暗唱は、「てにをは」も含めて1文字も間違えずに、途中でつっかえたり考えたりせずに、最初から最後まで一気に滑らかにできるのが本来の形です。
貝原益軒は、百字の文章(四書五経など)を百回、空で読み空で書くという暗唱法を提唱しました。時間にすれば30分ぐらいの暗唱練習です。これだけやれば、誰でも1文字も間違えずに滑らかに暗唱できるようになります。これが、昔の寺子屋の勉強の基本でした。
しかし、現代の子供が、百字を百回読むというような暗唱法で練習できるかといえば、そういうことはまずできません。そこで、言葉の森では、1日の回数をもっと少なくして、最終的にひとつの文章(900字)を百回読むような暗唱法にしたのです。このやり方を覚えていれば、将来、自分が本当に暗唱したい文章があったときも同じやり方ですぐに暗唱できるようになります。言葉の森の暗唱は、暗唱法を身につけるための暗唱でもあるのです。
暗唱は、文章を覚えることが目的ではありません。何度も繰り返し音読することが目的で、その結果としてその文章を覚えることになるということです。だから、暗唱チェックの仕方は、文章を覚えているかどうかにしていますが、それは覚えたかどうかを見るためではなく、暗唱の練習を毎日していたかどうかを見るためなのです。
なぜ、文章を覚えただけでは不十分で、覚えたあとも繰り返し暗唱し完璧に言えるようにするかというと、そのようにして暗唱した言葉は、日常生活のほかの場面でふと思い出すようになることがあるからです。
覚えたものをただ再現できるというだけであれば、それは「覚えた」という衣服を着たようなものですから、時間がたてば衣服を脱ぐように忘れてしまいます。ところが、覚えた以上に更に繰り返した暗唱は、日常生活の場面でふと口をついて出ることがあります。このときに、暗唱した文章は、脱ぎ着できる衣服ではなく、その人の身体の一部のようになっています。
これは、読書でも同じです。いろいろな本をたくさん読むのはよいことですが、それはいろいろな衣服を次々に着てみたというような読み方です。たくさん読んだわりに、自分の身についているものは少ないのです。
それとは反対に、自分の好きな数冊の本を何度も読むような読み方をすると、その本は衣服ではなく身体の一部のようになります。だから、子供時代に、同じ本を何度も読んだという経験のある子は、読む力や書く力がつくのです。
繰り返した言葉は、ただ理解するための言葉ではなく、表現するための言葉になります。その表現できる言葉が、その人の思考力のもとになる言葉になるのです。
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保護者の方から、次のような相談がありました。「計算はできるが、算数の文章題ができない」
これだけ聞くと、国語の読解力がないことが原因のように考えられがちですが、事はそう簡単ではありません。
小学校低学年の場合は、文章題が解けないのは読解力がないことが原因の場合もあります。しかし、その読解力も、ある言葉の意味がわからないというようなことであるかもしれません。
例えば、「2列目には3人が……」というような文章があった場合、「列」という概念がわからないためにできないということもあるのです。
小学校高学年の場合は、文章題が解けないのは、読解力がないからではなく、問題となっているその算数の考え方自体が難しいからということもあります。
例えば、「ある長さのリボンから20センチ切り取ったとき、残りのリボンの長さが最初の長さの70パーセントだったとすると、最初のリボンの長さは何センチあったのでしょうか」というような問題は、国語の読解力の問題というよりも、算数的な考え方を図解する練習ができているかどうかという問題になるのです。
こういうことは、その子の解いた実際の問題を、親や先生が同じようにある程度解いてみないとわかりません。
文章題が苦手というときは、どの文章題が苦手なのかということを見る必要があるのです。
もうひとつ別の話です。
中学入試の作文の試験で、「時事問題や社説のようなところから問題が出される」という情報が、学校又は塾の説明会であったようです。
しかし、その話を聞いたお母さんが、実際にいろいろな社説を見てみると、中学入試に出るような内容の社説というのは、あまりなかったそうです。
同じように、時事的な問題が出るからといって、時事的なニュースをまとめた参考書などを勉強しても、まずほとんど役に立ちません。
時事的な問題がなぜ出るかというと、時事問題の知識を問うためではなく、その時事問題に出てくるような現代の社会の背後にある文化を問う問題を出すためです。
だから、いちばんの対策は、社説を読んだり、時事問題の参考書を読んだりすることではなく、実際の入試問題集の問題文を読むことです。
勉強で大事なのは、試験の点数ではなく、その点数の向こう側にある問題の内容です。
だから、子供の勉強を見る際に大事なことは、その子のできなかったところを表面的に見るだけでなく、親も実際に解いてみることなのです。
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△こんな海で泳ぎます。
今年は、久しぶりに夏の合宿を行うことにしました。おかげさまで2泊3日の3コースともすぐに満員になりました。
希望があるのに参加できなかった方もいらっしゃったので、次回は参加者の枠をもっと増やしていきたいと思います。
今回の自然寺子屋合宿は、遊ぶだけでなく、勉強もするという形の合宿です。
その勉強は、先生が何かを教えるという形ではなく、いわゆる寺子屋方式で、それぞれの生徒が自分で取り組めるようなものにしていく予定です。
その寺子屋方式の自習のメニューのひとつが付箋読書です。これは、10冊ぐらいの本を、付箋をつけながら並行して読んでいくという方法です。
読書は、どんなに面白い本であっても、1冊だけ読んでいると、時間がたつうちにやがて飽きてきます。
ところが、付箋読書という方法で何冊かを並行して読んでいくと、何時間読んでいても飽きません。
しかも、付箋読書は、読みにくい本でもすぐに読み出せるという利点があります。
この夏の合宿では、そういう新しい読書の方法を身につけていけるようにしたいと思っています。
自然寺子屋合宿の「自然」ということについては、海や山でワイルドな遊びをしたいと思っています。
その遊びのひとつがシュノーケリングです。
浅瀬の磯で、海の中に潜って貝をつかまえ、それを昼食でバーベキューにして食べるというようなことをしたいと思っています。
果たして……無事に昼食が食べられるか(笑)。
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国語力をつける要は、文章を読む力をつけることです。特に、受験に対応するためには、物語文についても説明文についてもそれなりに難しい文章を読んでおく必要があります。
その教材として最も手頃なのは、実際の入試問題集です。
そこで、言葉の森では、小学校高学年以上の生徒には、問題集読書をすすめていました。ところが、小学5年生の段階では教育漢字がまだ読めない生徒がいることや、中学1、2年生では常用漢字がまだ読めない生徒がいることから、問題集読書を敬遠する生徒もかなりいました。
そこで、現在、漢字集を作って、漢字の読みだけは学年を先取りして勉強できるような形みにしました。
問題集読書には、もうひとつ問題があり、それは傍線を引かずにただ読むだけの生徒や、読むよりも文章を書き出すことだけに熱心になってしまう生徒がいることです。小中学生は、勉強に対する自覚がまだ弱いので、形に残るものだけに熱心になってしまう傾向があるのです。
そこで、今考えているのは、寺子屋オンエアで、問題集読書の実際の勉強状態をチェックするという仕組みです。
問題集のやり方については、昔の記事が下記のページにありますが、また機会を見てもっとやりやすい方法を提案していきたいと思います。
https://www.mori7.com/kg/koku/mdds.php
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今、幼児期の勉強の仕方が見直されています。
知識や技能は目立ちやすいものなので、計算ができるとか、漢字が書けるとかということが、幼児期には大きな差であるように考えられがちです。
しかし、実際には、知識や技能は学年が上がれば誰でも同じようにできるようになるものなので、先取りしておく意味はありません。
そのかわり大事なのは、勉強というものを楽しむ姿勢を育てていくことです。特に、これから重要になるのは、読むこと、書くこと、考えることを楽しいと感じる子供たちを育てていくことです。
算数の勉強でも、現在は、速く正しく答えを出す能力以上に、自分なりに考えて解く楽しさを味わえる子を評価するようになっています。
国語の勉強についても同じです。
幼児期に、親子で楽しく対話をし、作文を書き、それを読むという練習ができるように、幼児作文コースを始めました。大事なことは、「楽しく対話をする」ということです。
勉強は、時期が来て教われば、誰でもできるようになります。勉強ができること以上に大事なことは、勉強を楽しむという気持ちを幼児期の間に育てていくことだと思います。
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国語力のある子は、高校生の後半から大学生にかけて、哲学をはじめとする難解な学問に強い関心を持つ傾向があるようです。哲学に限らず、物理学でも、経済学でもいいのですが、要するに難解なものに魅力を感じるのです。
小中学生の段階では、まだそのような難しい学問に取り組む動機を持つ子供はいませんが、作文の勉強というものは、その子らしい、創造性、思考力、表現力を発揮できるという点で、国語の勉強を発展させるひとつの方向になると思います。
算数数学の成績がよくても、算数的数学的に考えることが得意でない子がいるように、国語の成績がよくても作文を書くのは得意でないという子がいます。
これからの学力でどちらが大事かといえば、ただ算数数学が得意な子よりも、算数数学の難しい問題を考えるのが好きな子の方です。
同様に、国語力に関しても、これから大事になるのは、国語の成績がよい子よりも、自分らしい作文を書くのが好きな子になってきます。
言葉の森では、この創造性のある考える作文を評価するために、今後、作文オリンピックのような形の学習も考えていきたいと思っています。
現在の小学校高学年から高校生にかけての作文、特に感想文の課題は、ヒントなしに生徒本人が書くのであれば、ほとんどの子がまともには書けないと思います。ところが、中にはそういう難しい課題を自分なりに考えて書こうとする子が、ごく少数いるのです。そういう子供たちが、将来の作文オリンピックの候補者です。
そういう国語的に難しいことを考えるのが好きな子が、小中学生時代に身につけた考える作文力をもとに、高校生の後半から大学生にかけて学問コースで勉強を発展させていく仕組みを考えています。
では、考える国語という勉強を家庭で進めるためには、どのようなことができるでしょうか。
作文の勉強というのは、家庭ではなかなか取り組みにくいものです。1200字程度の文章を書くにも、1時間から2時間はかかります。そういう勉強を定期的に家庭で行うことは無理があるので、家庭でできる創造性のための勉強としておすすめしたいのが、親子の考える対話です。
この対話は、ただたくさん喋ればいいのではなく、親子で考えながらそれぞれができるだけオリジナルに話をしていくということが大事です。
同じ対話でも、中身のあまりないお喋りは、かえって思考力を低下させます。それは、読書でも、易しい本ばかり読んでいると読解力が低下するのと同じです。
創造的で考える対話を親子でするためには、親自身が、物事を自分なりに考えて、自分なりに表現することが好きでなければなりません。大事なのは、知識が豊富であるかどうかということではなく、自分らしく考えることが好きであるかどうかということです。知っている知識を披露するだけの話は、むしろ中身のない話に入ります。
この「答えのない世界を楽しむ」というのが、これからの創造的な学力の中心となるものです。
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