入試で作文試験が行われる場合、最初の年は、課題も比較的易しいのが普通です。それは、どういう課題を出したらいいのか、試験を出す側も見当がつかないからです。
実際に試験を行ってみると、1年めは点数にある程度のばらつきがありますが、2年めからは、どの生徒も差がつけにくいぐらい上手に書いてくるようになります。
そこで、作文試験の課題は、年々難化していきます。
現在、中・高・大の入試で行われる作文試験の課題の多くは、試験を出した先生でもまともに書けないだろうと思うものがかなりあります。
それを短時間の制限の中で書かせるのは、そういった試験にしないと、点数の差がつかないからです。
だから、試験対策は、第一に、まず時間内に字数を全部埋めるということになります。
そのためには、課題の長文をかなりのスピードで読み、細かい設問をかなりのスピードで解くことが要求されます。
国語の試験が情報処理の試験になっているというのは、こういう事情からです。
したがって、いちばんいい勉強法は、試験問題に出るような文章を読み慣れておき、試験問題に出るような文章を書き慣れておくことです。
試験問題に出る文章に慣れておくという点では、過去問が最も役に立ちます。
ところが、中学入試の課題は、小6の生徒対象に作られているので、小5までの生徒には、ふりがながないと読めない漢字も使われています。
そこで、漢字の読みを先取りする勉強をしていく必要が出てくるのです。
また、文章が読めるということは、すらすら読めるということです。すらすら読めるようになるためには、繰り返し読むことが必要になります。
その繰り返しの読みを行うために、音読という勉強法が役に立ちます。
長文がなめらかに読めるようになると、どこがよく理解でき、どこがあまり理解できていないかがわかってきます。
そこで、家族との対話が必要になります。難しい長文を、お父さんやお母さんの身近な体験談と結びつけることでより深く理解していくのです。
だから、国語の勉強法は、まず、読書、次に漢字の読み、そして音読、対話、作文となるのです。
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子供は、みんなと一緒にいるのが好きです。
その点では、子犬にちょっと寝ています。(うちの犬は寝るときにも、人の腕を枕にして寝ます。)
遊びでも、勉強でも、友達がいるから楽しいのです。
居間で勉強した方がはかどるというのは、雑音に強くなるからではありません(笑)。
日本人の日本語脳は、雑音、特に人の話し声がない状態でフルに能力を発揮します。
居間で勉強が進むのは、近くに誰かがいるという感覚があるからなのです。(実際にはいない場合であっても)
高校生で、自分の家でひとりで勉強するより、図書館や自習室に行った方が勉強する気になるのは、やはり同じ事情からです。
だから、勉強は、そういう環境をうまく作ることが大事になるのです。
今日は、久しぶりの曇り空。
ときどき、細い雨がパラパラと降ってきます。
でも、暦は立春。寒いとはいっても、もうあたりは春の気配です。
近所の庭に、白い梅が咲いていました。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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ネットを使った教育には、大きな可能性があります。
それは、まずネットが持つ利便性、「いつでも、どこでも、誰でも、限りなく無料に近く」というものがあるからです。
更にそこに、「双方向性、リアルタイム性、リッチコンテンツ性」などが加われば、ネットは子供たちの教育に大きな力を発揮します。
そして既に、その実践は、さまざまなところで行われています。
ところが、ここにいくつかの問題もまたあるのです。
それは、魅力的な教育コンテンツを作るために、教材が果てしなくリッチになっていくことです。
そういったネット教育は、勉強がゲームをやるよりも面白いものになることを目指しています。ところが、このゲーミフィケーション的な面白さの追求に問題があるのです。
その問題点は、大きく四つあります。
第一は、従来から指摘されていることですが、ゲーム化できるような教材は、低学年の初歩的なものに限られるということです。
小学校の低中学年で学ぶ簡単なものが、いくらゲーム的に面白いものになっても、それで子供たちの学力がこれまでよりも意味があるほど早くつくわけではありません。
第二は、これもしばしば指摘されていることですが、勉強の内容が身につくのは、先生に教えてもらったり、画面に見入ったりしているときではなく、ひとりで静かに内容を反芻しているときだからです。
ネットの勉強の面白さが、かえってその本当の勉強を定着させる時間を減らしてしまう可能性があるのです。
第三は、これはまだ多くの人が気づいていないと思いますが、面白い教育というものが、人間の動物性を助長するような面白さになりがちだということです。それが、特に低学年のころに集中して行われることに、大きな問題があります。
幼児や低学年のときに、刺激と感覚で面白い勉強の仕方を味わうと、確かに知識は多少は早くつくかもしれません。しかし、それによって、衝動的、感覚的、物質的、自己中心的な感性が身についてしまうのではないかと思うのです。
数学者の岡潔(おかきよし)氏は、「情緒と想像」という著書の中で、幼児期に衝動的な判断や物質主義的な考えを持たせてしまうことの危険性を繰り返し述べています。
ゲーム的な面白い勉強を低学年のうちにさせることによって、かえって人間らしい成長を阻害してしまう可能性があるのです。
そして、学年が上がり勉強が高度になるにつれて、ゲーム的な面白い勉強というものは次第に作れなくなります。本当は、高校生ぐらいになれば、勉強そのものの持つ面白さに目覚めていくものなのです。
第四は、教材や授業がリッチコンテンツになり、ゲーム的な面白いものになるにつれて、その教材作りを担うのが、資本のある大企業に限られてくるということです。
教育は、社会全体の関心事です。子供にどういう勉強をしてほしいかを決定するのは、本当は親を中心とした社会全体でなければなりません。だから、教材や授業は、手作りが可能な範囲で、いつでも誰でも作成や編集に関与できるものであるのが理想なのです。
ところが、ネットで提供されるゲーム的な面白い勉強というものは、その理想と逆行する旧時代的な教育になる可能性が大きいのです。
以上、ネット教育について、四つの問題点を挙げました。
教育に生かすネットの可能性はまだ未知の部分が広範囲に残っています。
だから、ネットを使った教育を考えるときに大事なのは、ITテクノロジーではなく、教育についての哲学なのです。
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教育のネット化が進んでいます。
しかし、面白い授業を配信するというのは、テレビ番組に似てくるようです。
カラフルな教材というのは、中身よりも余計なところに飾りがついている感じです。
ゲームで興味を引きつけるというのは、競争心を育てるだけのような気がします。
いろいろな賞品がおまけにつくというのは、かえって射幸心を煽る結果になりそうです。
と考えると、人間の動物性を助長するような形で、教育にネットが利用されていくような感じがするのです。
能率よく知識をつけるというのはいいのです。
しかし、それよりももっと大事なのは、人間性を育てていくことです。
いちばんいいのは、知力も育て、人間性も育てることです。
そこで今考えているのは、江戸時代の寺子屋をネット化するという方向です。
新しいネット教育は、これからいろいろな試行錯誤の中で進んでいくと思います。
近所の庭に、もう梅の花が咲いていました。
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よく、「○日間で偏差値が○上がった」などと言いますが、それはもともと偏差値で測るようなものではないのです。
すぐ変わるようなものは、表面的なものです。
本当に大事なものは、少しずつ時間をかけて変わっていきます。
子供の作文を見ていると、なかなか上達しないと思うことがあります。
しかし、それでもいつも褒め続けて、毎日音読を続けていると、ある日、「いつの間にか上手になっていた」と思うときが来ます。
本質的な変化は、このように、「ある日気がついたら」という形でやってくるのです。
今日から2月。
もうすぐ立春です。
太陽の光も、心なしか暖かさを増したような気がします。
やがて、本当に暖かい春が来るでしょう。
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STAP細胞:外的刺激によって普通の細胞が万能細胞になる。
細胞レベルだけでなく、人間の個体レベルでもありそうな気がした。
その場合、重要なのは外的刺激で、何がその刺激になるかわからないのだから、とりあえずいろいろな刺激を与えてみることだ。
人間の個体の場合は、とりあえずいろいろ行動してみることだろう。
そして、何かの拍子に、普通の人間が万能人間に……。(なるかも(笑))
そこで思い出すのは、空海の虚空蔵求聞持法の真言百万回。
百万回よりも、もっと能率のいい方法がありそう。
と、いろいろ空想したところで、今日で1月も終わり。
明日から、また新しい月が始まります。
今日も、いい一日をお過ごしください。
▽関連記事「無の文化と教育4」
https://www.mori7.com/index.php?e=1344
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自分らしいことをするのが第一で、それが他人にどう評価されるかは二の次です。
しかし、それはもちろん二の次であって、他人の評価を無視していいというのではありません。
礼儀正しい人ほど、他人の評価を第一にしてしまいがちですが、地球はみんなもので、誰でも同じ権利と義務を持っています。
自分がいちばんいいと思ったやり方で、自分らしくやっていくのがいいのです。
勉強の仕方で、真面目な子ほど、勉強らしく勉強します。
勉強机に向かって、コリコリと鉛筆を動かし続けるのが勉強らしい勉強です。
しかし、そういう外見は気にせずに、自分のいちばんいいと思うやり方でやっていくのがいいのです。
例えば、音読や暗唱は、歩き回りながらやる方が本当はずっとよくできます。
外見よりも中身が大事なのです。
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今日は節分。
子供のころ、表に向かって大声で豆を投げたことが懐かしく思い出されます。
家の中でまいた豆が、あちこちに散らばって、年末の大掃除のときに見つかったということもありました。
そんな季節の行事を、親から子へと伝えていければと思います。
海外に住んでいる方は、あまり大声で豆まきをすると、通報されてしまうかもしれませんが(笑)、日本の国内であれば、多少の大声は大目に見てくれるでしょう。
季節の行事は、やがて家庭から地域へ広がって、いつか世界に輸出されるようになるかもしれません。(ジャパニーズマメマキとか何とかいって。)
そんな2月の行事と遊びを、低学年の作文課題として作成しています。
https://www.mori7.net/jk/
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