今後、米国がデフォルトすれば、アメリカがこれまで担ってきた世界に対する購買力は大きく低下します。また、中国の民主化に向けての圧力が強まれば、中国のバブルはいったん崩壊し不良債権の山が経済を長期間停滞させるでしょう。
これらの影響は、当然日本にも及びます。その影響は、第一に物が売れなくなることです。そして第二に、財政再建のためにリストラが行われ、更に物が売れなくなっていくことです。
世界規模のデフォルトが相次ぐことで、結局返せない借金は、徳政令のような形で無理やり収束されることになるでしょう。(あるいは、人類はもっとよい方法を考えつくかもしれませんが。)
そして、皆の預金や現金が吹き飛んだあとに、それでも特に誰も餓死することもなく、貧しく不便ながらも世界は回っていることに多くの人が気づきます。
仕事をしている人がほとんどいないのに、最低限の生活に必要なものは、とりあえず供給されるほど、人類の生産力は豊かになっていたのだと多くの人が気づくのです。
物が売れなかったのは、お金がなかったからではなく、もう既に物があったからです。だから、これからは、互いにあり余ったものを売り合うよりも、真に価値あるものを作り出し、それを与え合うようにすればいいのだと、皆が自然に思うようになります。
真の価値は、人間の創造です。それは、最初は、子供の教育から始まります。子供たちに基礎学力をつけ、創造的学力を育て、文化の伝承をすることが、子供の教育を通した価値の創造です。
これからの社会では、受験勉強は不要になります。限られた定員の中で、そこに合格するために競争する勉強ではなく、誰でも希望すれば入れる無制限の枠の中で、新しいものを創造するための勉強が求められるようになります。そのために必要なものは、幅広い基礎学力と深い思考力です。
そして、やがて価値の創造の分野は、子供の教育から発展して、大人の学習に進んでいきます。その学習の目的は、個性的な人格の創造です。
これまでの社会における学習は、没個性的な利益の追求によって引き起こされる他者との競争に勝つための学習でした。しかし、これからの社会では、自分の個性的な人格を向上させ、新しい価値を創造し、それによって社会に貢献することが学習の目的になります。
そういう新しい社会に真っ先に移行するのが日本です。日本の文化には、もともと競争よりも共感を重視する面があるからです。
世界が、経済的な破綻の中で混乱しているときに、日本が最も早く安定した社会を回復します。その事実によって、日本が将来の世界のモデルを提供することになります。
だから、教育は、単に子供の教育にとどまらず、また単に自分の向上にとどまらず、世界をよりよく変革するための強力なツールにもなります。
日本では、これから英語教育に力を入れようとしていますが、それは、日本人が英語を使えるようになるためではなく、日本人が英語圏の人に日本文化を伝えるための英語教育になります。
ところで、そのような時代の勉強は、もはや机上の学問ではありません。受験のための学問ではない創造のための学問は、その成果を現実社会の中で実践するという面を持っています。そういう知恵が、これから求められる本当の知恵になります。
では、実践のための知恵とは何でしょうか。
これまでの没個性的なモノクロの利益追求型の社会では、知恵は、利益を生み出すための知恵でした。それは、コスト(インプット)よりも大きな利益(アウトプット)を作り出す知恵であり、その知恵が中心になって社会が動いていました。
初期の工業生産では、ベルトコンベア式の生産に見られるように、労働者をまるで機械の一部であるかのように使うことが利益を上げるための知恵でした。
しかし、今はもう、人間はそういうところでは動きません。
これからの社会では、給料を得ることは、仕事の必須条件ではありません。なぜなら、世の中は、お金では動かないようになってきているからです。どんなに高い給与を提示しても、皆がその仕事では働きたくないと思えば、その仕事はもう成り立ちません。
利益と給与で回っていたサイクルが、未来の社会では、別のサイクルになります。それは、個性的な人格の向上と創造と貢献という人間の新しい生き方と結びついたサイクルです。
未来の世の中は、モノクロの利益と給与で動くのではなく、カラフルな創造と貢献と、相手とのつながりの中で動くようになります。ちょうどフリーなオープンソースの産物であるLinuxやApacheやMySQLが、有料で豊富な資金力に裏付けされたソフトやシステムを超えてしまったのと同じことが、これからの社会のあらゆる分野で起こってきます。
一部の人だけが、独立してお金を稼げるプロで、大多数の人が単なる消費者となり、被雇用者として企業から与えられる給料でその消費生活を送るという時代は、もう過去の時代になります。
未来は、すべての人が、自分の個性的な人格において創造する独立したプロとなれる社会です。
もちろん、今の大人の大多数はまだ、そういう準備ができていません。しかし、人間は必要に迫られればすぐに変容できる力を持っています。そして、その出発点となる国が日本なのです。
モノクロ資本主義における需要の本質は、利便性の追求です。利便性というものは、人間に普遍的な需要なので、世界中に広がる力を持っています。だから、資本主義を担う企業は、大企業化を目指します。
企業の大きな目的の一つは、利益の追求で、それは本質的にクローズドな性格を持っています。しかし、企業は、利便性を求める需要に応えるために、他社との競合上、常にオープン化を志向しなければなりません。
この大企業化とオープン化の組み合わさったものが、インフラ化(生産基盤化)です。つまり、水道の水のように自然環境と同じぐらい身近になった商品が、その生産者やコストをほとんど意識せずに使えるようになるのです。
今、コストとなっているものは、つきつめれば人間の労働とエネルギーです。だから、エネルギーが低廉化し、人間の労働が機械やシステムに置き換えられるようになれば、インフラは限りなく自然の恩恵に近づいていきます。
すると、人間の需要は、誰にも普遍的でモノクロな利便性の追求から別のものへと移っていきます。それが新社会の特徴となるカラー化です。
これからの新社会の企業は、個々人のカラーのこだわりに対応して、自らもカラーのこだわりを持ち、巨大化やオープン化を志向せずに、クローズドなカラーと限られたニーズにこだわることがその生命となります。
そのような企業の広がる形態が、暖簾(のれん)分けです。
旧社会の大企業が、メタセコイアのような巨木を志向していたのに対し、新社会の企業は、タンポポの綿毛のように、種を飛ばすことによって広がっていきます。
これからの子供たちが暮らす未来の社会は、そういう社会です。したがって、子供たちの教育も、その新社会に対応したものを準備していく必要があるのです。
(つづく)
国語力の大もとは、幼児期に育ちます。
言葉の森では、生徒のご兄弟で、まだ字をあまり書けないお子様を対象に(3歳から6歳ぐらい)、幼児作文コースのモニターを募集しています。
期間は、1ヶ月程度。毎週の電話指導があります。保護者のご協力がある程度必要ですので、保護者のどなたかが電話に出られる時間帯での電話指導になります。
■幼児作文の説明
◆書く練習の土台になる、聞く・話す・読む練習
作文の勉強は、作文の勉強だけで成り立っているのではありません。作文は、いわば山の頂上にあたる部分で、その山頂を支える広い裾野が必要になります。その裾野が、聞く・話す・読む勉強です
◆書かせて直す勉強をすると、作文が嫌いになる
聞く・話す・読むという基礎がまだ十分でないうちに、書く勉強をさせると、書き間違いが必ず出てきます。その間違いを直していると、すぐに作文が嫌いになります。
今行われている作文指導のほとんどは、この書かせて直す指導です。
◆聞く・話す・読む練習は、直す必要がないので、楽しくできる
作文の勉強(書く勉強)は、直す必要のないところから始めるのが理想です。それが話す勉強です。また、読む勉強も、直す必要のないところから始めるのが理想です。それが聞く勉強です。話す勉強、聞く勉強は、直すことがないので、楽しくできます。作文の勉強は、この楽しくできるということが最も重要です。
◆子供は、お母さんやお父さんがしていることを真似したがる
小さい子供は、親のしていることを真似したがります。だから、親が本を読んでいる姿を見せていると、子供も本好きになります。親が文章を書く姿を見せていると、自然に文章を書くことが好きになります。
◆子供が絵をかき、親子で対話し、親が作文を書き、子供が読む
子供は、絵をかくのが好きです。その日にあったことを絵にかいてもらい、その絵をもとに親子で対話をします。対話をしながら親が作文を書いてあげます。これが親子の対話による作文です。
◆よい手本を何度も見ていれば、最初から直す必要のない作文が書ける
対話をしながら書く文章は、必ずしもきちんとしたものである必要はありません。短文をつなげているようなものでかまいません。また、字の上手下手も問いません。字の練習は、子供が自分で文章を書きたがったときに、文字の手本を見せて練習すればよいからです。大事なことは、気軽に楽しく書くということです。
ただし、対話をしながらその場で書くのが難しいという場合は、メモだけをして、あとで作文にする形でもかまいません。
◆漢字は自然に使い、ふりがなをふっておく
親が書く作文では、漢字は自然に使ってください。そして、その漢字にあとでふりがなをふっておきます。すると、日常生活で使う漢字の読みを自然に覚えます。漢字のドリルのようなもので練習するよりも、日常生活の中で必要に応じて使う漢字の方がずっとよく身につきます。
◆お母さんだけでなく、お父さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも
毎週の電話に出ていただくのは、子供本人と、その時間帯に家にいるお母様になることが多いと思います。しかし、作文を書くのは、別の人が、別の日や別の時間帯に書く形でもかまいません。家族の中のいろいろな人が関わることで、子供はバランスのとれた成長をしていきます。
■幼児作文の方法
方法は、簡単です。
1、まず、電話を受ける時間を決めてください。
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2、担当の先生が自宅に電話をします。
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3、先生がお子様と話をします。
そのあと、お母様に電話を代わってください。書き方を説明します。
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4、お子様が、今日書くことを鉛筆で絵にかきます。(この時点では色を塗らない方が早くかけていいと思います)
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5、絵をかき終えたら、お子様とお母様が話をします。
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6、話をしながら、お子様の言ったことを作文風に書いていきます。
====(作文例)
私は、昨日、友達と公園で遊びました。すると、そこにお兄ちゃんが来て、
「何してるの。」
と聞きました。私は、……
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漢字は自然に使い、あとでふりがなをつけておくとよいでしょう。
お子様の話したこと以外に、お母様などの似た体験を書いたり、たとえを使ったりと、表現を工夫しても結構です。ただし、あまり長時間にならないようにしてください。ものたりないぐらいの時間で打ち切るのが、長期間続けていくコツです。
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7、作文を書いたあと、お子様が絵に色を塗って完成です。
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8、その作文は、ご家族で回覧し、自由にコメントなどを入れておいてください。また、関連する写真などを貼り付けておいてもいいでしょう。
作文は、お母様が書くだけでなく、週によってお父様、おじい様、おばあ様が、持ち回りで書くようにするといいと思います。
■関連するアドバイス
1、お子様のかいた絵を批評したり、注意したり、笑ったり、からかったりせずに、ただ温かく見るようにしてください。
2、お子様の話し方についても同じです。どんなに拙い説明でも、優しく聞いてあげてください。
3、ご家族の持ち回りで作文を書く場合、他の家族が書いた作文を、批評したり、からかったりせずに、温かく見るようにしてください。
4、大人はつい長時間取り組みがちですが、子供が飽きるまでやると長続きしません。1回の作文は、ものたりないと思うぐらいで終わるようにしてください。
5、親の書いた作文は、子供に読ませてもいいですし、親が読んであげてもいいです。
子供が上手に読めるようになれば、週に1度ご家族の前で発表会をするといいでしょう。
6、子供が自分で書きたいと言い出したときは、すぐに書かせずに、まず文字の練習から始めましょう。
最初に文字の練習をすることによって、正しくていねいに書くことができるようになります。
▽参考図書
「幼児のきそがためドリル ひらがな入門」幼児教育研究会
「幼児のきそがためドリル カタカナ入門」幼児教育研究会
7、できる方は、お子様の作文発表の様子をyoutubeの限定ページでアップロードしてください。
アップロードされた方どうしは、互いのページを見られるようにしたいと思います。
アップロードされたあと、しばらくしたら、そのyoutube動画はそれぞれ削除してくださっても結構です。
8、モニターの皆様の声を参考に、4月から幼児作文コースを開始する予定です。