オープン教育の「寺子屋オンエア」に書いた記事からの引用です。
勉強の仕方には、コツがあります。
よいやり方をすれば、親も楽で、子も楽しく勉強でき、しかも実力がつきます。
よくないやり方をすれば、親もくたびれ、子も自信をなくし、しかも力がつきません。
人間の能力は、もともと変わりません。ちょっとしたコツの違いだけなのです。
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自習のコツは、こんなふうに。
1、毎日やることを決めておき、子供が条件反射的に流れ作業でどんどんやれるようにします。
だから、長文音読、長文暗唱、漢字暗唱、算数問題集、(英語音読)、問題集読書、読書など、分量をあらかじめ決めて、その内容が変わらないようにします。
2、しかし、分量は、親から見て、ちょっと少ないかと思うぐらいにします。
だから、曜日によってやることを決めてもいいです。しかし、音読と読書は毎日必須です。
3、答えの丸付けは、子供本人がするようにします。×だったところは、自分で答えを見て理解するようにします。
答えを見てもわからない場合、親が簡単に教えずに、参考になるページだけ教えて、できるだけ子供が自分で考えるようにします。
だから、勉強は、子供が親に説明する時間がほとんどで、親が子供に何かを説明する時間はできるだけ少なくするようにします。
4、勉強の分量というのは、時間ではなく、ページ数です。時間で決めると、だらだら勉強する癖がつきます。
分量を決めた場合、予定より早く終わっても、勉強の追加はしないようにします。追加をすると、やはりだらだら勉強するようになります。
5、子供に対する注意はできるだけせず、またからかったり、笑ったりもせず、上から目線で話したりもせず、いつも笑顔で明るく褒めて励ますようにします。
6、勉強の内容面については、親はできるだけ話をせず、子供が中心に話すようにしますが、長文に関する似た話は、親ができるだけおもしろおかしく自分の体験談でたっぷり話してあげるようにします。
子供の話を引き出そうとするよりも、親が楽しく話をするように心がけます。両親だけで話が盛り上がって、子供が聞いているだけとなってもかまいません。
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昨日、寺子屋オンエアの実験授業をしました。google+のハングアウトオンエア機能を使って、自宅で勉強する生徒と教室をウェブカメラと音声で結び、互いの様子を見ながらそれぞれが自分の勉強や仕事をするという形です。
実際にやってみて、この方式は、もう少し洗練されたものにすれば、通信の授業にも使えると思いました。
言葉の森の電話通信の指導では、担任の先生が生徒に自宅に電話をして説明をします。生徒は電話を切ったあと、自宅で作文を書きます。書いている途中にわかりにくいところがあれば、教室に電話をして聞くことができますが、やはりわざわざ電話をするというのは億劫なのか、そういう電話はあまりありません。
これがもし、オンエアで先生と生徒がつながっている状態であれば、生徒はすぐに先生に質問ができます。もちろん、先生はその生徒につきっきりでいるわけではなく、順番にほかの生徒に電話指導をしているのです。
オンエアでつながっている利点は、もうひとつあります。それは、音声を切っておけば、画面は見えても、ほかの人の声は聞こえないことです。通学教室では、先生が生徒に説明をしたり生徒が暗唱をしたりするときに、他の生徒にもその声が聞こえるので、気が散る可能性があります。特に難しい課題を考えて書いている生徒には、雑音の入らない状態で静かに書く環境があるのが理想です。それが、オンエアの授業では容易に実現できます。
人間は、ひとりで勉強するよりも、仲間と一緒に勉強した方が張り合いがあるようです。教室に来る生徒の中にも、自然に仲のいい友達ができて、その友達に会いに教室に来るというような感じになってきます。同じようなことがオンエアの授業でも成り立ちます。
このように考えると、将来は、通学の教室に通うというよりも、自宅で通信のオンエア授業を受けるというやり方が一般化するかもしれません。
日本は、都市部に人口が密集しているので、塾や予備校が駅前にあることが多く、通学でもそれほど負担に感じません。しかし、世界に目を転じると、勉強する場所が歩いて通える範囲にないという地域も多いのです。
インターネットの回線や機器は、これから更に低廉化し、途上国でも利用しやすくなってきます。今後は、この寺子屋オンエア方式が、世界の教育の標準スタイルになってくるのではないかと思いました。
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2011年3月11日から、日本が大きく変わりました。
その日を境に、多くの人が、自分の人生と日本の運命を同じように大事なものと考えるようになったのです。
その流れは、今も続いています。
そして、欧米型の資本主義は、今大きな曲がり角に来ています。
これまでの世界経済を発展させてきたものは、「神の見えざる手」という名のエゴイズムでした。
そのエゴイズムが、人間社会の中に大きな格差を生み出し、日々それを拡大させ、もはや自力で回復することが不可能なまでに社会の亀裂を作り出しています。
日々加速して拡大する中央銀行の借金の流れの先にあるものを、多くの人は気づきはじめています。
いずれ大きな破綻が来たときに、自分の身だけを考えて奪い合いを始める社会では、どこにも平穏はありません。
東北の人々が3.11で示したような、助け合いと譲り合いの気持ちが広がる社会では、破綻は新しい時代のきっかけとなるでしょう。
今の社会はまだ、富を求める欲望で動いているように見えます。
しかし、人間は本当は心の奥で、そういう欲望の世界とは別の次元に移りつつあります。
未来の社会に生きる人間が持つ欲望は、創造と向上と貢献への欲望になるでしょう。
その社会を世界に先駆けて提案するのが日本の役割です。
2011年3月11日は、そういう社会の出発点だったのだと思います。
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受講料の安さや、有名人の顔が売りの作文講座があります。しかし、そういう講座を選んで苦労するのは子供です。
最初は面白い教材のような気がしますが、面白く簡単にできるだけで実力がつくわけではありません。だから、学年が上がり課題が難しくなると、すぐに書けなくなり、親子で言い争いが始まるのです。
言葉の森には、「以前、○○でやっていたが、書けなくなったので」という理由で受講を始める人がよくいます。
その分、勉強の遠回りをしたことになりますが、書き方がわかれば誰でもすぐに書けるようになります。
言葉の森を小学生のころ受講していた生徒が、中学生や高校生になり時間がとれずいったん休会することがあります。
そういう生徒が、何年もたってから、「受験で小論文を使うので、また教えてもらいたい」とよく来るのです。
小論文を教えてくれる塾や予備校はたくさんあるはずなのに、なぜ小学生のころ習った言葉の森にまた電話をしてくるのでしょうか。
それは、高校入試の小論文でも、大学入試の小論文でも、ほかの塾や予備校と比較して、「やはり言葉の森の方がわかりやすかった」と思うからです。
作文の進歩には時間がかかるので、どういう教室がよいかわかりにくいところがあります。しかし、何年もたってから、あまり役に立たなかったということがわかっても遅いのです。
作文教室を選ぶ基準は、その教室が生徒からどれだけ信頼されているかということなのです。
▽今年の合格速報
https://www.mori7.com/as/2084.html
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作文教室が増えています。学習塾で、作文講座を開いているところもあります。
作文教室という同じ名前なので、どこも同じだろうと思ったら違います。
今増えている作文教室の多くは、ただ作文を書かせるだけです。中には、作文指導の前段階の練習として要約をさせたり、文章の書き写しをさせたりするところもあります。しかし、こういうやり方ではあまり力はつきません。
作文は、何しろ自分で書いてみることが大事だからです。
しかし、ただ書くといっても、どう書いていいかわからないというのが子供たちの実態です。
作文を書き出すという出発点の指導をせずに、書いたあとの添削に力を入れているのが多くの作文教室の現状です。
言葉の森が、それらの作文教室とどこが違うかというと、書き出すときの出発点の指導に力を入れていることです。
だから、苦手な子でも楽しく書き出すことができ、得意な子はよりレベルの高いところから書き出すことができるのです。(宣伝のような文ですが、本当です)
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作文力、読解力のうち、意見文を書く力と論説文を読みとる力は、中学生以降に本格的にのびる分野です。小学生の間に既に意見文を書いたり読んだりする段階にまで進んでいる生徒もいますが、全体的にみて、構成の形式を身につけたり文章を要約をしたりすることが精一杯で、内容のある意見文を書ける生徒は限られています。これは、表現力、読解力に、まだ、本人の内面的な成長がともなっていないためです。
小学6年生までに学習する生活文中心の作文と物語文中心の読書は、作文力、読解力の半分にすぎず、もう半分は、中学生以降の意見文、論説文の練習によって完成します。
しかし、実際には、中学、高校では、作文、読書の学習はほとんどなく、あるとしても、その多くは、小学校の延長のようなかたちでおこなわれています。また、中学生の時期は、作文の学習がいちばん続けにくい時期でもあります。その理由は、(1)中学生の時期が、無邪気に出来事を書くわけにもいかず、かといって、自由に意見文を書くほどには語彙が充分ではないという過渡的な時期にあたること、(2)宿題や定期テストなど、外から拘束される勉強の時間が比較的多くなり、自主的な勉強の時間がとりにくくなること、(3)中学校自体も、作文や読書の指導をほとんどしなくなるので、学習の意義やきっかけを見つけにくくなること、などという事情があるからです。
現在の受験体制のなかで行なわれる勉強は、人生にとって価値のある分野というよりも、点数の差がつきやすい分野に重点が置かれがちです。基礎的な知識を身につけるという点で、点数で測られるような勉強も大切ですが、生涯にわたって役立つのは、考える力、読書する力、発表する力など、点数の差のつけにくい、したがって現在の受験体制の中では、重点の置かれにくい分野です。
しかし、最近では、大学入試でも小論文や面接が重視されてくるなど、単なる知識の量よりも、それらの知識を活用する力を評価するようになってきました。中学生での作文、読書の学習は、小学生の学習の延長としてではなく、高校生以降の小論文学習や論説文読書の先取りであるという前向きの姿勢をもって取り組んでいくことが大切です。
中学生が、作文、読書の学習を継続していけるように、言葉の森では、学習の時間に弾力性をもたせています。具体的には、(1)曜日や時間の変更や振替は、いつでもできるようにしています。(2)テスト期間中の欠席は、その前後にふりかえることができるようにしています。(3)ホームページの動画によるヒントなどを充実させ、先生の説明を受けられないときでも作文を書けるようにしています。
3月から4月にかけては、決まった時間に授業を受けることがむずかしいことも多いと思いますので、出席できるときに出席するというかたちにして、新しい生活のペースを早く作っていってください。
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国語力は、国語の問題集をいくら解いても身につきません。問題を解いたあと、先生の説明を聞いても、その説明を理解する力は、本人のもともと持っている国語力までです。
では、国語力はどのようにしてつくかというと、それは塾や学校の国語の勉強の中ではなく、日本語の豊かな家庭生活の中でつくのです。これが、国語の勉強が他の勉強と違うところです。国語力は、いろいろな教科の学力の中のひとつの学力なのではなく、あらゆる勉強のもとになっている理解力、思考力のことなのです。
国語の得意な子は、国語の問題集をしっかりやってきた子ではありません。家庭生活の中で、読書と対話の時間を多く取ってきた子です。だから、国語の勉強は、毎日の家庭での自習としてやっていくという方法がいちばんよいのです。
そこで、言葉の森では、毎日の自習として、音読、読書、暗唱、問題集読書などをするようにすすめています。
しかし、この自習というのが子供にとっては飽きるものなのです。問題を解くような形の勉強であれば、新しいプリントをやって、それまでのプリントのやったあとが残りますから、一見やりがいがあるように見えます。しかし、国語はそのようなプリントを解くような形の勉強では身につきません。国語力は、特別の教材がなくても毎日同じようにやれる自習を続けることによってつきます。
まず、自習に対する発想を変えていく必要があります。問題のプリントをやるような自習であれば、ノルマを決めておけば子供はある程度自動的に勉強をするようになります。しかし、音読や読書はそうではありません。音読や読書は形に残らない勉強ですから、最初の時期は親がそのつど「やりなさい」と言わなければできません。また、形に残らない勉強なので、子供はすぐに飽きてきます。そのために、音読などわずか5分でできることを続けられなくなる子が多いのです。
しかし、小学校低中学年のうちに、この形に残らない勉強を続けるという習慣を育てていくと、それは、将来の勉強に最も必要な自立した持続力を育てることになります。
子供の本当の学力は、中学生後半から高校生になり自覚して勉強するようになってから急速に向上します。自覚して勉強を始めると、それまでの親から言われてしぶしぶやってきた勉強の数年間分を数ヶ月で取り戻すようになります。
しかし、この中学生後半からの自覚した勉強であっても、本人の意欲はあるのに勉強が空回りしてしまうということがよく出てきます。それは、決心を持続する習慣が育っていないからです。例えば、英語の教科書を音読するとよいらしいという勉強法を聞いて早速始めたとします。ところが、ほとんどの子は数日で飽きてしまうのです。これでは、意欲はあっても実力は伸びません。
そのときに、小学校低中学年のうちに毎日同じことを同じようにするという勉強習慣をつけていた子は、一度決心したことを成果が出るまで長期間続けていくことができるのです。中学生後半から高校生のときに、自立しした勉強ができるようになっている子は、いったん目標が決まると自分のペースでどんどん実力をつけていきます。一方、自立した勉強の習慣のない子は、高校生になってもあいかわらず塾や予備校で先生から強制される場がないと勉強をすることができません。高校生以上になると、勉強は個人個人の個性の差が大きくなります。志望校の問題の傾向も違うし、生徒本人の得手不得手も違ってくるからです。そのときに、自分のペースで勉強できる子と、他人に強制される場がないと勉強できない子とでは、学習の能率に大きな差が出てきます。高校生になってから学力が伸びる子と伸びない子の差はここにあるのです。
小学校低中学年の毎日の自習は、単にその勉強をするためだけの自習ではありません。毎日同じことを同じように続けるという自立心をつけるための自習です。だれでも、最初のうちは、親に言われなければ、毎日の音読や読書はできません。また、数日、風邪で休んだり、旅行に出かけたりすれば、それまで毎日続けてきた自習の習慣もすぐに消えて、また親から言われなければやらない状態に戻ってしまいます。しかし、そこで親がまた飽きずに自習をさせるということを繰り返します。このようにして、何度も親から言われて続ける期間が長くなればなるほど、子供の心の中に持続する勉強の力がついてくるのです。
小学校低学年のうちに、毎日の音読を1年間続けた子であれば、高校生になったときに、自分が決心した勉強を1年間続けることができます。
毎日の自習で親が言わないとやれないということをマイナスに考えるのではなく、親が言わないとやれないような単調な勉強(といっても、音読はわずか5分、読書も短ければわずか10分ですから、やろうと思えばすぐにできます)を続けることが、子供の自立心を育てることになるのだとプラスに考えて取り組んでいってください。
毎日しなければならないことがあると、子供の生活全体がめりはりのあるものになります。日曜日などは、大人でも朝起きてから特にすることもなくぼんやり過ごしてしまうことがあります。ところが、子供の場合、朝ご飯の前に音読ということを決めておけば、その音読をしたあとにすぐきちんとした生活を送る姿勢ができます。しかし、ここで大事なのは、自習ができたら褒美をあげるというようなやり方にはしないということです。自習がちゃんとできたら褒美をもらえるということになると、子供の自立心は育ちません。褒美があってもなくても、決めたことを黙々とやるということが自立心です。
ただし、子供の努力を認めることは大事ですから、親がときどき、「よくがんばっているね」「本をよく読んでいるね」「今日もちゃんとできてえらいね」などと言ってあげることです。
国語の力は、この音読や読書や対話のように、日本語を豊かに吸収する生活がなければ決して身につきません。国語力をつけながら、自立心も併せて育てる学習として、親の働きかけが必要な自習をむしろ肯定的にとらえて毎日の勉強に取り組んでいってください。
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