国語力は、国語の問題集をいくら解いても身につきません。問題を解いたあと、先生の説明を聞いても、その説明を理解する力は、本人のもともと持っている国語力までです。
では、国語力はどのようにしてつくかというと、それは塾や学校の国語の勉強の中ではなく、日本語の豊かな家庭生活の中でつくのです。これが、国語の勉強が他の勉強と違うところです。国語力は、いろいろな教科の学力の中のひとつの学力なのではなく、あらゆる勉強のもとになっている理解力、思考力のことなのです。
国語の得意な子は、国語の問題集をしっかりやってきた子ではありません。家庭生活の中で、読書と対話の時間を多く取ってきた子です。だから、国語の勉強は、毎日の家庭での自習としてやっていくという方法がいちばんよいのです。
そこで、言葉の森では、毎日の自習として、音読、読書、暗唱、問題集読書などをするようにすすめています。
しかし、この自習というのが子供にとっては飽きるものなのです。問題を解くような形の勉強であれば、新しいプリントをやって、それまでのプリントのやったあとが残りますから、一見やりがいがあるように見えます。しかし、国語はそのようなプリントを解くような形の勉強では身につきません。国語力は、特別の教材がなくても毎日同じようにやれる自習を続けることによってつきます。
まず、自習に対する発想を変えていく必要があります。問題のプリントをやるような自習であれば、ノルマを決めておけば子供はある程度自動的に勉強をするようになります。しかし、音読や読書はそうではありません。音読や読書は形に残らない勉強ですから、最初の時期は親がそのつど「やりなさい」と言わなければできません。また、形に残らない勉強なので、子供はすぐに飽きてきます。そのために、音読などわずか5分でできることを続けられなくなる子が多いのです。
しかし、小学校低中学年のうちに、この形に残らない勉強を続けるという習慣を育てていくと、それは、将来の勉強に最も必要な自立した持続力を育てることになります。
子供の本当の学力は、中学生後半から高校生になり自覚して勉強するようになってから急速に向上します。自覚して勉強を始めると、それまでの親から言われてしぶしぶやってきた勉強の数年間分を数ヶ月で取り戻すようになります。
しかし、この中学生後半からの自覚した勉強であっても、本人の意欲はあるのに勉強が空回りしてしまうということがよく出てきます。それは、決心を持続する習慣が育っていないからです。例えば、英語の教科書を音読するとよいらしいという勉強法を聞いて早速始めたとします。ところが、ほとんどの子は数日で飽きてしまうのです。これでは、意欲はあっても実力は伸びません。
そのときに、小学校低中学年のうちに毎日同じことを同じようにするという勉強習慣をつけていた子は、一度決心したことを成果が出るまで長期間続けていくことができるのです。中学生後半から高校生のときに、自立しした勉強ができるようになっている子は、いったん目標が決まると自分のペースでどんどん実力をつけていきます。一方、自立した勉強の習慣のない子は、高校生になってもあいかわらず塾や予備校で先生から強制される場がないと勉強をすることができません。高校生以上になると、勉強は個人個人の個性の差が大きくなります。志望校の問題の傾向も違うし、生徒本人の得手不得手も違ってくるからです。そのときに、自分のペースで勉強できる子と、他人に強制される場がないと勉強できない子とでは、学習の能率に大きな差が出てきます。高校生になってから学力が伸びる子と伸びない子の差はここにあるのです。
小学校低中学年の毎日の自習は、単にその勉強をするためだけの自習ではありません。毎日同じことを同じように続けるという自立心をつけるための自習です。だれでも、最初のうちは、親に言われなければ、毎日の音読や読書はできません。また、数日、風邪で休んだり、旅行に出かけたりすれば、それまで毎日続けてきた自習の習慣もすぐに消えて、また親から言われなければやらない状態に戻ってしまいます。しかし、そこで親がまた飽きずに自習をさせるということを繰り返します。このようにして、何度も親から言われて続ける期間が長くなればなるほど、子供の心の中に持続する勉強の力がついてくるのです。
小学校低学年のうちに、毎日の音読を1年間続けた子であれば、高校生になったときに、自分が決心した勉強を1年間続けることができます。
毎日の自習で親が言わないとやれないということをマイナスに考えるのではなく、親が言わないとやれないような単調な勉強(といっても、音読はわずか5分、読書も短ければわずか10分ですから、やろうと思えばすぐにできます)を続けることが、子供の自立心を育てることになるのだとプラスに考えて取り組んでいってください。
毎日しなければならないことがあると、子供の生活全体がめりはりのあるものになります。日曜日などは、大人でも朝起きてから特にすることもなくぼんやり過ごしてしまうことがあります。ところが、子供の場合、朝ご飯の前に音読ということを決めておけば、その音読をしたあとにすぐきちんとした生活を送る姿勢ができます。しかし、ここで大事なのは、自習ができたら褒美をあげるというようなやり方にはしないということです。自習がちゃんとできたら褒美をもらえるということになると、子供の自立心は育ちません。褒美があってもなくても、決めたことを黙々とやるということが自立心です。
ただし、子供の努力を認めることは大事ですから、親がときどき、「よくがんばっているね」「本をよく読んでいるね」「今日もちゃんとできてえらいね」などと言ってあげることです。
国語の力は、この音読や読書や対話のように、日本語を豊かに吸収する生活がなければ決して身につきません。国語力をつけながら、自立心も併せて育てる学習として、親の働きかけが必要な自習をむしろ肯定的にとらえて毎日の勉強に取り組んでいってください。
問題を解くような形の勉強であれば、子供がある程度自主的に進めていけます。しかし、作文の場合は、そういう問題・解答形式の勉強ではありません。毎日、読書や音読などの読む自習を行い、毎週、自分で考えて作文を書くということで力がついていきます。
作文は、親子の対話を楽しむ形で進めていく勉強です。これは、小学生には特に重要です。小学校1、2年生は自由な題名ですから、毎週授業の始まる前に、「今週はどんなこと書くの」と子供に聞き、親が子供と作文に書く内容について話をします。また、書いた作文が返却されたときも、その作文の内容について家族で対話をします。この際、決して欠点を指摘して直すようなことはしないでください。欠点は、読む力がつく中でほとんど自然に直ります。欠点を指摘すると、作文を書くことが億劫になります。対話は、いつも楽しい雰囲気で行ってください。この対話のときに大事なことは、お父さんやお母さんの子供時代の似た話などをたくさんしてあげることです。そのときに、子供には、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするようにします。この対話によって親子のコミュニケーションが豊かになるとともに、子供の頭がよくなります。
小学校3、4年生の場合は課題が決まっているので、親子の対話は更にしやすくなります。次の週の課題を見て、お父さんやお母さんが似た話を子供に聞かせてあげてください。場合によっては、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんに取材してもよいでしょう。また、作文が返却されたときも、親子でその作文を話題にして話をするようにしましょう。この場合、やはり大事なことは、欠点を指摘して直すようなことはしないということです。作文はできるだけよいところを見て励ますようにしてください。
小学校中学年までに親子の対話の習慣を作っておくと、その親子の関係はあとまで続きますし、その対話によって子供の頭がよくなります。理解力や思考力は、問題を解くような形の勉強では身につきません。対話と読書によって最も確実に身につくのです。ですから、対話のときは、楽しい雰囲気で、少し難しい言葉で、少し長い文で、少し難しい内容の話をするように心がけてください。
小学校高学年や中学生になると、子供が自分の作文を親に読まれるのを嫌がる面が出てきます。その場合は、作文ではなく、課題の長文をもとにして対話をしていきましょう。課題の長文は、ホームページでも読むことができますから、事前にお父さんやお母さんもその長文に目を通しておくとよいでしょう。
「課題の岩」
https://www.mori7.net/mine/iwa.php
「森の予習室」
https://www.mori7.net/ope/
課題の長文をもとにした対話は、次のような形で進めることができます。まず、子供に、次の週の課題がどういう内容か説明させます。そのためには、子供が事前に長文を読んでおかなければなりません。題名だけの課題の場合は、子供がどんなことを書くつもりか考えておかなければなりません。この子供に内容を説明させるということが、子供の思考力と表現力を育てる勉強になります。子供に説明させたあと、親がその課題についての関連する話をしてあげます。親の話を聞くと、子供が自分の経験を通して考えただけの作文よりも話題が広がり、感想も深まります。
小学校高学年になると、普通の家庭ではどこでも親子の対話は少なくなります。特に、お父さんは子供との日常的な接点があまりないので、対話をするとしても勉強や成績のことばかりになりがちで、ますます対話が難しくなります。ところが、作文の勉強を通して話をすることによって、親子が毎週知的な対話を楽しむ習慣ができるのです。