これまでいろいろな生徒を教えてきた感じたことは、読書力と作文力と学力に深い関連があるということです。
教えてきた子供たちの中に、小学校低学年から作文の勉強を始めて、途中中学受験のときに一時休み、その後再開し高校3年生まで続けたという子がかなりいます。その子たちの多くは大学入試で小論文を使いませんでした。理科系だったり、小論文のない大学を受けたりする子がなぜか多かったからです。しかし、小論文の試験があればみんなハイレベルの文章を書ける子たちばかりでした。
それらの子供たちを見ていて、共通する特徴があるように思ったことがあります。
まず、小学校低学年から作文の勉強をするぐらいですから、教育熱心な家庭の子供たちが多かったと思います。しかし、その熱心さは、知識の詰め込みをするような熱心さではなく、子供の本当の成長を考える落ち着いた雰囲気の熱心さでした。
どの子も、小学校低学年から本をよく読んでいましたが、このころはほとんどの子が本をよく読むので、それは、それほど目立ったことではありませんでした。勉強はみんな普通によくできていましたが、作文も普通に上手という程度でした。
その子たちが中学生になるころでも、作文は普通よりもよく書けるが、特に優れて上手だということはありませんでした。むしろ、教える私の方が、よく勉強をしているわりにものたりないと思うことも多かったのです。もちろん、字数も構成も表現も表記も全部できているので、欠点はないのですが、とりたてて光るものもないという感じの文章でした。
それがやがて、早い子は中学生の途中から、遅い子は高校生の後半から、普通は中学生から高校生にかけて、ある時期からぐんぐん上手になっていくのです。この上手さというのは、ひとことでは説明しにくいものですが、書いている本人が書くことを楽しんでいるという感じが伝わってくるような文章です。
そして、このように途中からぐんぐん上手になる子に共通しているのが、中学生や高校生になってもよく本を読んでいるということでした。
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1月から、毎月第4週の勉強は、読解問題+清書となります。ただし、清書については、パソコン入力で送っても結構です。両方やる時間が取れない場合は、読解問題の方を優先してください。
問題は、課題フォルダにはさんである読解マラソン集から出します。第4週の「山のたより」に問題が書いてあります。
読解問題の答えを作文の丘から送信する人は、作文の丘に答えを入れる欄がありますから、清書と一緒にそこから送信してください。
読解問題の答えを作文用紙に書く人は、作文用紙に問題と答えがわかるように書いてください。書き方は自由です。バーコードシールは、清書の1枚目にはるので、問題の方にははりません。
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1.2週の言葉の森新聞に掲載した「未来の勉強」について、ある保護者の方からコメントがありました。内容は、「未来の勉強に必要ないからと語学の勉強を軽視したり、生産性がないからと営業の仕事は必要なくなると言ったりするのは言い過ぎではないか」というものです。
貴重なコメントをありがとうございました。これは、「必要ないからやめよう」ということよりも、「漠然と必要と思っていることを見直そう」ということに力点を置いて書いたものです。しかし、現在、多くの人が行っていることに対して、未来の社会ではその重要性は低下すると書いたので、ちょっと過激な文章になったと思います。そう思って、「先生という職業も、将来は重要性が低下する」と自分のことを書きました(笑)。
現代は、世の中が大きく変化している時期だと思います。その変化の最も大きいものは何かというと、人類の生産力が発展して豊かな社会が可能になったということです。確かに、世界のほとんどの地域は貧困に苦しんでいます。それどころか、先進国においても貧富の格差がますます拡大しているように見えます。しかし、これらの貧困は、経済力の不足によって生まれたものではなく、政治力の不足によって人工的に作られているものです。
と考えれば、今日の世界を支配しているように見える貧困と無知は、人間の知恵によって近い将来必ず解決するものだと思います。私たちが生きる未来は、それらの問題が解決した社会です。そして、私の予想では、そういう社会はもうすぐにでも来るように思えるのです。楽観的ですが。
私たちの子供や孫が生きる社会は、現代の社会が抱えているさまざまな問題が解決した社会です。これまでの教育は、今ある多くの問題を解決するための教育でした。未来の教育は、それらの問題が解決したあと、新しい問題を生み出すための教育になるでしょう。その教育をひとことで言えば、勉強すること自体が楽しいという教育になると思います。苦しいことを我慢して勉強したり仕事をしたりするのではなく、うれしくてたまらないから勉強をしたり仕事をしたりするような社会がもうすぐやってくるのだと私は思っています。
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中学や高校の入試で、作文の試験を行うところが増えています。これは、子供たちの学力で、読解力と表現力が低下していることと無縁ではありません。
従来の勉強は、与えられたものを正確に記憶し、それを早く正しく再現することが中心でした。そのような勉強は、学力の土台としては必要ですが、それがそのまま学力の中身となるのではありません。本当の学力とは、初めて出合うような新しい問題に、自分の持っている知識を使って創造的に解決する方法を探す力のことです。
近年の学力調査でしばしば指摘されることは、単純な知識の問題では正答率が高いのに、記述の問題になると途端に正答率が低下するということです。それも、間違った答えを書くのではなく、ただ空欄のまま提出する形が多いことです。つまり、与えられた問題に対して、応用力で答えることができないということなのです。
この原因の一つに、低学年での勉強の仕方があると思います。低学年の勉強は、基礎学力をつけるという点で大切です。しかし、ここで勉強の目標を学力をつけることではなく、成績を上げることに置いてしまうと、どうしても知識に偏重した形になってしまいます。本当は、その年齢に応じた知識をもとに、それらの知識を組み合わせて考える勉強をしなければならないところを、知識の量を増やすことで手っ取り早く成績を上げる方向に進んでしまうのです。
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海外からの作文の送り方は、現在4種類あります。
1、作文の丘からパソコン書きの作文を送る
2、手書きの作文をスキャナで読み込み、作文の丘からPDFファイルで送る
3、手書きの作文をスキャナで読み込み、メールに添付して事務局に送る
4、手書きの作文をファクスで事務局に送る
このうち、3のメール送信と4のファクス送信を、3月から1回250円の有料とさせていただきます。
理由は、メール送信やファクス送信は、途中で手作業が入ることによるトラブルが多く、事務局での対応が次第に難しくなっているためです。
現在、スキャナやPDF作成ソフトは利用しやすいものが出ていますので、3月からの手書きの作文は、できるだけ作文の丘からPDFファイルで送ってくださるようお願いいたします。
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息子がお世話になり一年がたちます。毎回言葉の森新聞を読むのは、母親の私がとても楽しみにしています。 特に森川林先生の記事は、心の成長を促してくれるような内容であることが多く、顔が見えない通信教育でにも関わらず、質の高さを感じさせられます。 しかし、今回の1月2週号は、少しがっかりしてしまいました。”知る楽しさ”これは、本当に自分の得意分野を見つけ、勉強し続けていけたら、人生はとても豊かなものになると思います。 継続的な勉強こそが”未来の勉強”へとつながり、私はそれが、どんな分野でもかまわないような気がします。 第四の”未来の勉強”では、未来に必要ないから、語学の勉強を軽視するようなこと、また、未来に役にたたないから、営業職はいらないなどなど、それでは、生産性のないものは、勉強する必要がないということでしょうか? 言葉の森では、実体験を作文に織り込むことを薦めていますが、”必要、不必要”で選択してきた勉強や職業が、楽しく幸せで、言葉に残したいような体験になるのでしょうか? 人によって、得意なことも違います。得意なことや興味あることが、将来の社会に必要がないということで、勉強はしないのでしょうか? それでは、”知る楽しさ”はありません。
もちろん我が子に、将来有望な仕事について欲しいです。 しかし、それ以上に豊かな人生を送ってもらいたいと願います。その役にたつのではないかと思い、言葉の森も始めました。 人生には、余計なこともたくさんあります。人間のしていることをすべて、システム化してしまったら、社会はとても味気ないものになってしまうのではないでしょうか?
コメントありがとうございました。
これは、「必要ないからやめよう」ということよりも、「漠然と必要と思っていることを見直そう」ということに力点を置いて書いたものです。
現在、多くの人がしていることに対して、未来の社会ではその重要性は低下すると書いたので、ちょっと過激な文章になったと思います。
そう思って、「先生という職業も、将来は重要性が低下する」と自分のことを書きました(笑)。
次回の新聞で、追加の話を書きたいと思います。
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世の中には、いろいろ楽しいことがあります。
しかし、その中でも、新しいことを知り、その知識をもとに考え、その考えをもとに行動することほど楽しいことはないと思います。
お正月や夏休みなどの長い休みになると、退屈する人も多く、テレビを見たり遊びに出かけたりして暇をつぶすことが多いと思います。しかし、娯楽を外に求めるような時間の過ごし方は、すぐに飽きてきます。
今の世の中には不充分なことがまだ多いので、もっとお金があったら幸せだとか、もっと格好よかったら幸せだとか、もっと頭がよかったら幸せだとか、つい思いがちです。しかし、それらの幸せが幸せと感じられるのは、手に入ってからしばらくの間だけです。永遠の若さと美しさと賢さと最高学歴と無限の富が、いま突然手に入ったら、だれでも大喜びするでしょう。しかし、少し想像してみればわかるように、そのような喜びは、長くても数年、短ければ数日で飽きてしまうはずです。
では、永続する幸せとは何かと言えば、それは向上することと創造することの中にあると思います。
勉強の意味も、またそこにあります。向上と創造は、もちろんいろいろな分野にあります。スポーツにも、芸術にも、料理作りにも、それぞれの向上と創造があります。しかし、勉強における向上と創造は、きわめて広い分野にわたりしかも奥が深いので、だれでも自分の得意な分野を見つけ、それを自分のライフワークとして追求していける可能性があります。
レイ・カーツワイルは、「加速するテクノロジー」という本の中で、未来の人間は、自分の身体的限界を離れ、時間的にも空間的にも自分の可能性をより遠くまで広げていくだろうと述べています。そのときに、人間のアイデンティティのよりどころとなるのは、その人の知だと思います。
現代の社会では、勉強は、ほかの何かの目的のための手段と考えられています。しかし、実は、勉強そのものが人間の生きる目的となる面があるのです。
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小3以下の長文のうち、1.1週、1.4週、2.4週、3.4週は、ほかの長文と比べて文章が難しくなっています。
これらの長文を全部音読するのが負担が大きい場合、第一段落だけに限って音読をしてくだされば結構です。
長文問題も、この第一段落から出すようにします。
長文集は、これまで1.1週、1.4週、2.4週、3.4週については「長文なし」としていました。
しかし、毎週読む長文があった方がよいため、2008年からすべての週に長文を入れるようにしました。
このため、学年によってはかなり難しいものが入ってしまいました。今後、学年に対応したものに修正していく予定です。
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2008年の作文指導の展望を次のように考えています。
第一は、作文検定と結びついた指導です。
作文の勉強は、はっきりした目標が持ちにくい面があります。それは、教科のテストのように点数をつけることができないためです。
言葉の森では、これまでも作文指導を客観的に行う工夫をしてきましたが、今後、作文検定試験を定期的に取り入れることで、目標の持ちやすい指導を行っていきたいと思います。
(1月からの住所シールはバーコードをつけていますが、これは作文検定に対応するためです)
第二は、読解マラソン集の充実です。
読解力をつける基本は、良質の文章を繰り返し読むことです。
現在、小1〜小3の長文を長文作成委員会で作っていますが、今後はオープンソースプロジェクトによって、対象学年とページ数を増やしていきたいと思います。
また、速読や速聴のページは、現在事務局で作成していますがなかなか時間が取れないため、外部に作業を委託するなどして今後更に充実させていく予定です。
第三は、超作文の企画です。
作文の勉強の最終的な目標は、創造性を育てる作文です。
文章を書いていると、自分が書く前に持っていた以上の新しい考えや新しい表現が生まれてくることがあります。
文章を書く意義は、内容を伝達するだけでなく、内容を創造するところにあります。その内容の創造性というところに着目し、指導のシステムを作り直していく予定です。
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