小学校低学年の子は、作文でも、勉強でも、読書でも、遊びでも、みんな大好きです。生きていることがうれしくてたまらない時期ですから、どんなことも楽しく好きになるのです。
ところが、小学校低学年のときに、何かが苦手になることがあります。ときどきあるのは、作文が苦手になるというケースです。
その原因は、たったひとつ、早く上手に書かせようと思い、注意する量が多くなってしまうからです。
親が、注意と思っていないような一言でも、子供にとっては注意と受け止められてしまうことがよくあります。
だから、小学校低学年のころは、どんなに欠点があったり、不十分なところがあったりしても、ただひたすら褒めていればいいのです。
そして、褒める一方で、気長に長文音読と読書と対話を続けていくことです。
その音読と読書と対話も、やっているといろいろ気になることが出てきますが、全部そのまま認めて褒めてあげます。
読み方を注意したり、話し方を注意したり、読む本を決めたりすると、やがて音読も読書も対話も苦手になっていきます。
褒めるだけで上手になるのかといえば、そのとおりです。
褒めていれば、みんな上手になり、得意になっていきます。早く上達させようと思い、注意すると、苦手になり、下手になっていくのです。
人間は、繰り返していれば上達するようにできています。歩き方でも、走り方でも、喋り方でも、文章の書き方でも、続けていれば自然に上手になります。
学年が上がると、アドバイスによって急に上手になるという場面も出てきます。しかし、その場合でも、それまでの長い蓄積があるから、一言のアドバイスで上手になるのです。
だから、大事なのは、気長に続けていくことです。そのために、いつも気長に褒めていくことです。
音読も、読書も、作文も、生活の一部となるぐらいに自然に続けられるようにしていくことが大事なのです。
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低学年の作文、難しく考えてしまうと書けなくなりそうですね。私の子供時代も書き出すまでが時間がかかっていました。本を読む楽しさを実感できたらどんな人が出てくるのか、どういうお話なのか一番好きな部分はどこだったか、こちらが聞きたいなといった雰囲気で話を聞き出すことも大事ではないかと思いました。
楽しいというのがいちばん大事です。
勉強になるようにとがんばると、つい楽しくない雰囲気になります。
楽しんでいること自体が勉強だと思っているといいようです。
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これからの学力で必要になるのは、知識の量ではなく、考える力です。
あらかじめ用意されている答えを知識としてたくさん知っているというのが、これまでの学力でした。今の大人の多くは、自分自身がそういう勉強をしてきたせいで、いまだに知識の量を増やすことを勉強だと考えがちです。
そのため、子供に対しても、知識の有無を問うような対応をしがちです。
「これ、知っている?」「えー、こんなのも知らないの」「お父さん(お母さん)は、もっとこんなことも知っているよ」というようなやりとりです。
しかし、そういう知識の量を増やすだけの学力は、もう時代おくれの学力です。
これから必要になる学力は、思考力です。
思考力とは、正しい答えを探す力というよりも、答えのない世界を楽しむ力です。
子供の思考力を伸ばすためには、親が考える楽しさを示すことが大事です。それは、ちょうど、子供を読書好きにするために、親が楽しく本を読んでいる姿を見せることと同じです。
だから、子供との対話も、「これ知ってる?」「えー、知らないの」というようなやりとりではなく、親が自分で体験したこと、発明したこと、発見したことを、楽しそうに子供に話すことが重要になります。
発明、発見というと無理だと思う人もいるかもしれませんが、体験というのも、発明や発見と同じ思考力の表れです。「こう思ったから、こうしてみた」という行動は、答えのない世界を楽しんでいるからできるのです。
子供との対話を楽しく進めるには、知識のやりとりをするのではなく、こういう思考力のやりとりをすることが必要になります。
対話は、互いに自分の体験談で似た話をするから面白くなります。
知識だけの話は次第に狭く収斂していきますが、体験談の似た話を次々に拡散していきます。
この対話を楽しむことが、子供の思考力を育てていくのです。
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これからの子供の教育を考える場合、未来の仕事がどういうものになるかを考えておく必要があります。人生のかなりの部分は、仕事によって占められているからです。
これからは、会社に勤めて給料をもらうという時代から、自分が仕事を作り出すという時代になっていきます。今の大人のほとんどは、会社勤めをしていますから、実感としてわかりにくいと思いますが、世の中はそういう方向に進まざるを得なくなっているのです。
会社というものは、常にコスト削減の波にさらされています。仕事をする人にとっての給料は、企業にとっての人件費です。企業は、利益を出すために、機械化、外注化、省力化を進め、人件費を少しでも減らそうとする傾向を持っています。
今行われている仕事が、機械で代替されるようになると、仕事そのものが人間を必要としなくなります。それは、労働の苦痛から人間を解放するという点で社会の進歩ですが、その仕事で給料をもらっている人にとっては生活の手段がなくなることを意味します。
新しい仕事は、機械化が遅れている分野で探さなければなりません。そういう仕事は、魅力的なものとは言えません。
これに対して、自分が仕事を作っているのであれば、仕事を機械化した分だけ、その人は新しいより創造的な仕事に自分の時間をふりむけることができるようになります。その努力は、自分を成長させるための努力でもあるので、新しい仕事に取り組むことは楽しいチャレンジになるでしょう。
長い目で見れば、どこかに勤める仕事は、次第に面白くない仕事になり、自分で作る仕事は、次第に面白いものになるという傾向があるのです。
では、自分で仕事を作るには、どのような能力が必要になるのでしょうか。
第一は、自分の得意技を複数持ち、その得意技を組み合わせることによって、その分野で第一人者になることです。
第二は、その分野で時間をかけることによって、他の人が真似のできないようなレベルにまで持っていくことです。
第三は、幅広い人間力をつけていくことです。
この人間力は、人望と言ってもいいでしょう。自分より上の人からはかわいがられ、同僚からは信頼され、下の者からは慕われるというのがその人の人望です。
人間関係の力は、勉強だけでなく、実際の交流によって作られます。人間どうしの交流の多くは、遊びを通して得られることも多いので、友達と楽しく遊ぶということは、勉強と同じように大切なことになります。
また、ただ仲よく遊ぶだけでなく、自分の個性や創造性を育てていくことも大事です。そのためには、交流と同じぐらい孤独の時間も必要になってきます。
これまでの子育ては、勉強面での成績のよさや、志望校への合格に還元される面がありました。
これからは、そうではなく、個性、創造性、人間性を育てることが大事になってきます。
子供を見るときに、その子が将来どういう仕事をしていくかということを思い浮かべながら子育てをしていくことが大切になっているのです。
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家庭学習にもコツがあります。
第一は、毎日少しずつ同じことをやっていくということです。短い時間であっても、毎日やる方が続けやすいからです。回数を少なくして長時間やるよりも、短い時間でいいから毎日やる方がいいのです。
毎日やるような形の勉強だと、親がやり方を指示しなくても、子供が自分で自主的にできるようになります。そして、雨の日も、風の日も、土曜も日曜も祝日も、いつも同じようにやっていくと、いつの間にか力がついてくるのです。
親は、子供ががんばってやっていると、ついもう少し長くやらせようと考えがちです。しかし、勉強を追加したり延長したりすると、だらだら勉強をする癖がつきます。集中力がないという原因の多くは、長く勉強をさせられたところから来ています。
第二は、丸付けは自分でするということです。子供は問題を解くだけで、お母さんが丸付けをするという形で勉強をすると、親がいなければ勉強が完結しなくなってしまいます。子供が最初から最後まで自分のペースで勉強できるのがいちばんいいのです。
その丸付けも、問題を例えば1ページなら1ページ全部終わってからまとめてつけるよりも、1問ないし数問ずつそのつど丸付けをしていった方が、フィードバックが早いので、密度の濃い勉強になります。
子供は、丸がつくと喜びますが、丸がつくような勉強は、実はやらなくてもよかった勉強で、その勉強は本当は時間の無駄なのです。大事なのは、×がついたときで、その×を自分で理解して、その×の理由を親に説明できれば、そこで力がついてきます。
×のついた問題は、できるだけ親が解説するのではなく、子供が親に説明するようにしていくことが大事です。
第三は、読書も勉強のうちだということです。ときどき、読書は、学校でやっているからいいとか、行き帰りの電車の中でやっているとかいう子がいます。それはそれでいいのですが、それが家庭で読書をしない理由になってはなりません。小学生時代は特に、読書は勉強よりも優先して取り組む方が、本当の実力がつきます。
読書の本選びで、親が選ぶ本は全体に難しすぎるという傾向があります。また、真面目で面白くない本になる傾向もあります。読書はまず楽しいもの、面白いものを読んでいくことです。
1冊だけをずっと読んで、その1冊が終わってから次の本を読むという読み方をしていると、読みにくい本にぶつかったとき、読書が進まなくなってしまいます。読書は、数冊を並行して読んでいく方が楽にたくさん読めます。
面白い本を選ぶには、最近増えている本の中古マーケットを利用するといいと思います。
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これからの社会を考えると、教育に求められるものは大きく変わってきます。現在の、受験に合わせた勉強から、自身の将来の仕事や生活に合わせた勉強に重点が移っていきます。
将来の仕事や生活に合わせた勉強とは、全教科のバランスのよい基礎学力の上に(今の高校生の勉強のように、受験科目だけに力を入れた学力ではなく)、思考力、創造力、人間性を育てるような勉強です。
しかし、今の子供たちの勉強の様子を見ていると、時間をかけた詰め込み勉強によってテストの点数はよくなっていても、真の学力のつく勉強をしているようには見えません。
なぜ時間がかかるかというと、受験期に入る前から受験に合わせた差をつける勉強に対応しようとしているからです。受験勉強は短期間に集中して取り組むもので、それまでは基礎学力を確実につけることの方が大事なのです。
そして、なぜ真の学力がついているように見えないかというと、勉強の方法に無駄が多く、勉強の時間が長すぎるために、じっくり遊んだり、考えたり、本を読んだり、自分の好きな勉強をしたりする時間が不足しているからです。
実力をつける勉強の基本は、毎日同じものを同じように反復し、それを百パーセント身につけることです。問題集なら、1冊の問題集をできない問題がなくなるまでやり尽くすことです。ところが、ほとんどの子の勉強は、8割から9割できたところで新しい教材の勉強に移るようなものになっています。
その原因のひとつは、今の勉強が、自ら学ぶ勉強ではなく、人に教えてもらう勉強になっているからです。それは、教えてもらわないとわからないような気がする、差をつける勉強を増やしているからです。だから、時間をかけるわりに力がつかないのです。力がつかないから更に時間をかけ、そのために読書や自由な遊びの時間が減り、ますます真の学力から遠ざかるようになっているのです。
言葉の森では、作文小論文の指導をすることと並行して、これからは、子供たちの全教科の勉強面も見ていきたいと思っています。また、勉強面だけでなく、子供たちの自主的な生活力や他人や自然と共感できる人間力も育てていきたいと思っています。
これまでは、勉強は自分でするものと考えていたので、言葉の森では勉強面の指導はあまりしていませんでした。しかし、多くの子供たちの勉強の様子を見ていると、勉強の仕方の能率の悪さが、読書不足や生活の余裕のなさを生み出し、それが作文力や思考力に影響しているとわかってきたからです。
言葉の森では、今後、自然寺子屋オンエア合宿という企画で、子供たちの毎日の勉強も見ていきたいと思っています。
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勉強とは、もともと難しいものではありません。誰でも、多少の早い遅い、得意不得意の違いはあっても、同じようにできるようになるものです。それが、今の教育でそうなっていないのは、先生が、先生のペースで教え、先生のペースでテストをするからです。先生のペースに合わせられる子は成績がよく、合わせられない子は成績が悪くなります。
問題は、子供が学ぶのではなく、先生が教えることが教育の中心になっているところにあります。だから、逆に、先生のペースより先に進みたいと思っている子も、先生のペースに合わせざるを得ません。つまり、優れた子を作り出すことができず、劣った子を作り出さざるを得ないのが、現代の「教える教育」なのです。
言葉の森では、このような「教える教育」ではなく、自学自習形式の寺子屋教育を実力をつけるための本質的な教育として進めていきたいと思っています。また、それと並行して、これまで行ってきた作文を中心とした創造的な教育を更に進めていきます。本質的な教育と、創造的な教育をセットで教えていくがこれからの展望です。
創造的な教育の中身は、構成作文、プレゼン作文発表、森リン採点、小中学生の問題集読書と親子の対話、高校生以上の難読、幼児期からの対話式作文教育などです。
そして、寺子屋教育に参加する生徒が、自然との触れ合いや友達との触れ合いの中で成長するように、自然合宿教室も企画していきたいと思っています。また、通学の寺子屋教室に時間的距離的に参加しにくい子のために、googleハングアウトとskypeで、自宅でできる寺子屋オンエアの体制を用意していきたいと思っています。
この作文創造教育、自学自習寺子屋教育、自然合宿教育、自宅オンエア教育を総合して、これからは、言葉の森の教育と呼んでいくようになると思います。
自学自習の教育とは、1冊の基本となる参考書又は問題集を、音読、暗唱、反復によって百パーセント自分のものにするという勉強です。国語であれば読書と問題集読書、算数数学であれば1冊の問題集を解法ごと自分のものにする勉強、英語であれば1冊の教科書の暗唱と暗写です。こういう勉強で、国語・算数数学・英語の基本的な実力はつきます。
ただし、現在の受験勉強は、実力の勝負ではなく、差をつける競争に勝つための勝負ですから、受験期には独自に1年間集中して受験に対応した勉強に取り組む必要があります。しかし、受験勉強を前倒しして取り組む必要はありません。むしろ、前倒しによって、遊び、読書、じっくり取り組む勉強などの時間がとれなくなるマイナスの方が大きいのです。そして、そのつけは、かなりあとになってからやってきます。
しかし、受験期の1年間の集中的な勉強を自分の工夫で取り組めるのは、高校3年生の年齢になってからです。小学6年生や中学3年生のうちは、自分の工夫で受験勉強に取り組むことはまずできないので、受験のプロの家庭教師に頼むか、それが無理なら父母が志望校の過去問を分析して取り組むという勉強法になります。
しかし、これからは、そういう受験勉強自体が旧時代のものになっていくと思います。
受験勉強が旧時代の勉強だと思うようになったのは、日本の最高学府と呼ばれる大学を卒業して社会の重要なはずの役職についている人たちが、あまりものを考える力がないらしいということを、何度も見てきたからです。若い人ほどそういう傾向が強いというのは、現在の受験勉強が、本質を忘れた小手先のアクロバット的なものになっているからではないかと思います。
さて、言葉の森では、この、作文、自習、合宿、オンエアの教育をノウハウ化して、将来、森林プロジェクトや直営の教室で全国に広げていきたいと思っています。
更に、この日本的な教育の方法を、日本語、日本文化の教育とセットにして、世界に広げていきたいと思っています。
このようにして、旧社会での教育を担いつつ、これからの新社会の教育を準備していきたいと思っているのです。
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現代は、時代の変わり目です。かつての貴族階級が武士階級に取って代わられたような、あるいは、武士階級が市民階級に取って代わられたような、大きな時代的変化があったときと同じ状況にあります。なぜなら、社会の基礎となるシステムがあちこちで行き詰まりを見せているからです。今は、旧社会から新社会への大きな変化が起きる前夜だと言ってもよいでしょう。
旧社会は、これから来るさまざまな荒波の中で、次々に崩れていくでしょう。その崩壊の前兆が、今起きているさまざまな混乱だとも言えます。経済破綻、暴動や戦争、パンデミック、自然災害など、人類が直面しているいくつもの困難と入れ替わるように、新社会への芽が今あちこちで生まれています。それは、例えば、保江邦夫さん、木内鶴彦さん、木村秋則さん、安保徹さん、秋山佳胤(よしたね)さんなどの本に表れている世界です。
では、このような新旧の入れ替わりの社会の中で、私たちはどのような行動を取っていけばよいのでしょうか。
それは、旧社会での弱肉強食の競争に勝つ一方で、新社会の競争ではなく創造の、互いに与え合う社会の準備をすることです。
言葉の森は、その新社会への取組を教育の場で行っていきたいと思っています。
しかし、新社会に向けての取り組みは、現代の社会ではまだ形にはなりにくいものです。だから、当面は、今の社会の必要性に対応した取り組みをしていく必要があります。
今の社会への対応の特徴をひとことで言えば、デフレへの対応です。あらゆるものが低価格化に向かう中で、品質を下げたり、どこかにしわ寄せを向けたりする低価格ではなく、本質的な低価格を目指すことがデフレへの対応策です。
本質的というのは、従来のものよりも低価格であるだけでなく、高品質だというものでなければなりません。それは、今生まれている木村さんの農業であったり、安保さんの提唱する医療であったりするものです。
それを、教育の場で行うものが寺子屋教育です。
寺子屋教育というと、多くの人は、少人数の手間暇をかけた親身な教育のように考えていると思います。確かに、そういう一面もあったでしょう。しかし、寺子屋教育の本質は、どちらかと言えば、それとは正反対のものです。
先生1人に生徒多数で、先生はのんびり自分の好きな本を読んでいるような状態の中で、子供がのびのびと自学自習を進めていくような教育が、寺子屋教育の姿でした。その中で、生徒と先生が生涯のつながりを持つような関係が成立していたのです。
寺子屋では、朝7時から午後2時ごろまで毎日6、7時間、小1から小6までの無学年制で、教室によっては50人から100人の生徒が1人又は少数の先生のもとで勉強をしていました。
しかも、この寺子屋は、一般庶民の子に開放された大衆的な教育で、この教育が当時の日本人の識字率70~80パーセントという世界でも類を見ない成果を生み出していました。
そして、この寺子屋の中で、子供たちはのびのびと笑顔で学んだり遊んだりいたずらをしたりして過ごしていたのです。その明るい教室の様子は、当時の浮世絵に数多く表されています。
これと対極的なのが、その当時のヨーロッパの教育で、お金持ちの子弟だけを集め、教師がムチを持って教えこむ厳しい教育でした。これも、当時の絵画の中に子供たちの教育の様子として描写されています。
現代の世界の教育は、日本の寺子屋教育ではなく、このヨーロッパの教育の延長にあります。
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子供が勉強をしていて何か聞いてきたとき、すぐに教えてしまう親や先生が多いと思います。
それが、知識的なことであれば、それでもいいのです。むしろ、気軽に質問できるという雰囲気が大事なので、聞かれたらすぐに教えてあげるというのは全く問題ありません。
しかし、理屈を理解しなければならないときは、教えることがかえって子供の理解を浅くすることがあります。特に、算数や数学の場合は、教えてあげると、わかった気になる分、真の理解が遅れます。
だから、質問があったときは、自分なりに考えさせることが大事です。できれば、その理解の助けになる部分を示してあげることですが、それが難しいときは、何しろ本人に自分で考えさせることが大事です。
自分で考えた結果、やはりわからなかったとしても、長い時間考えたあとに教えてもらうと、すぐに教えてもらうよりも理解が定着します。
勉強というものは、もともとわかるようにできています。
受験のための勉強では、点数に差をつけるためにわかりにくい問題が出されていますが、その場合でも答えを説明してもらえれば誰でもすぐにわかるようになっています。
しかし、わかるためには、本人がその問題と答えに納得がいくまでじっくりと向き合うことが大事です。じっくり向き合う方法は、その問題と解法を何度も繰り返し解くことです。
国語の場合、精読とは繰り返し読むことでした。算数数学の場合も、深い理解は、できなかったところを繰り返し解くことで得られます。
ところが、子供たちの今の勉強の状況を見ると、学習塾などで行われている勉強の多くは、先生が教えることで成り立っています。
先生に教えてもらい、わかった気になると、子供たちは自分の力でその問題を繰り返し解くということをしなくなります。そのために、教えてもらっても、時間がたつと同じ問題を間違えるという結果になることが多いのです。
今の学習塾や通信教材などの勉強は、教育サービスという形で行われています。
子供たちが楽に取り組めるようにわかりやすく教え、しかも、勉強に飽きないように次々と目先の変わった教材を提供します。
同じものを何度も繰り返すことが勉強の基本なのに、すぐに教えてすぐに別の問題をやらせるという勉強のさせ方をしているところが多いのです。
学習塾での勉強の教え方は、以前は一斉指導が中心でしたが、次第に個別指導が重視されるようになってきました。また、学校での勉強の教え方も、少人数学級や複数担任制などで、より個別対応に近くなってきています。
しかし、一斉指導であっても、個別指導であっても、先生が教えるという姿勢が前面に出ているかぎり、子供たちは受け身の勉強になり、その結果かえって学力が定着しなくなるのです。
江戸時代の寺子屋は、早朝から昼過ぎまで、無学年制で、多数の生徒が、1人又は少数の先生のもとで勉強をしていました。
これが、もし教える勉強が中心であったならば、子供たちはすぐに退屈し、先生は教えることに忙殺されていたでしょう。
そうならなかったのは、子供たちが自分で取り組む繰り返しの課題を自習形式で続け、先生は必要に応じてそれに助言するという形の勉強をしていたからです。
その根底にあるのは、勉強はもともとできるようになっているもので、その方法は繰り返すことだという教育観でした。
寺子屋教育の本質は、少人数の親密な教育というのではなく、教えない教育だったのです。
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