森リンの点数の見方を説明します。
総合点は、最高点が100点になるようにしています。しかし、もともとの点数が偏差値をもとにしているので、厳密な100点満点ではありません。したがって、順位も実際の順位ではなく、確率上の順位です。
(1)字数は、その作文の字数と、その級で基準となる上限字数の両方が表示されています。グラフの下の方にある数字は該当する字数の範囲です。(小さい表に収めるために、百の位が上の段に、十までの位が下の段に書いてあります)
学年別の字数の目標は、小1が200字、小2が400字、小3が600字、小4が800字、小5が1000字、小6以上が1200字です。小6以上の人は、1200字を1時間以内で書ければ、字数に関しては十分な力があります。
(2)思考語彙は、説明や意見などを書く際に、語と語をつなげる役割を果たす接続語や助動詞のことです。小学生の事実中心の文章では少なくなり、高校生の意見中心の文章では多くなる傾向があります。これは、少なくても読みにくくはなりませんが、多すぎると硬い文章になり読みにくくなることがあります。
(3)知識語彙は、抽象度の高い概念的な語彙のことです。高校生以上の文章では、書くことが抽象的になるために多くなる傾向があります。知識語彙が少ないと易しい文章という印象を受けます。知識語彙が多すぎると重い文章になり読みにくくなることがあります。
(4)表現語彙は、語彙の種類の多様さを表します。同じ言葉を繰り返し使っている文章では、表現語彙は少なくなります。多様な言い回しをして書いてある文章では、表現語彙は多くなります。この表現語彙が多いと、文章が密度濃く感じられます。しかし、いろいろなことをただ羅列的に書いてある文章もこの表現語彙が多くなるので、ほかの思考語彙や知識語彙とのバランスで見ることが必要になります。
(5)それぞれの点数をもとに、作文検定試験の級の目安を表示しています。
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先々週号で「その2」先週号で「その4」となっていましたが、これは、先々週号が「その2」と「その3」を合体したものだったためです。ご指摘くださった方、ありがとうございました。
知能を高めるのが読書だとすれば、その知能の結果が表れるの作文です。特に、言葉の森の作文は、学力の集大成になるような文章力を目標としています。
第一が構成力です。ある課題について、文章の構造を考えて書くというのは、高度な抽象力を必要とします。特に、複数の理由を書くとか、原因と対策を書くとか、複数の意見を総合化するとかいう形になると、書こうとする材料が頭の中ですっかり整理されていなければなりません。よく、頭のいい人の話は、絵や図を見るようでわかりやすいと言います。構成的に書くということは、視覚的にわかりやすい文章を書くということです。小学生のころは、この構成力が年齢的にまだ十分に育っていません。だから、構成メモを書いてから作文を書くという作業は、小学生には無理があります。小学校低中学年のころは、むしろ中心を決めて書くことに専念していれば十分です。
第二が表現力です。名言の引用やことわざの加工は、抽象概念どうしの組み合わせが必要です。抽象概念を組み合わせる力がある人は、どの意見にも、どの名言やことわざも組み合わせることができます。小学生のころには、この組み合わせる力は、たとえの力やダジャレの力として表れます。事実と言葉の組み合わせから、言葉と言葉の組み合わせや、概念と概念の組み合わせに発展していくのが表現の練習です。
第三は題材力です。小学生のころは、似た話や聞いた話を入れて書くという練習をしていますが、中学生や高校生のころは、体験実例や社会実例を組み合わせて書く練習になります。この社会実例も、データ実例、伝記実例、昔話実例と、ジャンルの指定があるために、実例の背後にあるテーマを組み合わせるという高度な抽象能力が必要となってきます。
第四は長文を読んで書くという難読の部分です。単に難しい文章を読むというだけでなく、その文章のテーマを考えて感想文を書くという視点で読むので、これも高度な抽象能力が必要とされます。
ですから、言葉の森で勉強しているような形の作文を自力で書ければ、その人の考える力はかなり高いということができます。これは、私が実際に生徒の作文を見ていて日々感じることです。簡単に言えば、いい文章を書ける子は頭がいいということです。そして、その文章力の土台には、高度な読書力があります。
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抽象的に考える能力とは、現象の背後にある本質を考える能力です。
先日、高校生の生徒が夏休みの化学の宿題を見せてくれました。どのページもほとんど計算問題です。確かにこういう練習問題を多数やれば、計算には慣れるだろうとは思いましたが、あまり知的な勉強とは思えませんでした。
やればできる問題に取り組むのは、時間の無駄です。私がもしそういう宿題を出す立場の先生だったら、次のような宿題を出します。「この問題集を答えを見ながら読んで、自分が答えを理解できなかった問題だけを書き出してくること」。できる問題を作業的にやるのではなく、できない問題を自覚することこそが真の勉強だからです。ところが、子供も先生も親も、多くの場合、できる問題を解いている姿を勉強している姿と思いがちです。
しかし、できなかった問題にも二種類あります。単に記憶していないためにできなかった問題は、本当の意味でできなかった問題ではありません。答えを見ればすぐにわかるような問題は、こういう問題です。そうではなく、本当にできない問題とは、その問題の背後にある本質がまだ理解できていない問題のことです。このような問題ができるようになったとき、人間の抽象能力が一つ前進したと言えるのです。
これは、化学や数学のような問題に限りません。むしろ、学校の勉強では評価される機会があまりない分野にこそ、このような抽象能力が必要とされてくるのです。
この抽象能力を高める一つの有効な方法が読書です。読書は、言語によって物事を抽象化します。しかし、先に挙げた夏休みの計算の宿題のように、抽象能力をあまり高めない読書もあります。それはどういうものかというと、現象こそ多様に見えるがその背後にある本質にあまり変化がない読書です。これは計算練習と同じで、見た目には次々と新しい問題を解いているように見えますが、やっていることの本質はもうすっかりわかっているという読書です。
読書の目指す方向は、抽象度の高い読書、つまり難しい本を読むことにあると私は思います。また、自分が既に知っている分野だけでなく、未知の分野に読むジャンルを広げていくのが読書の発展の方向です。
しかし、人間には成長に応じた発展段階があります。小学生のころから、難しい本や未知の分野の本を読ませようとすれば、かえって読書量が確保できなくなるというマイナス面の方が大きくなります。小中学生のころは、楽しい本や感動できる本を中心に、何しろ多読をするということを重点にする必要があります。多読によって、そのあとの読書の発展につながる言語能力の基礎ができるからです。しかし、単なる多読でなく、難読を志向した多読、つまり自分の興味の持てる分野で説明文や意見文に広がる読書をしていくことが小中学生の読書の課題となります。
高校生や大学生のころは、難しい本を読める時期です。このころになると、難しいことそのものに挑戦したいという知的好奇心が旺盛になってきます。この時期に、歯が立たないような本に挑戦することで本当の読書力がついてきます。しかし、これもただ難読をするだけでなく、その後の新分野に広がるような未知のジャンルに広がる難読をしていくことが大切です。
多読→難読→新読という形で、人間の抽象能力が形成されていくのです。(つづく)
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では、単に成績をよくするための勉強法ではなく、頭をよくするための勉強をするためにはどうしたらいいのでしょうか。
それには、やはり簡単な例が参考になります。1を10回加えるときに、1+1+1+……と考える方法と、1×10と考える方法がありました。問題のレベルが低いときは、スマートな掛け算を考えるよりも、1+1+1+……と力技で計算して答えを出す方が早いことが多いのです。そして、日常生活のほとんどの場面は、この力技で処理できます。
例えば、ある人数をいくつかのグループに分ける必要があった場合、人数が少なければ、だれかが数えて分けてしまうのがいちばん簡単なやり方です。10人を3つのグループに分けるときは、3人ずつ分けていき余った1人はどこかのグループに適当に入れれば済みます。
しかし、百人を3つに分けるときに、これと同じ方法が取れるでしょうか。千人ではどうでしょうか。1万人ではどうでしょうか。人数が多くなったときにグループ分けする方法は、もっとスマートに考える必要があります。例えば、こういう方法です。
「それでは、1万人のみなさん。みなさんの誕生日を3で割って、余りが1の人はAグループ、余りが2の人はBグループ、余りが0の人はCグループに行ってください」
こういう方法であれば、3万9千人の人を7つのグループに分けるなどという面倒なこともすぐにできます。しかし、日常生活では、そういう大人数を分ける必要が出てくることはまれなので、抽象的に考えるタイプの人よりも、単純に大声を出して行動力を発揮できるタイプの人の方が活躍することが多いのです。
ところが、人間は成長するにつれて、だんだん難しい役割を担うようになります。課題が難しくなり守備範囲が広くなるにつれて、単に行動力があるだけの人よりも、思考力のある人の方が仕事ができるようになってきます。
このように考えると、頭をよくするとは、抽象的な力を高めることだということがわかります。掛け算は、足し算よりも抽象的なので、扱う数が多くなるにつれて便利になってくるのです。
人生も似ています。その人の生活範囲が狭くて単純なときは、行動力がいちばんです。しかし、複雑さが増すにつれて、抽象的に考える能力が必要になってきます。
その抽象的に考える能力は、低いレベルの左脳教育ではなく、また、単に左脳の対極にある右脳教育でもなく、より高い次元の左脳教育なのです。
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勉強には、成績をよくするための勉強と、頭をよくするための勉強とがあります。
成績をよくするための勉強とは、知識を追加する勉強です。頭をよくするための勉強とは、考える力をつける勉強です。
しかし、入学試験に限って言えば、それが高校入試であっても、大学入試であっても、○○資格試験であっても、すべて知識の勉強でカバーすることができます。なぜかと言えば、出題範囲が決まっているからです。範囲が決まっている分野で、点数の差をつけるためのテストをしようとすれば、問題はどうしてもパターン化されます。テストに出される内容は、平凡で大事なことよりも、例外的で点数の差がつきやすいことが主流になってきます。(これが、現在のテスト中心の勉強の最大の弊害です)
平凡で大事なことであれば、普通に勉強していれば十分です。しかし、例外的で差のつく勉強では、テクニックが必要になります。そのテクニックとは、現代の入試では、出そうな問題のパターンに慣れることです。
ですから、逆に言えば、テストに合格するためのいちばん役に立つ勉強法は、過去問に当たることです。高校3年生で、よく、「過去問は実力がついてからやってみます」と言う人がいます。そうではなく、実力がないうちから、過去問に答えを書き込んで読んでおくのがいい勉強法なのです。
さて、入学試験までは、このように過去問中心の成績をよくする勉強で間に合わせることができます。しかし、世の中には、過去問のない問題が次々と登場します。過去問も、予備校も、模擬試験もなく、突然目の前に新しい問題が登場するのが普通です。そのときに、成績をよくするための勉強しかしてこなかった人は、途方に暮れてしまうのです。
考える力のある人は、新しい問題についても、自分なりに考えることができます。それが、抽象的な思考力です。つまり、問題を、それが問題となっている次元ではなく、一つ上の次元から考えることができるのです。
仏陀は、ある村で、子供を亡くした母親から、「子供を生き返らせてほしい」と頼まれます。仏陀には、それができるかもしれません。しかし、子供を生き返らせたところで、問題は根本的に解決するわけではありません。世界中の子供を生き返らせ続ける展望がなければ、解決は場当たり的なものにならざるを得ないからです。そこで、仏陀は、「これまで一度も死んだ人を出したことのない家からケシの種を三粒もらってきなさい」と言います。ここに、「生き返らせる」「生き返らせない」という次元を超えた、当時可能だった最善の解決策があったと思います。
第一次南極観測隊の西堀栄三郎は、南極に着き、いざ基地を建築する段になって、日本から釘を持ってきていなかったことに気がつきます。「基地を作ることを諦めるか」「日本まで釘を取りに帰るか」などという次元の選択肢を超えて、西堀氏は、並べた板に水をかけ、凍った水で基地を建設するというやり方を提案します。
いずれも、具体的な低い次元の話では解決できなかったことが、より抽象的な次元では解決できたのです。抽象的な考えとは、「人間とはそもそも……」「釘とはそもそも……」という考え方です。
この「○○とはそもそも……」と考えるためには、「○○とは」という抽象的なものを考える力が必要です。(つづく)
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ときどき、「長文の音読が難しい」という相談を受けます。
難しいのは、当然です。難しい文章でも読めるようにするための勉強だからです。
ここで大人が大きく勘違いをしてしまうのが、数回ですらすら読めるようになるのが普通の勉強だと思ってしまう点です。学校では、確かにそのようなスモールステップの勉強をしています。最初は、大きい文字でひらがなだけの勉強です。それから、少しずつやさしい漢字が入り、文章が少しずつ長くなります。そのように、一歩ずつ抵抗なく段階的に進歩させていくのが現在の勉強です。それは、もちろんそれでいいのです。スモールステップで毎日少しずつ長い期間ををかけて気長にやっていくのが学校の勉強だからです。
ところが、言葉の森の長文音読は、1日十分程度です。このような短い時間の勉強で、子供が最初から楽にすらすら読めるようなものを毎日読んでいても力はつきません。
最初は、つっかえつっかえで1日で数行読むのがやっとということもあります。そのときは無理をせずに数行でやめて毎日続けていればいいのです。1日の音読時間の目安は10分程度で、勉強の期間は3ヶ月です。3ヶ月で10〜20編の長文を毎日数行ずつでも読んでいれば、3ヶ月の終わりごろには、驚くほど楽に読めるようになっています。
そのときに、いちばん大事なのは、親の笑顔です。子供がつっかえつっかえ読んでいるのを聞いて、横でにこにこしていられる親はまずいません(笑)。それぐらい、子供がたどたどしい読み方をするのを聞くのは、親にとっていらいらすることなのです。そこを、忍耐強く、毎日「よく、読めたねえ」と褒めてあげるのが親の勉強です。低学年の長文音読は、子供の勉強である前に、親の忍耐力の勉強なのです。
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先日も紹介した苫米地英人さんの本「頭の回転が50倍速くなる脳の作り方」を読んで、関連して考えたことを書きたいと思います。
小学校低中学年のころは、親が勉強をさせれば、子供の成績はよくなります。この理由は単純で、このころの勉強は表面的なものなので、与えればその分知識は増えるからです。
もちろん、勉強をさせて成績をよくする方が、勉強をさせずに成績を悪くするよりもずっといいことは確かです。しかし、それ以上に大事なものは、成績をよくするのではなく、頭をよくする勉強をさせることです。
頭をよくする勉強というのは、抽象的な能力をつける勉強です。例えば、1を10回加えるときに、1+1+1+……と計算させていくのが、成績をよくする勉強法だとすると、1×10という考え方を教えるのが頭をよくする勉強法です。正確に言えば、「考え方を教える」のではなく、そういう「考え方ができることを教える」のが、頭をよくする勉強法です。
この成績をよくする勉強法と頭をよくする勉強法の違いは、学年が小さいころには出てきません。頭をよくする勉強法をしている子は、むしろ成績があまりふるわないのが普通です。ところが、学年がだんだん上がるにつれて、頭をよくする勉強法をした子の方が伸びてくるのです。
と言いたいところですが(笑)、実は大学入試のころまでは、その差はまだそれほどはっきりしません。大学入試ぐらいのレベルの勉強では、成績をよくする勉強法に根性で取り組んでいる子の方が、やはり成績はいいのです。その理由は簡単です。今の入試では、頭のよくなる勉強を1時間しかしない子よりも、成績のよくなる勉強を10時間する子の方が、成績がよくなるような試験内容になっているからです。
本当に差がはっきりしてくるのは、大学入学後です。学校を卒業して、社会で仕事に取り組むようになると、勉強の内容は、1を10回加えるような簡単なものから、もっと複雑なものになってきます。そのときに、抽象的に処理する能力を身につけた子は、次々と出てくる難問に取り組んでいくことができるのです。
では、その抽象的な能力とは、何でしょうか。(つづく)
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夏休みは、子供に注意することが多いと思います。そのときに、つい言ってしまうのが、「○○しないと○○にならないよ」という言い方です。例えば、「勉強しないと、遊びに行けないよ」です。
否定的な言葉で言った方が強い印象を与えるので、急いでいるときに、大人は、ついそういう言い方をしてしまいます。
しかし、もっといい言い方は、「○○すると○○になるよ」という言い方です。例えば、「勉強すると、遊びに行けるよ」という言い方です。更にいい言い方は、「勉強して、遊びに行こう」です、「遊び」の方に重点が置かれているからです。
なぜ、このような言い方がいいかというと、否定的な言葉を聞くと、子供は暗い気持ちになるからです。暗い気持ちが背景にあって勉強したことは、すぐに忘れてしまいます。生き物は、嫌なことや苦しいことは忘れるという性質があるからです。
大人でも、小学校のころの思い出で、ある学年のところだけぽっかり記憶がないということがあると思います。それは、そのときの担任の先生と相性が悪かったか何かで、そのころの記憶が薄れてしまっているからです。当然、そのころに勉強した内容も薄れています。
注意するときは、一呼吸置いて、その注意を聞く子が明るく聞けるような工夫をしていきましょう。
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