●説明文を読み取る力をつける
公立中高一貫校の問題は、ほとんどが文章と図表で書かれています。だから、これらの説明的な文章を読む力が必要になってきます。
ところが、子供たちがしている読書のほとんどは、物語文です。つまり、ストーリーに沿っていれば理解できる易しい文章を読んでいることが多いのです。
物語文の中には、会話だけでストーリーが成り立つようなものもあります。読む力をつけるために大事なことは、ストーリーの面白さだけでなく、地の文の説明がしっかり書かれている本を選ぶことです。
また、物語文だけでなく説明文を読む機会を増やしていくことも大切です。昔、シミュレーションゲームの攻略本などは、小学生の読む説明文の導入的な文章として効果がありました。今はそういうものはあまりありません。
現代では、それぞれの子が、その子の趣味に合わせた説明文の本を、図書館を利用して探していく必要があります。例えば、男の子なら、電車の本や恐竜の本、女の子なら、料理の本や、ファッションの本などになるでしょう。
更に、ストーリのある説明的な文章として、伝記の本を読むのもおすすめできます。
しかし、最も効率的なのは、理科や社会の参考書、そして、国語の入試問題集、更には公立中高一貫校の入試問題集を読書がわりに読んでいくことです。
これらの説明文をばりばり読みこなしていく力が、公立中高一貫校受験向けの基礎学力です。
●教材の選び方
公立中高一貫校受験の勉強として、最もよい教材をひとつ挙げるとすれば、それは全国の公立中高一貫校の過去問題集です。どんな勉強も、まず原典にあたることが大切です。
多くの人は、公立中高一貫校受験向けの問題集や参考書や学習塾に頼ろうとしますが、そのようにワンクッション置いたものではなく、直接過去問にあたることが大切です。
この考え方は、社会に出てからも役に立ちます。例えば、会社の仕事でも、何か問題があったときには、まず現場に行ってみることです。現場に行かずに、他人からの説明を聞いていたのでは、わからないことが必ずあるからです。
最もよい教材が、1年前の過去問だとすると、次によい教材は2年前の過去問です。要するに、過去問に直接あたることが、教材選びの原則です。
●計算力をつける
公立中高一貫校の受験対策で、意外と見落とされがちなのが計算力です。もちろん、計算力は、数学の力というよりも、むしろ実務の力です。計算力は、生活やビジネスでは役に立ちますが、学問に役立つというわけではありません。有名な数学者でも、計算はあまり得意でないという人も多いのです。
しかし、現実の社会生活を送る上では、正しく速い計算力は、いろいろな場面で役に立ちます。だから、江戸時代でも、読み書きと算盤(そろばん)の教育が行われていたのです。
受験でも、この計算力はかなり重要です。特に、公立中高一貫校の算数の問題では、考える問題はパズルや図形のものに限られてくるので、理科や社会との融合問題の中で、比の計算や割合の計算が出されることが多いのです。
このとき、割り算をするスピードと正確さにかなりの差が出てきます。誰でもできる計算なのですが、それを早く済ませられる子は、ほかの問題に時間をかけて取り組むことができます。
割り算をのスピードを上げるには、練習によって慣れなければなりません。江戸時代には、九九のように割り算を暗唱する勉強法がありました。言葉の森でも、いつか繰り下がりのある割り算の暗唱をやっていきたいと思っています。
(つづく)
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●暗唱とは覚えることではない
暗唱とは、覚えることだという誤解があります。これは、現代の教育の「記憶の再現が勉強である」という考え方の後遺症です。
記憶したことをそのまま再現することが勉強の目的になっているので、一夜漬けなども生まれるのです。
勉強は、実力をつけるためのものであって、点数を取るためのものではありません。唯一の例外は受験です。受験の目的は点数を取ることだからです。しかし、この受験勉強が、日常化し、低年齢化しているところに問題があります。
子供が悪い点数を取ってきたら、弱点がわかってよかったと喜ぶのが本当の姿です。しかし、多くの人は、点数が悪いときに、子供と一緒にショックを感じてしまうのです。
なぜ、教育の場で点数が付けられるかというと、勉強を無理して教えているからです。勉強は、教えられてやるものではなく、自ら学んでいくものです。勉強とは、よい点数を取るためのものでもなく、褒めてもらうためのものでもなく、自分を向上させるためのものだということを子供に伝えていく必要があります。
●繰り返すことによって身体化する言葉
さて、暗唱は、覚えることではないと書きましたが、暗唱を繰り返していると、結果的に自然に覚えるようになります。それは、自分の好きな歌謡曲を何度も繰り返し歌っているうちに、その歌詞を覚えてしまうのと同じです。
そのようにして、覚えようとせずに覚えた言葉やメロディーは、日常生活の全く関係のない場でふと出てくることがあります。
同じように、暗唱を繰り返していると、そのひとつのフレーズが日常の場面で出てくることがあります。そのときに出てくる言葉は、頭の先で覚えた知識の言葉ではなく、自分の内側から出てきた身体化された言葉です。
これが、その人の表現力になります。こういう本当の表現力を増やすことが、人生を豊かにしていくのです。
●道徳教育のあり方
こう考えると、道徳教育のあり方なども、また別の視点から見えてきます。
現在、道徳教育の復活がさまざまなところで叫ばれています。道徳教育の必要性は、誰でも多かれ少なかれ感じています。しかし、その方法に問題があるのです。
もし、道徳の教科書を読ませて、覚えた知識を再現させるテストをして、いい点数を取ったとしても、それで道徳が身についたとは言えません。こういう目的と方法のずれが、道徳教育という言葉を滑稽なものに感じさせる面があるのです。
道徳教育の方法は、知識の再現をするようなやり方ではなく、よい言葉、よい行いを反復させることにあります。反復とは、ただ繰り返すだけで、評価をするものではありません。
同じ言葉、同じ行為を繰り返していると、それが日常のある場面でふと自然に出てくることがあります。これが、その子にとって身体化された道徳なのです。
●貝原益軒の暗唱法は百字を百回
同じことが、作文の表現にも言えます。よい表現を反復して暗唱していると、忘れたころにその言葉が出てくることがあります。
しかし、そのためには、反復の回数を増やす必要があります。貝原益軒は、百字の文章を百回読むという勉強法を提唱しました。しかし、現代では子供も親も、そのような回数の多い反復はまずできません。だから、言葉の森では、百字を30回、三百字を10回、九百字を4回で、合計百回読めるような方法で暗唱しているのです。
それでも、「30回も読んでいられない」という声をよく聞きます。確かに、小学校低学年の易しい文章では、百字の文章でも10回ほど読めば空で言えるようになります。しかし、そのときに、「覚えたらよい」と考えるのではなく、ある回数を繰り返すことが大事なのだと考えることが大切です。
だから、30回が負担であるならば、20回や10回という回数でもいいのです。つまり、大事なことは、覚えたかどうかという結果ではなく、決められた回数を繰り返すという過程なのです。
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6月から、家庭で毎日友達と一緒に勉強できる寺子屋オンエアがスタートします。
5月中に1週間の無料体験ができます。対象は、幼児から中学3年生までで、言葉の森の生徒及びそのご兄弟やお友達です。
寺子屋オンエアの目的は、3つあります。
第一は、家庭学習によって勉強の能率を高めることです。
最も能率のよい勉強の仕方は、家庭で取り組む自習です。塾に通うような形の勉強では、塾に合わせた勉強になります。できることでもやらされることがあり、できないことでも簡単に済ませられてしまうことがあります。自分の実力に応じた勉強は、家庭で自分のペースでするのが最も能率がよいのです。
第二は、密度の濃い教材の使い方をできるようにすることです。
実力のつく勉強法とは、基本的な教材をシンプルに何度も繰り返すことです。ところが、通信教育の教材の多くは、子供たちに勉強を飽きさせないように、目先の変わった教材を次々にやらせることが多いのです。その結果、勉強の量が多い割に実力がつかないということが起こってきます。
ところが、家庭学習でシンプルな教材を繰り返すということは、意外と難しいものです。そこで、家庭で子供たちが自分のペースで勉強している姿を、互いにネットで共有できるようにしたのが寺子屋オンエアです。
小学校低学年のうちは、子供は親の言うことを素直に聞きますが、小学校中学年になると、親子だけの勉強は続けにくくなってきます。その原因のひとつは、親が教えすぎてしまうことにあります。教えすぎると、ついやらせすぎたり、注意しすぎたりしてしまうことになります。
また、子供たちは、小学校中学年になると、友達との交流の中で勉強することを好むようになります。
塾に任せるのでもなく、通信教材に頼るのでもなく、また、親がつきっきりで教えるのでもなく、それぞれの家庭で決めたその子のペースに合わせた自学自習の勉強を、単調にならないように友達と共有するというのが、寺子屋オンエアの目指すイメージです。
寺子屋オンエアの第三の目的は、この学習方式を、夏合宿など長期間の学習にも応用していくことです。
自然の中で何日間もキャンプをしたり遊んだりするのは、子供たちにとって楽しいものですが、遊びと勉強のバランスを取ることも大切です。
長期間の自然合宿でも、午前中の数時間は寺子屋方式で学習し、午後はたっぷり遊ぶという運営の仕方ができれば、遊びだけの合宿や勉強だけの合宿よりも、ずっとバランスのよい楽しみ方ができます。
寺子屋オンエアに必要な準備は、google+のアカウントとウェブカメラとヘッドセットだけです。
詳しいご案内は、寺子屋オンエアのページをごらんください。
https://www.mori7.net/teraon/
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そこは、日本ではないアジアのある村です。その村の一角に、日本語学校があります。ただ日本語を学ぶだけでなく、日本文化を学ぶ学校です。
そこの生徒の多くは、小学1年生から3年生の時期に、日本に3年間留学します。そして、そのあと現地に戻り、現地の学校で勉強を続けます。
子供たちが中学生や高校生になると、現在のMOOCと同じように、その村にいながらにしてネットワークで世界中の優れた授業を学ぶことができます。大学生になると、世界中の最先端の学問を、自分のいる村で学べるのです。
そういう人たちがリーダーとなり、その国の伝統を生かした子供たちの教材を作っています。その教材を通して、その国の文化と伝統、そして日本語と日本文化を学ぶのです。
その時代には、日本語は、英語と同じように世界共通語となっています。
では、小学1年生からの日本留学はどこに行くのでしょうか。
そこは、日本のある山あいのキャンプ村です。山の斜面に、牛と馬とポニーと山羊が放牧されています。そして、犬やアヒルやニワトリやクジャクが庭で遊んでいます。
ここでは、野生の動物たちも人間に慣れているので、小鳥やシカやリスやウサギやサルたちも人間を恐れません。
牛や馬の放牧は、山地酪農という方法で、牛や山羊や馬が、山野に生えている草を食べて自然に暮らしています。
このキャンプ村では、子供たちは、午前中寺子屋で勉強します。そして、午後は、馬やポニーに乗って近くの野山や川で遊びます。
午前中の寺子屋は、ネットワークでつながった都会に住む講師がアドバイスをします。
講師の中には、このキャンプ村に移住してくる人もいます。
この時代には、フリーに近いエネルギーが実用化されているので、川の一部は温泉のようになり、冬でも川遊びができます。
農業の基本は、水耕栽培で、ほとんどの農産物は工場で自動的に生産されています。昔ながらの土の上での農業は、趣味として行うものになっています。
このキャンプ村では、子供たちの教育と遊びが、村の運営のひとつの中心になっています。
もうひとつの中心は、文化作りです。
この村では、毎月のようにお祭りがあります。そのお祭りでは、村に住む大人たちが、自分の創造を発表する場になっています。新しく個性的な、芸術、音楽、文化、スポーツ、料理、遊び、学問などを創造すると、それらを互いに教え合い、学び合う場が形成されます。
そういう文化のいくつかは、輸出産業となっています。
また、もうひとつの産業は観光です。世界中から、この平和で創造的な村に観光にやってくるのです。
このキャンプ村のような場所は、既に日本の田舎には無数にあります。
どの村も、それぞれの地域の特性を生かして、文化と観光と世界中の子供たちの教育を行っているのです。
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勉強の嫌いな子はもちろんいます。しかし、勉強が手につかないほど嫌いという子はいません。これに対して、作文が手につかないほど嫌いという子はたくさんいます。
勉強の場合は、嫌いでも手を動かしていれば何とかなります。作文の場合は、手自体が何をどうしても動かないということがあるのです。
勉強嫌いの子を作るのは難しいのですが、作文嫌いの子を作るのは簡単です。それは、作文を注意していればいいのです。
勉強の場合は、間違いを注意されても、正しい答えがあるので、その注意に子供は納得します。
作文はそうではありません。確かに注意されてすぐに理解できる間違いもありますが、注意されてもすぐ直せないものの方が圧倒的に多いのです。
注意する気持ちで見ると、作文にはいろいろな欠点が目につきます。しかし、その欠点の多くは主観的なもので、子供にとっては直しようがないものが多いのです。
例えば、「もっと内容のある話を書きなさい」とか、「もっと自分らしいことを書きなさい」とか、「もっと自分なりに考えたことを書きなさい」とか、「もっと具体的に書きなさい」とか、「もっと読む人にわかるように書きなさい」とかいう注意を受けても、「はい、それでは」とはできません。
そこで、書けば何か注意されると感じた子は、いつか、どんなにがんばっても書けなくなってしまうのです。
作文嫌いになる原因の半分は親、半分は先生にあります。特に熱心で真面目な親や先生ほどそうです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
そこで、必要になるのが言葉の森の指導法です。
まず、作文を書く前に、何をどう書くかということを指示できるようにします。
子供は、何を求められているかわかれば安心して書き出せるからです。
次に、作文を書き終えたあとは、その指示したことだけを評価します。だから、褒める評価ができるのです。
最初に指示していないことを注意するような評価の仕方が最もよくないやり方です。
例えば、「会話を使って書いてみよう」という指示をしたのに、作文を書いたあと、その子が努力して書いた会話には触れずに、「漢字をあまり使っていない」というようなちぐはぐな注意をするのが間違った評価の仕方です。
漢字を評価するなら、書き出す前に、「今日は漢字を10個以上書こう」という指導をする必要があるのです。
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小中学生の教育で最も大事なものは、教える先生の人柄です。
学力は、勉強さえすれば誰でもつきますが、子供たちが先生を通して身につけるものは、知識ではなく、教える先生の生き方やものの見方や考え方や行動の仕方です。
その意味で、子供たちの教育者として最もふさわしいのは、両親と地域で信頼される大人です。
小中学生の勉強は、先生に教えてもらう勉強ではなく、自ら学ぶ勉強にしていく必要があります。また、教材に頼る勉強ではなく、シンプルな方法を徹底するような勉強にしていく必要があります。
言葉の森では、これまでの30年間の作文指導のノウハウと、家庭学習のエッセンスをセットにして、両親が自分の子供や地域の子供を教えるという森林プロジェクトを始めました。
これからの子供たちの学力を育てるのは、このような草の根からの教育です。
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言葉の森は、最近のように、大学入試、高校入試、公立中高一貫校入試の作文小論文試験が広がるずっと以前から、作文教育に力を入れてきました。
言葉の森が作文指導を始めた30年前には、作文教室と名のつくものはひとつもありませんでした。ですから、言葉の森の指導法も教材も、すべてオリジナルです。
そして、言葉の森は、指導の当初から、大学入試の小論文に高い実績を上げていました。
言葉の森作文指導は、小学生の生活作文にとどまらず、社会人になってからも役立つ論文を書く力を目標にしています。
また、文章を書くだけでなく、書く力の土台となる読む力、考える力をつけることを重視しています。
更に、文章を上手に書くだけでなく、個性的な内容を創造的に書くことに力を入れています。
これからの子供たちの学力で大事になるものは、知識の力ではなく考える力です。
しかし、現代では、学習塾、予備校、通信教材などは、知識の詰め込みで成績を上げるような教材や学習方法が氾濫しています。
そこで、言葉の森では、子供たちが、塾や通信教材に任せる勉強ではなく、家庭や地域で自主的な勉強を行えるようにするための、自習検定、寺子屋オンエア、親子の対話重視の指導にも力を入れるようにしています。
今、作文教室という名前の講座が、通信教材でも、学習塾でも行われるようになっています。
しかし、それらの講座の目標は、作文を書くことに絞られているのがほとんどです。それでは、本当の作文力はつきません。
作文指導は、作文を頂点としたトータルな日本語力をつけることを目標としていく必要があるのです。
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低学年の勉強は、国語力をつけることが最重点です。また、現代では、入試に記述式の問題や作文小論文の問題が出ることが多いので、作文力をつけることも重要になってきます。
低学年のときの勉強は、勉強の仕方に慣れることを目標にしていきます。成績を上げるところまで考える必要はありません。
低学年の時期に成績を上げようとすると、必要以上に無理をすることがあり、勉強に飽きるようになります。
また、低学年の頃の成績は、どんなによくても、それがあとまで続く保証はありません。高学年での成績は、高学年での勉強によるものであり、中高生での成績は、中高生になってからの勉強によるものです。
学年が上がれば誰でもできるようになることを、低学年のうちに先取りをしたり、必要以上に難しいことをやらせたりする必要はないのです。
小学校低学年の時期は、勉強よりも読書と対話が学力の中心になります。その読書と対話のきっかけになるものが言葉の森の作文です。
作文の勉強は、作文そのものを目的にするのではなく、作文を上手に書くために、読書と音読と対話に力を入れることを目標にしていくものです。
低学年の時期は、つい目につきやすい漢字の先取りや、算数の先取りや、英語の先取りなど勉強をしがちですが、いちばん大事なのは日本語を読む力をつけることです。
近年、幼児期からの英語の学習に力を入れすぎ、国語が苦手になるという子が増えています。英語ができても、国語力がなければ、学年が上がるにつれて英語力も伸びなくなります。
算数は、低学年の時期に計算練習に慣れることは大切ですが、計算だけが速くなっても、文章を読み取る力がなければ文章題は解けません。
国語力は、漢字の書き取りをする力ではなく、文章を読み取りそれを考える力です。だから、漢字ドリルや国語の問題集をやるよりも、作文を中心にして読書と音読と対話の力をつけていく必要があります。
言葉の森では、この春から、三歳児からの幼児作文コースを始めました。まだ字が書けない子でも、お母さんと楽しく交流しながら、自然に作文の書き方を身につけていきます。
この幼児期からの楽しい対話が、子供が高学年になったときの親子の知的な対話につながっていくのです。
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