facebook記事より。
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この世でいちばん高価なものは人間です。
試みに、今話題になっている映画「風たちぬ」のモデル、零戦を作った堀越二郎の創造性を金額で評価したら何億円どころか何兆円にもなるでしょう。
そういう創造性をすべての人が自分の仕事の場で持っているのです。
だから、日本のこれからの産業は人間です。
家電製品のような物作りは、次第に振興国に取って変わられます。それは歴史の流れです。
その物作りの先にあるのが人作りの世界です。
よく文化や教育は、金額に換算しても大した額にならないという人がいます。
それよりも、百万円単位で売れる自動車産業のような物作りが日本の産業を支えるという人がいます。
今のところはまだそうなのです。
しかし、いずれ人間に投資した額の方が、機械や設備に投資した額よりも大きな収益を上げるような時代が来るでしょう。
日本には、米百俵の精神を育んだ文化があります。
その文化がこれから生きてくるのです。
(「創造的な新「米百俵」政策で将来の果実をもたらすバブルを」)
https://www.mori7.com/as/975.html
季節は、やっと8月に。
7月初めの猛暑とは打って変わって、適度な日差しと適度な湿り気が交互に続く過ごしやすい夏です。
まだこれからも夏休みは続きます。
この夏の間に、子供たちはいろいろなものを吸収してくるのでしょう。
大人も負けずに(笑)。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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小学校高学年の生徒から、「国語力をつけるコツを教えてください」と電話相談がありました。
電話で話すこともできるのですが、それでは理解しきれないだろうと思ったので、「あとで、資料をプリントして送るね」と言っておきました。
国語力をつけるコツはあります。しかし、その前に、国語力というものがどういう構造になっているかを理解しておく必要があります。
国語力には二つの面があります。一つは、土台となる国語の実力です。もう一つは、成績として表れる国語の問題の解き方のコツです。
土台となる国語の実力とは、ひとことで言えば難読力(難しい文章を読む力)です。その難読力には三つの面があります。第一は説明文の難読力、第二は物語文の難読力、第三は日本語の文化の難読力です。
説明文の難読力をつけるには、その学年の読む力に応じた説明文を読むことです。しかし、子供が普通に読む本の世界では説明文というジャンルは限られているので、説明文を読む機会を増やす必要があります。そのひとつは図書館のノンフィクションコーナーの利用です。もうひとつは、問題集読書です。
物語文の難読力をつけるには、名作や古典と呼ばれている本を読む必要があります。これも、図書館の利用と問題集読書の活用が役に立ちます。
文化の難読力とは、日本の文化に流れている言葉にならない感情の世界を察する力をつけることです。これは家族の対話の中で少しずつ身につけていくものです。だから、親子の対話というものが重要になります。
さて、国語の実力をつけてもすぐに国語の成績が上がるわけではありません。国語の成績を上げるには、上げるためのコツを理解する必要があります。
しかし、国語の成績を上げるコツは、通り一遍の一斉授業ではなかなか伝えることができません。その生徒が実際に解いた問題をもとにして、逐一説明する必要があります。だから、
国語の勉強は、家庭で行うのに向いているのです。
選択式の問題のコツは、これまでに何度も書いたとおりです。合っているものを見つけるのではなく、合っていないものをその合っていない理由を明確にして見つけ、そのあとに残ったものを合っているものとするという考え方です。
選択式の問題は、手順どおり解いていけば原則として満点が取れるようにできています。だから、言葉の森の毎月第4週の読解問題ができていなかったら、それは選択式の問題を解くコツが理解できていないということです。
このコツを理解すると、その後の国語の成績が驚くほど上がります。
記述式の問題のコツは、時間内に字数ぴったりに素早く書くことに慣れることです。また、意見や感想を述べるときは、その意見や感想と対比される考えを念頭に置いて書くことです。
記述式の答えは、内容が大体合っていればそれで充分です。それ以上の細かい点数の差はあまり意味がありません。なぜかというと、表現上の微妙な差は、採点者の主観がかなり入っているからです。
例えば、記述式の問題に入る前の漢字の問題や選択の問題の出来が悪ければ、記述の問題も辛く採点されます。文章は具体的にわかりやすく書くよりも、抽象的に説明風に書いた方が減点が少なくなるという意味で無難です。しかし、そのためには、抽象的で説明的な語彙を使えるようになっている必要があります。そのために、長文の繰り返し音読が大事になってくるのです。
国語力には、このほかに、分量の多い長文を読みこなす力や、テーマに合わせた作文小論文を書く力があります。また、近年、面接試験や口頭試問という形で、話して答える形式の国語力も必要になってきます。
これらは、実際に、読む、書く、話すという練習をする中で身につけることが必要になります。
言葉の森の勉強は、この最後の「読む、書く、話す」の力をつけることを中心に行っています。
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facebookの記事に、仕事をし始めた若い人たちに対するメッセージのようなものを書きました。
今の蓄積が役に立つと書いたとき、それは、勉強にも通じるということを思い出しました。
私が仕事をしているとき、結構役に立ったのが、高校時代の数学や理科の教科書でした。
高校時代にやったことがあるので、どのへんに何が書いてあったか大体分かるのです。
教科書を捨てていなくてよかった、と思ったものでした。
何に使ったかというと、確率の計算の仕方、円や楕円や放物線のグラフを書くための式、漸近線の求め方、数字どうしの相関などです。
いろいろと計算をしているときに、学生時代に習った因数分解のようなものは、テストに使うためだけの面白いクイズで、実際にはほとんど役に立たないようだということもわかりました。では、何が役に立つかというと、解の公式(根の公式)のように、どんな場合でも確実に計算できるものでした。(しかし、ゆとり教育の時期の中学生は、学校でこの解の公式を習わなかったようです)
また、昔は、Σのように同じ計算を何度も繰り返すということが実感としてよくわかりませんでしたが、プログラムで実際に繰り返し計算をしてみると、役に立つ場面があることがよくわかりました。
いずれも、知っている人には初歩的なことだと思いますが、社会人になってからこういうことを新しく本を読んで勉強するということはかなり難しいはずです。高校の教科書の土台があったから、あまり苦労せずにできたのだと思います。
実は、中学時代の教科書も、捨てずにとっておく方がいいのです。
それが役に立つのは、就職試験などのために一般教養の勉強をし直すときです。
それぐらい、教科書は、必要な知識がコンパクトに整理されています。
だから、日本の高校の教科書を全部マスターしたら、立派な知識人としてどこでも通用すると言われているのです。
もちろん、教科書には、その時代に制約された偏向もありますから、社会に出てからも読書などで勉強を続けていく必要はあります。
しかし、その勉強の土台になっているのは、学校時代の教科書なのです。
facebook記事より。
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言葉の森の通学教室で、昔、私が教えていた生徒たちの中で、コンピュータのプログラミングの方面に進んだ人がかなりいます。
それは、言葉の森が、いつもインターネットの新しい技術を取り入れて、面白いことをいろいろしてきたからです。
しかし、システム・エンジニアの仕事は、実はかなり大変です。
私も、何時間もバグと格闘する不毛な時間を過ごし、「これが、人に頼まれた仕事だったら絶対にやらないだろうなあ」と思ったものです。
そして、実際のシステム関係の仕事は、もうあまり創造的なことはなく、メンテナンスに追われるような仕事ばかりになっていると思います。
しかし、プログラミングのような技術を身につけていることは、決して無駄ではありません。
それが役に立つのは、いざ自分が何か新しい仕事を始めようというときです。
新しいことを始めるときは、お金も、時間も、知識も、協力者もすべて不足しています。
そのときに、自分のプログラミングの技術が役に立つのです。
若い人たちの携わる仕事は、つまらないものが多いと思います。
やりがいのある仕事で、自分も成長できて、給料もよくて、休暇も多くてという仕事に就いている人は、私の身近に知っているかぎり一人もいません。
でも、その無駄に見えるような時間で何かを学んでいるのだと思って、決して腐らずにやっていくことです。
未来は、もっと自由に自分のしたいことができる社会になるでしょう。
そのときに、今の準備が生きてくるのです。
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facebook記事より。
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手を上げようと思えば、手が上がります。
足を上げようと思えば、足が上がります。
それは、脳から運動神経が手や足に走っているからではなくて、もともと人間が手足と一体の存在だからです。
その一体を媒介するものとして、あとから感覚神経や運動神経が生まれたのです。
同じように、世界がもともと一体だったから、それを媒介するものとしてインターネットが生まれました。
同じように、もともと人間は世界の知識と一体だったから、それを媒介するものとして教育が生まれたのです。
「読書百遍意自ずから通ず」という言葉があります。
難しい文章でも繰り返し読んでいると、いつの間にか頭に入るのは、もともと人間が本を理解できるようにできているからです。
読書も作文も、無理に書かせたり、無理に読ませたり、直したり注意したりすることを極力避けて、いいところを認めてあげていると、自然に上手になっていくのです。
そのわかりやすい例が音読です。
子供に長文を読ませると、大体最初はいろいろな欠点があります。
息継ぎが下手だったり、はっきり読まなかったり、声が小さかったり、読み間違えたりと、気になるところがたくさん出てきます。
しかし、それを注意していると、読み方が上手になるどころか、お母さんやお父さんの前で読むことを嫌がるようになります。
反対に、いつも、「上手に読めるようになったねえ」と褒めていると、本当に上手に読めるようになっていきます。
それは、もともと人間が上手に読めるようにできているからなのです。
今日も、薄曇りでやや蒸し暑い夏の一日のスタートです。
でも、この夏も、地球も、人間も、もともと一体のものだと思えば……やはり暑いか。(^^ゞ
今日も、元気にいい一日をお過ごしください。
(中根)
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子供たちの様子を見ていると、いろいろな習い事に追われてくたびれている子をよく見ます。
あれも、これも、いろいろやりすぎているようなのです。
考えてみると、私たち親の世代は、子供のころ、今のような習い事漬けの生活はほとんど誰も送っていませんでした。
それで、みんな立派な大人になったのです。
個人的な話になりますが、我が家(森川林)では、二人の子供たちの習い事は言葉の森だけでした。
だから、かなりのんびりとした学校生活を送りました。
でも、昔と違い、学校の勉強だけでは、勉強ができるようにはならないらしいということもわかりました。
だから、家庭で毎日の家庭学習を単純に行っていく必要があるのです。
facebook記事より。
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「葉隠」に曰く。
「芸で身を立てるのは芸者である。武士は、主君を思う心があればよい」(意訳)
能力があるとか技術があるとかいうのは、枝葉のことです。
もっと大事なことは、心のあり方です。
世の中の役に立つことをしようと思い、日々幸福に生きようと思うことができれば、それだけで人生の方針の8割は完成です。
今は、枝葉のことが多すぎて、あれも少しやり、これも少しやりという生活に追われている子が多いようです。
それも、楽しくやっているならいいのですが、息切れしながらやっている子が多いのです。
低学年のころ、毎日楽しく自習をして、毎週生き生きと作文を書いていた子が、学年が上がるにつれて、だんだんと元気がなくなり、「疲れた」と連発するようになる様子をよく見ます。
本当の勉強は、本人が自覚する中3のころからがスタートです。
それまでは、少しものたりないぐらいに普通にやっているのがちょうどいいのです。
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病気を治そうとして薬を飲むと、病気は治っても、その薬が体に悪い影響を及ぼすということがあります。
勉強にも似たところがあります。
成績をよくするために勉強することはいいのですが、叱られながら勉強をしていると、そのときは成績がよくなったように見えても、長い目で見て頭が悪くなっていくのです。
だから、勉強の仕方で大事なことは、いつも明るく楽しくやることです。
明るく楽しくやるためには、「何事もすぐにはできるようにならない」ということを教える側がよく知っていることです。
大人はつい、自分が子供だったころのことを忘れて、自分ができることは子供もすぐにできると思ってしまうからです。
今日のfacebook記事より。
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塩谷信男さんの本に、「病気を治すのではなく、病人を治す」ということが書いてありました。
例えば、「自在力」という本。
http://www.amazon.co.jp/dp/4763199005
病気のときは、病気を治すことも大事です。
しかし、もっと大事なのは健康な体を作っておくことです。
勉強も同じです。
成績をよくすることは大事です。
特に、受験のときは成績をよくすることがいちばんの目的です。
しかし、もっと大事なのは普段から頭をよくしておくことです。
仕事も同じです。
売れるものを作ることは大事です。
でも、もっと大事なのはいいものを作ることです。
どちらか一方があればいいというのではなく、両方大事なのですが、その大事さに中心と周辺の区別があるということなのです。
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お話しができれば誰でも書ける、新しい作文の勉強法
■準備があるから楽しく書ける
お話し作文の中心は、お母さんとの楽しいお喋りです。
親子で話をすることによって、子供の語彙が増えてきます。
子供が話すときは、表現の語彙、お母さんの話を聞くときは理解の語彙が増えてきます。そして、理解の語彙が増えるにつれて、子供の理解力は更に増していき、やがて、その理解語彙が自分の表現する語彙に変わるにつれて作文も上達します。
お父さんやお母さんと楽しく話をするという準備期間をたっぷり取ることが、作文を好きにさせるコツなのです。
■書かせて直すと苦手になる
世間一般の作文指導では、まず子供に作文を書かせてしまいます。そして、間違いを直します。
しかし、これは既に文章力のある大人向けの指導です。
直す指導をすると、子供は作文がどんどん苦手になります。
作文は直すことによってではなく、褒めることによって上達します。
褒めるためには、最初から正しい書き方ができるようにしておくことです。
正しい書き方を身につけさせるために、視写(書き写し)という方法を指導しているところもあります。しかし、これは子供にとって面白くない勉強です。
作文は、自分で書くから面白くなるのです。
■お話し作文は読み聞かせと同じ
読書の好きな子に共通するのは、子供のころたっぷり読み聞かせをしてもらったことと、お父さんお母さんが楽しそうに本を読んでいる様子を身近に見ていることです。
お話し作文も同じです。
お父さんお母さんが楽しそうに文章を書いているのを見ていれば、子供も自然に自分も文章を書きたいと思うようになります。
そして、子供の話したことを、親が文章として書いてあげれば、それを読むことによって自然に正しい書き方を身につけていきます。
■親子の対話が頭のいい子を育てる
子供の理解力、思考力は、日本語の語彙の質と量によって決まってきます。
問題集を解くことによって身につける学力は、いつからでも間に合います。
大事なことは、日常生活で豊かな日本語に触れる機会をたくさんつくることです。
そのための最もよい方法が、親子で対話をすることなのです。
親子の対話は、テーマがあると、自然に質が高くなります。
作文を書く勉強を中心にして親子の対話を進めることが、これからの新しい勉強法です。
お話し作文の勉強の仕方
■まず、書くことを決めておきましょう
お話し作文の勉強を始める前に、何を書くか決めておきましょう。
子供にとっていちばん書きやすいのは、最近あった出来事です。ですから、「きょうのこと」「きのうのこと」「このまえのこと」などが最も書きやすい課題です。
1週間以上前の話や、「ぼくのともだち」「わたしのゆめ」などの説明的な課題は、子供にとっては書きにくいものです。
毎回同じ題名になってもかまいませんから、書きやすい身近な出来事を中心に書くことを決めておきましょう。
■先生からの電話があります
毎週、決まった時間に担当の先生からの電話があります。
最初は、子供さんが出て、先生と直接話をするといいでしょう。しかし、電話に出るのが苦手という場合は、無理に出なくてもかまいません。
先生が子供さんと電話で話したあと、お母さんに代わってもらいます。
先生からお母さんに、その日の作文の書き方のアドバイスがあります。
その電話が終わったら、先生の説明をもとに、親子でお話し作文を作文を始めます。
(電話の時間は、合計7、8分です)
■お喋りをしながら楽しく構成図
子供が最初に絵をかきます。絵は、作文用紙の表にかいても裏にかいてもかまいません。色を塗ると時間がかかることが多いので、色塗りまでしたい場合は作文が終わってから色をつけるといいと思います。
絵をかくのが苦手な場合は、無理にかく必要はありません。
絵をかくのに時間がかかる場合は、電話の前に始めていてもかまいません。
絵をかき終えたら、お母さんが子供に話を聞いていきます。
母「きょうは、なにがあったの」
子「えーとねえ、きゅうしょくのじかんにバナナがでたの」
(などという感じです)
お母さんは、子供の話したことをすべて肯定的に聞いて、それを構成図として書いていきます。
■構成図の書き方
構成図を書くときに大事なことは、思いついたことを自由に書くことです。テーマからはずれていても、あまり重要でない話になっても一向にかまいません。
たくさん書くことによって、考えが広がっていきます。
文と文の間は矢印で結びます。この矢印は、書いた順序があとからわかるようにするためです。作文に書く順序ということではありません。
■構成図が書けたら読んでみましょう
構成図は、楽しくお喋りをしながら書くのがコツです。ダジャレなどを言ったり書いたりしながら楽しく作文用紙を埋めていきましょう。
構成図を書き終えたら、お母さんが矢印の順に読んであげます。子供が自分で読める場合は、子供さんに読ませてください。
この構成図と子供のかいた絵を、先生に郵送で送ります。
お母さんが書いている様子を見ているうちに、子供が自分でも書きたいという場合があります。そのときは、自由に追加させてください。
ただし、自然に自分から言い出すまでは無理に書かせようとしないでください。
子供が書いた文は、間違いがあってもできるだけ直さないようにしてください。
間違いは、直すことによって正しくするのではなく、正しい書き方を何度も見せることによって自然に正しくしていくのが基本です。
■その後の発展的学習
親子で一緒に構成図や作文を書いているうちに、次第に子供の書く割合が増えていきます。
1、親子の対話→お母さんが書く構成図→お母さんが子供に読んで聞かせる。
2、親子の対話→お母さんが書く構成図→子供が自分で読む。
3、親子の対話→お母さんが書く構成図→子供が構成図の追加を書く。
4、親子の対話→構成図→お母さんが書く作文→子供が作文の追加を書く。
だんだんと子供の書く割合が増えていけば、そのうち子供が自由に作文を書くようになります。
その場合、構成図は簡略化したり省略したりしてもかまいません。ただし、最初の親子の対話は続けるようにしてください。
子供がなかなか書き出せないときは、またお母さんが構成図や作文を書く形に戻してあげてください。
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言葉の森では、小3からは、題名課題が出てきます。「がんばったこと」「いたかった思い出」などの題名です。
小5からは、感想文課題が中心になります。「○○を読んで」という課題です。
中学生、高校生と学年が上がるにつれて、感想を書くもとになる長文が難しくなっていきます。
課題が決まっていたり、感想を書くもとになる長文が決まっていたりすると、最初のうちは書きにくいのですが、予習のコツがわかってくると、かえっていい文章が書けるようになります。
次の週の課題を書くために、長文を何度も音読したり、お父さんやお母さんに似た話を取材してきたりすることができるからです。
(でも、たまに、何も準備せずに、先生の話だけ聞いて書こうとする子もいます。特に、中高生(笑))
こういう予習と組み合わせた勉強ができるのが課題作文のいいところです。
ところが、小学校1年生と2年生は、与えられた課題では書けないことが多いので、これまで自由な題名の作文が中心でした。
なぜ、低学年で課題作文が書けないかというと、人生経験が短いので課題に合った話が出てこないことと、課題などなくても毎日が新鮮な出来事なので書くことに困らないからです。
しかし、中には、先週も、今週も、毎回、サッカーの話やゲームの話で同じ話題になってしまう子もいます。
そこで考えたのが親子の遊びです。
親子の遊びというと、わざわざどこかに連れていくようなことを考えがちですが、もっと簡単に家庭でできることがたくさんあります。
男の子だったら、科学の実験のようなこと、女の子だったら、料理を作るようなことが、家庭で特別の準備もなくできます。
しかし、その遊びの持ち駒が、どの家庭でも意外と少ないのです。
そこで、親子の遊びを、小学校低学年の作文の課題に結びつけて提案したり交流したりする場を作ればいいと思いました。
ちょうど、facebookに「親子で遊ぼうワンワンワン」などのグループがあるので、ここで紹介された遊びを、作文の課題として生かしていくことを考えました。
親子の対話が大事になってくるのは、小学校高学年のころからですが、高学年になって突然対話を始めるというのも難しいものです。
子供がまだ小さい小学校1年生、更にはもっと前の幼児期から、親子がひとつのテーマを共有して話し合うことができれば、高学年になってからの対話も自然にうまくいくのではないかと思いました。
今、その遊びと組み合わせた作文の勉強を考えているところです。
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