リサイクルは思い浮かばないだろう。しかし、物事に対して、冷静に判断し、且つ悪い点と良い点との両方を理解出来れば、リサイクルという方法は直ぐに思いつくだろうと思うからだ。また、そうすることは、他のことにも役に立つ。それは、例えば僕の体験したことにも当てはまる。僕が今、通っている学校での出来事だ。その学校にいるある先生が、結構変わった先生である。その変わった点とは、先生でありながら生徒に自慢をして来ることと、叱り方に心がこもっていないことである。自慢するということに関して言うと、同じことを一度ではなく何回も自慢して来るのである。先生の本来の役割は、生徒の手本になることなのに、逆に自慢ばかりして来るのはおかしい。褒めてしまうと今度はもっとしつこく自慢して来る。その先生が、顧問をしている部活では部員が先生を褒め過ぎて、先生が張り切ってしまい、最終的には、先生が部費を使い一人で活動を始め、生徒はそれを見て、うまく出来たら褒めるということになってしまった。僕もその部活に入っているので、それを見ていると、その先生は生徒のことより自分のことを考えているような気がする。また、叱り方に付いても、変である。自分は先生だから、一応怒っておけば良いのだと考えているようで、その場ではとても偉そうに生徒を叱る。しかしその叱り方は、ただ怒鳴っているだけで、全然心のこもっていない叱り方なのだ。
このように変わった先生もいる。しかし、そのような人でも、良い所もあり、新しい発見がある。例えば、この先生を見ていると、授業のやり方が他の人と違う、などという発見がある。もちろん、他にも同じようなことが言える。例えば有名なサッカー選手のプレーを見て、自分がうまくなれるような手がかりを得ることが出来ると思うからだ。
もう一つの方法は、今の減点主義のような、マイナス面を直すことを中心にした社会風土を変えて行くことだ。社会全体が変わらないと、せっかくリサイクルという方法を思いついても、実際に行うことが出来ない。社会全体が変われば、みんなの考え方も変わる。どのようにすれば、リサイクルという方法を思いつき、実際に取り組むことが出来る社会を作ることが出来るのだろうか。その方法として、各国のマイナス面を比較して、相対的にどの程度良いのかを分類する方法を提案したい。リサイクルが出来ている国とそうでない国との違いを分析し、出来るためにはどうするかを見つけるやり方だ。社会生活では、労働することは自分のためだけではなく、地域、国、そして世界のためであることを自覚することが必要だ。
最近の出来事では、前回の衆議院議員選挙が顕著な例である。選挙の結果、自民党が圧勝であった。それは、民主党が政権を取った後、約束を守らなかったからだ。そのため、国民は、民主党は約束を守らないと批判し、自民党に票を入れた。しかし、民主党にも良い点はある。それは、今まで自民党では出来なかったことを民主党はやったからだ。しかし、それはあまり大きなことではなく、気付いていない人が多かった。また、この選挙の一番の問題は、周りの意見に流されて投票してしまった人がいることだと思う。確かではないが、そうした人がいる限り、これ以上日本は良くならないと思う。それに、そうした人は、自分の意見を持っていないという、考え方を改めるための前提条件を満たしていないと思う。このように、なかなか社会全体を変えるのは難しいが、変えることが出来れば、より良い社会になると思う。
確かに、ゴミを焼却したり埋め立てたりして処分し、その悪い点を無くすことも大事なことだ。しかし、物事の良い面を生かして行くことは、それ以上に大事なことである。「短所を無くす一番の方法は、今ある長所を伸ばすことである。」という名言がある。やはり、短所ばかり気にするのは良くないのではないかと思う。何事にも良い点、悪い点の両方を理解し、その場に応じて、長所を伸ばせる広い心を持った人間になりたいと思う。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●手間をかけるということ | はるりん | 87 | 1188 | 56 | 77 | 76 | 87 |
2位 | ●ゴミから考える生き方 | ポケット | 87 | 2075 | 62 | 72 | 71 | 89 |
3位 | ●必要な手間 | 黒髪メガネの人 | 85 | 1129 | 57 | 78 | 88 | 86 |
4位 | ●ゴミとの付き合い | いちご | 83 | 1045 | 53 | 75 | 82 | 92 |
5位 | ●ゆとりをもって生活したい | なおつ | 83 | 1016 | 56 | 72 | 81 | 87 |
6位 | ●時間 | はねペン | 82 | 1050 | 54 | 65 | 67 | 93 |
7位 | ●人々が時間に | 百合 | 81 | 1053 | 57 | 64 | 68 | 89 |
8位 | ●時間に縛られず | ブレイド | 80 | 1141 | 51 | 93 | 107 | 89 |
9位 | ●動く | 小林少年 | 80 | 818 | 43 | 81 | 81 | 89 |
10位 | ●強い人間 | まりあ | 80 | 990 | 49 | 65 | 67 | 89 |
4月の森リン大賞(高1高2高3社の部144人中)
文化
BOY
「真面目」で「傾聴を迫る」クラシック音楽から、本来切断してはならない音楽作品から切り刻んで差し出すコマーシャル音楽。この変化は、音楽、というよりその受け取り方が、いつの間にか変容しつつあることを示しているのではないだろうか。このようなクラシック音楽の一部分を15秒で流すような軽薄短小な文化に流されるべきではない。
そのためには、物事の原点に目を向けてみることだ。哲学という学問はまさに物事の原点に目を向けたものだと思う。人類の起源や神の存在など、答えの見つからないことに対してひたすら考える。そうして気づくこともたくさんあると思う。僕も一度この世界にある言語はいったい誰がいつから話し始めたものだろうと思い、言語の原点に目を向けて考えてみたことがある。もちろん答えにはたどり着かなかったが、その過程で気づいたことはある。どんな言語であっても大昔の人たちが使ってきていまこうして受け継がれている一つの文化なんだと、僕らの代で決して絶やしてはいけないものなのだと気づいた。今世界には600以上の言語が存在する。しかし、その数は今急激に減ってきてもいる。例えば、親が日本人でも生まれも育ちもアメリカならきっと日本語を話すことはほとんどなくなってくるだろう。こういったことが世界の地方で行われ、マイナーな言語が消えてきているのだ。どんな言語も立派な文化だ。消えていいものなど一つもない。言語の原点を考え、昔の人たちの考えを知り、僕たちはその文化を生涯絶やことのないように努力しなければならない。
また、第二には、学校教育などでもじっくりと物事を考える場をつくることだ。そもそも文化とは簡単なものではない。じっくりと考えるべき大切なものだ。過去に様々な栄冠をつかんできた人たち。例えばノーベル賞を取ってきた人たちなんかはきっと考えて考えて考えつくしてきた人たちだと思う。最近ではIPS細胞でノーベル賞を取った京都大の山中伸弥さん。山中さんだってじっくり考えたからこそ得た名誉だろう。もちろん成功ばかりではなった。ずっと成果が出ずに毎日毎日考えて考えていただろう。ただその一回の大きな成功のために考えることをやめなかったからこそ山中さんはノーベル賞をとれたのだと思う。この社会がすぐに正解を出すことを要求するようでは、このような偉人は生まれなかったはずだ。考えること、それこそが、重厚長大な文化を作っていくための方法の一つだと思う。
確かに、最近の15秒CMのような軽薄短小の文化に人は流されがちだ。しかし、軽薄短小とは社会の流行ではなく、社会の弊病なのだ。だから、社会をつくりだす人の方から変わって、この弊病を直し、重厚長大な文化をつくっていくべきではないか。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
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1位 | ●文化 | BOY | 92 | 1215 | 73 | 92 | 88 | 87 |
2位 | ●クエスチョン | ことのは | 90 | 1292 | 69 | 78 | 79 | 95 |
3位 | ●精神と技術のつり合い | よよよ | 89 | 1276 | 67 | 70 | 80 | 90 |
4位 | ●深く見つめる | なるか | 87 | 1113 | 67 | 101 | 108 | 95 |
5位 | ●軽薄短小を改める | きよほ | 86 | 1357 | 54 | 81 | 77 | 89 |
6位 | ●技術と精神のつり合い | ききか | 85 | 1393 | 59 | 86 | 94 | 90 |
7位 | ●豊かさとは | しらたき | 83 | 1581 | 57 | 96 | 108 | 96 |
8位 | ●知識の詰め込み | ポンピー | 83 | 982 | 66 | 70 | 74 | 87 |
9位 | ●生命の道しるべ | アホ神God | 82 | 1041 | 58 | 89 | 98 | 81 |
10位 | ●私たちにできること | テマリ | 82 | 1161 | 52 | 79 | 91 | 89 |
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今日はあとで、金沢自然動物園で、キリンの写真を撮ってくる予定。
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(写真は、tumblrより)
4月の森リン大賞(中1の部73人中)
矛盾のメリット
スヌーピー
同じ平面の上で反対方向から進んで来た二つの同じ力がぶつかれば、両者は互いに相殺し合って、運動のエネルギーは消滅してしまう。 一筋に論理の糸がつながっているのが純粋で美しいのだから、対立が起こる余地がなくて安心になれる。しかし、このように恐れて一筋を守らなくては乱れてしまうのであるとしたら、論理とはどれだけ貧しいものだろう。
私は矛盾と言うものはよいと思う。その理由は二つある。
第一の理由として、矛盾が生じることで新たな発見を見出すことができるからである。それは、身近なところで起こっている。
迷子は極端だが、いい例なのではないか。動いた方が早く見つかりそうだが、動かない方がすれ違いになりにくいから動き回るより早く見つけられるのではないか。
私も実際に迷子になったことがある。それは母と二人でディズニーランドに行ったときのことだ。子供しか入ることが出来ないアトラクションに乗って外に出てきたら、待っているはずのところに母がいなかったのだ。まだ小さい頃なので、「家に帰れるかな。」ととても不安になり、まるでレーシングカーのように全速力で走り回った。
「お母さん、お母さん。」と連呼しても意味がないと気づき、近くにいたスタッフの人に助けを求めた。そうしたら迷子センターのような場所に連れて行かれ、一時間くらい経ったら母がやってきた。
「どこにいたの?」
と聞いてみるとアトラクションの目の前にいたのだという。だから、外に出たとき走り回らなければすぐに会えたのだ。
もうひとつ例がある。それは学校の先生のことだ。難しいことを面白おかしく説明してくれるのだが、それで皆が笑い出すと
「人が話している時は静かにしろ!!」
と怒り出す。そこでビクッとなるので、インパクトがより強くなり覚える。
だから、イメージと真逆していること「矛盾していること」をやればより良い効果がでるのだ。
第三の理由として、矛盾が生じるとより良いものがつくられるからである。これはあるテレビ番組に象徴される。対極な関係にある「絶対に〇〇なもの」を戦わせて決着をつけるという内容である。
一番印象に残っているのは、どんなものでも破壊する鉄球と絶対に破壊されない壁との対決だ。結果は三十四投目に壁が破壊され、鉄球の勝ちとなった。でも、これは多分勝敗だけで終わらないと思う。負けた側は次に勝つために、また勝った側は次のときにもっと早く勝てるように改良をするからだ。そして、より良い製品がつくられるのだ。
しかし、世の中にある矛盾を全て認めてしまうと社会が混乱する。だからといって、全ての矛盾を認めなければ新たな良いものは永遠に生まれなくなってしまう。「人生というのは矛盾から成り立っているものだ。もし、矛盾の中心にちゃんと止まるものなら、人生の意味がわかるはずだ。」という名言があるように、そもそも私たちの生活が矛盾でできているのだから、矛盾は必要な存在なのだ。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●矛盾のメリット | スヌーピー | 85 | 1284 | 52 | 78 | 82 | 90 |
2位 | ●物事の見方 | どろっぷ | 85 | 1164 | 59 | 65 | 74 | 79 |
3位 | ●物を多角的に見るということは、良いことだ | 猛食類 | 83 | 1477 | 51 | 88 | 81 | 84 |
4位 | ●私の宝物 | らせこ | 81 | 1119 | 49 | 87 | 90 | 95 |
5位 | ●良い方向へ・・・ | ゆのか | 81 | 994 | 52 | 56 | 73 | 90 |
6位 | ●多くの方面から | 不知火 | 81 | 1069 | 49 | 67 | 68 | 83 |
7位 | ●未来と今 | らけめ | 80 | 863 | 47 | 78 | 80 | 90 |
8位 | ●矛盾を受け入れて | くるる | 78 | 979 | 49 | 56 | 65 | 86 |
9位 | ●あだ名 | ゆるら | 77 | 889 | 48 | 54 | 65 | 90 |
10位 | ●自分のため | ダイヤモンド | 76 | 654 | 49 | 79 | 75 | 90 |
1位の作品は、要約の部分が多かったため代表作品にはなりませんでした。
4月の森リン大賞(中2の部71人中)
ユニークなあだ名たち
れたす
以前私は、友達に「まーぼー」と呼ばれていた。別に、私が麻婆豆腐好きだったからではない。むしろ、給食の献立に「麻婆豆腐」と書かれているのを見ると、思わず
「うわー、嫌だ。」
と言ってしまうぐらいだった。それなのにある日突然、私のあだ名は、「まーぼー」になってしまったのだ。今では、そのあだ名の存在も薄れ、あまりそう呼ぶ人はいなくなったけれど、なぜ私が、「まーぼー」となったのかは、今、改めて考えてみてもやはり、わからない。しかし、名前が二文字であるために、それまであだ名で呼ばれたことがなかった私にとって、それは少し嬉しかった。
あだ名はよいという意見がある。たとえば私には、小学一年生の頃から仲の良い二人の友達がいる。三人とも家が近く、それぞれの家に行ってよく遊んだりした。中学生になった今でも、一緒に登下校して、夏休みや冬休みには遊んだり、勉強会をしたりしていて、周りには
「この三人は、何も変わらないねぇー。」
とよく言われる。そんな私たちは、以前、交換ノートをしていて、そのノートの中だけで存在する、「まみ坂牛」・「あやの素」・「ほなみ草」というあだ名があった。それは私たちしか知らない、「特別なあだ名」であり、お互い、ヘンテコなそのあだ名で呼ばれると、なんだか嬉しくなった。それから私たちの絆は、クラスが離れてしまっても決して消えてしまうことのない強く、深いものとなった。つまり、絆を深めるためにもあだ名は一役買っているのである。
その一方で、あだ名は場合によってはふさわしくないという意見もある。中学校に入学すると、ほとんどの人は部活動に参加する。そしてそこで初めて、世の中には「上下関係」があることを知るのだ。私は以前、ある中学校の家庭部では、先輩のことを「ちゃん付け」で呼んでいるというのを聞いたことがある。ほかにも、サッカー部では、先輩のことを呼び捨てにしているらしい。確かに、部活動は個人でなく集団でやるものであり、特に野球やサッカー、バスケットボールなどの種目には、チームワークは必要不可欠である。だから、あだ名をつけたりして先輩と後輩の上下関係をなくし、フレンドリーな雰囲気で、部内のチームワークをよくしようとするのも良いかもしれない。しかし、先輩後輩関係なくあだ名で呼ぶ環境では、社会での人間関係構築に支障が出てしまうだろう。なぜなら、社会に出ても上司・部下という形で上下関係は続いていくからである。つまり、何事もTPOをわきまえることが大切なのである。
あだ名は良くも悪くもあり、一番大事ことは、いかに協調性のある人間になれるかということだ。あだ名は協調性のある人間が使ってはじめて意味をなすものだ。
「良い友人を得たければ、まず自分が良い友人でなければならない。」
という名言があるように、何かを成功させるには、自分だけでなく仲間の力も必要だ。そして、その「仲間」を得るためには、自己中心的な考えではいけないのである。私はこれから、TPOをわきまえて、あだ名を使うようにしたい。
順位 | 題名 | ペンネーム | 得点 | 字数 | 思考 | 知識 | 表現 | 文体 |
---|
1位 | ●「語」の進化系 | みっくまっく | 88 | 1214 | 66 | 82 | 99 | 83 |
2位 | ●ユニークなあだ名たち | れたす | 88 | 1257 | 59 | 78 | 77 | 89 |
3位 | ●日本人と日本語と日常と | ききほ | 87 | 1176 | 56 | 73 | 80 | 83 |
4位 | ●比較 | りょうたろう | 84 | 1247 | 51 | 65 | 71 | 83 |
5位 | ●立派な大人になること | あよあよ | 82 | 1062 | 56 | 62 | 72 | 79 |
6位 | ●表裏一体 | Qちゃん | 82 | 1082 | 53 | 68 | 71 | 90 |
7位 | ●自分自身の向上へ | 四葉のクローバー | 81 | 1242 | 48 | 85 | 92 | 89 |
8位 | ●ごみについて | ゆへぬ | 81 | 1046 | 53 | 77 | 80 | 84 |
9位 | ●ああだこうだ言う前に | やあや | 80 | 888 | 49 | 67 | 79 | 87 |
10位 | ●言語 | いゆん | 80 | 1013 | 53 | 55 | 75 | 86 |
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森リン大賞を紹介するのに、キリンのいい写真がないかなあと思っていたら、tumblrでいろいろありました。
お借りしています。
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