小学生の勉強は、頭を育てるだけでなく心を育てることが大事
小学校低学年のうちは、同学年の生徒の勉強の様子が気になるものです。この時期は、勉強すれば誰でも成績が上がる時期なので、勉強時間によって大きな差がつくように思いがちです。
しかし、低学年のうちの勉強の成績が、高学年になってからの成績につながるわけではありません。高学年の成績は、高学年になってからの勉強によって決まるのです。
高学年になってからの勉強に最も関係の深いのが、勉強に対する肯定的な感情と、自分なりにものを考える姿勢です。
だから、低学年のうちは、読書や作文や対話によって頭と心を育てていくことが大事になるのです。
差のよく見える算数や英語よりも、差の見えない国語が最も大きな差になる
算数や英語や漢字の書き取りは、知識の差がそのまま成績の差になります。だから、低学年のうちでも差がすぐにわかります。しかし、この差は実はほとんど意味のない差です。
一方、日本語の文章を読む力は、日本に暮らしていれば誰でも自然に身についています。だから、低学年のうちは国語の読解力の差はほとんどないように見えます。しかし、この表面に出ない国語の読解力が、最も大きな学力の差になっています。
読解力の差が、国語の成績の差として表れるのは、学習塾の模擬試験などをやるようになってからです。しかし、この時期になると、国語が得意か苦手かはほぼ固定的なものになってしまいます。
学力の差のあまり感じられない低学年のうちに、読む力を十分に育てておくことが大事なのです。
小学生は知識の詰め込みの勉強ではなく、読み、書き、考える勉強を中心に
漢字の書き取りや理科や社会の知識の勉強は答えがはっきりしています。だから、楽しくできる教材が豊富で、勉強もさせやすく、勉強すれば点数が上がるので子供も熱心に取り組みます。
勉強の結果が点数という形で出るので、目標もつい高めに設定するようになり、先生も親も子もつい無理な勉強をしてしまいがちです。
しかし、低学年のうちに知識の勉強をしすぎると、考える力が低下します。問題を考えるよりも先に答えを探すという浅い勉強の姿勢が身についてしまうからです。
低学年の間は、知識の勉強はほどほどにとどめておき、その分、読み、書き、考える勉強に力を入れていく時期なのです。
低学年から親子の対話の習慣をつけ家庭の文化を作ることが一生の財産に
現在の受験勉強は、中学入試、高校入試、大学入試のいずれの試験でも、考える力や書く力を問う問題が出題されるようになってきています。
公立中高一貫校や国公立大の入試では、選択式の問題はほとんどなく、大部分が自分なりに考えて記述する形の問題になっています。
この思考力、表現力を育てるために最も役に立つのが、読書と作文と対話です。特に、親子の対話の習慣は子供の考える力を大きく伸ばし、その子の一生の財産となります。
家族の対話は、子供が小学1年生のころからそのときどきの作文のテーマに関連させて進めていくと、無理なく家庭の文化として定着していきます。
小1からの作文通信で学力と個性
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海外生活で子供の日本語力が不安なら、言葉の森の電話通信による作文を
日本語力は、日本語学校でつくのではありません。子供が日常的に友達や家族と交わす言葉の生活の中でついてきます。
海外で暮らす子供たちは、学校を含めた生活の多くが現地の言葉で行われるため、普通の状態では日本語力が著しく低下します。
日本語は、世界中の言語の中でも最も語彙数の多い、微妙なニュアンスを表すことのできる言語だと言われています。
この日本語力を育てるためには、家庭での音読と対話を予習の内容とする言葉の森の電話通信指導が最適です。
帰国子女枠で日本の学校を受験する際に、作文小論文の力が必要に
海外で暮らす子供たちも、進学を考えるときには、日本の学校を受験するという希望が増えてきます。
帰国子女枠で日本の学校を受験する場合、日本語能力を評価するために作文小論文試験が課されるのが普通です。
日本語で文章を書く力は、短期間で身につくものではなく、日本語による読書や作文の長い蓄積が必要です。
小学校低学年の時期から、日本語の作文を書く練習をすることで、自然に日本語の力をつけていくことが大事です。
週1回の作文をきっかけに、音読と家族の対話という日本語の生活が充実
海外生活をする子供たちの日本語の基盤は、家庭生活です。家庭の中で豊富な日本語が交わされることが子供の日本語力を育てます。
そのためには、日本語の漫画を読んだり、日本語の映画を見たり、日本語のゲームをしたりするような日本語による遊びが、日本語の勉強以上に大切です。
しかし、遊びの中で学ぶ日本語だけでは、高度な日本語の運用能力までは期待できません。そこで、日本語による勉強が必要になってきます。
言葉の森の作文通信は、家庭での長文音読と親子対話を予習の内容にしています。勉強と生活の中で楽しく日本語を学ぶことができるのです。
海外でも毎週の電話指導があり、作文の提出はデジカメなどでアップも
海外で言葉の森の作文通信を受講する場合でも、担当の先生から毎週の電話指導があります。電話の説明をきっかけにすれば、負担の大きい作文の勉強もすぐに始められます。
また、子供が書いた作文は、デジカメなどで撮影し言葉の森のホームページにアップロードすれば、すぐに担当の先生も見ることができ、翌週にはその作文の評価をもとに電話指導が行われます。
インターネットを利用した作文の電話通信指導で、触れ合いのある作文の学習を世界中どこでも行えるのが言葉の森の勉強の特徴です。
帰国子女の国語力は作文通信で
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書かせて添削するだけの指導ではなく、毎週の電話で事前指導をする作文通信
学校や塾や通信教育で行われている作文指導の多くは、原稿用紙の使い方などの簡単な説明以外は、ただ書かせて添削する形の指導が中心です。この事後添削が中心の作文指導では、実力はつきません。
事後添削で、書いたあとに、よかったところや悪かったところを指摘されても、次の作文に生かすことができません。作文指導は、事前指導中心に行っていく必要があります。
言葉の森の作文指導は、生徒が長文を読み似た例などを考えてきた上で、先生が書く項目を事前に指示する形で進めるところに特徴があります。
だから、作文の苦手な子でもすぐに書き出すことができ、得意な子は更に自分の実力を伸ばすことができ、更に作文力だけでなく読解力もつく勉強になっているのです。
顔の見えない赤ペン添削ではなく、毎週の電話で対話のできる担任制の指導
通信教育の作文講座では、赤ペン添削が指導と評価の中心になっています。しかし、先生と生徒のつながりがないので、生徒は教わっている実感がわきません。また、先生はその子の成長の様子がわかりません。
作文の勉強は、他の教科の勉強に比べると、子供にとっては負担の大きい勉強です。原稿用紙に、自分だけの力で1時間も向かうには、はっきりした動機付けが必要です。
通信教育の多くは、子供たちの勉強の動機付けに賞品を用意しています。しかし、物によって勉強する習慣がつくと、長い目で見て勉強に対する意欲が低下します。
言葉の森の作文の勉強は、担任の先生の毎週の電話で始まります。先生やお父さんお母さんの関心が、子供たちのいちばんの学習の動機になっているのです。
短期間の作文指導ではなく、小1から高3まで続けられる本格的な作文指導
小学生対象の作文講座は、小学生までしか教えません。高校生対象の小論文講座は、高校生からしか教えません。前後の勉強のつながりがないので、指導の厚みがありません。
小学生でもよくできる生徒は、受験作文を書く際には、中学生レベルの勉強が必要になります。高校生でも苦手な生徒は、小中学生のレベルで実力をつけることが必要になります。
ところが、作文教育の分野では、学校でも塾でも予備校でも通信教育でも、そのような長期的な指導を行っているところはまずありません。
言葉の森の作文通信は、小学1年生から高校3年生までの体系的なカリキュラムのもとで行われています。だから、得意な生徒も苦手な生徒もそれぞれの実力に応じて教えられるのです。
言葉の森の評判、受講料、講師
言葉の森の保護者からは、よく、作文が苦手だったり嫌いだったりした子が、先生の優しい電話指導ですぐに作文が好きになったという声が寄せられます。また、勉強を始めたら、すぐに国語の成績が上がったという声も寄せられます。
しかし、勉強はいつも順調に進むわけではありません。誰でもスランプの時期ややる気のなくなる時期があります。そのときでも、すぐに電話で相談できるのが言葉の森のよいところです。アドバイスは、いつも具体的なので、誰でも明るい展望を持つことができます。
言葉の森の料金体系は次のとおりです。入会金家族単位で10,500円、小学生の受講料月額8,200円、中学生高校生の受講料月額8,700円、受験直前の短期間の受検コースオプション加算3,150円。
言葉の森以外の他の作文講座は、作文を書くのが月1回や2回であることも多く、回数の点からも勉強の中身の点からも言葉の森の方がお得です。
言葉の森の講師は、規定の作文試験と面接を受けて採用され、所定の研修を受けている責任ある指導者ばかりです。講師のプロフィールは、ホームページでも公開されています。
言葉の森の作文通信がなぜよいか
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家庭で教える作文のコツを、講師資格の通信講座で
作文の指導は、家庭ではなかなかできません。答えのない勉強なので、感覚的に指導してしまうことが多く、評価も主観的になることが多いからです。
子供が低学年のうちは、感覚的な指導や評価でも子供はついてきますが、学年が上がるにつれて、理屈で明確に説明できないものは子供が勉強を嫌がるようになります。
また、小学校低学年までは作文の内容も身近なものなので比較的容易に教えられますが、受験に必要な作文や小論文のレベルになると、対応したカリキュラムなしではなかなか教えられません。
言葉の森の講師資格通信講座は、小学1年生から高校3年生までの作文小論文指導を実践的に解説する講座です。
自分の子供を上手に教えることができれば、近所の子供にも作文指導ができる
作文の勉強の中心は、作文を教えたり評価したりすることではなく、作文の準備としての家庭での読書、音読、対話を充実させ、実際に書く練習に力を入れることです。
自分の子供の家庭での読書、音読、対話が軌道に乗れば、同じ要領でほかの生徒にも楽に作文の勉強を教えられるようになります。
小中学生の子供は、ひとりで勉強するよりも友達と一緒に勉強する方が意欲的になることが多いので、複数の生徒をグループ単位で教えた方が作文の勉強は進めやすくなります。
また、授業の中身は、個別指導をもとに作文を書くことですから、小1から高3までの複数の学年の生徒も同時に教えることができます。
作文講師資格を取れば、お母さんやお父さん自身の勉強にもなる
作文の指導をするためには、その作文の準備となる親子の対話の仕方なども身につける必要があります。作文を中心に幅広い家庭学習のコツを学べるのが作文資格講座の特徴です。
小学校高学年から中高生に書けての作文指導は、長文を読んでの感想文指導が中心になります。中学・高校・大学入試にも対応できる長文を読んでいると、指導者の読む力も伸びてきます。
これからの時代は、一生勉強を続けて成長することが必要な時代です。作文を教えていると、作文指導を通して、現代の時事問題にも深く精通するようになります。
将来の人生設計は、自分の力ででき技術の蓄積のできる仕事に携わること
これからは定年後の人生設計が重要になります。その中心は、自分の好きな分野を生かし、社会貢献のできる仕事を続けることです。
現代の社会では、企業生活の中で身につけた知識や技術をそのまま社会に生かすことはできません。企業活動は、組織を全体としているので個人でできることには限界があるからです。
自分の個性を仕事に生かすには、その個性に時間をかけることが必要です。
だから、まだ定年までに時間のある時期から、自分だけの力ででき、技術の蓄積のできる仕事に少しずつ携わっておく必要があるのです。
作文講師資格の通信講座言葉の森
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これからの子供たちは、平和で愛に満ちた地球で、勇気を持って美しい創造的な人生を歩んでいってほしいと思っています。
太地町のイルカ漁が話題になり、イルカ漁、クジラ漁が、日本の伝統であるかのように言われています。
しかし、それは日本の伝統でも何でもありません。
日本の伝統は、生き物をかわいがることで、どうしても人間の生活に必要なこと以外はできるだけ殺生を避けるということです。
イルカ漁、クジラ漁は、日本の伝統ではなく、その漁をしている漁民たちの伝統です。
生き物に対して優しい気持ちを持てる人間であれば、人間に対しても優しい気持ちを持てます。
人間の知恵は、イルカ漁やクジラ漁を続けるためのあれこれの理屈付けに使うのではなく、そのようなことをしなくてもよい社会作りに向けて使うべきです。
学校の先生方は、弱い者がいじめられているのを見たら黙っているなと教えていると思います。
人間も、イルカも、同じです。
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ある教育サイトで、「要約がうまくできない」という小学5年生の保護者からの相談がありました。
要約の練習をなぜするのかというと、うまく要約していい点数を取るためではありません。要約しようとすることによって、文章を理解し、それをまとめて表現する力をつけるためです。
だから、形だけの要約ができることにはあまり意味がありません。
文章の終わりには結論のようなものがあることが普通ですから、終わりの方を中心に書けば、形の上で要約(要点)らしいものが書けます。しかし、それでは何の力もつきません。
要約力をつけるには、まず読み取る力をつけることです。そのためには、ある程度の難しさを持つ文章を何度も音読する必要があります。
なぜ黙読ではなく音読なのかというと、何度も読むという繰り返しの勉強は、声に出すという形のあるものにしないと、実行できないことが多いからです。
何度も音読していると、難しい文章であっても、その文章の全体像が大体わかってきます。
次に、その読み取った内容をまとめて表現する練習です。
そのための手軽で効果のある方法が、読み取った文章の内容を身近な人(親や先生)に説明することです。
その際に大事なことは、上手に説明できたかどうかという結果ではありません。説明しようとして言葉を探すという過程が大事なのです。
ここを多くの人は勘違いして、上手に言えればよくできたと思い、上手に説明できなければ駄目だと思ってしまいます。そうではなく、上手に説明できないという過程が勉強の中身です。
だから、読み取った内容の口頭による説明は、上手にできないからこそ、気長に励まして聞いてあげることが大事なのです。
難しい文章であれば、その子が日常生活で決して使わないような言葉を使って説明しなければなりません。
例えば、「日本と欧米の文化の比較」などという言葉は、小学生が日常生活で普通に話題にする言葉ではありません。しかし、国語の長文には、そういう言葉や考え方が頻繁に出てきます。そのような普段使わない言葉を使って説明することによって表現力がついてきます。
だから、聞き手として大事な姿勢は、子供の説明が下手でも、「もっとわかるように話しなさい」などとは決して言わず、「うんうん」と優しくうなずいて聞いてあげることなのです。
この音読と説明、そしてその説明をもとにした対話が、要約の前提となる勉強です。
そして、実際の要約はどうするかというと、要約を要求される字数に応じて、選ぶ文の数を決め、その選んだ文をつなげて書くことです。
要約や記述の練習の中心は、すばやくまとめる力をつけることです。そのために大切なのは練習回数です。
練習回数を増やすためには、評価を簡単にすることです。子供が要約した文章を、親が元の文章と照らしあわせてじっくり添削しようとすると、練習回数が増やせません。親は、その要約文の全体の意味が通じるかどうかだけを見ておけばいいと割りきって、子供の要約練習の回数を増やした方が要約の力はつきます。
親がじっくり見てあげる余裕があれば、先に元の文章を読んで大事なといころをあらかじめいくつか選んでおき、それを子供の書いた要約と照らし合わせるようにするといいでしょう。
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歴史の流れは混沌としているように見えますが、大きく見ると、綱引きの中心が時とともに移っていきます。(この発想は、副島隆彦さんの文章から学びましたが、内容は文化の話です。)
明治維新が、尊皇攘夷から尊王討幕に中心点を移したあと展開を速めたように、中心が移動することによってその後の歴史の方向が大きく変わります、。
今、日本と世界を取りまく情勢には、さまざまな綱の引っ張り合いがあり、それらに応じてさまざまな小さな中心が生まれています。どれが主要な中心点になるかによって、私たちの今後の生活も大きく変わってきます。
その中心点は、客観的な情勢である以上に、主体的な歴史観によって決められていきます。
そこで、私(森川林)は、言葉の森の教育との関連において、今後の綱引きの中心点を、「分離と競争」対「共生と創造」として見ていこうと考えています。
まず、経済の話です。
グローバリズムは、その名称とは裏腹に、分離と競争の世界に属しています。それは、個人、個々の企業、個々の国家をばらばらに分離し、それらが自由な競争の中でひとつの勝者によって統合されるという世界像を持っています。
では、その対極にある世界像は何かと言うと、それは単に言葉の上での対極にあるローカリズムなのではありません。世界の国々がそれぞれの国境で守られていても、その国内で分離と競争があるならば、それは小さなグローバリズムにすぎません。
分離と競争の対極は、共生と創造です。個人、個々の企業、個々の国家が手を取り合って、それぞれが創造したものを分かち合うのが今日のグローバリズムの対極にある世界です。それは、見方によっては、今のグローバリズムよりも更にグローバルな世界に見えるでしょう。
次に、政治の話です。
今、世界の覇権を、米国が維持し続けるか、中国が台頭するか、あるいはEUやロシアを含めた多極世界が分担するのかということが、綱引きの中心であるかのように言われています。
しかし、それらの国々が目指している覇権は、ばらばらに分離された国家が、軍事力や経済力の競争によって序列化され、強い国が弱い国を支配するという世界像に根ざしています。
覇権の世界は、分離と競争の世界です。その対極にあるものは、多様な国々が互いに共生し、それぞれの国が自国の得意なものを創造し他国と分かち合う世界です。
その世界が、夢物語のように思うのは、そういう世界を提唱する国がまだ存在しないからです。そして、その共生と創造の世界を提唱する最も可能性の高い国が日本だと思います。
最後は、教育の話です。
「分離と競争」から「共生と創造」へという綱引きは、経済や政治のような大きな世界だけでなく、身近な世界にもあてはまります。そのひとつが教育の世界です。
これまでの教育は、受験に収斂された目的のもとで、子供を、家庭や地域という共同体から引き離し、学校や塾という機能社会の中で個々人の生徒として分離してきました。そして、点数化される知識や技能を優先することによって点数化されない文化を軽視し、社会貢献する独立した個人ではなく、社会の階層を上昇するために競争する個人を育ててきました。
この対極にある教育が、共生と創造の教育です。共生と創造の教育とは、具体的には、(1)受験から実力へ(2)学校から家庭へ(3)点数から文化へ(4)競争から独立へ、という方向の教育を目指すことです。
その教育の中心になるものとして、創造性を育てる作文の教育を行い、その作文の教育をきっかけとして家庭での対話や地域での交流を生かし、余裕のある創造的な作文教育の土台として効率のよい教科の学習を進めるという教育を行っていきたいと思っています。
理想は高く、現実は低く。
作文教育の現場は実際には、もっとレベルの低いものです。
中には、書くことをお父さんやお母さんに取材して、親子の対話をもとに優れた作文を毎週書く子もいます。しかし、中には、書くことを決めてこずに、予習もせずにただ先生の説明だけを聞いて、解説を写すような形で書く子もいます。
それでも、だんだん多くの生徒が、自分なりに考えてその子らしい文章を書くようになっています。
日本中の子供が、毎週そういう作文を生き生きと書けるような社会を目指していきたいと思います。
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センター試験の問題は、どの選択肢が合っているかという根拠を探すと能率が悪くなります。
どの選択肢が間違っているかという根拠を探し、その結果間違っていないものが合っているとと考えれば短時間で正解率が上がります。
言葉の森のセンター試験国語の解説のページに、微妙な質問がありました。
https://www.mori7.com/index.php?e=365
====引用はじめ
質問:
小説の5問目で、(4)「ひたすら家財の焼却を続けた父」という記述が本文のどこにあるのか教えてもらえませんか。本文中の「最後の焚火を燃やすことに父は夢中になり」には具体的に何を燃やしているのか書かれていませんし、「ガラクタ」は「家財」ではないと思うのですが。
私の回答:
確かに、燃やしたのは、「家財」ではなく「庭に集めた塵芥」です。だから、この選択肢は、◎というよりも?です。
しかし、その塵芥には、前の文にあるように、「(両腕にかかえてきた)電球」も含まれているようですし、その後の文にあるように「物凄い黒煙」を出すものなので、これを「(塵芥となった、かつての)家財」と考えてもいいのではないかということです。
====引用おわり
ここまで厳密に読んでいるこの質問者は、センター試験国語の現代文は満点に近いと思います。
そして、国語でこのコツがわかれば、これは英語の選択問題にも当然あてはまります。
逆に言えば、この読解の仕方がわからなければ、英語がいくら得意でも高得点にはなりません。
だから、高校3年生では、国語力が英語力を支えているのです。
しかし、ここで私は思うのです。
こういう問題を作る人の苦労を思いつつ、もうこのような試験問題はやめたらいいのではないかと。
インターネットを利用すれば、定員の制限なく、誰でも自由に自分の好きな学問ができるはずです。
選択肢のアラを探すような不毛な勉強を高校生にさせるのではなく、もっと思考力と創造性を伸ばすような教育をする時期に来ています。
その教育の中心になるものは、読書と作文(小論文)とディスカッションです。
ディスカッションと言っても、他人を論破することを目的としたディベートではなく、互いの考えを認め合う対話です。
(作文と小論文は違うと言う人がときどきいますが、どちらも同じです。事実にウェイトが置かれているものが作文で、意見にウェイトが置かれているものが小論文です。エッセイなど、その境界が曖昧なものもあるので、全部まとめて作文という言葉でいいと考えています。)
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