英語の早期教育の論議が起きています。
小4又は小5から英語教育をスタートするというのは、賛成です。
中1から知識的な英語を始めるよりも、小4から英語に慣れる練習をしていく方がよいからです。
しかし、それによって、小4以前に先取りの英語教育をする親や塾が出てくるところに問題があります。
それは、小1から小3というのは、日本語脳が形成される重要な時期だからです。
このころに英語を集中的に学習すれば、英語を母語のように使えるようになります。その結果、日本語脳が破壊されるのです。
英語を使える人というのは、世界で何億人もいます。得意になったからといってそれがアドバンテージになるわけではありません。
英語が得意になった代わりに、日本語が苦手かせいぜい普通でとどまっていては、仕事の役には立たないのです。
そのかわり、日本語が使える人というのは、世界でたった1億2千万にしかいません。
だから、日本語が得意だということは、きわめて優れたアドバンテージになります。
日本語が得意であれば、英語はあとからの勉強でいくらでも普通の水準まで学習できます。
それで全く問題ないのです。
楽天の三木谷さんのように、成人になってからの英語の必要性を感じた人が、成人の世界だけの視野で児童の教育を論じているところに大きな問題があります。
教育を論じる場合は、教育の世界のことを研究しておく必要があります。
そのための必読図書のひとつが、「日本人の脳」(角田忠信)です。
http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8RC2W
幼児や低学年から英語の勉強を子供にさせようとする親は、多かれ少なかれ英語で苦労をしています。
しかし、大人の視点で子供の教育を考えると、最も大事な子供の成長というものを見落とします。
子供は大人を小さくしたものではなく、子供でしかできない成長をしているのです。
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日本では、英語ができる、というのが少なからず重要なステータスになっていますね。カッコイイ、スゴイ、などなど。実に馬鹿らしいと思います。英語圏に赴任した人や赴任中の人が一変してやたら横文字使いたがるのに接するとその得意気さや下手くそさに嫌気がさします。英語ができることと人格とは全く無関係です。そこを多くの人が履き違えていることも、様々な局面で弊害が生じているのだと思います。
国際社会に対応して大人になる前から英語に接することは決して否定しません。しかし文科省が、小学校での英語教育の開始を高学年から引き下げ1年生から、しかも、英語塾に幼少から通っている児童らと英語力に差があるから、能力別?の教育も導入しようと考えています。学習経験がないだけで能力が低いと評価された児童の心痛如何ばかりか。
批判は切りがないのでこのくらいにして、質問です。
特にヨーロッパでは他国との国境近くの人は、幼少の頃から複数の言語に触れながらも、大人になってもしっかり使い分けができている例が多く見受けられます。
小学校低学年から英語教育をすると、日本語脳が破壊されるというのは、「日本人の脳」(読んでおらず恐縮ですが)特有のことなのでしょうか。
村本さん、ありがとうございます。
英語は、単にコミュニケーションのツールです。
それに対して、日本語は思考と感性のツールです。もともとの役割が違うのです。
それを同じコミュニケーションのツールのように考えるから、今の英語教育のようにやりすぎる方向に行くのだと思います。
という批判はさておき(笑)、ご質問に対して。
幼児期から複数の言語で生活しているという例は、世界に数多くあります。
しかし、日本語の場合は、それが難しいようです。
日本語(それからポリネシアの言語、そしてたぶんアメリカインディアンの言語もそうかもしれません)は、世界のほかのあらゆる言語と異なる脳の使い方をする言語だからです。
今の研究によると、小1から小3のときに育った場所が日本なら日本語脳になり、そうでなければ日本語脳にならないという調査結果が出ています。
しかし、こういう理系の研究を、文系の専門家は受け入れないので、この話が広まっていないのだと思います。
「日本人の脳」を是非読んでみたいと思います。他にもお勧めの本がありましたら教えて下さいませんか?
あるブログに量子物理学を研究するには、論理で考える英語よりも、情緒を語る日本語が有利、
量子物理学関連のノーベル賞分野では、湯川、朝永、江崎、小柴、小林、益川、南部氏などが受賞していることでも明らかと書かれていました。
未来を担う子供達に日本語をしっかり身につけてもらうことの重要性を考えさせられました。
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今日は、久しぶりに寒い朝でした。
しかし、この寒さがないと、芽を出さない植物もあります。
寒さがないと、羽化しない昆虫もいます。
新しいステージに上るときに、いったん凍るような寒さが必要なのです。
今日の寒さも、その新しいステージに上る一歩手前なのかもしれません。
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方程式の面白さは、編み物の面白さに似ています。(あるいは機織りか。)
手順どおりにやっていくと、……
「あら、いつの間にか、こんなにきれいにできちゃった」
図形の面白さは、自然界に生まれる結晶を発見する面白さに似ています。
「こっちから、見ると、こんなきれいに見えるんだ」
いずれも、面白さを感じるためには、嫌になるほどやりすぎないことです。
勉強の時間は、親から見てものたりないぐらいがちょうどいいのです。(特に低学年の場合)
犬とボール投げをして遊ぶときも、犬が嫌になるほどたっぷり遊んでやると、その遊びに興味を失います。
もう少し遊びたいなあと思うぐらいでやめておくのが長く楽しく遊ぶコツ。
昨日は、珍しく雪が降りましたが、特に積もることもなく、今日はもうすっかり晴れ。
これから、春も本番です。(まだ早いか。)
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
算数の通信教育で、ちょうどいいぐらいのペースで続けられるのが、「できた君の算数クラブ」です。
http://www.dekita.co.jp/
自学自習を基本理念としているので、勉強の習慣がつくところが優れていると思います。
近所の土手に、もうカラスノエンドウが咲いていました。
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入試で作文試験が行われる場合、最初の年は、課題も比較的易しいのが普通です。それは、どういう課題を出したらいいのか、試験を出す側も見当がつかないからです。
実際に試験を行ってみると、1年めは点数にある程度のばらつきがありますが、2年めからは、どの生徒も差がつけにくいぐらい上手に書いてくるようになります。
そこで、作文試験の課題は、年々難化していきます。
現在、中・高・大の入試で行われる作文試験の課題の多くは、試験を出した先生でもまともに書けないだろうと思うものがかなりあります。
それを短時間の制限の中で書かせるのは、そういった試験にしないと、点数の差がつかないからです。
だから、試験対策は、第一に、まず時間内に字数を全部埋めるということになります。
そのためには、課題の長文をかなりのスピードで読み、細かい設問をかなりのスピードで解くことが要求されます。
国語の試験が情報処理の試験になっているというのは、こういう事情からです。
したがって、いちばんいい勉強法は、試験問題に出るような文章を読み慣れておき、試験問題に出るような文章を書き慣れておくことです。
試験問題に出る文章に慣れておくという点では、過去問が最も役に立ちます。
ところが、中学入試の課題は、小6の生徒対象に作られているので、小5までの生徒には、ふりがながないと読めない漢字も使われています。
そこで、漢字の読みを先取りする勉強をしていく必要が出てくるのです。
また、文章が読めるということは、すらすら読めるということです。すらすら読めるようになるためには、繰り返し読むことが必要になります。
その繰り返しの読みを行うために、音読という勉強法が役に立ちます。
長文がなめらかに読めるようになると、どこがよく理解でき、どこがあまり理解できていないかがわかってきます。
そこで、家族との対話が必要になります。難しい長文を、お父さんやお母さんの身近な体験談と結びつけることでより深く理解していくのです。
だから、国語の勉強法は、まず、読書、次に漢字の読み、そして音読、対話、作文となるのです。
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子供は、みんなと一緒にいるのが好きです。
その点では、子犬にちょっと寝ています。(うちの犬は寝るときにも、人の腕を枕にして寝ます。)
遊びでも、勉強でも、友達がいるから楽しいのです。
居間で勉強した方がはかどるというのは、雑音に強くなるからではありません(笑)。
日本人の日本語脳は、雑音、特に人の話し声がない状態でフルに能力を発揮します。
居間で勉強が進むのは、近くに誰かがいるという感覚があるからなのです。(実際にはいない場合であっても)
高校生で、自分の家でひとりで勉強するより、図書館や自習室に行った方が勉強する気になるのは、やはり同じ事情からです。
だから、勉強は、そういう環境をうまく作ることが大事になるのです。
今日は、久しぶりの曇り空。
ときどき、細い雨がパラパラと降ってきます。
でも、暦は立春。寒いとはいっても、もうあたりは春の気配です。
近所の庭に、白い梅が咲いていました。
それでは、今日もいい一日をお過ごしください。
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ネットを使った教育には、大きな可能性があります。
それは、まずネットが持つ利便性、「いつでも、どこでも、誰でも、限りなく無料に近く」というものがあるからです。
更にそこに、「双方向性、リアルタイム性、リッチコンテンツ性」などが加われば、ネットは子供たちの教育に大きな力を発揮します。
そして既に、その実践は、さまざまなところで行われています。
ところが、ここにいくつかの問題もまたあるのです。
それは、魅力的な教育コンテンツを作るために、教材が果てしなくリッチになっていくことです。
そういったネット教育は、勉強がゲームをやるよりも面白いものになることを目指しています。ところが、このゲーミフィケーション的な面白さの追求に問題があるのです。
その問題点は、大きく四つあります。
第一は、従来から指摘されていることですが、ゲーム化できるような教材は、低学年の初歩的なものに限られるということです。
小学校の低中学年で学ぶ簡単なものが、いくらゲーム的に面白いものになっても、それで子供たちの学力がこれまでよりも意味があるほど早くつくわけではありません。
第二は、これもしばしば指摘されていることですが、勉強の内容が身につくのは、先生に教えてもらったり、画面に見入ったりしているときではなく、ひとりで静かに内容を反芻しているときだからです。
ネットの勉強の面白さが、かえってその本当の勉強を定着させる時間を減らしてしまう可能性があるのです。
第三は、これはまだ多くの人が気づいていないと思いますが、面白い教育というものが、人間の動物性を助長するような面白さになりがちだということです。それが、特に低学年のころに集中して行われることに、大きな問題があります。
幼児や低学年のときに、刺激と感覚で面白い勉強の仕方を味わうと、確かに知識は多少は早くつくかもしれません。しかし、それによって、衝動的、感覚的、物質的、自己中心的な感性が身についてしまうのではないかと思うのです。
数学者の岡潔(おかきよし)氏は、「情緒と想像」という著書の中で、幼児期に衝動的な判断や物質主義的な考えを持たせてしまうことの危険性を繰り返し述べています。
ゲーム的な面白い勉強を低学年のうちにさせることによって、かえって人間らしい成長を阻害してしまう可能性があるのです。
そして、学年が上がり勉強が高度になるにつれて、ゲーム的な面白い勉強というものは次第に作れなくなります。本当は、高校生ぐらいになれば、勉強そのものの持つ面白さに目覚めていくものなのです。
第四は、教材や授業がリッチコンテンツになり、ゲーム的な面白いものになるにつれて、その教材作りを担うのが、資本のある大企業に限られてくるということです。
教育は、社会全体の関心事です。子供にどういう勉強をしてほしいかを決定するのは、本当は親を中心とした社会全体でなければなりません。だから、教材や授業は、手作りが可能な範囲で、いつでも誰でも作成や編集に関与できるものであるのが理想なのです。
ところが、ネットで提供されるゲーム的な面白い勉強というものは、その理想と逆行する旧時代的な教育になる可能性が大きいのです。
以上、ネット教育について、四つの問題点を挙げました。
教育に生かすネットの可能性はまだ未知の部分が広範囲に残っています。
だから、ネットを使った教育を考えるときに大事なのは、ITテクノロジーではなく、教育についての哲学なのです。
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教育のネット化が進んでいます。
しかし、面白い授業を配信するというのは、テレビ番組に似てくるようです。
カラフルな教材というのは、中身よりも余計なところに飾りがついている感じです。
ゲームで興味を引きつけるというのは、競争心を育てるだけのような気がします。
いろいろな賞品がおまけにつくというのは、かえって射幸心を煽る結果になりそうです。
と考えると、人間の動物性を助長するような形で、教育にネットが利用されていくような感じがするのです。
能率よく知識をつけるというのはいいのです。
しかし、それよりももっと大事なのは、人間性を育てていくことです。
いちばんいいのは、知力も育て、人間性も育てることです。
そこで今考えているのは、江戸時代の寺子屋をネット化するという方向です。
新しいネット教育は、これからいろいろな試行錯誤の中で進んでいくと思います。
近所の庭に、もう梅の花が咲いていました。
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よく、「○日間で偏差値が○上がった」などと言いますが、それはもともと偏差値で測るようなものではないのです。
すぐ変わるようなものは、表面的なものです。
本当に大事なものは、少しずつ時間をかけて変わっていきます。
子供の作文を見ていると、なかなか上達しないと思うことがあります。
しかし、それでもいつも褒め続けて、毎日音読を続けていると、ある日、「いつの間にか上手になっていた」と思うときが来ます。
本質的な変化は、このように、「ある日気がついたら」という形でやってくるのです。
今日から2月。
もうすぐ立春です。
太陽の光も、心なしか暖かさを増したような気がします。
やがて、本当に暖かい春が来るでしょう。
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