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受験の直前は、これまでのやり方を変えないことです。
これまで自分がやってきたことが正しかったのだと確信を持ち、これまでのやり方を更に確実なものにしていくことです。
いちばん不安なのは、受験する生徒本人です。
そのときに頼りになるのは、不動のお父さんお母さんです。
また、新しい相談を受けた先生(のような立場の人)は、その生徒のこれまでのやり方を否定しないことです。
若い新米の先生ほど、欠点を指摘してそれを直そうとします。
そして、欠点の指摘というマイナスの想念は、すぐにお母さんにも生徒にも伝染します。
人間は、長所の指摘には何も感じませんが、欠点の指摘にはすぐに影響を受けます。
これまでのやり方を続け、よくできたところを褒めて、ベストを尽くすのが、今の勉強の仕方です。
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未来の社会は、創造性が大きな価値を持つ社会です。
これからの社会では、今よりももっと個性が重視されるようになります。しかし、その個性は、ただ人と変わっているというだけの個性ではなく、その個性によって世の中に何か新しいものを付け加えることができるという創造性のある個性です。
創造性のある個性の多くは、現代の科学技術や科学的知識によって支えられています。だから、子供たちの勉強には、一方で能率よくすべての教科を学び、もう一方で自分だけの豊かな創造的時間を過ごすことが必要になります。
そこで、言葉の森が考えている教育のひとつが、効率教育です。自宅での自習を基本に、毎月の自習検定で全教科を無駄なく身につけるという勉強です。
効率教育とは別に、言葉の森がこれまで行ってきたもうひとつの教育が創造性を育てる教育です。
作文を書くという勉強は、もともと創造的なものですが、これを作文だけの学習で終わらせずに、次のような学習と結びつけて行おうとしています。
第一は、毎日の長文音読と毎週の親子の対話です。長文の音読は、理解のための思考力語彙力を育て、親子の対話は表現のための思考力語彙力を育てます。
第二は、プレゼン作文です。作文をただ文章として書くだけでなく、画像や音声と組み合わせて、発表する作文として完成させていきます。
この発表が、子供たちの個性と創造性に更に磨きをかけます。
第三は、これから取り組む実行課題です。言葉の森では、小学3年生から題名課題や感想文課題で作文の練習をします。これまで、小学2年生までの低学年の生徒は、題名課題に取り組むのが難しいため自由な題名で作文を書いていました。これを、題名課題ではなく、実行課題として取り組むようにします。
実行課題とは、遊び、行事、お手伝い、行儀作法など、日常の家庭生活の中で取り組める課題です。その実行課題を、作文の題材として生かすことができるようにしたいと思っています。
以上の、効率教育と創造教育を担う主体は、当面は言葉の森ですが、未来の社会では、教育はもっと多くの人の手によって身近な生活の中で担われるものになってきます。子供に読ませたい文章、子供に身につけさせたい知識や技能に、親がもっと深く関われるようになってくるのです。
言葉の森では、そういう草の根の教育作りの土台として、今オープン教育のプロジェクトを行っています。ここで多くの人の手によって教材を改良するとともに、創造的な作文を発表する場を作りたいと思っています。
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「損得を先に考える者は腰抜けである」(葉隠)
聖徳太子がいた時代に、隋は世界でした。
フビライが日本に使者を送ったとき、モンゴルは世界でした。
ロシアが南下しようとしてきたとき、白人の国家が世界でした。
屈従していれば、そのままの世界が続いたのです。
世界が先にあって自分があるのではなく、自分が先にあって世界があります。
これは、単に大きな政治の世界の話なのではありません。
人間の基本的な生き方の話です。
他人にどう思われるかということよりも、自分がどのように生きたいかが先にあり、そのあと、他人と共存するための調整や工夫が生まれてきます。
子供の教育も同じです。
どういう子に育ってほしいかを考えるときに、今の世界でどの職業に人気があるのかを基準にするのではなく、その子にとって何を伸ばすことが将来の充実した人生につながるかを考えるのです。
世界や他人を基準にするのであれば、何も迷いはありません。
それは、ペットが主人を基準にして迷わずに暮らしているのと同じです。
迷う自由があるのが、自分の力で生きる野生の生物なのです。
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自習検定のページで、漢字読み、算数数学問題、英語暗唱、長文暗唱など自習検定の申込みを受け付けています。(いずれも無料)
https://www.mori7.net/jks/
1日から18日までの間に申しこめば、毎月その月の4週(22日~28日)にウェブで検定試験を受けられます。
しばらくは様子を見るために、選択できる出題の範囲を学年相当に絞っていますが、将来は学年を超えて複数の検定試験を自由に受けられるようにしていく予定です。
勉強の基本は家庭学習です。小中学生の勉強は、週に何回かどこかに通って勉強するよりも、家庭で毎日の自習としてやっていく方が能率よく進みます。
ただし、家庭では目標が見つけにくくなりがちなので、この自習検定のような企画を行うことにしました。
また、今後、家庭でお父さんやお母さんが子供の自習を見る時間がとれない場合でも、子供が自主的に自習に取り組めるようにオンエアの寺子屋教室も企画していきたいと思っています。
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受験直前になると、子供以上に親や先生が不安になります。
不安になると、欠点を直すことに目が向きます。しかし、これがいちばんよくないのです。
まず第一に、欠点はそんなに簡単に直せるものではありません。
第二に、欠点を直す勉強に力を入れると、どんどん自信をなくしていきます。
欠点は捨てておけばいいのです。
普段の心がけがよければ、苦手な分野は出てこないと思っていれば気が楽になります。
そんな感じでいいのです。
そのかわり、これまで自分が勉強してきたやり方に確信を持ち、参考書や問題集を見なおして更に確実に自分のものにしていくことです。
その際、過去問にもう一度目を通しておくといいでしょう。どういう分野が重点になっているかがわかると、これまでの勉強の見直しにも焦点が絞れます。
過去問に目を通す方法は、まず、まだやっていない過去問に、あらかじめ答えを全部書き込むことです。
過去問は、自力でやろうとすると気持ちの負担が大きくなり、後回しになることが多いからです。
答えを全部書き込んだあと、その過去問の問題と答えを読書のようなつもりで読むのです。
「なるほど。この問題で、こういう答えになるのか。ふむふむ」という感じです。
受験勉強という一大イベントに臨む姿勢は、その後のその子の人生の大きなイベントに臨む姿勢のモデルのようなものになります。
そういう大きい視野で勉強を見ておけば、受験勉強はその子にとって勉強以上の大きな収穫のあるものになっていきます。
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他の教科の勉強は、間違えたら正しい答えの出し方を理解すればいいのですが、国語はそこが少し違います。
正しい答えが、線としてつながっているのではなく、面としてつながっています。
A駅からB駅へ行くには、AからBの路線で行けますが、麓から山頂に行くには、麓を何度も蛇行しながら登るしかありません。
国語の勉強法の麓は読書です。
それも、親が見て、くだらないと思われるような本がいちばんの麓を形成しているのです。
【そのコメントの一部】
● 例えば?どんな本ですか?
● 漫画、はだめですよね?
● 小学生の子におすすめなのが、怪傑ゾロリです。
子供はああいう変なギャグが大好きです。
しかし、文章は結構しっかりしています。なぜかというと、説明的なことがよく書いてあるからです。
その反対に、低学年の子によく読まれているある本は、短い会話ばかりでストーリが―進むようになっています。
文章のレベルから言うと、説明がしっかり書かれているものの方がいいと思います。
漫画は、小学校低学年までの子には、それだけでもプラスになります。
しかし、それ以上の学年になると、漫画は楽しみのために読むもので、読書のかわりになるものではありません。
学習漫画も同じです。知識はつきますが、文章力はつきません。
しかし、漫画がよいか悪いかというのではなく、ちゃんとした文章の書かれている本を読んでいるかどうかが大事です。
読書が主食で、漫画や雑誌はお菓子のようなものです。
お菓子だけになってしまうことよくないのですから、主食のことをまず先に考えていくことです。
● 私は本が好きです。漫画も、文芸も、ドキュメントも見ます。漫画からもたくさんのことを学びました。高校時代、新学期、初対面の国語教諭が、「好きな教科とその理由」という課題を出し、私の答えは、「国語、国語がすべての教科の土台だと思うから」で、先生に強い共感を持ってもらえたのが、今、海外での自分の子育てにも大きな励ましになっています。マレーシアでも、日本語を習い始めるきっかけがアニメ・漫画という人が多いです。麓・きっかけに終わらず、それを広げたり、高めたりして行くことが大事なのではないかと思っています。
いいね!を取り消す ・ 返信 ・ 2 ・ 昨日 9:56 (携帯より」
● おっしゃるように、海外で暮らす子は、漫画やアニメのような遊び的な生活の中で日本語の機会を増やすようにしていくことが大事だと思います。
言葉の学習は、勉強ではなく生活の中で豊かになっていくのでしょうね。
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「天才とは1%のインスピレーションと、99%の汗(アスピレーション)である」という言葉を聞いたとき、日本人の多くは、99%の汗の方に共感するでしょう。
それが、日本の物づくりを支えてきました。
リーダーの1%のインスピレーションさえ優れていれば、あとの99%の汗は、労働者が給料に応じて働いてくれるというのではなかったのです。
日本では、労働者も1%のインスピレーションを生かし、経営者も99%の汗を流しました。
これから来る時代も、99%の汗の時代です。
しかし、それは、これまでよりも楽しい爽やかな汗の時代なのです。
IT技術が、生活のさまざまな分野に広がっています。
これからの大きなひとつの市場が、教育だと言われています。
グーグルも、アマゾンも、(もちろん日本の企業も)、教育を新たな市場の目標にしています。
しかし、これからの教育は、99%の汗を必要とする教育です。
その汗は、勉強で流す汗よりも、表で遊ぶときに流す汗なのです。
例えば、ロボットプログラミングを学ぶだけなら、教室の机の上でできます。
しかし、ロボットの本当の面白さは、近くの公園で動かしてみんなで遊ぶことです。
勉強で最も大事なのは意欲です。
その意欲は、遊びの中で生まれてきます。
その遊びで流す汗を工夫するのが、これからの教育の課題になると思います。
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日本文化は、理屈を言わない文化です。
しかし、世界に対してはそれでは通用しません。
なぜ理屈で言わないかを、理屈で説明しないといけないのです。
ある人が、日本の子供の書いた詩を外国で紹介したことがあったそうです。
(そのことをどこで読んだか忘れたので、細部は多少ちがうかもしれません。)
その虹をうたった詩の中に、「虹の上に腰かけて、お母さんとそっと呼んでみたい」というところがあったそうです。
すると、外国の人たちから一斉に質問がありました。
なぜ、ここで、「お母さんと呼ぶ」というのが出てくるかというのです。
日本人であれば、小さな女の子が(空想の世界で)虹の上に腰かけて、そっとお母さんと呼んでみたいという感覚はわかります。
しかし、これを外国人には理屈で説明しないといけないのです。
【説明】
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この女の子は、虹の上に乗るという初めての珍しい不思議な経験をしています。
その気持ちを、自分がいちばん身近に感じているお母さんと共有したいと思ったのです。
しかし、それは、お母さんにも教えてあげたいということではなく、自分の気持ちを身近なお母さんと共有すること自体が嬉しかったのです。
その共感を味わう動作が、お母さんと呼びかけることでした。
だから、お母さんはその声に気づいても気づかなくてもいいのです。
自分がそっと呼びかけたことで、その子の心は幸福で満たされていたのです。
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しかし、こういう説明は、日本人と同じ文化的背景を持たない外国の人たちに対して行うものです。
同じ日本人でも、まだ日本の文化的背景を十分に持たない子供たちに対しては違います。
日本の子供には、理屈で説明するのではなく、そういう文化を味わう機会を作ることが大事です。
母「けんちゃん」
子「なあに、よんだ」
母「ううん、ただ呼んでみただけ。うふふ」
子「……おかあさん」
母「なあに」
子「うふふ」
父「何やってんでい」
(お父さんは、同じ日本文化でも少し守備範囲が違うのです。)
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