■履物は、履き慣れた運動靴と水遊びのできる履物の2種類
夏合宿の参加者のお母さんから質問がありました。
「クロックスとマリンシューズでもいいですか」
それでいいです。
私は、個人的には、普通に街を歩く運動靴と、海辺で磯を歩いたり水の中に入ったりするときのマリンシューズがあればいいと思ってます。(海辺で裸足というのは、足の裏が痛いのでおすすめできませんが、根性があればそれでもかまいません。)
クロックスは着脱が簡単で水にも強く便利ですが、街を歩くにも、水の中で遊ぶにも、ちょっと足の周りがぶかぶかで不安定な気がすると思います。また、日常的に履いていないものを長時間履くと、足に豆ができることがあります。
履き慣れた運動靴と、水の中で使える何か(上履き、クロックス、マリンシューズ)という組み合わせがいちばんよいと思います。
ただし、慣れない靴で足に豆ができても、簡単に歩けるようにする対策はあります。それは、豆のできたところに、石鹸を水につけてたっぷり塗ることです。
■おねしょの心配があれば、夜中に一度起こします
小学生でも、たまに勘違いしておねしょをしてしまうことがあります。それは、恥ずかしいことでも何でもありません。私(森川林)も、小学校高学年のとき、何を勘違いしたのかおねしょをして、母をがっかりさせたことがあります。
しかし、それから、おねしょ対策を考えました(以下、あまり参考になりません)。それは、おしっこをするときに、いつも目を大きく見開くのです。そういう習慣ができると、まちがっておねしょをしそうなときも目を開くので、「あ、夢だった」をわかるのです。これは、すごくいい方法だったのですが、ほとんどの人にとっては実行が難しいと思います。
そこで、もっと簡単に実行できる方法として、心配な子には、夜中に一度起こしてトイレに連れていきます。これで大丈夫です。心配な人は、「夜中に一度起こして」とあらかじめ連絡をしておいてください。
■車酔いの対策は、意識的に慣れること
車酔いの不安があると、遠出の旅行はなかなか楽しめません。車酔いのいちばんの対策は、車に慣れることです。
その方法は、まず、近所のバスで運行経路のわかりやすいものに乗ります。ずっと乗っていって、気持ちが悪くなったところで降りて、反対車線のバスに乗って帰ります。それを例えば、日曜日などに、子供が自分で納得できるまで何度も繰り返し試します。
このように前向に取り組めば、車酔いは根本的に克服できるようになります。一時的には酔い止めの薬に頼ることもやむをえないかもしれませんが、根本的な対策は、いつも自分の実力をつけることにあり、その実力をつける方法は、反復による慣れです。
今回の夏合宿は、混んでいなければ50分の自動車の旅です。混んでいれば、1時間半ぐらいかかるかもしれません。
近所のバスで車に慣れるという方法で、2時間までは大丈夫という自信をつけておくとよいと思います。
いったんこういう形で自信がつけば、これからあとの学校のバス旅行などもずっと楽しく参加できるようになると思います。
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国語の成績は、氷山の水より上の部分です。水より下の部分は、国語の勉強ではなく、国語的な生活です。
数学や英語の成績は、ゴムボートの水より上の部分です。というほど簡単なものではありませんが、やれば必ず成績が上がります。その効果が、国語よりもずっと早く現れるのです。
では、氷山の水より下にある国語的な生活とは何なのでしょうか。それは、テレビ漬けでない生活、ゲーム漬けでない生活、そして、自然に行われている毎日の読書、親子の日常の対話などです。
国語的な生活とは、その長年の蓄積のことなのです。だから、今、国語の力がないとしたら、それは今ないのではなく、それまでの十数年の国語的な生活の不足の結果が今出ているということなのです。
だから、国語の力をつけるというときに、どこをどう直したらよくなる、ということはありません。数学の場合は、間違えた問題をできるようにすれば、そこで力がつきます。国語は、間違えた問題をいくら説明しても力はつかないのです。
だから、作文を週1回書いているから、国語の成績が上がるということはありません。もちろん、中には、書くことがネックになって国語の成績が上がらなかったという子もいます。そういう生徒は、すぐに成績が急上昇します。
しかし、国語の成績が今ひとつという場合、書く力以外の読む力が不足しているというケースが圧倒的に多いのです。それは、読む生活が不足していたからであって、読む勉強をしていなかったからではありません。
言葉の森の作文の勉強は、作文を書くために、長文を読むという自習を前提としています。事前に長文を毎日音読し、その音読をもとにお父さんやお母さんの似た話を聞いてくるという自習をするから、読む力も、材料を広げる力も、語彙力も、思考力もついてくるのです。
そういう事前の準備のあとに、先生の説明を聞いて、構成力と字数力と書くスピードがついてきます。
だから、もし、事前の予習をせずに、先生の説明を聞いて作文を書くだけであれば、構成と字数とスピードの力はつきますが、その土台になる読む力、題材の力、語彙力、思考力はつきません。
国語の成績があまりかんばしくなかった子で、言葉の森で勉強をしてから急に国語の成績が上がったという子は、例外なく、子供の自習に対する親の働きかけがあった子です。
これまで、国語的な生活をしてこなかった子が、国語的な生活をするようになるためには、まず親の習慣から変えていく必要があるのです。
例えば、読書は時間のあるときに読むもので、普段は勉強が忙しいから、読んだり読まなかったりするという生活を、読書は毎日読むもので、勉強が忙しくても必ず毎日30分か1時間は読書をして、週に2、3冊は読み終えるという生活に変えるのは、子供の力だけではできません。そういう生活をできるようにするには、親の価値観や生活習慣を変えなければなりません。
大人になった人間が生活習慣を変えるというのは、実はかなり難しいことです。
だから、国語の成績をよくするには、子供ががんばるのではなく、まず親が自分の生活を変える必要があります。
さて、そういう国語的な生活をしているのに国語の成績が悪かったという場合は、心配は要りません。
そういう子は、解き方のコツを1時間ほど教えれば、次のテストからは必ず成績が上がるからです。
しかし、そういう解き方のコツのようなものは、受験前に取り組むだけで十分です。それまでは、何しろ国語的な生活をすることによって国語の実力をつけておくことが大事なのです。
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6月27日の朝、「そういえば、オカメインコのバノと、文鳥のサク、両方ともまだ表に出していなかったなあ」と思いました。
これから暑くなると、窓を開けることが多くなるので、うっかりバノたちを部屋の中に放しているときに窓を開けたら、表に出ていってしまうかもしれません。
ペットで飼われている鳥は、いつも室内にいるために遠近感がなくなるらしく、外に出すと帰れなくなってしまうようです。
そこで、まだあまり飛べないうちに、ときどき表に出して距離感をつかませておけば、いざというときにすぐに帰れるようになるだろうと考えました。こういう発想が問題あるらしいけど……(笑)
ちょうど、スズメのえさやりの時間になったので、バノとサクを肩に乗せたまま表に出ました。すると、肩の上で、バノがぐっとジャンプしようとする重みが感じられました。
やはり鳥だって、朝の明るい空のもとでは、思いきり飛んでみたくなるのでしょう。ってのんきなことを言っている場合ではありません。
バノは、そのまま力強くジャンプすると、空高く舞い上がり、ぐるりと大きく弧を描き、しばらく上空を飛んでいましたが、やがて「ピー、ピー」とうれしそうに鳴きながら、駅のほうへと飛んでいきました。
「さようならあ! バノー」なんて言っている場合ではありません。仕方ないから、飛んでいった方を探しに行ってみましたが、小さい鳥のことですから、どこにも見つかりません。そのかわり、根性の悪そうなカラスが、朝の街のあちこちにたむろしていました。
「おい、オカメインコ、見なかったか」
「アホー」
朝、出勤してきたみんなに事情を話すと、ここでも露骨に、「ばかねえ」という雰囲気。
しかし、そこで、ネットの掲示板やツイッターに投稿したらというグッドアイデアが出て、早速あちこちの迷子鳥の掲示板やツイッターに投稿してきました。
それから5日後の7月2日、突然、知らない人からメールが来て、「お宅のバノちゃんではありませんか」という情報。迷子鳥の掲示板に、「7月2日、能見台でオカメインコを保護。金沢警察署に預けられています」という記事が載っていたのです。
港南台から能見台までというと、直線距離で約5キロ。いつも室内で放しているので飛ぶことに慣れているから、風に乗れば飛べない距離ではありません。
早速、金沢警察署に電話をして、7月11日に面会に行くことになりました。
台風一過の暑い夏の日でした。
名犬ゆめも一緒に連れて、金沢警察署へ。窓口は、会計課の落とし物係です。
カゴの中のオカメインコに面会すると、やはり、あのバノでした。
でも、警察の人にとっては、鳥なんてみんな同じに見えるでしょうから、「本当にそう?」というような感じです。
そこで、カゴから出して、「バノちゃん」と手に止まらせると、また元気よく飛び立ち、警察署の中を飛び回りはじめました。みんな、飛んでいるバノと、飛ばしたこっちを注目。「受けてる!」じゃないだろ。
窓の高いところに止まったバノをやっと手に止まらせ、再びカゴに入れると、近くにいた赤ちゃんをだっこした人が、
「わあ、かわいい。見せてくれますか」
とカゴに近づいて、赤ちゃんと一緒にバノをずっと見ていました。
警察署の人に、お礼のお菓子を持ってきていたのですが、「これは、仕事だからいいんです」と受け取りません。日本の警察は清廉です。
それから、バノを車に入れて、ゆめと一緒に港南台まで約20分、教室に帰ってきました。
帰ってから、それまでひとりでいた文鳥のサクと一緒にすると、サクは大喜び。早速、バノの背中に乗って遊んでいました。
「バノちゃん、もう飛んでっちゃだめだからね」
というか、飛ばしたおまえが悪いんだろ、という声がどこかから聞こえてきそうな夏の午後でした。
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言葉の森が読書感想文の指導を始めるまで、読書感想文のわかりやすい書き方というものはありませんでした。
それまでは、感想文というと、感想を書くものだと思う人が多く、同じようなことを何度も書くような書き方になりがちでした。感想や意見というものは、本質的にはシンプルなものなので、それを長く引き伸ばして書くことはできないのです。
また、感想を書くかわりに、あらすじを長々と書くような子もよくいました。小学生の勉強としては、感想文を書くよりも、このようにあらすじを書く方がずっと勉強にはなるのです。しかし、あらすじを長く書くだけでは、書く方も、読む方も、面白くありません。
言葉の森が提案した感想文の書き方は、似た例を通して題材をふくらませ、そのふくらんだ題材から感想を書くという書き方です。しかも、これを抽象的な理屈として説明するのではなく、「第一段落には何を書いて、第二段落には何を書いて」と、子供たちに誤解の余地のないように説明したので、誰でも簡単に感想文が書けるようになったのです。
感想文の書き方の具体例は、言葉の森のホームページの右上にある「ホームページの全記事」のフォームで検索できます。ここに、「読書感想文」という文字を入れて検索すると、書き方の例が出てきます。
読書感想文の書き方―小学校低中学年
https://www.mori7.com/as/537.html
読書感想文の書き方―小学校高学年
https://www.mori7.com/as/538.html
読書感想文の書き方―中学生
https://www.mori7.com/as/539.html
「桃太郎」を例にした感想文の書き方
https://www.mori7.com/as/1314.html
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寺子屋オンエアとは、自宅で行う家庭学習をネットで共有する仕組みです。
取り組む家庭学習の内容は自由ですが、どんな勉強をどんな方法でしたらよいのかというアドバイスを言葉の森の先生が行います。
小中学生の勉強の基本は家庭での自学自習です。しかし、自習の仕方がわからないので、手軽な通信教材に頼ってしまう人が多いのです。
通信教材では、でき太くんの算数クラブのように、子供たちが自分で取り組みながら力をつけられるような工夫がしてあるものもあります。しかし、それ以外の多くの教材は、子供がひとりでもできるように、ただやりやすさだけを前面に出したものになっています。だから、簡単なうちは続けられますが、それで力がつくわけではないので、学年が上がって難しい問題が出てくるようになると続けられなくなってくるのです。
課題が易しいうちは、易しい通信教材で勉強できますが、それでは実力がつかないので、課題が難しくなってくると、多くの生徒は塾に行くようになります。
ところが、塾で先生に教わるような勉強は、実は能率が悪いのです。人に教わる勉強は、わかることもわからないことも、みんな同じようなペースで教わります。教わっているときは勉強をしているような気がしますが、勉強の中身が本当に定着するのは、自宅でじっくり自分なりに考えるときです。人に教わる勉強は、自分で考える時間が少なくなるという点で能率の悪い勉強なのです。
しかし、小中学生のころの勉強は、受験勉強も含めて、難しいとは言っても基本的には誰でもできる勉強なので、たとえ能率が悪くても長い時間をかけていれば、成績は上がります。塾に行って成績が上がる面があるのは、結局長い時間勉強をするようになるからです。
この小学生時代の長時間の勉強は、二つの点で問題があります。一つは、長時間勉強することによって、本を読んだり自分なりに考えたり遊んだりする時間がなくなってしまうことです。もう一つは、教わる勉強に慣れてしまうために、高校生になっても自分で勉強する方法がわからず予備校に頼るような勉強になってしまうことです。
勉強は、普段は自学自習で実力をつけておき、受験期には、志望校の過去問を分析し模試で自分の位置を見ながら受験用の勉強をする、という形で自主的に取り組むのがいいのです。
ところが、小中学生のころは、勉強に対する自覚がないのが普通なので、家庭での自学自習は、だらだらしたものになりがちです。子供が小学高低学年のうちは、まだ親の言うことを聞きますが、学年が上がってくると、だんだん親が言ってもそのとおりにはやらなくなります。
しかし、それは当然で、逆に小学校高学年になっても、親の言うとおりに素直に勉強する子は、反発するだけの自立心がないことも多いのです。小中学生のころに自立心のない子は、高校生になって自分の力で勉強をするときに、がんばりがききません。逆に、小中学生のころに親のいうことを聞かず、好き勝手にやっていた子は、高校生になっていざ勉強をすると決めると猛烈にがんばりだします。
こういう点でも、勉強はできるだけ本人が自主的に取り組むような形で進めていくのがいいのです。
寺子屋オンエアでは、子供たちが、「今日はこれをやります」という形でネット上で先生に報告し、そのやると決めたことを自宅でやっていきます。ネットでつながっているので、ひとりで勉強をしているのではないという実感があります。
月曜日から金曜日の毎日午後5時から午後7時まで自由にアクセスできます(第5週目は除く)。ですから、1ヶ月の間、毎日参加するとすれば、20日間勉強ができます。それだけやっていれば、寺子屋オンエアのない土日でも、同じペースで自然に家庭学習ができるようになるので、毎日家庭での自学自習ができるようになります。小中学生の勉強は、この毎日欠かさずということが大事なのです。
先生が勉強を教えるわけではありませんが、監督し、必要に応じてアドバイスする先生がいるので、料金がかかります(1ヶ月1人2,160円)。
寺子屋オンエアに必要なものは、google+のアカウントとウェブカメラです。最初のうちは、操作がわかりにくいので、電話で対応しながら接続の仕方などのアドバイスをしていきます。
将来は、この寺子屋オンエアを広げて、いくつかの家庭が協力して家庭学習をシェアする家庭塾のようなものができるとよいと思っています。そうすれば、特に誰かを先生として頼むのでなければ料金はかからないようにすることもできます。
また、先生として頼む人についても、学校や塾で教えることに慣れているプロの先生ではなく、自宅で子供たちを勉強させることに慣れている人が適役です。その点で、地域の人格者のような人が先生役になって、複数の家庭が協力して寺子屋オンエアを運営するというようなやり方ができれば理想的です。そうすれば、文字どおりネット上の寺子屋のような教室になると思います。
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言葉の森の課題集の長文は、この7月から大幅に変更しました。これまでの暗唱長文と読解マラソン長文を一緒に組み込んだため、長文の中には、かなり難しいものも入るようになりました。
低学年のお母さんから、「子供も読んで理解できないし、親でも理解できないような難しい長文を読むのはなぜか」という質問がありました。この質問は当然です。
そこで、まずこの言葉の森のホームページの記事で、「なぜ難しすぎる長文を読ませるのか」という説明を先に書いておきたいと思います。
読書については、子供の好きな易しい楽しいものをたくさん読むというのが基本です。自分の好きな本の多読というのが、読む力と書く力の基礎になります。
易しい本であっても、本をたくさん読んでいる子は、文章を読むことが速くなりますし、また文章を書くときもリズム感のある滑らかな文章を書くことができます。
難しくためになる本を少ししか読まないよりも、易しくちょっとくだらないと思われるような楽しい本をたくさん読んでいる方が、読解力も表現力もつくのです。
しかし、読む力には、多読のほかにもう一つの読み方が必要です。それが精読です。
その学年の子供にとっては難しい内容と表現の盛り込まれた文章をじっくり読むという読み方も必要なのです。しかし、この精読というのは、個々の単語の意味を調べて、書かれていることを逐一理解してじっくり読むということではありません。そういう勉強的な読み方をしても、時間がかかってくたびれるだけで、読む力はつきません。
精読とは、ただ繰り返し読むことです。別の言葉で言えば、精読とは、難読の復読という読み方なのです。
易しく楽しい多読と、難しい精読とが、読む力をつけるための読み方の両輪です。
ところが、この難しい文章というのは、低学年には低学年なりに難しい文章があり、中学生や高校生にはそれなりに難しい文章があり、大学生や社会人になってもそれなりに難しい文章がある、というふうに果てしないものです。
そして、大学生になって、その大学生なりに難しい文章を読める人は、考える力がつきます。しかし、ほとんどの大学生は、そういう難しい本は読みません。同じように、中学生や高校生も、その中学生や高校生なりに難しい本を読むような生徒はほとんどいません。しかし、中学生や高校生は、入試問題という手頃な難しさの文章があるので、勉強として読んでいくことができます。
この難しい文章を読むときに大事なことは、「わからない言葉があっても、理解できないところが多くても、何しろ最後まで読んで、その文章に慣れる」という姿勢で読むことです。
ほとんどわからない文章でも、最後まで読み切ると、必ずその人なりに理解できたという核のようなものができます。その核がたとえ小さくても、自分なりにわかったところがある、ということが大事なのです。
低学年の子の文章力についても同じことが言えます。
多読で易しく面白い本を楽しく読んでいくということが、まず基本です。
しかし、その一方で、難しい文章を繰り返し音読して、意味の理解できないところがあっても、その全体像に慣れるということも大事なのです。ただし、低学年は長時間の勉強をするべきではありませんから、読むのに時間がかかる場合は、1ページ全部読むのではなく、番号で3番までとか、行数で10行までとか、句点の数で3つまでとか、あらかじめ制限を決めておいてもいいです。大事なことは、難しい理解できない言葉があっても、それを気にせずに、最終的にすらすら読めるようになるまで繰り返し読むということです。
湯川秀樹は、幼児年長か小1のころに、四書五経の素読をさせられました。これは、その時期の子供にとっては、難しいどころが、全文意味不明の呪文のようなものだったと思います。しかし、この素読の目的は、書いてあることを理解することではなく、ただ繰り返し読んですらすら読めるようになることでした。しかし、書かれているのは日本語ですから、どんなに難しい文章であっても、すらすら読めるようになると、その文章に流れている雰囲気が頭の中に浮かび上がります。こういう読み方が、子供の考える力のもとになっていったのです。
考える力は、易しい本の多読では身につきません。難しい文章の復読によって身につくものなのです。
では、今回の課題集の長文が具体的にどのくらい難しいかというと、それは、次のようなものです。
====
スカートやズボンを買うときは、まずウエストのサイズを確かめます。では、地球のウエスト、つまり円周はどうやって測るのでしょう。
現代の科学者たちは、メジャーの代わりに人工衛星を使います。北極と南極を通る二つの衛星で、地球を外がわから測るのです。そのようにして算出された数値は、約四万八千キロメートル。大変なウエストサイズです。
しかし、今からおよそ二千二百年前、すでに地球を測った人がいたのです。エラトステネスは、ギリシャの数学者で天文学者(てんもんがくしゃ)でもありました。彼の時代には人工衛星などないので、地球が丸いことさえ知らない人がたくさんいました。もちろん、地球を測ることのできるほど長い巻尺もありません。エラトステネスが使ったのは、一本の棒きれでした。
エジプトのシエネという都市にいたときのことです。エラトステネスは、一年でいちばん昼間の長い夏至の正午に、太陽が真上に来ることに気づきました。太陽の光が影を作らずに井戸の底まで届いていたからです。しかし、そこから北に八百五十キロメートルほど行(い)ったところにあるアレクサンドリアでは、同じ夏至の日の正午に影が見えたのです。そこで、エラトステネスはあることを思いつきます。
彼はまず、アレクサンドリアにまっすぐな棒を立てました。正午にその棒が作る影を観察するためです。影の角度を測ったところ、垂直方向に対して七・二度でした。エラトステネスは地球が丸いことと円周の全体が三百六十度であることを知っていました。三百六十を七・二で割ると五十ですから、棒の角度七・二度は円周の五十分の一になります。ということは、シエネとアレクサンドリアの間の距離も、地球の円周の五十分の一と等しいはずです。そこで二つの町の距離を五十倍し、地球の円周は、約四万キロメートルから四万六千キロメートルだという結論に達したのです。それは、驚くほど正確な数値でした。
「エラトステネスさん、棒で測るなんて、いつ思いついたんですか。」
「ぼうっとしているときにね。」
====
この長文の中の「三百六十を七・二で割ると五十ですから、棒の角度七・二度は円周の五十分の一になります。ということは、シエネとアレクサンドリアの間の距離も、地球の円周の五十分の一と等しいはずです。」などというところは、大人でも図を書いてみないとよくわかりません。
低学年の子供が、この文章を読んで自力で内容を理解できることはまずありません。しかし、子供は、この文章を繰り返し読んで、次のように思うのです。「昔の人で、地球の長さを測りたかったという人がいたんだ」「その方法として、棒の影の長さを測るということを思いついたんだ」「大きくて測れないようなものでも、小さいもので測ることができる方法があるらしい」「しかも、それが数字で表せるぐらいに正確な方法らしい」。こういう理解が、その子供にとっての理解なのです。
しかし、もちろんここで、お父さんかお母さんが登場して、図を書いて具体的に説明してあげれば、子供はやはりその説明を正確には理解できないかもしれませんが、大人の世界にはこういう不思議な学問的な方法があるらしいということを理解します。こういう学問の世界に触れることが、考える力のもとになっていくのです。
今の教育は、理解を前提にしているので、子供の理解度に応じて、甘く柔らかく煮込んだようなものしか与えていません。そのひとつの例が、その学年で習っていない漢字を使わないというような国語の教科書です。
人間は、将来たったひとりで世界に立ち向かっていかなければならないのですから、習っていようが、まだ習っていまいが関係なしに、まず世の中にあるものの全体にぶつかってみるという経験をしていくことが大事です。だから、難しい文章は、極端に言えばわからなくてもいいのです。しかし、できれば、お父さんやお母さんが、その難しい文章をおもしろおかしくわかりやすく説明してくれればなおいいのです。その際、大事なことは子供に理解させることではなく、お父さんやお母さんが、そのわかりにくい文章を説明しようとしてくれているという姿勢です。
言葉の森の長文は、このような意味で、ときどきかなり難しい文章が入っていることがあるのです。
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小学校低学年の生徒向けの「8月の実行課題」を募集しています。
実行課題集とは、低学年の子が、家庭で取り組めるような遊びや行事のことで、その取り組みを作文の題材に生かせるようにしています。
毎月4週目の「山のたより」に、小2以下の課題の生徒(0i, i, kiの課題)に実行課題集を送っています。
これまでの実行課題集は、こちらです。
https://www.mori7.net/jk/
このページは、誰でも利用できるように、言葉の森の生徒以外でも見られるようにしています。
この実行課題集の材料を募集しています。
遊びや行事に関する面白い記事又は画像を投稿してください。
採用されたものについては、文章は1文字約1円相当、画像は1枚100円相当の謝礼があります。ただし文章も画像も著作権の問題のないものでお願いします。
(謝礼は、ギフト券という形になります)
実行課題集は、ひとつのテーマ(1ページ分)について、300字程度の記事×3本、画像5枚で構成されています。
投稿は、ひとつのテーマの記事と画像を全部入れても結構ですし、300字程度の記事1本、又は、画像1枚だけを入れる形でも結構です。また、ほかの人の投稿に、関連した記事や画像を追加するような入れ方でも結構です。
記事の内容は、行事や遊びに関するもので、
(1)親子で実行できるようなことをできるだけ含むこと(それを作文の題材にしてもらうために)
(2)子供が読んで楽しめるように、できれば面白く書くこと(ダジャレなども入れて)
でお願いします。
投稿は、オープン教育の掲示板か、facebookグループでお願いします。
投稿の締め切り、15日まで。(18日までに編集し、19日に印刷し郵送する予定です。)
▽日本の行事と文化
https://www.mori7.net/ope/index.php?k=31
▽オープン遊び
https://www.mori7.net/ope/index.php?k=4
▽行事と季節の家庭学習
https://www.facebook.com/groups/gyouji/
▽親子で遊ぼうワンワンワン
https://www.facebook.com/groups/wanwanwan/
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昨日からmori7.netのサーバーがつながりにくい状況が続いていました。
本日、設定を変えましたので、これからは普通につながると思います。
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