読解力の基本は、多読と難読です。(難読というのは、「難しい本を読む」という意味での造語です。)
多読ということに関して言えば、小学生が1週間に読む本の冊数は2~3冊です。1冊の本のページ数は200ページ程度ですから、1日に平均して50ページぐらい読んでいることになります。1ページを読むスピードは約1分というのが普通ですから、毎日1時間近くの読書をしているというのが平均的な読書時間です。これには、学校での読書時間は入れず、家庭での読書時間だけです。
この読書量の差はかなりあり、家庭で本をほとんど読んでいない子もいれば、毎日暇さえあれば本を読んでいるという子もいます。
この読書量の差が、小学生時代の子供の国語力の差になっています。だから、小学生時代は、国語の勉強をして国語の成績が上がるというわけではありません。国語の勉強というのは、つけたしのようなもので、基本になっているものはそれまでの読書の蓄積なのです。
しかし、学年が上がるにつれて、単なる多読だけでは国語力は伸びないようになってきます。易しい本はいくら読んでも、読む力にはならないのです。
例えば、小学1年生のころであれば、漫画も国語力にはプラスになります。しかし、小学校高学年では、漫画をいくら読んでも国語力をつけることにはなりません。また、中学生や高校生になれば、物語文を読むだけでは、論説文を読む力はつきません。このように、学年に応じて、その学年相当の難読が必要になってきます。
中学入試の国語の問題の中には、岩波ジュニア新書などから選ばれた文章が載ることがあります。岩波ジュニア新書は、中学生から高校生を主な対象にした本です。小学生で、岩波ジュニア新書を趣味の読書として読むような子はまずいません。しかし、そういう文章を読まなければ、小学校高学年にふさわしい国語力はつかないのです。
この多読と難読は、読み方がかなり異なります。多読の基本は、自分の好きなものをたくさん読むことです。大人の目から見てくだらないと思われるような本であっても、好きな本を楽しく読むことで、文章を味わって読む力がついてきます。読書の好きな子は、書かれた文章から、その情景をありありと思い浮かべることができます。この本の世界に没頭する力が、物語文の読解力の基礎になっています。
一方、難読は、一度読んだだけではわからないような難しい文章を繰り返し読むことが基本になります。繰り返し読むためには、音読をしたり傍線を引いたりして読むことが必要になります。声に出すとか、手を動かすとかいう作業をしなければ、繰り返し読むということはできないのです。
算数・数学の勉強は、わからなくなったらわかるところまで戻ってスモールステップで進むという勉強の仕方ができます。
国語の勉強は、そうではありません。わかることとわからないことがはっきり分かれていず、文章全体の60パーセントぐらいわかるが40パーセントぐらいはわからないというような、グレーゾーンが曖昧に広がっているのです。
その文章を何度も音読することによって、特に誰から教えられるわけでもないのに、自然に分かり方が、70-30になり、80-20になってきます。
そのための読み方が音読で、そのための教材が難読の長文なのです。
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言葉の森では、7月から、毎月4週目の読解問題の数を8問から2問に減らしました。
8問全部を解こうとすれば30分以上はかかります。しかし、読解力は問題をたくさん解いたからつくものではありません。少数の問題でいいので、満点を取るように解くことで初めて力がつきます。8問解いて70点や80点を取るよりも、2問だけ解いて満点を取る方が大事なので、問題の数を減らしたのです。
ですから、この2問でもし間違えたところがあったら、その理由を理詰めで理解しておくことが大事です。
例年、高校3年生(のよくできる生徒)に、受験間際の秋ごろに読解問題の解き方のコツを教えるだけで、すぐに国語の読解問題の成績が上がります。これを見ても、読解力をつける勉強は、量をこなすことではなく質を高めることだということがわかります。
この国語の読解問題の解き方のコツは、そのまま英語の読解問題にもあてはまります。
ところで、これからの読解問題の傾向は、この理詰めに解く問題から少し変化してきそうです。
なぜかというと、理詰めに解く読解問題では、誰もが満点に近い成績を取れるようになってきたからです。
新しい傾向は、語彙力をもとにした読解問題です。この対策は、語彙力そのものの勉強をすることではありません。昔、「術語集」のような本が流行ったことがあります。今も、同じように、語彙を知識として覚える参考書や問題集が出ています。知識として整理しておくことは大事ですが、生きた語彙の感覚をつかむためには、それらの語彙を文脈の中で理解することが必要です。その勉強のひとつが問題集読書です。
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今回は久しぶりの夏合宿で、しかもいろいろ新しい試みをしたので、手伝ってくれたみなさんは大変だったと思います。
しかし、子供たちは聞き分けがよく、知らない子どうしがすぐに仲のよい友達になり、遊びも勉強も順調に進みました。
今回の合宿は、自然の中でワイルドに遊ぶという面と、教室で寺子屋方式の勉強をするという面の両方がありました。
ワイルドな遊びとしては、海でのシュノーケリングを企画しました。
しかし、事前のプールでのシュノーケリング練習があまり十分でなかったためか、海で積極的にシュノーケリングを楽しむ子はあまりいなかったようです。
寺子屋方式の勉強としては、付箋読書の練習と詩の暗唱を中心に行いました。遊びの時間を優先したために、勉強の時間はあまり取りませんでしたが、みんな真面目にやっていました。
最初から勉強するつもりで来た子が多かったのは、意外でした。これなら、もっと勉強の時間を取ってもよかったかと思いました。
ちょっと誤算だったのは、みんな比較的少食だったことです。
カレーライスやバーベキューは、必要数+アルファぐらいで予定していましたが、食べきれなかった食材が大幅に余りました。
肉のない食材だったので、あまりおいしくなかったのかもしれません(笑)。今度は、もっと料理の仕方を研究しておきたいと思います。
教室の中にテントを張ってシュラフで寝るというのは、新しい試みでした。
寝心地はよくなかったと思いますが、キャンプのようで楽しかったと思います。男の子たちは、「今日はみんなひとつのテントだけで寝よう」などと盛り上がっていました。
合宿中のビデオや写真は、言葉の森のウェブにアップしておきました。
https://www.mori7.net/stg/20140723/
html5は、動画も普通の画像のようにウェブに組み込めるので、今回は、自社のウェブに入れて、コードとパスワードで参加者だけが見られるような形にしました。
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今日は、9時から海へ。車の中で、グループ俳句作りをしました。みんな、なかなか勘がいいです。
海には30分ちょっとで着きました。
リヤカーに、ありったけの荷物を積んで、観音崎の突端へ。。
水は結構きれいで、浅いところでも、海藻の間を魚が泳いでいるのが見えました。
しかし、子供たちはまだシュノーケルにはそんなに慣れていないので、もっぱら磯の水たまりで魚を見つけて遊んでいました。
その後、定番のバーベキュー。
今後、肉食をしない人が増えると思うので、今回は実験として、お肉はウインナーだけで、あとは魚介類と野菜を中心にしました。
魚介類は、ししゃも、ホタテ、厚揚げ、ささかまぼこ、タコ、さつま揚げ。人気があったのは、ししゃも、ホタテ、厚揚げでした。
海でたっぷり遊んだので、帰りは予定より30分ほど遅れました。
その後、そのまま、お風呂の王様へ。今日は、さすがにカギをなくす人はいませんでした。
みんな、自分のことは自分で責任を持つという自覚が出てきたようです。
お風呂から帰ったあと、また勉強。
今回の勉強は、暗唱の練習ということで、いろはにほへと、又は、現代詩ということでやってみました。いろはにほへとを最後まで知らない子がほとんどだったのは意外でした。
現代詩は、いろいろ候補を出しましたが、いちばん読みやすそうな「フランスに行きたしと思へども(萩原朔太郎)」にしました。
夕食を食べたあと、午後6時過ぎに公園に行き、「今ごろの時間に、セミの幼虫が木に登っているんだよ」と説明すると、すぐにその幼中を見つけた子がいて、数分で3匹の幼虫をつかまえました。。
夜は、教室のカーテンに止まらせたセミの羽化で大騒ぎ。
でも、今朝はみんな早かったので、やがて静かに寝るでしょう。
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本日、午前11時から、言葉の森の夏合宿が始まりました。
1回目の参加者は、小3から小5の男女計9名。このあと、2回目、3回目があります。
最初は、ログハウスの中を探検に。
ログハウス前の芝生の上で昼ごはん(サンジェルマンのパン)を食べました。
そのときに、みんなのペンネームを決めました。
あやぴ、ちーちゃん、きったー、はる、つっつー、めえちゃん、ゆうゆう、ながのけん、ふうちゃん。
それから、歩いて教室に戻り、途中暑いのでアイスを買いました。
教室に帰ったらプール。
屋上に設置した直径360m、深さ60cmのプールでシュノーケルの練習をしました。
プールの中には、6個のスイカが浮いていましたが、みんながよろこんで遊んでいるうちに、次々とヒビ割れに(笑)。
そのうちに、ペットボトルの空き瓶で作った水鉄砲で大騒ぎ。
ひとしきり遊んだあと、スイカ割りをしました。
人のスイカに水をかけて、「水スイカだ」と喜んでいる子がいました。
その後、教室に入り、着替えてから、勉強と読書。
みんな、驚くほど真面目に勉強や読書をしていました。
勉強が終わったら、夕食のカレーライスの準備。
みんな、ちょっと切りにくいナイフで一生懸命手伝ってくれました。
今回は、お肉の入っていない健康カレー。
ジャガイモ、たまねぎ、ニンジンのほかに、えのき、しめじ、ホタテ、ナス、トマト、タコと具だくさんの鍋に、バーモント中辛をたっぷり入れてぐつぐつと。
カレーが煮えるまでの間に、翌日のバーベキューの材料を買いに。
それでもまだ時間があるので、ついでにお風呂の王様に。
お風呂に行くと、男の子2人がすぐ、「先生、カギ持ってて。自分で持ってるとなくすから」「だめ」「えー」というやりとりがあって、そのうちのひとりがやはり、カギを紛失(笑)。
でも、何とか見つかりセーフでした。
教室に帰ると、カレーが大量にできていました。
机を並べて会議室風にカレーを食べたあと、一休みしてまた勉強と読書。
みんな、本当に真面目によくやっています。
教室には、ペット犬ゆめがいますが、そのゆめが大人気。ゆめは迷惑そうにみんなに抱かれていました。
オカメインコのバノと、文鳥のサクも登場。大人気と言いたいところですが、すぐ手から飛んでしまうので、あまり人気がありませんでした。
そのあと、午後8時半から、翌日の車の中の出し物の俳句の練習をしました。
みんな、意外とうまくできて大笑い。
9時に教室の中にテントを張って就寝。
とは言っても、まだ喋っている男の子が数人。
そのうち、おとなしくなると思いますが。
ビデオをところどころで撮ってきたので、あとで参加者の保護者限定でアップする予定です。
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言葉の森の音読の学習は、音読というものがブームになる何年も前から行われていました。
当時、音読を勉強に取り入れているようなところは、学校でも塾でも全くと言っていいほどなく、そのために音読の意義を生徒や保護者に説明すること自体が大変でした。
その後、音読がブームになり、いろいろなところで音読の勉強をするようになりましたが、なぜ音読が役に立つかということはよくわかっていないようです。
そのため、音読の方法についても大きな誤解があります。
先日保護者の方から聞いたことですが、「学校の宿題の音読で、一言一句間違えないように正確に読む」ということを言われているということでした。
言葉の森の音読は、これとは正反対です。「読み方がどんなに下手でも、間違っていても、やる気なさそうに読んでも、小さい声で読んでも、一切注意せず、いつも、『読むのが上手になってきたね』と褒める」という方法です。
正確に読むことを要求され、正しく読むように注意されて音読している子は、音読が苦手になります。だから、音読の勉強自体を親の前ですることを嫌がるようになります。だから、結局、音読という勉強が続かなくなるのです。
どんなに間違った読み方や下手な読み方をしても、いつも、『読むのが上手になってきたね』と褒められている子は、音読が上手になります。不思議なことですが、褒めていれば自然に上手になり、注意していればその反対に自然に下手になっていくのです。
なぜ注意がいけないかというと、そこには、音読以前の問題があるからなのです。
音読の仕方が下手で注意される子は、音読が下手なのではありません。音読以前の日本語の力が不足しているのです。その日本語の力は、日本語の生活習慣の中で自然に育ってきたものです。勉強ができないのではなく、勉強以前の日本語力が不足しているのです。
大人は、つい表面しか見ないので、下手な音読という表面を直せば、中身もすぐ直るように考えがちですが、そうではありません。表面をいくら直しても、中身は直りません。だから、一度注意したことを、二度も三度も注意するようになります。すると、ほとんどの場合、二度目か三度目あたりから注意ではなく叱責になってくるのです。
子供も、動物も、楽しいことが大好きです。それが、生命の本来の姿です。苦しいことに耐えることが好きだという感覚は、もっと大きくなり、何かに挑戦するようになってから自然に出てくるものです。
楽しいことは、言われなくても自然にするようになり、苦しいことは何度も言われてやっとしぶしぶするようになります。そんな苦しい勉強を、親も子も苦虫をかみつぶしたように続けている家庭が多いのです。
子供が小学校2年生のころまでは、親の言うことをよく聞きます。それは、親の言うことを聞かなければ、食べていけないからです。小さい子は、親の言うことが世界のほとんどすべてですから、本能的に親の言うことを素直に聞くのです。親の言っていることが正しいから聞くのではなく、子供が小さいから親の言うことを聞いているのです。
その時期に、子供が本当は嫌がっていることを無理にやらせつづけていると、やがて子供が自立できる年齢になったときに、親に反発するようになります。だから、例えば、小学校低学年のときに注意されながら音読を続けていた子は、学年が上がり、中学年や高学年になると、どんなに言っても親の前での音読をしないようになります。
逆に、低学年のときに、どんな下手な読み方をしても褒められていた子は、中学年や高学年になっても音読を嫌がりません。だから、結局学年が上がるにつれて、何も注意していないのに、音読が上手になっていくのです。
よく、先生に、「もっと注意してください」と言われる保護者の方がいます。注意することの中には、注意すればすぐに直ることと、注意してもなかなか直らないことがあります。
注意してすぐに直ることは、直るだけの能力が伴っていることです。例えば、句読点の付け方などは、大人であればわずか数分で理解してできるようになります。しかし、小学生には、何度も言ってやっと理解できるような難しい勉強です。
音読や読書や作文という勉強は、その表面の勉強の背後に、もっと大きな日本語の生活習慣があります。だから、勉強の基本は、注意することではなく、いつも明るく褒めて、その一方で、毎日の音読と対話と読書を続けていくことなのです。
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■履物は、履き慣れた運動靴と水遊びのできる履物の2種類
夏合宿の参加者のお母さんから質問がありました。
「クロックスとマリンシューズでもいいですか」
それでいいです。
私は、個人的には、普通に街を歩く運動靴と、海辺で磯を歩いたり水の中に入ったりするときのマリンシューズがあればいいと思ってます。(海辺で裸足というのは、足の裏が痛いのでおすすめできませんが、根性があればそれでもかまいません。)
クロックスは着脱が簡単で水にも強く便利ですが、街を歩くにも、水の中で遊ぶにも、ちょっと足の周りがぶかぶかで不安定な気がすると思います。また、日常的に履いていないものを長時間履くと、足に豆ができることがあります。
履き慣れた運動靴と、水の中で使える何か(上履き、クロックス、マリンシューズ)という組み合わせがいちばんよいと思います。
ただし、慣れない靴で足に豆ができても、簡単に歩けるようにする対策はあります。それは、豆のできたところに、石鹸を水につけてたっぷり塗ることです。
■おねしょの心配があれば、夜中に一度起こします
小学生でも、たまに勘違いしておねしょをしてしまうことがあります。それは、恥ずかしいことでも何でもありません。私(森川林)も、小学校高学年のとき、何を勘違いしたのかおねしょをして、母をがっかりさせたことがあります。
しかし、それから、おねしょ対策を考えました(以下、あまり参考になりません)。それは、おしっこをするときに、いつも目を大きく見開くのです。そういう習慣ができると、まちがっておねしょをしそうなときも目を開くので、「あ、夢だった」をわかるのです。これは、すごくいい方法だったのですが、ほとんどの人にとっては実行が難しいと思います。
そこで、もっと簡単に実行できる方法として、心配な子には、夜中に一度起こしてトイレに連れていきます。これで大丈夫です。心配な人は、「夜中に一度起こして」とあらかじめ連絡をしておいてください。
■車酔いの対策は、意識的に慣れること
車酔いの不安があると、遠出の旅行はなかなか楽しめません。車酔いのいちばんの対策は、車に慣れることです。
その方法は、まず、近所のバスで運行経路のわかりやすいものに乗ります。ずっと乗っていって、気持ちが悪くなったところで降りて、反対車線のバスに乗って帰ります。それを例えば、日曜日などに、子供が自分で納得できるまで何度も繰り返し試します。
このように前向に取り組めば、車酔いは根本的に克服できるようになります。一時的には酔い止めの薬に頼ることもやむをえないかもしれませんが、根本的な対策は、いつも自分の実力をつけることにあり、その実力をつける方法は、反復による慣れです。
今回の夏合宿は、混んでいなければ50分の自動車の旅です。混んでいれば、1時間半ぐらいかかるかもしれません。
近所のバスで車に慣れるという方法で、2時間までは大丈夫という自信をつけておくとよいと思います。
いったんこういう形で自信がつけば、これからあとの学校のバス旅行などもずっと楽しく参加できるようになると思います。
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国語の成績は、氷山の水より上の部分です。水より下の部分は、国語の勉強ではなく、国語的な生活です。
数学や英語の成績は、ゴムボートの水より上の部分です。というほど簡単なものではありませんが、やれば必ず成績が上がります。その効果が、国語よりもずっと早く現れるのです。
では、氷山の水より下にある国語的な生活とは何なのでしょうか。それは、テレビ漬けでない生活、ゲーム漬けでない生活、そして、自然に行われている毎日の読書、親子の日常の対話などです。
国語的な生活とは、その長年の蓄積のことなのです。だから、今、国語の力がないとしたら、それは今ないのではなく、それまでの十数年の国語的な生活の不足の結果が今出ているということなのです。
だから、国語の力をつけるというときに、どこをどう直したらよくなる、ということはありません。数学の場合は、間違えた問題をできるようにすれば、そこで力がつきます。国語は、間違えた問題をいくら説明しても力はつかないのです。
だから、作文を週1回書いているから、国語の成績が上がるということはありません。もちろん、中には、書くことがネックになって国語の成績が上がらなかったという子もいます。そういう生徒は、すぐに成績が急上昇します。
しかし、国語の成績が今ひとつという場合、書く力以外の読む力が不足しているというケースが圧倒的に多いのです。それは、読む生活が不足していたからであって、読む勉強をしていなかったからではありません。
言葉の森の作文の勉強は、作文を書くために、長文を読むという自習を前提としています。事前に長文を毎日音読し、その音読をもとにお父さんやお母さんの似た話を聞いてくるという自習をするから、読む力も、材料を広げる力も、語彙力も、思考力もついてくるのです。
そういう事前の準備のあとに、先生の説明を聞いて、構成力と字数力と書くスピードがついてきます。
だから、もし、事前の予習をせずに、先生の説明を聞いて作文を書くだけであれば、構成と字数とスピードの力はつきますが、その土台になる読む力、題材の力、語彙力、思考力はつきません。
国語の成績があまりかんばしくなかった子で、言葉の森で勉強をしてから急に国語の成績が上がったという子は、例外なく、子供の自習に対する親の働きかけがあった子です。
これまで、国語的な生活をしてこなかった子が、国語的な生活をするようになるためには、まず親の習慣から変えていく必要があるのです。
例えば、読書は時間のあるときに読むもので、普段は勉強が忙しいから、読んだり読まなかったりするという生活を、読書は毎日読むもので、勉強が忙しくても必ず毎日30分か1時間は読書をして、週に2、3冊は読み終えるという生活に変えるのは、子供の力だけではできません。そういう生活をできるようにするには、親の価値観や生活習慣を変えなければなりません。
大人になった人間が生活習慣を変えるというのは、実はかなり難しいことです。
だから、国語の成績をよくするには、子供ががんばるのではなく、まず親が自分の生活を変える必要があります。
さて、そういう国語的な生活をしているのに国語の成績が悪かったという場合は、心配は要りません。
そういう子は、解き方のコツを1時間ほど教えれば、次のテストからは必ず成績が上がるからです。
しかし、そういう解き方のコツのようなものは、受験前に取り組むだけで十分です。それまでは、何しろ国語的な生活をすることによって国語の実力をつけておくことが大事なのです。
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