「中学生になっても言葉の森を続けた方がいいかどうか」という質問がありました。それは、もちろん続けた方がいいのです。
中学生で学習する意見文の3種類のパターンは、そのまま大学入試の小論文に使えます。
その小論文の最も基本になる構成の仕方は、小学6年生で学んでいます(そういう自覚のある小6生は少ないと思いますが)。それが、複数の実例と一つの意見(一般化の主題)です。
この形さえ知っていれば、どんな課題でも、一応しっかりとまとめることができます。あとは、読書や経験や思索によって、構成の中身を埋める材料のレベルを上げていけばいいのです。
だから、構成を知っているだけでは、車の両輪の片側しかできたことになりません。もう片方の車輪は、読む力をつけることによって作られていきます。その読む力のもとになるのが、言葉の森の課題の長文です。
最近の高校入試は、記述重視(場合によっては作文重視)になっています。この傾向は、公立中高一貫校でも、大学入試でも、就職試験でも表れています。
その一つの象徴が、東大や京大でこれから行われる特色入試です。特色入試では、高校生に時代に自分の興味のある分野をいかに深めたかということが問われます。学力については、センター試験の8割が取れればいいということで担保されています。
つまり、学力は、普通にしっかり勉強している程度でよく、それ以上の重箱の隅をつつくような知識やテクニックは必要ないということです。大事なのは、その生徒の個性と意欲と読む力と考える力と書く力なのです。
ただし、中学生は、部活や定期テストで忙しいということも事実です。だから、定期テストの10日前は、音読などの自習は休んでもよいということで柔軟に取り組むことが必要になります。
中学生時代の部活はそれなりに楽しいものですが、部活が多忙で土日も休めないとなると本末転倒です。中学生時代は、勉強が幹で、部活は枝葉だということを再確認しておく必要があります。
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世界はこれから大きく変化しますが、新しい価値観の方向はほぼはっきりしてきました。それは、真に価値あるものは人間の創造であり、そのための教育がこれから重要になるということです。
この創造性を育てる教育を推進するために、言葉の森は、プレゼン作文発表会など、子供たちの個性的、創造的な発表の場を広げていきたいと思っています。
また、これからの初等中等教育は、学校や塾に全面的に委託する形ではなく、家庭における学習と地域でのバックアップが中心になってきます。そこで、言葉の森は、作文の学習だけでなく、漢字、長文、算数数学、英語などの家庭学習を、全国規模の学力テストと連動する形で進めていきたいと思っています。
小中学校の学習教材は、既にほぼ完成されたものが存在しています。したがって、これからはその完成された教材の土台の上に、保護者が教材の編集に関与できるものにしていく必要があります。言葉の森では、オープン教育の場で、保護者の声や地域の文化を生かした教材を作成していきたいと思っています。
家庭での個人学習は、学校や塾の一斉学習よりも、その子に合った密度の濃い勉強ができるという利点がありますが、小中学生の子供たちの学習意欲を支えるものは、友達や先生との交流です。そこで、家庭学習の意欲を支えるものとして、勉強をネットで共有する寺子屋オンエアを考えています。
子供たちの学力の中心になるものは、日本語の豊かさです。その日本語は、読書以上に、家庭での親子の対話によって形成されます。小学1年生の時点で既に学力の土台となる日本語には大きな差ができています。そこで、親子の交流を対話を生かすための3歳児からの幼児作文コースを始めることにしました。
言葉の森は、これまで作文小論文の指導と国語力の指導に力を入れてきましたが、これからは更にその範囲を広げていきたいと思っています。
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今年、慶應義塾大学文学部に合格したKMさんが、「言葉の森の思い出」という話を書いてくれました。
KMさんは、小1から言葉の森で勉強し、森リン大賞にも何度も選ばれていました。
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私が言葉の森で作文の勉強を始めたのは、小学1年生の8月でした。
やっと、電話で知らない人と、なんとか話すことができるようになったのが、そのころだったのです。
初めは、本当に、聞かれたことに「はい」と返事をするのがやっとでした。「いいえ」すらも言いにくかったので、沈黙してしまったり。そうすると、先生が「じゃあこうだったのかな?」と逆の質問をしてくれて、やっと「はい」が言えるときに口を開くというような状態でした(笑)。
それでも、先生の質問に答えるかたちで、書くことを決め、電話の後に、今度は母が同じような質問をするので、その答えを作文用紙に書いていったというような記憶があります。
できあがった、確か100字程度の作文は、作文と言えるようなものでもありませんでしたが、返却された作文を見ると、先生が、作文用紙いっぱいに花丸をつけてくれていて、たくさんの「上手!」「うまい!」「すごい!」という文字が踊っているのを見て、大変満足し、「これからも続ける!」と宣言したのでした。
低学年の間は、基本的に毎週そのような調子で気分よく書いていたのですが、字数ランキングに燃えて、ひたすら長く(内容の薄い作文を)書いていたこともありました。かなり時間もかかりましたが、「すごく長くかけたねえ!」と、先生に褒めてもらえるのが嬉しくて、とにかく長く、1000字、2000字と書いていたのです。今思うと、先生にご迷惑だったような。思い出してみると、母もいつも先生に謝っていたような記憶が蘇りました(笑)。
中学年になると、題名が決まっていたので、最初は書きにくく感じましたが、このころは、課題について、父や母や祖母に取材をするのを楽しんでいた時期でもありました。感想文課題は、内容も難しいし、書くのが大変でしたが、先生もいつもヒントを与えてくれたし、両親も、協力してくれました。
5年生になると、長文の内容はさらに難易度が上がり、そのときの私にとって、「難しい」というより「分からない」文章になってしまいました。しかし、たとえ長文全体をよく理解できなくても、感想文を書くことができるように説明してもらえたし(実際、それでなんとか形になっていたと思います)、また、何度も音読をしているうちに、最初は全く分からなかった文章が何となく理解できるようになる、という経験もできました。おかげで、難しい文章に取り組むのが怖くなくなったというか、落ち着いてくり返し読めば分かる、と信じて読めるようになりました。この経験は、その後の中学受験でも、大学受験でも役に立ったと思います。
また、私は、低学年のころから自分でパソコンで作文を書いていたのですが、「今読んでいる本」の欄を利用して、担当の先生と雑談をしたこともいい思い出です。例えば、当時流行っていたドラマの原作小説を読み、それを読書欄に書くついでに、お気に入りの主演俳優の話を書くと、先生も講評の中で返事をくれて、翌週の電話でまた好きなアイドルの話をしたり……といった具合に盛り上がったのも、とても嬉しかったです。言葉の森では、学校の先生よりも長く一人の先生に習うこともあるので、そのような交流が深まるのも楽しいことだと思います。
中学受験を挟み、言葉の森をお休みした時期がありましたが、再開後に取り組んだ勉強は、より具体的に受験小論文に役立ちました。小論文の構成を教えてもらって、どんな形で、どんな順番で書いていけばいいのか、という枠を決められるようになり、中学3年間で勉強した書き方で、ほぼどんなテーマにも対応できる自信がつきました。
実際の第一志望校の小論文課題は、制限字数が短かったのですが、基本的には、言葉の森で教わった「構成」「題材」「表現」「主題」を意識することで、対応できました。そのおかげで、他の教科の勉強に多くの時間を割くことができ、また、例えば、英語の長文を読む際にも、言葉の森の勉強で身につけた日本語読解力に助けられたと思うので、やはり、作文の勉強は、多くのアドバンテージを与えてくれたと思います。
本当に感謝しています。ありがとうございました。
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MOOC(Massive Open Online Courses 大規模公開オンライン講座)の動きが世界的に広がっています。世界水準の優れた教材と授業が、ほぼ無料ですべての人に開かれるようになるという動きです。すると、今後、その優れた授業を受けるための、つまりよりよい学校に入るための塾や予備校は不要になっていくことが考えられます。しかし、現在起きているのは、塾や予備校が不要になる前の過渡期における、塾や予備校のMOOC化です。
これまでの教育は主に、いかに学ぶかではなく、いかに合格するかということを目標としていました。現在のMOOCは、まだその方法は革命的でありながら、その立脚している土台は旧社会のものです。つまり、MOOCの講座の修了証が企業への就職に役に立つ、あるいは企業が優れた人材を採用するためにMOOCに出資するという、企業社会の枠内での大学教育の変革となっているのに過ぎません。つまり、よい会社、よい仕事、よい給与のための大学の予備校化の中で発展しているのがMOOCです。
この教育の変革運動は、今後急速にグローバルに広がり、世界の大学教育は、大きな変容を迫られます。しかし同時に、このMOOCとは正反対の動きも広がっていくのです。それは、ひとつの理由としては企業社会がこれから変容していくからです。もうひとつの理由は、何を学ぶかということ以前に、いかに学ぶかということが教育の焦点になってくるからです。
企業社会の変容ということについては、今後の世界の大きな変化を考える必要があります。既に、アメリカドルのデフォルト、中国バブルの崩壊は、多くの人に予測されています。それは、偶然に起こる何かの事件又は事故をきっかけに、一気に誰の目にも見える形で現象化するでしょう。
しかし、それらの破綻に対する対策は既に考えられているはずです。それは例えば、徳政令、中央銀行の国有化、政府紙幣の発行、国際機関による国際通貨の維持、あらゆる技術公開と情報公開などです。その結果、その後の社会では、不要になるか縮小されるかする産業が出てきます。また、一時的な物価高とそれに対応するための配給制、生活保護の拡大が起きてくるでしょう。短期的には高付加価値産業が衰退し、長期的には価値を創造しない産業が衰退していきます。
その破綻とそれの続く復興のあと、何が起こるかというと、工業生産はやがてすぐに立ち直り、生産と生活のインフラを提供するようになります。そして他方、農業、教育、政治、医療の分野で、自給自足化の流れが生まれます。この自給自足化の流れが、第二の「いかに学ぶか」に結びついているのです。
MOOCは、優秀な能力を持ちながらその能力に応じた教育を受ける機会を持たなかった若者に、世界レベルの優れた教育を受ける機会を提供しました。しかし、ここで新たに問題になってくるのは、どうしたら優秀になれるか、つまり、「何を学ぶか」以前に、「いかに学ぶか」ということになるのです。これが、小中学校の教育の課題であり、更には、幼児教育の課題になります。
幼・小・中の教育のスタイルを、MOOCになぞらえて言うならば、SOOC(Small Open Offline Courses 小規模公開オフライン講座)と言うことができるかもしれません。スモールとは、幼・小・中の教育は、優れた教材や授業によってではなく、身近な指導者、手作りの教材によって多様に行われるべきだからです。というのも、中学校までの義務教育の内容は、根本的に難しいことや時代の先端につながるようなことはなく、既に確立されていて誰でも理解できる基本的なことが中心になるからです。
しかし、現代の画一化された一斉授業のもとで、基礎教育は、上の方向にも下の方向にも授業に合わない子を生み出し、子供たちの間に格差を生み出しています。だから、これからの教育の目指す方向は、土台は家庭と地域のオフラインになり、しかし、優れた教材はオープンかつオンラインでどこからでも自由に利用できるものになるでしょう。
そして、それらの教材は、それぞれの家庭や地域で容易に手作りで編集できるものになります。幼・小・中の教材は、誰でも編集に参加でき、誰でも自由に利用できるものになります。同じような動きが、教育にとどまらず、農業、政治、医療の分野にも起きてくるでしょう。そして、これらの発展のあとに生まれるものは、文化の自給自足化です。それは、文化の自主的な創造化と言ってもよいでしょう。
例えば、俳句、茶道、華道などは、生活の必要から必然的に生まれたものではありません。個人の好みが発展して、普遍性を持つ文化になったものです。同様のことがこれから、文化の大爆発現象として起こることが考えられます。
一方で、機械化されインフラ化された工業と工業的農業があり、その生産力を土台として、多様で自主的で創造的な文化産業が成り立ちます。
そのとき、人は、これまでの半分は消費者であり半分は給与労働者であるような時代を去り、自らが文化創造的な生産者であるような時代に入ります。
そして、それに伴って、教育も、創造性のための教育に変わっていくのです。
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言葉の森の卒業生からときどき言葉の森あてや担当の講師あてに、大学合格や就職決定のお知らせが届きます。
先日も、その合格のお知らせのメールが届きました。
読むと、とても感動的な内容でしたので、紹介させていただくことにしました。(固有名詞のところは○○としています。)
この元生徒の○○さんは、小学校低学年のころからずっと真面目に、しかし楽しく作文を書いていました。
長年続けていたので、曜日や時間の変更があったため、担当の先生が何人か入れ替わりましたが、早速、それらの先生たちにも連絡しておきました。
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中根先生、こんばんは。
2001年に入会し、9年間お世話になりました、○○○の○○○○です。
この度、東京大学文科二類に合格致しましたので、ご報告させていただきました。
国語をはじめとして、私の勉強の基礎は言葉の森にあったと感じています。
国語は一番の得意教科で、模試でも全国順位一桁台をとっていました。
毎週文章を書き添削をしていただいたこと、毎日長文を音読していたことで、国語力がつき、小論文や他の科目の論述も全く困ることがありませんでした。
言葉の森でついた力はこの先もずっと役立つと思います。
小さい頃からどのように勉強していたのかと最近よく聞かれますが、私はいつも真っ先に言葉の森と珠算だと答えています。
私は、毎週楽しく作文を書き国語力がついたということはもちろん、電話での受け答えに慣れたことなど勉強以外の点でも言葉の森に感謝しています。
春から新しく大学生活が始まりますが、言葉の森で学んだことを生かして、また新しい様々なことを学んでいけたらなあと思います。
本当にありがとうございました。
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オープン教育の「寺子屋オンエア」に書いた記事からの引用です。
勉強の仕方には、コツがあります。
よいやり方をすれば、親も楽で、子も楽しく勉強でき、しかも実力がつきます。
よくないやり方をすれば、親もくたびれ、子も自信をなくし、しかも力がつきません。
人間の能力は、もともと変わりません。ちょっとしたコツの違いだけなのです。
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自習のコツは、こんなふうに。
1、毎日やることを決めておき、子供が条件反射的に流れ作業でどんどんやれるようにします。
だから、長文音読、長文暗唱、漢字暗唱、算数問題集、(英語音読)、問題集読書、読書など、分量をあらかじめ決めて、その内容が変わらないようにします。
2、しかし、分量は、親から見て、ちょっと少ないかと思うぐらいにします。
だから、曜日によってやることを決めてもいいです。しかし、音読と読書は毎日必須です。
3、答えの丸付けは、子供本人がするようにします。×だったところは、自分で答えを見て理解するようにします。
答えを見てもわからない場合、親が簡単に教えずに、参考になるページだけ教えて、できるだけ子供が自分で考えるようにします。
だから、勉強は、子供が親に説明する時間がほとんどで、親が子供に何かを説明する時間はできるだけ少なくするようにします。
4、勉強の分量というのは、時間ではなく、ページ数です。時間で決めると、だらだら勉強する癖がつきます。
分量を決めた場合、予定より早く終わっても、勉強の追加はしないようにします。追加をすると、やはりだらだら勉強するようになります。
5、子供に対する注意はできるだけせず、またからかったり、笑ったりもせず、上から目線で話したりもせず、いつも笑顔で明るく褒めて励ますようにします。
6、勉強の内容面については、親はできるだけ話をせず、子供が中心に話すようにしますが、長文に関する似た話は、親ができるだけおもしろおかしく自分の体験談でたっぷり話してあげるようにします。
子供の話を引き出そうとするよりも、親が楽しく話をするように心がけます。両親だけで話が盛り上がって、子供が聞いているだけとなってもかまいません。
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昨日、寺子屋オンエアの実験授業をしました。google+のハングアウトオンエア機能を使って、自宅で勉強する生徒と教室をウェブカメラと音声で結び、互いの様子を見ながらそれぞれが自分の勉強や仕事をするという形です。
実際にやってみて、この方式は、もう少し洗練されたものにすれば、通信の授業にも使えると思いました。
言葉の森の電話通信の指導では、担任の先生が生徒に自宅に電話をして説明をします。生徒は電話を切ったあと、自宅で作文を書きます。書いている途中にわかりにくいところがあれば、教室に電話をして聞くことができますが、やはりわざわざ電話をするというのは億劫なのか、そういう電話はあまりありません。
これがもし、オンエアで先生と生徒がつながっている状態であれば、生徒はすぐに先生に質問ができます。もちろん、先生はその生徒につきっきりでいるわけではなく、順番にほかの生徒に電話指導をしているのです。
オンエアでつながっている利点は、もうひとつあります。それは、音声を切っておけば、画面は見えても、ほかの人の声は聞こえないことです。通学教室では、先生が生徒に説明をしたり生徒が暗唱をしたりするときに、他の生徒にもその声が聞こえるので、気が散る可能性があります。特に難しい課題を考えて書いている生徒には、雑音の入らない状態で静かに書く環境があるのが理想です。それが、オンエアの授業では容易に実現できます。
人間は、ひとりで勉強するよりも、仲間と一緒に勉強した方が張り合いがあるようです。教室に来る生徒の中にも、自然に仲のいい友達ができて、その友達に会いに教室に来るというような感じになってきます。同じようなことがオンエアの授業でも成り立ちます。
このように考えると、将来は、通学の教室に通うというよりも、自宅で通信のオンエア授業を受けるというやり方が一般化するかもしれません。
日本は、都市部に人口が密集しているので、塾や予備校が駅前にあることが多く、通学でもそれほど負担に感じません。しかし、世界に目を転じると、勉強する場所が歩いて通える範囲にないという地域も多いのです。
インターネットの回線や機器は、これから更に低廉化し、途上国でも利用しやすくなってきます。今後は、この寺子屋オンエア方式が、世界の教育の標準スタイルになってくるのではないかと思いました。
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