今の日本に必要なのは、強力な政治による統一した行動です。
強力な政治というと、戦争に向かう危険性を指摘する人がいますが、これからはもう誰も戦争を起こせなくなります。なぜなら、戦争には勝者も敗者もなく、いずれもが敗者であり、ただひとりの勝者が軍需産業であることを多くの人が知るようになったからです。
今、日本の経済政策として提案されているものは、第一の矢が金融緩和、第二の矢が財政政策、第三の矢が成長戦略です。このうち、最も重要で困難なものが、第三の成長戦略です。
そこで、今回は日本の成長戦略の方向について考えてみました。
成長戦略の焦点となるものは、第一にエネルギー対策、第二に食糧自給対策、第三に雇用創出対策、第四に少子化対策、第五に新産業対策、そして第六に創造教育対策だと思います。
まず、第一のエネルギー対策についてです。
新しいエネルギー源として考えられるものには、太陽光、風力、地熱、潮力、メタンハイドレート、あるいは将来の超小型の安全な原子力などがあるでしょう。
これらの新エネルギーを開発していくために、日本の各地にエネルギー開発基地を作ります。
このエネルギー開発基地は、同時に新しい農業基盤の基地となるようにもし、そこに若者を中心にした開拓者を大量に募集します。このエネルギー・農業開発基地には、海洋開発の基地も含まれます。
こうして、第二の食料自給対策と、第三の雇用創出対策を並行して進めます。
食料自給で大事なことは、自給率を高めるだけでなく、地域ごとに自立できる分散した自給体制を作ることです。なぜならば、現在の都市集中型の経済は、高度な流通に依存しているという点で災害に対して脆弱になっているからです。
第四の少子化対策としては、若い人に対する巨額の出産育児手当で対応します。
子育て、つまり人間こそ、将来最も価値ある資産となるものですから、出産育児手当は通常の福祉にとどまらず、長期的な成長戦略の柱となるものです。
また、育児に専念できるように母親の労働を緩和し、扶養控除や扶養手当を拡大していくことも重要です。子育てを中心に考えた場合、男性は社会で仕事をし、女性は家庭で仕事をするとうい分担が最も自然で能率がよいからです。
更に、これからの住居は、核家族に合わせた狭い小規模のものではなく、大家族に対応した広い大規模なものにしていく必要があります。親と子と祖父母の3世代や4世代が楽に暮らせることが、これからの住居の基準になります。これも、未来の宝である子供たちを育てるための投資です。
さて、新エネルギー開発・農業自給基地には、エネルギーと農業以外の新しい産業も必要です。子育てが将来の投資になるとは言っても、その成果が目に見えるのはかなり先のことになるので、経済の活性化のためには新産業の創出が必要なのです。
その新しい産業として考えられるものは、地域の特性を生かした新観光産業です。
それぞれの地域には、その地域の特徴としての自然、景観、特産品、文化、歴史があります。これらの特徴を生かした観光産業を作り出すことができます。
日本の国内で観光地として評価されれば、日本の歴史や文化に関心を持つ世界の人々を対象にした観光地として発展させることができます。
そのために必要なもののひとつが、観光バウチャー(引換券)制度です。つまり、全国民を対象にした観光バウチャーを支給し、日本全国の観光地を訪れる機会を増やすのです。
観光が生活の中に日常化すれば、特定の有名観光地だけに集中することはなくなり、それぞれの地域の個性を味わう形で観光コースは日本中に広がります。
かつて、地域おこしのために金塊が支給されたことがありましたが、地域の発展のために不足しているのはお金ではなく、その地域を訪れてその地域のものを買いたいという需要なのです。
需要があれば、その需要に対応したさまざまなアイデアが生まれ、地域の個性化に磨きがかかり、やがてその評判は海外にも広がります。
自然の景観を利用するだけのこれまでの観光産業は、消費的な産業でした。しかし、新しい地域の個性を作り出す観光産業は、創造的な産業になります。
この観光産業で経済の活性化を支えている間に、第六の創造教育に取り組むことができます。
少子化を克服して子供の数が増えるだけでは不十分です。それらの子供たちに優れた教育を行ってこそ、子育てはより実りのあるものになります。
これからの新しい教育の目的は、人間の創造性を育てることです。
これまでの教育は、機械の部品のようにきちんと働く労働者を育てることを主な目的としていいました。これからは、新しいものを作り出す人を育てることが教育の主要な目的になります。
例えば、ノーベル賞級の学者、自分で会社をおこす起業家、新しい芸術や文化のジャンルの創始者などです。これらの創造的な人が続々と現れる日本を作ることが、教育の目的になるのです。
そのために必要なのは、教育の自由化です。教育の自由化のために、教育を受ける権利を、ここでも教育バウチャー(引換券)として支給します。これによって、誰でも親の所得に関係なく、希望する最高の教育を受けることができるようになります。
また、教育サービスを提供する側として、個性的な教育を行う個人や企業の学校開設を認めます。
そのために、学年相当の学力があることを認定する資格試験を導入します。
この新しい教育に参入する人の中には、社会の仕事を離れ、家庭の育児に専念できるようになった家庭の主婦も多数含まれるでしょう。
だから、これからの教育は、学力認定試験という全国的な枠を前提にした上で、地域と家庭に根ざした小規模で充実したものになっていきます。
この充実した小さな教育の中で、日本と世界の未来を支える創造的な子供たちが育っていくのです。
子供たちの勉強の様子を見ていると、それぞれの時期に必要なことをせず、逆に必要でないことに力を入れて苦労している様子をよく見ます。
最も多いのが、小学1年生から4年生ぐらいまでの、勉強の習慣を作り学力の土台を作る時期に、成績を上げることに力を入れてしまう家庭が多いことです。
ある教育サイトに、小3の子のお母さんからの、「漢字・指示語・熟語・ことわざ・慣用句など、国語のすべてが苦手で困っている」という相談が載っていました。問題集を何度も繰り返し解かせているそうですが成果が上がっていないそうです。
苦手なことをなくすという勉強の仕方はもちろん大切ですが、問題は、この相談の対象となっている子が小学3年生であることです。
小3で、なぜ「漢字・指示語・熟語・ことわざ・慣用句」などの勉強をしているかといえば、それは、塾でそういう勉強やテストをさせられているからです。
小学生のころは、こういう成績を上げるための勉強はする必要がないのです。
国語力のある子は、小3のころに、問題集を解くような勉強はしていません。家で楽しく本を読み、お父さんやお母さんといろいろな話をしています。
つまり、小学校低中学年の間は、国語の勉強をするのではなく、生活を国語的なものにしていくことが大切なのです。
生活を国語的にするとは、例えば次のようなことです。
まず、家族全員でテレビを見る時間を決めることです。1週間の予定で毎日平均1時間というのが目安です。ゲームの時間も同じように子供が納得する範囲で決めてそれを守るようにします。こういう生活習慣を作るためには、まず親がテレビを見る習慣を改める必要があるかもしれません。
次に、家庭での読書の時間を作ることです。そして、親が本を読んでいる姿を子供に見せることです。この場合は本は、もちろん雑誌や画集のようなものではなく、普通に文章として読む本です。親が日常的に本を読んでいる姿を見せれば、子供は自然に読書好きになっていきます。
また、家庭での対話の機会を大切にすることです。だから、食事はできるだけ家族一緒にとります。もちろん、食事の時間になったら、テレビは消します。
親子で楽しくお喋りをするためには、親は聞き上手である以上に、話し上手である必要があります。親子の対話には、親の側のちょっとした努力も必要なのです。
以上のような国語的な生活習慣は、子供が小学校1年生のときにつければ簡単です。しかし、小学校3年生になると、新たな習慣をつけ直すことは難しくなります。小学校高学年になると、かなり努力をしないとできません。
こういう国語的な生活習慣があれば、受験期に国語の成績を上げることは簡単にできます。しかし、国語的な習慣や土台のない子は、受験期に国語の成績を上げることはかなり難しくなるのです。
子供たちの勉強の仕方の勘違いで次に多いのが、今後は逆に、受験期に成績を上げる勉強をせず、漠然と実力を上げる勉強をしている子が多いことです。
これは、特に、小6,中3、高3の最後の1年間の勉強について言えることですが、この時期は、志望校の過去問を目安にして、その過去問で7割の得点を上げるためにはどうしたらいいかということを考える必要があります。
しかし、この受験期になっても、過去問に取り組んでいない子がほとんどです。
この過去問に取り組むことの大切さは、これまでに何度も記事を書いているので、関心のある方は、言葉の森の「HPの記事検索」で、「過去問」と入れて検索してくださるといいと思います。
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「小学1年生から高校3年生まで―言葉の森での勉強の仕方」
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