小学校高学年の生徒から、「国語力をつけるコツを教えてください」と電話相談がありました。
電話で話すこともできるのですが、それでは理解しきれないだろうと思ったので、「あとで、資料をプリントして送るね」と言っておきました。
国語力をつけるコツはあります。しかし、その前に、国語力というものがどういう構造になっているかを理解しておく必要があります。
国語力には二つの面があります。一つは、土台となる国語の実力です。もう一つは、成績として表れる国語の問題の解き方のコツです。
土台となる国語の実力とは、ひとことで言えば難読力(難しい文章を読む力)です。その難読力には三つの面があります。第一は説明文の難読力、第二は物語文の難読力、第三は日本語の文化の難読力です。
説明文の難読力をつけるには、その学年の読む力に応じた説明文を読むことです。しかし、子供が普通に読む本の世界では説明文というジャンルは限られているので、説明文を読む機会を増やす必要があります。そのひとつは図書館のノンフィクションコーナーの利用です。もうひとつは、問題集読書です。
物語文の難読力をつけるには、名作や古典と呼ばれている本を読む必要があります。これも、図書館の利用と問題集読書の活用が役に立ちます。
文化の難読力とは、日本の文化に流れている言葉にならない感情の世界を察する力をつけることです。これは家族の対話の中で少しずつ身につけていくものです。だから、親子の対話というものが重要になります。
さて、国語の実力をつけてもすぐに国語の成績が上がるわけではありません。国語の成績を上げるには、上げるためのコツを理解する必要があります。
しかし、国語の成績を上げるコツは、通り一遍の一斉授業ではなかなか伝えることができません。その生徒が実際に解いた問題をもとにして、逐一説明する必要があります。だから、
国語の勉強は、家庭で行うのに向いているのです。
選択式の問題のコツは、これまでに何度も書いたとおりです。合っているものを見つけるのではなく、合っていないものをその合っていない理由を明確にして見つけ、そのあとに残ったものを合っているものとするという考え方です。
選択式の問題は、手順どおり解いていけば原則として満点が取れるようにできています。だから、言葉の森の毎月第4週の読解問題ができていなかったら、それは選択式の問題を解くコツが理解できていないということです。
このコツを理解すると、その後の国語の成績が驚くほど上がります。
記述式の問題のコツは、時間内に字数ぴったりに素早く書くことに慣れることです。また、意見や感想を述べるときは、その意見や感想と対比される考えを念頭に置いて書くことです。
記述式の答えは、内容が大体合っていればそれで充分です。それ以上の細かい点数の差はあまり意味がありません。なぜかというと、表現上の微妙な差は、採点者の主観がかなり入っているからです。
例えば、記述式の問題に入る前の漢字の問題や選択の問題の出来が悪ければ、記述の問題も辛く採点されます。文章は具体的にわかりやすく書くよりも、抽象的に説明風に書いた方が減点が少なくなるという意味で無難です。しかし、そのためには、抽象的で説明的な語彙を使えるようになっている必要があります。そのために、長文の繰り返し音読が大事になってくるのです。
国語力には、このほかに、分量の多い長文を読みこなす力や、テーマに合わせた作文小論文を書く力があります。また、近年、面接試験や口頭試問という形で、話して答える形式の国語力も必要になってきます。
これらは、実際に、読む、書く、話すという練習をする中で身につけることが必要になります。
言葉の森の勉強は、この最後の「読む、書く、話す」の力をつけることを中心に行っています。
facebookの記事に、仕事をし始めた若い人たちに対するメッセージのようなものを書きました。
今の蓄積が役に立つと書いたとき、それは、勉強にも通じるということを思い出しました。
私が仕事をしているとき、結構役に立ったのが、高校時代の数学や理科の教科書でした。
高校時代にやったことがあるので、どのへんに何が書いてあったか大体分かるのです。
教科書を捨てていなくてよかった、と思ったものでした。
何に使ったかというと、確率の計算の仕方、円や楕円や放物線のグラフを書くための式、漸近線の求め方、数字どうしの相関などです。
いろいろと計算をしているときに、学生時代に習った因数分解のようなものは、テストに使うためだけの面白いクイズで、実際にはほとんど役に立たないようだということもわかりました。では、何が役に立つかというと、解の公式(根の公式)のように、どんな場合でも確実に計算できるものでした。(しかし、ゆとり教育の時期の中学生は、学校でこの解の公式を習わなかったようです)
また、昔は、Σのように同じ計算を何度も繰り返すということが実感としてよくわかりませんでしたが、プログラムで実際に繰り返し計算をしてみると、役に立つ場面があることがよくわかりました。
いずれも、知っている人には初歩的なことだと思いますが、社会人になってからこういうことを新しく本を読んで勉強するということはかなり難しいはずです。高校の教科書の土台があったから、あまり苦労せずにできたのだと思います。
実は、中学時代の教科書も、捨てずにとっておく方がいいのです。
それが役に立つのは、就職試験などのために一般教養の勉強をし直すときです。
それぐらい、教科書は、必要な知識がコンパクトに整理されています。
だから、日本の高校の教科書を全部マスターしたら、立派な知識人としてどこでも通用すると言われているのです。
もちろん、教科書には、その時代に制約された偏向もありますから、社会に出てからも読書などで勉強を続けていく必要はあります。
しかし、その勉強の土台になっているのは、学校時代の教科書なのです。
facebook記事より。
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言葉の森の通学教室で、昔、私が教えていた生徒たちの中で、コンピュータのプログラミングの方面に進んだ人がかなりいます。
それは、言葉の森が、いつもインターネットの新しい技術を取り入れて、面白いことをいろいろしてきたからです。
しかし、システム・エンジニアの仕事は、実はかなり大変です。
私も、何時間もバグと格闘する不毛な時間を過ごし、「これが、人に頼まれた仕事だったら絶対にやらないだろうなあ」と思ったものです。
そして、実際のシステム関係の仕事は、もうあまり創造的なことはなく、メンテナンスに追われるような仕事ばかりになっていると思います。
しかし、プログラミングのような技術を身につけていることは、決して無駄ではありません。
それが役に立つのは、いざ自分が何か新しい仕事を始めようというときです。
新しいことを始めるときは、お金も、時間も、知識も、協力者もすべて不足しています。
そのときに、自分のプログラミングの技術が役に立つのです。
若い人たちの携わる仕事は、つまらないものが多いと思います。
やりがいのある仕事で、自分も成長できて、給料もよくて、休暇も多くてという仕事に就いている人は、私の身近に知っているかぎり一人もいません。
でも、その無駄に見えるような時間で何かを学んでいるのだと思って、決して腐らずにやっていくことです。
未来は、もっと自由に自分のしたいことができる社会になるでしょう。
そのときに、今の準備が生きてくるのです。
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