====facebook記事より
小論文の過去問を練習しに来ている高3の生徒に、「ほかの教科の過去問はどうだった」と聞くと、「まだ、やっていないいんです」という返事でした。
聞けば、大手の予備校の先生に、過去問は最後の仕上げにやるためにまだやらない方がいいと言われたそうです。
過去問は、仕上げのためにやるものではなく、作戦を立てるためにやるものです。
だから、いちばんいいのは、高3になったばかりの春休みに過去問をやることです。それができなかったら連休中。
もちろん、そのころはまだできない問題が多いので、解答を見て答えを書き込みながらやっていくのです。
そして、「この問題ができるようになるためには、どういう勉強をしないといけないか」ということを考えるのです。
では、なぜ塾や予備校では、過去問は最後の仕上げのためにやると言うのでしょうか。
それは、早めに過去問に取り組む生徒が増えると、指導する内容がばらばらになってしまうからです。
つまり、一斉指導をしやすくするために、過去問は仕上げのためにやるようにしているのです。
入試のための勉強は、通常の学校での授業で学ぶ勉強とは違います。
通常の勉強は自分の実力をつけるためにやるのですから、幅広く満遍なくやっていくものです。
しかし、入試のための勉強は、実力をつけるためではなく勝負に勝つためにする勉強ですから、相手がどういう出方をするかということを第一に考える必要があります。
こういう説明をすると、例年、高校3年生は、「なるほど」と納得してくれるのですが、しかし、実際にやる人はほとんどいないのです(笑)。
まあ、後回しにしたいという気持ちはわかりますが……。
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facebook記事より。
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人間は、自分が似た経験をしたものでないと、深く共感できないことがあります。
その共感力の差が、読みの深さの差です。
ところが、自分ができる経験は限られています。
その経験を補うものが読書と対話です。
だから、国語の勉強の基本は、問題集を解くことではなく、読書と対話を増やし、あとは理詰めで考えるということなのです。
その「理詰め」の説明です。
国語の選択問題の成績を上げるには、なぜその選択肢を選んだのかを説明できるだけでは不十分です。
なぜその選択肢以外の選択肢を選ばなかったのかという理由を、それぞれの選択肢についてすべて説明できなければなりません。
というのは、国語の選択問題は、そういう解き方をするように作られているからです。
だから逆に、そういう解き方をすれば、原則として満点が取れるようにできています。
人間が作った問題は、人間が解けて当然なのです。
ところが多くの小中高校生は、「当たった」「当たらなかった」のレベルで問題を解いています。
なぜそれがわかるかというと、問題用紙がきれいなままで、選択肢をひとつずつ考えたという形跡がないからです。
問題用紙を見て、それがきれいなままであったら、それは理屈ではなくカンで解いているということです。
こういう話を、実際にその子が解いた国語問題を解き直しながら1時間も説明すると、次の回からすぐに国語の成績が上がります。それもかなり急に(笑)。
しかし、こういう話をしてくれる先生がほとんどいないのです。
だから、国語の問題の見直しは家庭でやるのがいちばんです。
では、親でも理屈で説明できない問題に遭遇した場合は、どうしたらいいのでしょうか。
その問題は、できなくてもいい問題なのです。
人生経験が子供の何倍もある親でも理屈で説明できない問題は、問題自体が悪問であるか、その答えの方が間違っていることも多いからです。ホント。
(ただし、大学入試の問題になると、親と子が同じぐらいのレベルということもあります。)
今日は、朝方涼しい雨が降っていましたが、もう雨も上がり穏やかな曇り空が広がっています。
ところで、今週末から猛暑になるそうです。もう、しょうがないなあ。
内陸部では36度以上になるとか。ε-(´o`;A アチィ
これは、もう絶対海かプールですね。
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