これからの教育で重要になるのは、創造性を育てる教育です。
では、これからの時代に創造性を必要とする知的なフロンティアはどこにあるのでしょうか。
IT技術や金融工学には、もう新たな開発の余地はあまり残っていません。ロボット作りは、これからの新しいフロンティアになるでしょう。しかし、それ以上に新しい創造の分野は、実は日本語の中にあるのです。
日本語は、もともと教育性の高い言語です。日本人の平均的学力が高いのは、教育の成果だけでなくそれ以上に日本語という言語の成果です。
だから、将来の世界的な言語は、伝達のための英語が次第に機械翻訳などに置き換えられるとすれば、教育性を基準にした日本語になっていくと思われます。
この日本語の教育性を、今後は日本語の創造性に発展させていく必要があります。それを仮にハイパー日本語と呼びます。ハイパー日本語とは、概念の密度を高めた日本語です。
日本語は、自然描写や心情描写の語彙を豊富に持つ言語です。しかし、抽象的な概念の語彙はあまり持っていませんでした。それは、日本の文化が、議論や論争のような言挙げをしない文化だったからです。
日本語の概念言語の多くは、海外からもたらされました。例えば、矛盾という語彙は、盾と矛の故事から来ています。もし、誰もが正直な商売をする社会があるとしたら、そこでは矛盾という語彙や概念は生まれにくかったでしょう。助長という語彙は、植物が伸びるのを助けるために根を引っ張ったという故事から来ています。もし、誰もが植物の気持ちを考え不自然なことをしないという社会だったら、そこでは助長という語彙や概念はやはり生まれにくかったでしょう。
日本で概念的な語彙が発展しなかったのは、日本の社会が基本的に平穏な共感度の高い社会だったからです。
その平穏な社会が海外の文化との接触の中で概念語彙を受け入れるときに、漢字の造語力が役に立ちました。この造語力が、近代の欧米文化の流入の際にも発揮されました。エコノミー、フィロソフィーなどの欧米にある概念が、経済、哲学などの新しい漢語として日本語の中に組み入れられたのです。
欧米の表音文字で新しい概念を作るには、ギリシア語やラテン語の素養が必要だと言われています。日本語では、その役割を漢字の持つ表意性が担いました。
しかし、日本語と結びついた漢字の力にはそれ以上のものがあるのです。
それは漢字の表意性による概念形成力を更に発展させた漢字の概念圧縮力です。
日本語には、言葉を短縮して使うようになった語彙が数多くあります。例えば、ワードプロセッサならワープロ、デジタルカメラならデジカメ、電子卓上計算機なら電卓という具合です。
この言葉の短縮を概念の圧縮として使うことができます。
例えば、「鶴の恩返し」という民話があります。このストーリーの持つ概念は、読み手によって何層にも読み取れますが、この多層的な概念のひとつを「鶴恩」という言葉で表し、その概念を多くの人が共有すれば、それが概念の圧縮となります。宮沢賢治の「注文の多い料理店」という童話があります。この童話の持つ多層的な概念も、「注料」という言葉で表すことができるかもしれません。
人間の思考は、言葉を使って行われています。その言葉を組み合わせる力のもとになっているものは短期記憶です。ところが、短期記憶は一度に7つぐらいのまとまりしか同時に操作することができません。だから、小さい子供は、長い文の話をなかなか理解できません。それは概念の圧縮度がまだ低いからです。逆に言えば、長い文に接することによって、子供の思考力は伸びていくとも言えます。
大人の場合でも、ランダムな文字や数字は7つぐらいまでならそのまま保持できますが、それ以上になるとメモなどをしないかぎり保持できなくなります。
概念も同じです。人間がものを考えるときは、複数の概念を組み合わせながら思考を進めます。そのときに、一つ一つの概念が高密度に圧縮されたものであれば、思考の速度は何倍にも上がります。
この日本語における漢字の概念圧縮力を新しい日本語の可能性として発展させるものがハイパー日本語です。別の言い方で言えば、日本語の高密度の運用法です。
日本語は、将来日本人だけでなく、世界に広がる可能性を持っています。それは、日本語を使うことによって知識の習得や理解が速まるという教育性があるからです。この日本語の教育性に加えて、更に日本語の創造性を発展させたものがハイパー日本語です。
言葉の森では、オープン長文作成プロジェクトと結びつける形で、このハイパー日本語プロジェクトを提案していく予定です。
「弁証法」「限界効用」「即自対自存在」などの語彙には、その背後に大きな概念があります。しかし、これらの概念を身につけるには、その語彙が使われている本を読まなければなりません。辞書でわかるのは、主に小さな概念語彙です。大きな概念語彙は、辞書的な意味を知るだけでは、思考の道具として使うことはできないからです。
しかし、読書でも辞書でもない概念語彙の習得の仕方として、ひとまとまりの文章を繰り返し読む方法があります。繰り返し読むためには、その文章の内容が優れているとともに、表現も美的に優れている必要があります。それをオープン長文として作成していきます。
このオープン長文プロジェクトの仕組みは次のようなものになります。
まず、最初の作者が作った長文のタイトルを、例えば、「○○」バージョン1とします。その長文を改良(換骨奪胎)して新しく長文を作った人がいれば、それは「○○」バージョン1.1になります。更に別の人も、元のバージョン1を改良すればそれは「○○」バージョン1.2になります。そのバージョン1.2を改良した人がいれば、それは「○○」バージョン1.2.1です。そして、元の作者が、それらの改良をふまえてバージョン1を改良した場合、それは「○○」バージョン2になります。
このようにして、オープンな参加でよりよい長文を作っていくのです。
言葉の森では、プレゼン作文という創造性を志向した作文指導を進めるとともに、国語、数学、英語、プログラミングなどの全教科の自習チェックとミニ検定試験を行う構想を持っています。
全教科自習チェックとミニ検定試験というのは、今世界の先端的な教育の試みとして行われている反転授業と結びついています。反転授業というのは、学校ではもう勉強を教えるような授業をしないということです。勉強は家庭で行い、学校はその成果を共有し交流する場になるのです。
これまでの教育では、学校で基本の勉強を教え、家庭はその基本を応用する場となっていました。それは、学校に行かないと、教科書、黒板、先生、授業という教育システムを利用することができなかったからです。しかし、ネットの時代はそうではありません。家庭のパソコンで、教科書も黒板も先生も授業も、時間の制約なしで利用することができます。
だから基本となる勉強は家庭で行い、学校には、家庭で身につけた基本をもとに先生や他の生徒と知的な交流をするために出かけます。
これまでは、学校で基本、家庭で応用でしたが、これからは家庭で基本、学校で応用という教育になるのです。
ところが、この反転授業が成り立つためには、家庭で自学自習を行う習慣と文化がなければなりません。これからは、家庭学習をいかに家庭生活の中に組み込んでいくかということが重要になってきます。
言葉の森が、「プレゼン作文という創造性を志向した作文指導+国語数学英語プログラミングの家庭学習とミニ検定試験」という構想を持っているのは、こういう未来の予測があるからです。
これまでは、学校の勉強についていけないと、塾に行くという発想がありました。しかし、学校も塾も、勉強を教える場ではなくなります。勉強は、ネットを使って家庭で行うことが基本になります。家庭で行った学習をチェックし共有するために学校や塾があるという形です。これからの家庭は、子供の教育を中心としたものになっていくのです。
しかし、家庭での教育は、家庭にタブレット端末やネットワークシステムがあればできるというものではありません。そのようなハードの環境よりももっと大事なものは、家庭で学習する文化というソフト的なものです。
この家庭学習の文化を支えるものとして、地域のミニ寺子屋のような家庭教室がこれから普及していく可能性があります。
言葉の森が進めている森林プロジェクトは、こういうミニ寺子屋のような通学教室を想定したものです。