日本文化は、理屈を言わない文化です。
しかし、世界に対してはそれでは通用しません。
なぜ理屈で言わないかを、理屈で説明しないといけないのです。
ある人が、日本の子供の書いた詩を外国で紹介したことがあったそうです。
(そのことをどこで読んだか忘れたので、細部は多少ちがうかもしれません。)
その虹をうたった詩の中に、「虹の上に腰かけて、お母さんとそっと呼んでみたい」というところがあったそうです。
すると、外国の人たちから一斉に質問がありました。
なぜ、ここで、「お母さんと呼ぶ」というのが出てくるかというのです。
日本人であれば、小さな女の子が(空想の世界で)虹の上に腰かけて、そっとお母さんと呼んでみたいという感覚はわかります。
しかし、これを外国人には理屈で説明しないといけないのです。
【説明】
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この女の子は、虹の上に乗るという初めての珍しい不思議な経験をしています。
その気持ちを、自分がいちばん身近に感じているお母さんと共有したいと思ったのです。
しかし、それは、お母さんにも教えてあげたいということではなく、自分の気持ちを身近なお母さんと共有すること自体が嬉しかったのです。
その共感を味わう動作が、お母さんと呼びかけることでした。
だから、お母さんはその声に気づいても気づかなくてもいいのです。
自分がそっと呼びかけたことで、その子の心は幸福で満たされていたのです。
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しかし、こういう説明は、日本人と同じ文化的背景を持たない外国の人たちに対して行うものです。
同じ日本人でも、まだ日本の文化的背景を十分に持たない子供たちに対しては違います。
日本の子供には、理屈で説明するのではなく、そういう文化を味わう機会を作ることが大事です。
母「けんちゃん」
子「なあに、よんだ」
母「ううん、ただ呼んでみただけ。うふふ」
子「……おかあさん」
母「なあに」
子「うふふ」
父「何やってんでい」
(お父さんは、同じ日本文化でも少し守備範囲が違うのです。)
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(すき家の排気ダクトの上で暖を取るスズメたち)
facebook記事より。
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戦後の日本の教育は、理解の教育でした。
物事を理解すれば、それで学習は完了すると思われていたのです。
しかし、日本に昔からあった教育は、理解する教育ではなく身につける教育でした。
だから、声に出して読み、それを何度も繰り返し、心と体で丸ごとその内容を見につけていったのです。
そういう教育を復活させるために大事なことは、細かい注意はしないということです。
子供の音読を聞いていると、親はつい何かひとこと言いたくなります。
読み方や読む姿勢や読み間違いについて、つい注意をしたくなるのです。
しかし、そこで言うべきひとことは、「読むのが、だんだん上手になってきたね」だけです。
人間には、繰り返していると自然に上手になるという能力がもともと備わっているのです。
ニュースに、「教育勅語復活か」という記事があったので、ブログにもそのことを書きました。
http://ameblo.jp/kotomori/entry-11742396454.html
道徳や人間の正しい生き方は、理屈で理解するものではありません。
だから、○×式のテストでは評価できません。
繰り返し音読して、自然に身につけるものなのです。
▽関連記事
創造が価値の源泉となる社会と言葉の森の教育 4、現代に生かす寺子屋教育
https://www.mori7.com/index.php?e=2023
(国語の勉強の基本は、長文の音読です。そこに読書と対話が加われば完璧です。)
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みなさん、明けましておめでとうございます。
今年のテーマは、「創造が価値の源泉となる社会と言葉の森の教育」に詳しく書きました。
https://www.mori7.com/beb_category.php?id=76
その要約は以下のとおりです。
まず、世の中はどんどんよい方向に進んでいるということです。
今年は、それが加速すると思います。
そして、よい世の中になったときに(なりつつあるときに)、自分たちが何を目指しているのかが問われるようになってきます。
その答えのひとつが、創造を価値と源泉とする社会です。
みんなが、創造と愛(と勇気と知恵と笑い)の中で生きる社会の実現です。
しかし、それを実現するのは日本が最初で、日本が政治的、文化的にリーダーシップをとる中で世界中がそういう方向に動いていくのだと思います。
だから、言葉の森も、その大きい方向に向けて仕事をしていきたいと思います。
その第一が、創造力を育てる教育を行うことです。
それを、作文を中心とする教育の中で実現していきたいと思います。
その方法が具体的には、今の項目作文です。そこに、森リンテクノロジーやプレゼン作文や長文音読や親子の対話や実行課題(遊びや行事の課題)を取り入れていきます。
第二は、その創造教育を実現する前提として、現在の教科の教育をもっと効率のよいものにする必要があるということです。
今の子供たちは、役に立たない勉強を詰め込みすぎています。(特に小中学生)
だから、もっと効率のよい、時間のかからない、したがって費用のかからない教育を提案していきたいと思います。
その方法が具体的には、自習検定(漢字、英語、算数数学、長文、作文)、オープン教育(オープン長文などで自分たちで教材を作り提供する運動)、家庭を中心とした学習です。
そして、第三に、その創造教育と効率教育を作る主体としてのオープンな組織の充実です。
その主体となるのが、言葉の森の講師、森林プロジェクトのメンバー、オープン教育のアシスタント、それから、言葉の森の生徒の保護者、言葉の森に関心を持ってくださっている多くの方々です。
創造教育、効率教育(そして将来は文化教育)を作る仕事を、言葉の森のオープン教育の場を中心に、自由なマイクロビジネスモデルとして展開していきたいと思います。
ここまでが、「創造が価値の源泉となる社会と言葉の森の教育」という記事の要約です。
今年は、以上の仕事を、雪の野原で小さな雪玉を作るような構想として取り組んでいきたいと思います。
平成26年1月1日
言葉の森 代表 中根克明(森川林)
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マイクロビジネスモデルというのは、文化祭や地域のお祭りで、みんなが焼き鳥屋をやったり、ヨーヨー釣りをやったり、遊んだり踊ったりするようなイメージで考えています。
やらされる仕事はあまり楽しくありませんが、自分から進んでする仕事は楽しいものです。
みんながそういう仕事で生活していけるような社会が将来やってくるはずなので、その準備をしていくということです。(気が早いけど)
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●先進国の起業に必要なのはマイクロクレジットではなくマイクロな実行の場
言葉の森で行っている森林プロジェクト、オープン教育は、ミニ起業による個人企業を作るための準備の場です。
例えば、オープン教育アシスタントは、自分の裁量で検定試験の問題を作成します。その検定試験を広げ、検定料を受け取る仕組みを作れば、それがひとつのミニ起業です。
グラミン銀行は、マイクロクレジットによって、貧困な途上国に自立するための多数のミニ起業を生み出しました。
先進国に必要なのは、マイクロクレジットではなく、マイクロアイデアとそのアイデアを実現するマイクロな場です。
言葉の森は、そのマイクロな場を、森林プロジェクトとオープン教育で作っていくことを考えています。
●創造をもとにした交流と、新しい未来の社会
人間の生きがいや喜びは、主として創造と貢献と向上と交流の中にあります。もちろん、それ以外の消費の喜びや休息の喜びもありますが、生き生きとした実感は、自分が何かを作り出す中で得られるものです。
その創造がひとりよがりの創造ではなく、社会に役立つという貢献性のあるものであれば、そこに利益が生まれます。
理念と結びつく形で利益を実現することができれば、そういう集団における人間の交流は、不満を述べ合う後ろ向きの交流ではなく、向上心に満ちた前向きの交流になります。創造的な社会の幅広い裾野を埋めるのは、このような集団です。
このオープンで創造的な個人企業群によって、効率教育が作られ、その効率教育によってできた時間的金銭的な余裕によって創造教育が広がります。更に将来的にはそれらに加えて個性的な文化教育が生まれます。
そして、創造教育が創造文化と結びつくことによって、創造を価値の源泉とする未来の社会が育っていくのです。
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●創造教育、効率教育、文化教育を担うオープンな組織
創造教育、効率教育、そして将来の創造文化の基盤となる個性的な文化教育を作り上げる土台は、オープン化された組織です。
このオープン化された組織の運営が、未来の創造文化を担う組織の経営に結びつきます。
現在世の中にある組織は、大きく二つに分けられます。ひとつは、利益を目指す組織で、その典型が株式会社です。そして、もうひとつは、利益を目指さない組織で、その典型がNPO法人です。しかし、この二つの組織形態は、いずれもこれからの時代に適応しなくなっていきます。
株式会社は、資本を提供した株主の意向によって運営されます。しかし、未来の社会では、資本は希少価値を持つものではなくなります。
そして、利益を極大化するという目的を持つ組織は、利益拡大の障害となる人件費を常に削減する方向に進化していきます。株式会社は、限りなく無人工場、無人サービスを目指していくのです。
その無人化された会社が、相互の競争によって更に徹底的にコストを切り詰め利益を拡大していく先にあるものは、太陽や森林のような大自然のインフラと似た、限りなく無償に近い社会的なインフラです。
未来の人間は、会社勤めという形で労働に参加するのではなく、創造文化の担い手という形で労働に参加するようになるでしょう。このようになったとき、改めて労働の対価は給与ではなく、創造の喜びだったということが社会の共通認識となっていきます。
では、NPO法人は、どうなのでしょうか。あらゆる生き物は、成長し繁栄することによって存続します。成長や繁栄を目的としない種は、長期的には存在することができません。
NPO法人も同じです。法人を運営するためには、何らかの利益を上げることが必要です。しかし、その利益は法人の理念と結びついたものである必要はなく、むしろ効率よく利益を上げるためには、理念から離れて利益追求だけを目的とした方がうまくいくことも多いのです。
すると、それはやがて利益が先導する形で、法人の理念を歪めるところまで進む可能性があります。高尚な理念によって設立された法人が、人々の善意によって集められた募金を投資で運用するなどということもあり得るのです。
理念と利益を結びつける工夫ができるのが人間の知恵です。そういうオープンな組織が未来の教育を担っていきます。
●教育の仕事に携わる個人企業
これからの組織は、利益だけの組織でも、理念だけの組織でもなく、利益と理念を結びつけた形態になる必要があります。それが個人で始めるミニ起業です。
もちろん起業は、ミニではなくビッグになってもいいのです。本質は、ミニでもビッグでもどちらでもよく、自分の目指す理念と利益を結びつけて働くことのできる仕組みを作ることです。
このミニ起業の個人企業が、未来の社会の創造文化の担い手になります。
しかし、今日の大人の多くは平凡な学力をつける教育しか受けていないために、個性を生かした創造文化を作り上げるにはまだ力不足です。創造文化を作る大人は、子供時代から創造教育を受けてきた人が中心になるでしょう。
だから、当面個人企業は、創造文化ではなく、創造教育とその土台である効率教育を提供する形で広げることが考えられます。
世の中には、さまざまな利益の種があります。しかし、大事なことは利益がどれだけ上がるかということではなく、その利益が社会の進歩に沿ったものであるかどうかということです。
例えば、武器を作って売るのも利益です。しかし、未来の世の中は争いのない方向に進みます。だからといって、欠点を直すだけの利益が価値ある利益になるのではありません。
未来の社会の利益は、新しい価値を創造する方向で生み出されます。その最も近くにある仕事が、今は教育の分野で、将来は文化の分野になります。だから、教育に関わる仕事に携わる意義があるのです。
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●現代に復活させる寺子屋教育の方法(2)家庭教室と寺子屋オンエア
第二は、家庭教室と寺子屋オンエアです。
家庭での自習を、地域で複数の子供たちを集めて行う場が家庭教室です。この家庭教室を、週1回の作文指導を行う森林プロジェクトの教室と結びつける形で広げていく予定です。
地域の子供たちを集めるような家庭教室を作れないところでは、通信で家庭教室を行うことができます。それが寺子屋オンエアという企画です。
オンラインで互いの勉強の様子がわかる状態を作り、先生1人に生徒数人という単位で、生徒がそれぞれの家庭でそれぞれの自習に取り組むという形です。
●現代に復活させる寺子屋教育の方法(3)自習検定試験
第三は、自習検定試験です。
家庭での自習にも、評価という目標は必要です。それが毎月の勉強の範囲を決めた自習検定試験です。
自習検定試験は、ウェブで問題表示、解答、採点ができるようにしています。
検定試験の問題は、自習を普通にやっていればできるような基本的なものを中心にします。また、できなかったときは同じ範囲をもう一度取り組みます。できる子は学年を超えて先に進むことができます。
この自習検定試験も、オープン教育で作成していきます。
●ネットを利用した教育と教育の個性化が創造文化の裾野に
効率教育によって子供たちの学力を確実につけるとともに、余裕のある子どもらしい生活を送れるようにすれば、それが、作文を中心とした創造教育を広げる前提になります。
しかも、ウェブを利用した効率教育には、教育の内容も個性化できるという利点があります。例えば、ウェブの講座として、ロボットプログラミングなどもこれから普及するでしょう。
既に、アメリカでは、教育にインターネットを利用するさまざまな新しい試みが行われています。この点で、日本のネット利用教育はまだ立ち遅れています。しかし、教育の正否を決めるものは、教育の方法ではなく内容です。
ネット教育というインフラが普及したあとに重要になるのは、教育の中身です。その中身は、効率教育を更に効率化することではなく、教育の個性化を進めていくことです。この個性化した教育が、将来の創造文化の裾野を形成します。
人間の創造性を価値の源泉とする社会は、一方で創造教育によって、もう一方で創造文化によって、人間の生活の中に根をおろしていくのです。
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●現代に復活させる寺子屋教育の方法(1)家庭での自習
では、現代に復活させる寺子屋教育とは、どのようなものになるのでしょうか。
言葉の森では、寺子屋式の効率教育を進めるために、次のような計画を立てています。
第一は、家庭における自習です。
1番めの自習は、漢字の読みの先取りです。
現在の国語教育のように、学年別に配当された漢字の読みだけを学習していては、子供たちは学年別の本までしか読めません。現代の国語教育は、子供たちの読書の世界を児童図書に限定させています。
言葉の森は、新しい漢字学習のために、教育漢字約1000字と常用漢字約1000字の暗唱用の漢字集を作成しています。この漢字集で漢字の読みだけを先取りしたあとに、漢字の書き取りについては学年相当のものに取り組んでいきます。
2番めの自習は、英語の長文暗唱です。
語学は、小学校4年生から6年生の時期に、その言語で書かれた文章を丸ごと暗唱することによって土台が形成されます。
小学校3年生以下の外国語教育は、子供の母語である日本語能力の形成を阻害するおそれがあります。
中学生以降の教科書的な外国語教育は、知識を先行させる点で、その外国語の感覚を作る面での弱点があります。
小学校4年生から6年生は、外国語学習の最適期ですが、その学習法は、この時期に中学生以降の知識的英語を先取りすることではありません。英語を丸ごと聴き、読み、暗唱することによって、英語の感覚を作っていくことが大事です。
3番めの自習は、算数数学の問題演習です。
算数数学の勉強で重要なことのひとつは、計算の正確さと速さです。もうひとつは、問題の解法の理解です。
算数数学の勉強は、基本的な学力をつけることを目的にし、その学力をある程度まで先取りしていくという方法で取り組みます。
受験勉強的な意味で差のつく、間違えやすい、読み取りにくい文章題などの問題を、学年の早い時期から解く必要はありません。そういう難問は、基礎学力さえついていれば、受験の前の1年間の取り組みで十分に間に合うからです。
また、律儀に学年で定められた範囲までの勉強にとどめておく必要もありません。基本的な学力をつけるだけであれば、学年を超えた先取りは自然に行えます。しかし、それは先取り学習を目的としたものではなく、算数数学の世界を楽しむために自然に先まで進みたくなるという勉強にしていく必要があります。
この算数数学の勉強の教材は、市販の手に入りやすい問題集や参考書です。教科書は、教える先生の解説がないと使えない仕組みになっているので、教科書ではなく教科書レベルの詳しい問題集や参考書が必要になるのです。
4番めの自習は、日本語の長文の音読と暗唱です。
音読する長文の基準は、現代の日本語で書かれた美しくわかりやすい説明文です。
科学や社会や人生について考えを深められるような構造的な内容を持ち、リズミカルな文体で、時に明るい笑いがあり、勇気と知性と愛と日本文化を感じさせる文章の長文を教材にしていく必要があります。
こういう長文を、オープン教育でオリジナルに作成し、子供たちの理解力、思考力、表現力の基礎を作ります。
そのほかの自習には、読書、問題集読書などもあります。
また、将来は、理科、社会、音楽、体育、ロボットプログラミングなどの多様な文化的自習も行えるようになるでしょう。
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●創造教育を支えるための効率教育
作文を中心とした創造教育を進めるためには、子供にも大人にも余裕がなければなりません。今の教育で子供たちの時間的余裕を奪っているものは、低学年からの受験的な勉強です。
受験勉強の本質は、他人と点数の差をつけるための勉強です。だから、勉強が過熱するにつれて、受験勉強は、理解を深めるための勉強から次第に変質していきます。
今の受験勉強のかなりの部分は、社会に出てからは役に立たない、重箱の隅をつつくような知識のパズルになっています。しかも、それが受験のための最後の1年間だけでなく、低学年から受験勉強の先取りとして取り組まれているところに問題があります。
小学校の低中学年は、勉強という狭い目的に限定されない自由な時間によって好奇心を伸ばし、学力の厚みをつける時期です。それが、将来の創造性や意欲の土台になります。
ところが、現代では、よくできるような子ほど、早期の受験勉強的な教育によって薄い表面的な学力をつけることになっています。
そこで、言葉の森が考えているのが効率教育です。
創造教育にかける時間の余裕を確保するために、教科の勉強はもっと効率的に行っていく必要があるのです。
●効率教育の見本としての江戸時代の寺子屋
効率教育の最も優れた見本は、江戸時代の寺子屋教育です。
寺子屋は、子供たちの自学自習を基本としていたので、教材も指導法も高度に単純化されており、教えるための大人の負担も現在よりもかなり軽減されていました。ほとんどの子が一定の水準までの学力をつけることができ、勉強の好きな子は更に深く学ぶことができました。
この寺子屋式の教育を現代に生かすことは、日本の教育の改革にとどまらず、世界の教育の改革につながります。
現在、世界には、学校も教科書も先生もない地域で暮らす子供たちが数多くいます。その子供たちに教育の機会を与えるために学校作りから始めていたのでは、教育の機会はなかなか広がりません。
そして、もしそういう学校が世界中にできたとしても、現代の学校教育は、既に先進国では行き詰まりを見せています。その証拠に、現代の学校教育は、子供たちの間にある格差に十分に対応できていません。学力の高い子を伸ばすことができないだけでなく、学力の低い子を引き上げることも十分にできていません。
そして、こういう学校業育を改善する方法として考えられているのは、少人数学級で先生の数を増やすという単なる量的な対策です。
現代の教育を真に改善するためには、量的な対策ではなく、質的な対策が必要です。その質的な対策をひとことで言えば、学校教育から寺子屋教育へという方向なのです。
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