病気を治そうとして薬を飲むと、病気は治っても、その薬が体に悪い影響を及ぼすということがあります。
勉強にも似たところがあります。
成績をよくするために勉強することはいいのですが、叱られながら勉強をしていると、そのときは成績がよくなったように見えても、長い目で見て頭が悪くなっていくのです。
だから、勉強の仕方で大事なことは、いつも明るく楽しくやることです。
明るく楽しくやるためには、「何事もすぐにはできるようにならない」ということを教える側がよく知っていることです。
大人はつい、自分が子供だったころのことを忘れて、自分ができることは子供もすぐにできると思ってしまうからです。
今日のfacebook記事より。
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塩谷信男さんの本に、「病気を治すのではなく、病人を治す」ということが書いてありました。
例えば、「自在力」という本。
http://www.amazon.co.jp/dp/4763199005
病気のときは、病気を治すことも大事です。
しかし、もっと大事なのは健康な体を作っておくことです。
勉強も同じです。
成績をよくすることは大事です。
特に、受験のときは成績をよくすることがいちばんの目的です。
しかし、もっと大事なのは普段から頭をよくしておくことです。
仕事も同じです。
売れるものを作ることは大事です。
でも、もっと大事なのはいいものを作ることです。
どちらか一方があればいいというのではなく、両方大事なのですが、その大事さに中心と周辺の区別があるということなのです。
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お話しができれば誰でも書ける、新しい作文の勉強法
■準備があるから楽しく書ける
お話し作文の中心は、お母さんとの楽しいお喋りです。
親子で話をすることによって、子供の語彙が増えてきます。
子供が話すときは、表現の語彙、お母さんの話を聞くときは理解の語彙が増えてきます。そして、理解の語彙が増えるにつれて、子供の理解力は更に増していき、やがて、その理解語彙が自分の表現する語彙に変わるにつれて作文も上達します。
お父さんやお母さんと楽しく話をするという準備期間をたっぷり取ることが、作文を好きにさせるコツなのです。
■書かせて直すと苦手になる
世間一般の作文指導では、まず子供に作文を書かせてしまいます。そして、間違いを直します。
しかし、これは既に文章力のある大人向けの指導です。
直す指導をすると、子供は作文がどんどん苦手になります。
作文は直すことによってではなく、褒めることによって上達します。
褒めるためには、最初から正しい書き方ができるようにしておくことです。
正しい書き方を身につけさせるために、視写(書き写し)という方法を指導しているところもあります。しかし、これは子供にとって面白くない勉強です。
作文は、自分で書くから面白くなるのです。
■お話し作文は読み聞かせと同じ
読書の好きな子に共通するのは、子供のころたっぷり読み聞かせをしてもらったことと、お父さんお母さんが楽しそうに本を読んでいる様子を身近に見ていることです。
お話し作文も同じです。
お父さんお母さんが楽しそうに文章を書いているのを見ていれば、子供も自然に自分も文章を書きたいと思うようになります。
そして、子供の話したことを、親が文章として書いてあげれば、それを読むことによって自然に正しい書き方を身につけていきます。
■親子の対話が頭のいい子を育てる
子供の理解力、思考力は、日本語の語彙の質と量によって決まってきます。
問題集を解くことによって身につける学力は、いつからでも間に合います。
大事なことは、日常生活で豊かな日本語に触れる機会をたくさんつくることです。
そのための最もよい方法が、親子で対話をすることなのです。
親子の対話は、テーマがあると、自然に質が高くなります。
作文を書く勉強を中心にして親子の対話を進めることが、これからの新しい勉強法です。
お話し作文の勉強の仕方
■まず、書くことを決めておきましょう
お話し作文の勉強を始める前に、何を書くか決めておきましょう。
子供にとっていちばん書きやすいのは、最近あった出来事です。ですから、「きょうのこと」「きのうのこと」「このまえのこと」などが最も書きやすい課題です。
1週間以上前の話や、「ぼくのともだち」「わたしのゆめ」などの説明的な課題は、子供にとっては書きにくいものです。
毎回同じ題名になってもかまいませんから、書きやすい身近な出来事を中心に書くことを決めておきましょう。
■先生からの電話があります
毎週、決まった時間に担当の先生からの電話があります。
最初は、子供さんが出て、先生と直接話をするといいでしょう。しかし、電話に出るのが苦手という場合は、無理に出なくてもかまいません。
先生が子供さんと電話で話したあと、お母さんに代わってもらいます。
先生からお母さんに、その日の作文の書き方のアドバイスがあります。
その電話が終わったら、先生の説明をもとに、親子でお話し作文を作文を始めます。
(電話の時間は、合計7、8分です)
■お喋りをしながら楽しく構成図
子供が最初に絵をかきます。絵は、作文用紙の表にかいても裏にかいてもかまいません。色を塗ると時間がかかることが多いので、色塗りまでしたい場合は作文が終わってから色をつけるといいと思います。
絵をかくのが苦手な場合は、無理にかく必要はありません。
絵をかくのに時間がかかる場合は、電話の前に始めていてもかまいません。
絵をかき終えたら、お母さんが子供に話を聞いていきます。
母「きょうは、なにがあったの」
子「えーとねえ、きゅうしょくのじかんにバナナがでたの」
(などという感じです)
お母さんは、子供の話したことをすべて肯定的に聞いて、それを構成図として書いていきます。
■構成図の書き方
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由に書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でない話になっても一向にかまいません。
たくさん書くことによって、考えが広がっていきます。
文と文の間は矢印で結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
■構成図が書けたら読んでみましょう
構成図は、楽しくお喋りをしながら書くのがコツです。ダジャレなどを言ったり書いたりしながら楽しく作文用紙を埋めていきましょう。
構成図を書き終えたら、お母さんが矢印の順に読んであげます。子供が自分で読める場合は、子供さんに読ませてください。
この構成図と子供のかいた絵を、先生に郵送で送ります。
お母さんが書いている様子を見ているうちに、子供が自分でも書きたいという場合があります。そのときは、自由に追加させてください。
ただし、自然に自分から言い出すまでは無理に書かせようとしないでください。
子供が書いた文は、間違いがあってもできるだけ直さないようにしてください。
間違いは、直すことによって正しくするのではなく、正しい書き方を何度も見せることによって自然に正しくしていくのが基本です。
■その後の発展的学習
親子で一緒に構成図や作文を書いているうちに、次第に子供の書く割合が増えていきます。
1、親子の対話→お母さんが書く構成図→お母さんが子供に読んで聞かせる。
2、親子の対話→お母さんが書く構成図→子供が自分で読む。
3、親子の対話→お母さんが書く構成図→子供が構成図の追加を書く。
4、親子の対話→構成図→お母さんが書く作文→子供が作文の追加を書く。
だんだんと子供の書く割合が増えていけば、そのうち子供が自由に作文を書くようになります。
その場合、構成図は簡略化したり省略したりしてもかまいません。ただし、最初の親子の対話は続けるようにしてください。
子供がなかなか書き出せないときは、またお母さんが構成図や作文を書く形に戻してあげてください。
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言葉の森では、小3からは、題名課題が出てきます。「がんばったこと」「いたかった思い出」などの題名です。
小5からは、感想文課題が中心になります。「○○を読んで」という課題です。
中学生、高校生と学年が上がるにつれて、感想を書くもとになる長文が難しくなっていきます。
課題が決まっていたり、感想を書くもとになる長文が決まっていたりすると、最初のうちは書きにくいのですが、予習のコツがわかってくると、かえっていい文章が書けるようになります。
次の週の課題を書くために、長文を何度も音読したり、お父さんやお母さんに似た話を取材してきたりすることができるからです。
(でも、たまに、何も準備せずに、先生の話だけ聞いて書こうとする子もいます。特に、中高生(笑))
こういう予習と組み合わせた勉強ができるのが課題作文のいいところです。
ところが、小学校1年生と2年生は、与えられた課題では書けないことが多いので、これまで自由な題名の作文が中心でした。
なぜ、低学年で課題作文が書けないかというと、人生経験が短いので課題に合った話が出てこないことと、課題などなくても毎日が新鮮な出来事なので書くことに困らないからです。
しかし、中には、先週も、今週も、毎回、サッカーの話やゲームの話で同じ話題になってしまう子もいます。
そこで考えたのが親子の遊びです。
親子の遊びというと、わざわざどこかに連れていくようなことを考えがちですが、もっと簡単に家庭でできることがたくさんあります。
男の子だったら、科学の実験のようなこと、女の子だったら、料理を作るようなことが、家庭で特別の準備もなくできます。
しかし、その遊びの持ち駒が、どの家庭でも意外と少ないのです。
そこで、親子の遊びを、小学校低学年の作文の課題に結びつけて提案したり交流したりする場を作ればいいと思いました。
ちょうど、facebookに「親子で遊ぼうワンワンワン」などのグループがあるので、ここで紹介された遊びを、作文の課題として生かしていくことを考えました。
親子の対話が大事になってくるのは、小学校高学年のころからですが、高学年になって突然対話を始めるというのも難しいものです。
子供がまだ小さい小学校1年生、更にはもっと前の幼児期から、親子がひとつのテーマを共有して話し合うことができれば、高学年になってからの対話も自然にうまくいくのではないかと思いました。
今、その遊びと組み合わせた作文の勉強を考えているところです。
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兄弟で作文を書くと、年が近い兄弟であるほど競争意識がわくようで、どちらの字数が長かったかということにこだわることがあります。
競争というのは、最初は意欲付けになるような気がするので、そのまま競争的な意識を持たせるようにしてしまうと、一方が得意になり、もう一方は苦手になっていきます。
これは、読書でも同じで、例えば、上の子が読書好きだった場合、親は特に比較する気持ちはなくてもつい下の子に比較する言葉を使ってしまうことがあります。「お姉ちゃんは、よく本を読んでいたのにねえ」など。
すると、比較された下の子の方は、確実に読書嫌いになります。
だから、大事なことの第一は、字数や読書の量などの量的なところで子供の努力を比較しないことです。
それぞれの質の違いのよさを認めて、「あなた(上の子)は、こういうところがよくて、あなた(下の子)は、こういうところがいいね」と、同じように認めてあげることです。読書では、それぞれの好みのジャンルの違いを個性のよさとして認めてあげることです。
大事なことの第二は、子供どうしが他人と比較して自分を評価しないように教えてあげることです。
今の社会では、子供たちは、常に競争や比較の中に置かれています。そのため、自分と他人の関係をすぐに優劣の比較の中で見ようとします。他人と比較してがんばるようながんばり方は、一時的なもので、やがて限界が来ます。
子供は素直ですから、大人が正しいことを話せばすぐに理解します。もし、他人と比較して、「○○ちゃんより、ぼくの方が○○が得意だ」という言い方をしたら、次のように言って教えてあげるのです。
「人間には、それぞれ長所があるんだよ。あなたにも、いいところがあるように、ほかの人にもいいところがたくさんあって、それはすぐに見えることもあるし、なかなか見えないこともある。だから、自分の方がよくて他人がだめだと考えるのではなく、自分は自分でいいところがあるように、他人には他人のいいところがある。それぞれのいいところを伸ばしていくことがいい社会を作ることにつながると考えるといいんだよ」
子供が小学校1年生や2年生で、こういう言葉の中身が充分に伝わるように見えない場合でも、親が話したことは、必ず子供の心に伝わっているのです。
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いろいろなことを考えていて、自分の好きな分野を持ち、たっぷり読書をしたり、親子で対話をしたりする豊かな精神的な生活を送っている子が、ある日、塾の入室テストを受けます。それが、小学校3年生のころです。
すると、その塾の勉強は面白い。成績もいい。みんなから褒められる。そして、その塾に入り、塾の勉強の生活をスタートします。
そうすると、次々と出される宿題で、これまでののんびりした生活はできません。遊びを削り、読書を削り、対話を削り、ひたすら問題を解いたり、知識を覚えたりするようことに時間を取られるようになります。
その宿題をやってきた成果が、塾でのテストという形で評価されると、確かに勉強をしていればテストはよくなるので、まるで成績がよくなっていくような印象を受けます。しかし、それは「受験勉強の先取り」という架空のゲームの世界の成績なのです。その成績がよくなるのに比例して、頭はだんだん悪くなっていきます。
なぜかというと、本を読んだり、考えたり、遊んだり、話をしたりという知的な生活を削って、ペーパーテストの点数に特化した生活が中心になっていくからです。
勉強は、いつも自由な遊び時間とのバランスで考えなければなりません。
「よく学びよく遊べが」子供の生活の基本です。しかし、どっちを優先するかと言えば、「よく遊べ」の方です。その反対に子供の頭を最も悪くするのが、「よく学ぶだけ」の生活です。遊ばずに学ぶことで、子供の学力は、塾のテストという架空の世界に合わせてどんどん薄くなっていきます。テストに出る範囲以外のことはやらない方が、テストの成績はよくなるからです。
成績をよくするための勉強は、受験勉強です。それは、受験の直前になってからやればいいのです。
頭をよくするための勉強が本当の勉強です。それは、毎日の自由な生活と両立する形で家庭で決めた範囲の勉強を自習として続けることなのです。
小学校低中学年で塾の勉強に燃えた子が、高学年から、中学生高校生になるにつれて、勉強に対する興味を失い、どんどん学力が低下する様子をこれまでよく見てきました。
一方、小学校低中学年のころ、毎日の遊びに夢中で勉強などそっちのけだった子が、高学年になり、中学生高校生になるにつれて、次第に勉強に目覚め、学力を伸ばし志望校に入る例もよく見てきました。
子供というのは、今の小学生のころの状態を見ていただけでは、将来を見誤ることが多いのです。今の成績の延長に将来の成績があるのではなく、今、成績には表れない学力を育てることが、将来その学力の開花につながっているのです。
現在は、親の世代も、子供のころ塾通いをした経験を持っています。その経験から、もっと早くから勉強をしていればもっと成績がよくなっていたはずだという幻想を抱いてしまうのです。
大学入試を当面の目標と考えた場合(本当はもっとその先に勉強の目的があるのですが)、成果を上げられるかどうかは、高校生の最後の受験生の時期に正しい勉強法で集中力を発揮したかどうかにかかっています。低学年からの先取りなど、全くと言っていいほど関係がありません。
実際に、自分の学力に自信を持っている人は、そういうことをよく知っています。だから、「そんなに小さいころから受験勉強のようなことをする必要はない」ということが自然に言えるのです。勉強というのは、やる気になったときから始めれば充分に間に合うことを知っているからです。
早くから始めなければ間に合わないと思う人は、正しい受験勉強の方法で取り組まなかったから成果を発揮できなかっただけなのです。
子供のころからの勉強は、もちろんしてもいいのです。子供の生活の一方の柱が遊びで、もう一方の柱が勉強だからです。
しかし、それは成績を上げるための勉強ではなく、学力をつけるための勉強にしていく必要があります。
テストの点数というのは、テストという架空の世界の順位であって、その子の本当の学力とはかなりずれがあります。小学校低中学年のころの成績は、そのテストに向けて訓練をしたかどうかがすべてで、その子の本当の学力とほとんど関係のないことも多いのです。
では、本当の学力はどこで見るかというと、それは親子の対話の中で、子供がしっかり受け答えをしているかどうかです。だから、入試でも本当の学力を見るとすれば、それは小論文をもとにした面接のような口頭試問による評価になっているのです。
大事なのは、テストの成績を上げるような勉強ではなく、その口頭試問に堪えられるような学力と実力をつけていく勉強です。
更に言えば、学力の伸びる子は、他人との競争にはあまり関心がなく、謙虚に自分の勉強を進めていける子です。競争に燃えて自分の成績を自慢する傾向の強い子は、学年が上がるにつれて学力が伸びなくなります。
塾での勉強というのは、競争意識という将来の学力低下の原因になる感情を利用することで、今の目の前の成績を上げるような仕組みを持っています。だから、家庭では、塾の成績に左右ざれずに、勉強の大本を見る軌道修正を常に行っていく必要があるのです。
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言葉の森に、ときどき、「月2回のコースはありませんか」という問合せがあります。
実は、ずっと昔、言葉の森でも、月2回のコースや月1回のコースを設けていました。それぐらいなら負担がないだろうからという保護者の要望によって試しに始めたものです。
しかし、子供にとっては書くときの負担はほとんど変わりませんでした。逆に、
隔週1回の勉強は、毎週1回の勉強より習慣になりにくい分だけ、余計に負担を感じるようになったのです。
更に大きな問題は、毎週という生活のリズムが作れないので、作文の予習がしにくくなることでした。そういうことがわかったのです。
言葉の森では、小3以上は作文や感想文の課題が決まっているので、それを自宅で準備してくることになっています。準備の主なものは、お父さんやお母さんに似た話を聞いてくることです。すると、予習のために毎週○曜日は家族で話をするという生活習慣ができるようになります。
ところが、
隔週1回や月1回の勉強では、家庭生活のリズムに組み込みにくいので、自然に子供任せの勉強になってしまうのです。その結果、毎週1回の勉強よりも、かえって書きにくいという状態が生まれてきたのです。
世の中に今あるものは、長い年月の間に安定して残ったものです。その安定の条件は、中途半端でないことです。
必要であればしっかりやる、必要でないならやらない、そのどちらかが安定した状態で、必要だと思うが負担にならない程度にやるというのは、実は心理的にとても不安定な状態なのです。
作文の勉強は、書いたものを添削するだけではありません。それぐらいなら、普通に文章力のある大人であれば誰でもできます。
難しいのは、書いたあとの添削ではなく、書く前の事前のアドバイスです。難しい課題であっても、子供が何とか書けるように準備することが、作文の勉強で最も大事なことです。
そのために欠かせないのが予習です。だから、
毎週1回の勉強で、毎日の生活の中に作文の勉強が位置づけられるようにしておく必要があるのです。
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作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信
作文の通信教育の教材比較 その1
作文の通信教育の教材比較 その2
作文教室、比較のための7つの基準
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作文というのは、結果です。
結果を直しても、もとの原因が直っていなければ、またすぐ元に戻ってしまいます。
原因は、その子の頭の中に入っている単語と文と文章で、言い換えれば、語彙と表現の仕方とものの見方考え方です。
だから、いい文章を書くためには、読書と対話が大切なのです。
夏休みになると、あいかわらず読書感想文の宿題を出すところがあります。
小学校3年生以下で感想文を書かせることには、何の教育的意義もありません。
ましてコンクールに出すことを目的として書かせることには、弊害しかありません。
小学校2年生のころ、読書感想文コンクールに入賞した子が、後日高学年になってから言ったことがあります。
「自分の書いた文章じゃないようで、あまりうれしくなかった(笑)」
そんな感想文を書いたり直したりする暇があったら、その分楽しい読書だけをしていればいいのです。
今日は、ちょっと涼しい雨模様です。
夏が早かった分、秋も早くなったのかと思うような気候です。
タンポポがもう綿毛になっていました。
やはり夏はかんかん照りの方が気持ちがいいですね。(戸外で仕事をしている人は大変だとは思いますが)
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言葉の森では、小学校3年生から感想文の課題があります。
上手に書ける子はほとんどいませんが、これは、小学校高学年で本格的な感想文を書くための準備として練習しているからいいのです。
作文でも、感想文でも、大事なことは、書いたあと直すことではなく、書く前に書き方の方法を教えることです。
それは、例えば、こんな書き方です。
「夏休みの読書感想文の宿題への取り組み方(言葉の森新聞、言葉の森のHPより編集)」
https://www.mori7.com/index.php?e=1586
「読書感想文批判(低学年では苦しく書かせるより、楽しく読ませることを)」
https://www.mori7.com/index.php?e=1308
「言葉の森で書いた作文を持って―合格体験記」
https://www.mori7.com/index.php?e=706
(高学年での感想文の勉強は、大学入試の小論文に役立っています)
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facebook記事より。
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ある教育相談サイトに、「国語の教科書の文章なら読めるが、抽象的な文章だと意味を読み取れない」という相談がありました。
回答は、「わからない言葉が出てきたら、こまめに辞書で引いて調べるとよい」ということでした。
しかし、なかなかそういう習慣はできません。
辞書で調べるのももちろんいいのですが、基本は、近くにいるお父さんやお母さんがアドリブで説明してあげることです。
そして、もっといいのは、その抽象的な文章を何度も音読して、意味がわかないながらも、全体像をつかむようにすることです。
その上で、その文章をもとにして親子で雑談をするのです。
文章の意味は、辞書を通して理解するよりも、身近な人との話の中でより深く把握できるようになります。
そして、そういう勉強なら、ひとりで辞書を引く勉強よりもずっと楽しく続けられます。
更にいいのは、お父さんやお母さんが、子供と抽象的な話題を共有できることです。
特に、お父さんが子供と話題を共有できると、子供の思考力が伸びることが多いのです。
お父さんは、理屈で喋ることが多いからです。
国語の勉強は、机に向かってするようなものよりも、日常生活の中でしていくものなのです。
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対話は、記述力をつけることにも役立ちます。
「記述式問題の解き方のコツ」
https://www.mori7.com/index.php?e=1852
帰国子女の日本語教育も、基本は対話です。
「帰国子女の日本語教育に関する記事をアップ」
https://www.mori7.com/index.php?e=1826
低学年の国語力も、もちろん対話です。
問題集などをやるよりも、親子で楽しく話をすることです。
「国語力、作文力のつけ方、低学年から国語力をつける意義の記事」
https://www.mori7.com/index.php?e=1825
そして、対話によって、作文も上手に書けるようになります。
「書けない子でもすぐに書ける、対話によって作文力をつける構成図の書き方」
https://www.mori7.com/index.php?e=1785
今の日本では、残念ながら、親子で対話をする習慣があまりありません。
しかし、ここでいったん対話の習慣を作っておけば、今度は今の子供が親になったときも、同じように親子で対話をするようになります。
対話は、新しい勉強の文化なのです。
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