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記事 2154番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
幼児教育で大事なのは、親の後ろ姿 as/2154.html
森川林 2014/05/28 14:54 


 子供は、大人のしていることを真似したがります。○○ごっこという遊びがそうです。
 お母さんごっこ、先生ごっこなど、身近な大人の社会を模倣して成長していきます。

 では、勉強はどうなのでしょうか。また、読書はどうなのでしょうか。
 これらも、勉強ごっこ、読書ごっこという形で取り組むようになればよいのです。

 そのためには、お母さんが、楽しく勉強している姿を見せることです。また、自分の好きな読書をして、その本の中身がこんなに面白かったなどということを話してあげることです。
 こういう姿を見ている子供は、誰に言われなくても、自然に勉強や読書に対して肯定的な感情を持ち、自分も同じようなことをしたがります。

 幼児作文コースでは、お母さんが、子供の話を聞いて作文を書きます。お母さんが楽しく書いている姿を見せて、「こんなふうに書けた」という話をすれば、子供が自然に作文に対して興味を持ちます。

 子供が、自分も同じように書き始めたときに大事なことは、大人が注意をしたり直したりしないことです。
 模倣をたっぷりした子は、初めから正しい書き方が自然にできるようになります。
 模倣が不十分であるうちに作文を書かされ、間違った書き方をして、注意されたり直されたりするので、書くことが嫌いになっていくのです。

 大事なことは、子供に勉強させることではなく、まず親が楽しく勉強的なことをしている姿を見せることなのです。

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記事 2153番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
寺子屋オンエアで暗唱と問題集読書を as/2153.html
森川林 2014/05/27 13:36 


 これから、寺子屋オンエアで、小4以下は暗唱の勉強、小5以上は問題集読書の勉強をしていきたいと思っています。

 なぜかというと、暗唱と問題集読書は家庭で続けにくい面があるからです。
 ドリルを解くような形の残る勉強は、実力はつきませんが、形が残るので続けやすい面があります。
 それに対して、音読、暗唱、読書、問題集読書などは、続ければ必ず力がつくのですが、形が残らないので張り合いがないせいか、なかなか家庭で続けることができないのです。

 言葉の森の暗唱の方法は、手順のとおり毎日10分ほど時間をかければ、だれでも900字の文章を丸ごとすらすら暗唱できるようになります。
 しかし、家庭の場合、親が自分自身子供のころに暗唱をしたという経験がないので、暗唱の勉強をつい覚える勉強と勘違いしてしまうのです。

 覚えたかどうかは、暗唱をしていたことの結果であって、暗唱の目的ではありません。
 親が覚えたかどうかを基準にして見ていると、子供の方も、繰り返して暗唱するよりも、覚えたかどうかを基準として勉強するようになります。

 その結果、先生の前では、すらすらではなくつっかえながら暗唱するような場合も出てきます。すると、先生が助け舟を出してやっと暗唱できるというようなこともあるのです。
 このように、覚えたかどうかを基準とすると、暗唱の勉強は、やがて毎日ではなく週に数回となり、ますます覚えようとする癖がついてきます。

 同じようなことは、問題集読書についても言えます。

 問題集読書は、読む力をつけるための最も手軽で効果のある勉強法ですが、ただぼうっと読んでいるだけの子もいます。そういう子は、読んだところに傍線を引かず、きれいに読んでいます。

 文章に傍線を引かずにきれいに読む読み方では、繰り返し読むようなところまではなかなか行きません。
 問題集読書も、もし音読でやれば繰り返し読めるようになりますが、それでは今のほとんどの子には負担が大きすぎます。
 やはり、印象に残ったとこに傍線を引いて読むというのが、深く読むためには(つまり繰り返し読むためには)最もよい方法なのです。

 問題集読書については、読んだあとに感想を四行詩で書き読みを深めるという形をとることができます。
 しかし、すると、今度は、形の残る書くことだけに力を入れ、読む方がおろそかになる子が出てきます。
 読んだ勉強の結果として書く勉強があるのですが、とりあえず形の残る書く勉強だけして、読む勉強は後回しにするという勉強になってしまう子も多いのです。

 ところが、家庭では、暗唱にしても、問題集読書にしても、保護者自身にそういう勉強をした経験がないので、子供に的確なアドバイスができません。
 そこで、寺子屋オンエアの取り組みの中で、小4以下は暗唱、小5以上は問題集読書の自習ができるようにしたいと考えています。

 やり方は、こんなふうです。
 まず、生徒が自分の勉強できそうな時間帯にアクセスします。
 そして、先生に、暗唱するページや、問題集読書をするページを報告します。
 寺子屋オンエアをつなげたまま、自分なりに暗唱や問題集読書を行い、できた時点で先生にチエックしてもらいます。
 毎日10分か15分の自習ですが、このようなやり方でやれば、続けやすくなると思っています。

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記事 2152番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
教えない教育の本質は、教えないことではなく、自分で学ぶこと as/2152.html
森川林 2014/05/26 19:29 


 教えない教育といった場合、それが、教えない教育ができる優れた先生でなければできない教育であるならば、それは、本当の教えない教育とは言えません。(ややこしいが)

 教えないという言葉にとらわれて、わからない問題に遭遇したときも、すぐに解法を見ずに自分で考えさせるということをすすめる人もいます。
 それも、確かにひとつの方法です。

 しかし、小中学生の勉強は、考える勉強よりも、基礎的な学力を身につける勉強が大部分を占めています。
 だから、わからない問題に出合ったときは、すぐに自分で解法を見て解き方を理解した方がいいのです。
 これを、先生に教えてもらうのではなく、自分でやることが、本当の教えない教育であり、教えない勉強です。

 自分なりに考えることは、必ずしも勉強でする必要はありません。遊びや仕事や趣味の生活の中で、考える場面はたくさんあります。
 すぐに解法を見るという勉強は、考えない勉強ではありません。答えを読んで理解するという能率のよい勉強をした上で、本当に考えるべきことに時間を割くのがいいのです。

 そして、考える時間は、問題集を解くかたちで作るよりも、親子の話し合いの中で作っていくのが最も理想的なのだと思います。

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Pomu 20181227  
割とこれは事実ですよね〜

ワークを家で宿題としてさせるよりも、答えを見てもいい形で授業の中で問題とかせてわからないやつは解説がしっかりしてる回答をみながら解いていくっていう。

まあ、答え全部移しちゃえー!って子もでてくるんだろうけど。



森川林 20181227  
 Pomさん、ありがとう。
 その「答えを写しちゃえ」となったときが、また大事な教育の機会なのです。
 そこで、勉強というのは自分を向上させるためにあるということを優しく話すと、子供のそれからの勉強に対する姿勢が変わってくるのです。

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記事 2151番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
学問の力 as/2151.html
森川林 2014/05/25 16:33 


 「算数は、+-×÷ができればよい」とか、「英語は会話ができればよい」とか言う人がいます。確かに、現実の必要から遊離した受験的な勉強の行き過ぎから、そういう声が出てくることは理解できます。
 しかし、学問の意義は、生活の必要のためではなく、生活の必要を超えたところにあるのです。

 ある公立中高一貫校の適性検査の中に、「ハンガーに洗濯物をバランスよく干すにはどうしたらよいか」というものがありました。
 左の何列目かにハンカチを1枚干した場合、右の何列目にハンカチを2枚干すかというような問題です。

 このようなことを日常生活で考える人はまずいません。試しにやってみて、バランスのとれたところを見つけるというのが普通のやり方です。
 では、なぜこのように、やってみればすぐわかることを、机上の紙の計算でやるのでしょうか。
 実は、これが学問なのです。

 もし、この問題を考えた子が、将来、宇宙ロケットのプロジェクトに参加し、月に遠隔操作でバランスのとれた装置を作るという課題が与えられたとします。その装置を月にまで持っていって、試しにやってみることはできません。
 つまり、生活の必要を超えた、より高い創造的な目標を達成しようとするときに、学問は必要になるのです。

 明治維新のときに、日本が急速に欧米の文化を取り入れることができたのは、この学問の力があったからです。
 江戸時代の寺子屋教育は、読み書き算盤という生活の必要の範囲にとどまっていたような印象を受けますが、そうではありません。寺子屋で基礎的な勉強を済ませたあと、より高度な学問に取り組んでいった人が数多くいたのです。

 例えば、伊能忠敬(いのうただたか)は、49歳で家業を長男に譲ったあと、かねてから関心のあった天文学を学び直しました。そして、地球の大きさを正確に測るために、日本列島を測量することを思い立ちました。
 当時の日本には、既にそういう、生活の必要から離れた学問を専門に教える先生がいたのです。

 翻って現代の教育を考えてみると、小学校低学年のころの生活の必要に結びついた勉強は、やがて高学年になり受験のための勉強へと発展していきます。しかし、そのあとの学問のための勉強につながる部分が不十分なように思えるのです。
 その証拠に、生涯で最もよく勉強したのが、高3の受験勉強のときだったという人は多いと思います。本当は、大学でこそ、生涯で最もよく勉強しなければならないのです。

 学問の素養は、18歳以降の古典の読書によって培われるものだと思います。
 言葉の森では、将来、そういう学問力をカバーするような勉強を進めていきたいと思っています。

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記事 2150番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
夏休みの自然寺子屋合宿参加受付中 as/2150.html
森川林 2014/05/24 10:58 


 夏休みの自然寺子屋合宿を、7/23~7/25 8/5~8/7 8/19~8/21の3回の予定で行います。(いずれも2泊3日)
https://www.mori7.com/stg/

 言葉の森で夏合宿を行うというのは、実は久しぶりの企画です。
 以前は、毎年のように近くの海や山で、子供たちを連れてキャンプをしていました。

 キャンプで面白いのは、普段の勉強とは違う面が見られるということです。
 特に、普段教室でよく騒ぐような子ほど、キャンプ場での仕事をしっかりしてくれます。
 うるさい子ほど、キャンプ場のような場では、頼りになることが多いのです。

 今回、夏合宿を再開したのは、今後、合宿教室という企画を広げることを考えているからです。
 従来のサマーキャンプなどでは、ただ自然の中で遊ぶことが重点でした。
 今回の夏合宿では、午前中寺子屋形式で勉強することと、午後自然の中で遊ぶこととをセットにしています。

 そして、この夏合宿を、夏休みが終わったあとも、通年型の土日合宿につなげていきたいと思っています。
 更に、その後は、国内の生徒の土日合宿だけでなく、海外から日本語留学に来る小中学生の長期間の合宿も受け入れていく予定です。

 留学生対象の合宿教室の場合、勉強の内容は、日本語の学習だけでなく、寺子屋形式で勉強する仕方を学び、併せて日本文化を学ぶようなものにしていきたいと思っています。

 いずれの合宿も、勉強だけでなく、自然の中で遊ぶ機会も作っていく予定です。
 自然の中の遊びで、いちばん楽しいと思うのは、動物と触れ合うことです。
 そこで、合宿場では、馬やロバやポニーを誰でも乗れるようにして、午前中の勉強のあとの午後の遊びは、各自が自分の好きな動物に乗って、近くの山や川で遊ぶというようなものにしたいと思っています。

 今回の夏合宿では、まだ馬やロバはいませんが、将来は、そういう動物と触れ合うことのできる自然寺子屋合宿を作っていく予定です。

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渡部美夏 20140524  
いつもお世話になっています。講師の参加は可能ですか?そして4歳、7歳の参加枠をご検討お願いしまーす。

森川林 20140525  
 自炊のときとか、お風呂に連れていくときとか、手伝ってくれる人がいるとありがたいです。
 今回は、小3からにしましたが、今後は幼児から参加できるようにしたいと思っています。

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記事 2149番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
最もよい社会が来ることを前提として準備する as/2149.html
森川林 2014/05/23 12:40 


 先日の「希望を前提として生きる」のfacebookページのコメントとして、「明日が雨で明後日が晴れなら、明日の雨の対策を考えるより、明後日の晴れの計画を考えた方がいい」と書きました。
 これが、これからの世の中の動きに対する対処の仕方です。

 明日の雨は激しいかもしれませんが、じきにやみ、そのあと明後日からは長期間にわたって明るい晴れ間が続きます。
 やがてやむ大雨のために対策を立てるのではなく、そのあとずっと続く晴れ間に向けての計画を立てる方が、ずっと実りのある準備になります。

 子供の教育についても、同じことが言えます。
 これから経済的にも、政治的にも、自然環境の上でも、厳しい雨の時代がやってくるかもしれません。
 しかし、そこで、安全確実なポジションを早めに確保して閉じこもろうとするのではなく、今のうちに、そのあと来る明るい未来の社会に向けての準備をすることが大切です。

 安全や安心には、一応目配りはしますが、それを第一に考えるのではありません。
 第一に考えるのは、挑戦と創造の人生をどう送るのかということです。
 これから、考えられる最もよい社会が来ることを前提として、その社会の中で生きる準備をしておく必要があるのです。

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記事 2148番  最新の記事 <前の記事 後の記事> 2025/2/12
国語力と国語の成績の関係 as/2148.html
森川林 2014/05/22 15:59 


 小学3年生ぐらいで、国語の成績が悪いというのは、算数やほかの教科の成績が悪いというのとは、性格が違います。
 算数は、主に学校の勉強時間の範囲で学ぶものですが、国語はそれまでの8、9年間の家庭生活の中で育ってきたものだからです。
 国語力は、国語の勉強によってではなく、国語的な生活の中で身についてくるのです。

 国語的な生活とは、何よりも、本を読む生活と、親子で話をする生活です。
 読書について言えば、毎日1時間本を読む子と、毎日30分を読む子との差は、その30分が何年間も続いた差です。だから、これは多少の勉強の量では逆転しないのです。

 言葉の森では、国語力をつける勉強として、(1)音読(又は音読と暗唱)(2)読書(3)対話、をすすめています。しかし、これは誰でもできる最低限の勉強です。もちろん、最低限の勉強であっても毎日続けていれば、国語力はついてきます。

 しかし、ここでついた国語力は、国語の成績とは多少異なります。

 現在の受験勉強を目標にした国語の場合、国語の成績は、実際の国語力よりも、国語の問題を解く技術の方が大きな差になっています。
 だから、国語力があってもあまり国語の成績のよくない生徒や、逆に国語力がそれほどないのに国語の成績がよい生徒がいるのです。

 国語の成績を上げるためには、言葉の森の毎月第4週目の読解問題で全問正解の百点を目標とすることです。
 ここで、理詰めに百点を取る練習をしていれば、国語の成績は必ず上がります。この読解問題で、60点や70点を取っているのであれば、それは問題の解き方がよくわかっていないということです。

 国語の成績を上げるために家庭でできることは、全国的な模擬試験などの信頼性のあるテストを、親子で全問を理詰めに解いてみることです。
 一度でも、この理詰めに解くというやり方を身につけると、それからは国語の成績が上がります。また、不正解だったときも、なぜ正解でなかったのかを考えることができるようになります。

 ところが、実は、中学3年生や高校3年生の受験期になってもまだ、こういう理詰めに解くというやり方を身につけていない生徒がほとんどなのです。
 しかし、それでも、わずか1、2回のアドバイスで、次のテストからはすぐに成績が上がります。

 その意味で、国語の成績を上げるのは実は簡単です。しかし、成績が上がるのはその生徒のもともとの国語力の範囲までです。
 だから、大事なことは、何よりもまず、音読と読書と対話によって、毎日の生活の中で国語力を育てる勉強を気長に続けていくことです。

 更に、音読、読書、対話以外に余力があり、やる気のある人は、小学校高学年以上になってから問題集読書に取り組むといいでしょう。
 しかし、問題集読書は、音読や読書や対話と同じように張り合いのない勉強なので、勉強に対する自覚のない小中学生のうちは、なかなか続けられない人も多いようです。

 そこで、言葉の森では、今、寺子屋オンエアなどで問題集読書をチェックできる仕組みをつくることを考えています。

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自主性と強制と放任 as/2147.html
森川林 2014/05/21 07:47 


 小動物を飼っていると、自主性に任せることの大切さをよく感じます。
 手っ取り早く言うことを聞かせるには、禁止や命令や強制が役に立つように見えますが、強制を続けていると、強制でしかコントロールできなくなります。

 これは人間でも同じです。

 しかし、自主性に任せるというのは、放任ではありません。自主性と放任の違いは、自覚の有無です。

 自主性を育てるには、子供の成長のかなり早い時期から取り組む必要があります。
 まず、自主的に行うことの大切さを、言葉で自覚させるようにします。
 次に、実際に自主性に任せるようにします。最初は、自主的にやりやすいところから始めることが大事です。ハードルの高いことを最初から要求してしまうのはよくありません。
 そして最後に、自主的にできたことを褒めてあげます。
 たまに、短く厳しく叱ることはあるかもしれませんが、年中小言を言うような叱り方はしません。

 勉強も、やることとやる時間を決めて、本人が自主的にやれるようにします。
 そして、自主的にやることの大切さを、言葉で折に触れて自覚させるようにします。自覚をさせるという働きかけがなければ、ただの放任になってしまうからです。

 自主性に任せていると、なかなかやり出さないことがあります。それでも気長に待っていることが大切です。
 しかし、最後までやらなかったとしたら、それはきちんと叱らなければなりません。
 そして、なかなかやり出せなかったということは、多くの場合ハードルが高かったことが原因ですから、分量を減らすなど、自主的にやりやすい仕組みに変えておくことです。

 勉強は、中学生の後半以降になって本人が本気になれば、親が止めてもやるようになるものです。
 そのためにも、小学校時代は、勉強をさせることではなく、自主的にさせることを重点にしておく必要があるのです。

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ばんばん 20151101  
このテーマ、今まさに悩んでいるところです。
わが娘は小6、あと半年で中学生。。。このままでいいのか?

娘は頑固な性格なので、幼少期から本人の自主性に任せてきました。親が何も言わなくても、なんでもまじめにこなすので、学校では優等生、勉強も運動もできる(田舎の公立小学校なので、やればすぐにトップにはいけるかと思います)。
その一方で自由奔放で親の言いつけを守らないところもあり、バランスよくのびのびと育っていると安心していました。

4年生になると、突然に、子供がダンスを習いたい、塾に通いたいといいだし、「まあ、やりたいなら・・・」と特に何の期待もせず通わせました。
塾は友達の影響というより、学校の勉強が物足りないからという理由でした。(受験塾ではなく、学校より難しいことを勉強する学習塾です)

ところが、一生懸命やっていたのは最初の半年くらいで、すぐに手を抜くようになりました。
まじめに取り組むが本気ではやらない。
そつなくこなすだけ。
怒られないように、まじめにやるだけ。

そういうやり方は学校以外の場所では通用しません。
ダンスでも塾でも先生に怒られ、怒っても娘には届かないので、見捨てられている状態です。

親としては、結果を出してほしいという気持ちはなく、がむしゃらに取り組むことを通して精神的に成長してほしいという思いが強いです。
いつまでも優等生に安住してほしくない。

その思いで、手抜きをしていることがわかったときは、がつんと怒るのですが、怒られると頑張る、つまり、強制されて努力しているような形になり、それはいいのか?と自問自答の日々です。

かといって、一年間、口を出さずに見守っていても、何も言われないことをいいことに、手を抜きまくりの一年間でした。

「他人から指摘されても無駄、本人が気づかないと何も変わらないから、見守るしかない」という意見も聞きます。

習い事で自由時間もなく、読書すらまともにできない忙しい生活なのに、だらだらと習い事に通わせていいのか?
勉強は中学卒業までは学校中心でOK、本気でやるなら精神的にも成熟してくる大学受験でよい、それまではゆっくりと時間を使い、多種多様な体験をしてほしいと親の私は考えているのですが・・・

自主性と尊重する。強制すべきところは強制する。どこまで見守り、どこで怒り、どこまで怒るべきなのか、道を見失いました。

指導者の立場でいるときは客観的にほかのお子さん、お子さんと親御さんの関係性などを分析して見ることができたのに、自分の子となると難しいです。


森川林 20151101  
 てを抜くというのは、手を抜けるぐらい頭がいいということなので(笑)心配は要らないです。
 小学校高学年から中学生にかけては、特に手を抜く時期です。この時期は、自分というものがまだなく、他人から言われたことをやるだけですから、要領よくやるということに流れやすいのです。
 中3になれば、もっと自覚をして自分で取り組むようになると思います。
 
 でも、それまで待てないと思うので、当面は、本人が自然に熱中してしまうような面白いことをいろいろさせてみることだと思います。勉強などはすぐにできるので、勉強ということから離れて本人の関心のありそうなことを与えて様子を見るといいと思います。
 
 くれぐれも、少しでも勉強に結びつくようになどとは思わないことです。

ばんばん 20151102  
アドバイスありがとうございます。

「手を抜けるぐらい頭がいい」という見方、目から鱗で、思わず笑ってしまいました。
(昨日は追い詰められて泣いていた・・・)

先生の指摘されること、納得します。
たしかに、教え子たちも自分自身の思春期時代も、教師や周りにやらされていただけですね。
自分自身が自覚を持って取り組んだのは高校生のときでした。

オリンピックを目指すようなレベルのお子さんをテレビで見ていると、浅田真央さんなど、好きなことならがむしゃらに取り組めるものだと思っていました。

そういう子供は特別なのか、または、そういう子供でも根本部分では周囲のプレッシャーからやっているだけなのか、わかりませんが・・・いずれにせよわが子は平凡な子なので、比べることが土台おかしいですね(苦笑)

娘は異様なまでに好奇心旺盛なので、しばらく自由に泳がせて、寄り道も人生経験、忍耐強く見守りたいと思います。

気持ちが楽になりました。
ありがとうございました。

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手書きの作文と講評はここには掲載していません。続きは「作文の丘から」をごらんください。

主な記事リンク
 言葉の森がこれまでに掲載した主な記事のリンクです。
●小1から始める作文と読書
●本当の国語力は作文でつく
●志望校別の受験作文対策

●作文講師の資格を取るには
●国語の勉強法
●父母の声(1)

●学年別作文読書感想文の書き方
●受験作文コース(言葉の森新聞の記事より)
●国語の勉強法(言葉の森新聞の記事より)

●中学受験作文の解説集
●高校受験作文の解説集
●大学受験作文の解説集

●小1からの作文で親子の対話
●絵で見る言葉の森の勉強
●小学1年生の作文

●読書感想文の書き方
●作文教室 比較のための10の基準
●国語力読解力をつける作文の勉強法

●小1から始める楽しい作文――成績をよくするよりも頭をよくすることが勉強の基本
●中学受験国語対策
●父母の声(2)

●最も大事な子供時代の教育――どこに費用と時間をかけるか
●入試の作文・小論文対策
●父母の声(3)

●公立中高一貫校の作文合格対策
●電話通信だから密度濃い作文指導
●作文通信講座の比較―通学教室より続けやすい言葉の森の作文通信

●子や孫に教えられる作文講師資格
●作文教室、比較のための7つの基準
●国語力は低学年の勉強法で決まる

●言葉の森の作文で全教科の学力も
●帰国子女の日本語学習は作文から
●いろいろな質問に答えて

●大切なのは国語力 小学1年生からスタートできる作文と国語の通信教育
●作文教室言葉の森の批評記事を読んで
●父母の声

●言葉の森のオンライン教育関連記事
●作文の通信教育の教材比較 その1
●作文の勉強は毎週やることで力がつく

●国語力をつけるなら読解と作文の学習で
●中高一貫校の作文試験に対応
●作文の通信教育の教材比較 その2

●200字作文の受験作文対策
●受験作文コースの保護者アンケート
●森リンで10人中9人が作文力アップ

●コロナ休校対応 午前中クラス
●国語読解クラスの無料体験学習