感染症は、どのように困難に見えるものであっても、やがては人間の英知が克服する日が来ます。
戦争の危機は今も残っていますが、戦争を起こさせたい人よりも、起こさせたくない人の力の方が日に日に強くなっています。
自然災害は、人間の意識と深く関わっていいます。希望を持つ人が増えれば増えるほど、自然災害は遠ざかっていくでしょう。
これから起こる可能性の高い問題は、経済の変動です。
破綻を回避するために行われた金融緩和は、出口の見えないまま拡大し、やがて人間の手ではコントロールできないものになるでしょう。
コントロールできないときに打つ最後の手は、徳政令のようなものになるかもしれません。
その先に、これまで過去の歴史で行われていたようなさまざまな政策が行われるでしょう。
しかし、歴史は単に繰り返すのではなく、新しい社会が生まれてきます。
お金のない時代の経済は、物々交換でした。
しかし、これからは、単なる物と物との関係に戻るのではなく、新しく人と人との関係が生まれてきます。
そして、人と人との流れに乗らない経済は、新陳代謝によって自然に消滅していくのです。
社会のすべての分野で、本質的なものだけが残ります。
だから、大事なことは、本質的なことを再優先して生きていくことなのだと思います。
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これまでの社会は、奪い合うことによって発展してきました。
ある人が強力な矛(ほこ)を作れば、ある人はそれ以上に強力な盾(たて)を作るというのが、世の中の進歩の姿でした。
ある人が鍵を作れば、ほかのある人がその鍵を壊す方法を考えるというのも、かつてはひとつの進歩でした。作ることと壊すことが相まってGDPを高め、社会を豊かにすると考えられていたのです。
しかし、そこで作られた豊かさが、果たして人間の幸福に結びついているかと考えると、誰もが疑問に思わざるを得ないような状態が増えてきました。
鍵を作ったり壊したりするよりも前に、鍵の要らない社会を作った方がよいのではないかと、多くの人が感じ始めたのです。
そして、それまでの作ったり壊したりするために費やしていた時間を、もっと別のことに向ければいいのではないかと思い始めたのです。
しかし、それは、政策としてできることではありません。
強力な政府が、賞や罰で強制しても、奪い合うことを前提に発達してきた社会は変わりません。
一人ひとりの心が変わることによって、新しい社会は生まれてきます。
しかし、心を変えることができるのは、宗教ではありません。
人間の心は、命令によってではなく自覚によって変わらなければならないからです。
これまでは、そういう理想の社会は、遠い夢のような話と思われてきました。
しかし、今、身近にいくつもそんな理想の片鱗を見ることができるようになっています。
奪い合うことによって豊かさを追求してきた社会は、やがて静かに過去のものになるでしょう。
そして、与え合うことによって豊かになる社会が、それと入れ替わっていくのです。
子供たちの教育も、奪う力をつけるものから与える力をつけるものへ、これから静かに変わっていくのだと思います。
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小学校低学年の子は、作文でも、勉強でも、読書でも、遊びでも、みんな大好きです。生きていることがうれしくてたまらない時期ですから、どんなことも楽しく好きになるのです。
ところが、小学校低学年のときに、何かが苦手になることがあります。ときどきあるのは、作文が苦手になるというケースです。
その原因は、たったひとつ、早く上手に書かせようと思い、注意する量が多くなってしまうからです。
親が、注意と思っていないような一言でも、子供にとっては注意と受け止められてしまうことがよくあります。
だから、小学校低学年のころは、どんなに欠点があったり、不十分なところがあったりしても、ただひたすら褒めていればいいのです。
そして、褒める一方で、気長に長文音読と読書と対話を続けていくことです。
その音読と読書と対話も、やっているといろいろ気になることが出てきますが、全部そのまま認めて褒めてあげます。
読み方を注意したり、話し方を注意したり、読む本を決めたりすると、やがて音読も読書も対話も苦手になっていきます。
褒めるだけで上手になるのかといえば、そのとおりです。
褒めていれば、みんな上手になり、得意になっていきます。早く上達させようと思い、注意すると、苦手になり、下手になっていくのです。
人間は、繰り返していれば上達するようにできています。歩き方でも、走り方でも、喋り方でも、文章の書き方でも、続けていれば自然に上手になります。
学年が上がると、アドバイスによって急に上手になるという場面も出てきます。しかし、その場合でも、それまでの長い蓄積があるから、一言のアドバイスで上手になるのです。
だから、大事なのは、気長に続けていくことです。そのために、いつも気長に褒めていくことです。
音読も、読書も、作文も、生活の一部となるぐらいに自然に続けられるようにしていくことが大事なのです。
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低学年の作文、難しく考えてしまうと書けなくなりそうですね。私の子供時代も書き出すまでが時間がかかっていました。本を読む楽しさを実感できたらどんな人が出てくるのか、どういうお話なのか一番好きな部分はどこだったか、こちらが聞きたいなといった雰囲気で話を聞き出すことも大事ではないかと思いました。
楽しいというのがいちばん大事です。
勉強になるようにとがんばると、つい楽しくない雰囲気になります。
楽しんでいること自体が勉強だと思っているといいようです。
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これからの学力で必要になるのは、知識の量ではなく、考える力です。
あらかじめ用意されている答えを知識としてたくさん知っているというのが、これまでの学力でした。今の大人の多くは、自分自身がそういう勉強をしてきたせいで、いまだに知識の量を増やすことを勉強だと考えがちです。
そのため、子供に対しても、知識の有無を問うような対応をしがちです。
「これ、知っている?」「えー、こんなのも知らないの」「お父さん(お母さん)は、もっとこんなことも知っているよ」というようなやりとりです。
しかし、そういう知識の量を増やすだけの学力は、もう時代おくれの学力です。
これから必要になる学力は、思考力です。
思考力とは、正しい答えを探す力というよりも、答えのない世界を楽しむ力です。
子供の思考力を伸ばすためには、親が考える楽しさを示すことが大事です。それは、ちょうど、子供を読書好きにするために、親が楽しく本を読んでいる姿を見せることと同じです。
だから、子供との対話も、「これ知ってる?」「えー、知らないの」というようなやりとりではなく、親が自分で体験したこと、発明したこと、発見したことを、楽しそうに子供に話すことが重要になります。
発明、発見というと無理だと思う人もいるかもしれませんが、体験というのも、発明や発見と同じ思考力の表れです。「こう思ったから、こうしてみた」という行動は、答えのない世界を楽しんでいるからできるのです。
子供との対話を楽しく進めるには、知識のやりとりをするのではなく、こういう思考力のやりとりをすることが必要になります。
対話は、互いに自分の体験談で似た話をするから面白くなります。
知識だけの話は次第に狭く収斂していきますが、体験談の似た話を次々に拡散していきます。
この対話を楽しむことが、子供の思考力を育てていくのです。
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これからの子供の教育を考える場合、未来の仕事がどういうものになるかを考えておく必要があります。人生のかなりの部分は、仕事によって占められているからです。
これからは、会社に勤めて給料をもらうという時代から、自分が仕事を作り出すという時代になっていきます。今の大人のほとんどは、会社勤めをしていますから、実感としてわかりにくいと思いますが、世の中はそういう方向に進まざるを得なくなっているのです。
会社というものは、常にコスト削減の波にさらされています。仕事をする人にとっての給料は、企業にとっての人件費です。企業は、利益を出すために、機械化、外注化、省力化を進め、人件費を少しでも減らそうとする傾向を持っています。
今行われている仕事が、機械で代替されるようになると、仕事そのものが人間を必要としなくなります。それは、労働の苦痛から人間を解放するという点で社会の進歩ですが、その仕事で給料をもらっている人にとっては生活の手段がなくなることを意味します。
新しい仕事は、機械化が遅れている分野で探さなければなりません。そういう仕事は、魅力的なものとは言えません。
これに対して、自分が仕事を作っているのであれば、仕事を機械化した分だけ、その人は新しいより創造的な仕事に自分の時間をふりむけることができるようになります。その努力は、自分を成長させるための努力でもあるので、新しい仕事に取り組むことは楽しいチャレンジになるでしょう。
長い目で見れば、どこかに勤める仕事は、次第に面白くない仕事になり、自分で作る仕事は、次第に面白いものになるという傾向があるのです。
では、自分で仕事を作るには、どのような能力が必要になるのでしょうか。
第一は、自分の得意技を複数持ち、その得意技を組み合わせることによって、その分野で第一人者になることです。
第二は、その分野で時間をかけることによって、他の人が真似のできないようなレベルにまで持っていくことです。
第三は、幅広い人間力をつけていくことです。
この人間力は、人望と言ってもいいでしょう。自分より上の人からはかわいがられ、同僚からは信頼され、下の者からは慕われるというのがその人の人望です。
人間関係の力は、勉強だけでなく、実際の交流によって作られます。人間どうしの交流の多くは、遊びを通して得られることも多いので、友達と楽しく遊ぶということは、勉強と同じように大切なことになります。
また、ただ仲よく遊ぶだけでなく、自分の個性や創造性を育てていくことも大事です。そのためには、交流と同じぐらい孤独の時間も必要になってきます。
これまでの子育ては、勉強面での成績のよさや、志望校への合格に還元される面がありました。
これからは、そうではなく、個性、創造性、人間性を育てることが大事になってきます。
子供を見るときに、その子が将来どういう仕事をしていくかということを思い浮かべながら子育てをしていくことが大切になっているのです。
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家庭学習にもコツがあります。
第一は、毎日少しずつ同じことをやっていくということです。短い時間であっても、毎日やる方が続けやすいからです。回数を少なくして長時間やるよりも、短い時間でいいから毎日やる方がいいのです。
毎日やるような形の勉強だと、親がやり方を指示しなくても、子供が自分で自主的にできるようになります。そして、雨の日も、風の日も、土曜も日曜も祝日も、いつも同じようにやっていくと、いつの間にか力がついてくるのです。
親は、子供ががんばってやっていると、ついもう少し長くやらせようと考えがちです。しかし、勉強を追加したり延長したりすると、だらだら勉強をする癖がつきます。集中力がないという原因の多くは、長く勉強をさせられたところから来ています。
第二は、丸付けは自分でするということです。子供は問題を解くだけで、お母さんが丸付けをするという形で勉強をすると、親がいなければ勉強が完結しなくなってしまいます。子供が最初から最後まで自分のペースで勉強できるのがいちばんいいのです。
その丸付けも、問題を例えば1ページなら1ページ全部終わってからまとめてつけるよりも、1問ないし数問ずつそのつど丸付けをしていった方が、フィードバックが早いので、密度の濃い勉強になります。
子供は、丸がつくと喜びますが、丸がつくような勉強は、実はやらなくてもよかった勉強で、その勉強は本当は時間の無駄なのです。大事なのは、×がついたときで、その×を自分で理解して、その×の理由を親に説明できれば、そこで力がついてきます。
×のついた問題は、できるだけ親が解説するのではなく、子供が親に説明するようにしていくことが大事です。
第三は、読書も勉強のうちだということです。ときどき、読書は、学校でやっているからいいとか、行き帰りの電車の中でやっているとかいう子がいます。それはそれでいいのですが、それが家庭で読書をしない理由になってはなりません。小学生時代は特に、読書は勉強よりも優先して取り組む方が、本当の実力がつきます。
読書の本選びで、親が選ぶ本は全体に難しすぎるという傾向があります。また、真面目で面白くない本になる傾向もあります。読書はまず楽しいもの、面白いものを読んでいくことです。
1冊だけをずっと読んで、その1冊が終わってから次の本を読むという読み方をしていると、読みにくい本にぶつかったとき、読書が進まなくなってしまいます。読書は、数冊を並行して読んでいく方が楽にたくさん読めます。
面白い本を選ぶには、最近増えている本の中古マーケットを利用するといいと思います。
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これからの社会を考えると、教育に求められるものは大きく変わってきます。現在の、受験に合わせた勉強から、自身の将来の仕事や生活に合わせた勉強に重点が移っていきます。
将来の仕事や生活に合わせた勉強とは、全教科のバランスのよい基礎学力の上に(今の高校生の勉強のように、受験科目だけに力を入れた学力ではなく)、思考力、創造力、人間性を育てるような勉強です。
しかし、今の子供たちの勉強の様子を見ていると、時間をかけた詰め込み勉強によってテストの点数はよくなっていても、真の学力のつく勉強をしているようには見えません。
なぜ時間がかかるかというと、受験期に入る前から受験に合わせた差をつける勉強に対応しようとしているからです。受験勉強は短期間に集中して取り組むもので、それまでは基礎学力を確実につけることの方が大事なのです。
そして、なぜ真の学力がついているように見えないかというと、勉強の方法に無駄が多く、勉強の時間が長すぎるために、じっくり遊んだり、考えたり、本を読んだり、自分の好きな勉強をしたりする時間が不足しているからです。
実力をつける勉強の基本は、毎日同じものを同じように反復し、それを百パーセント身につけることです。問題集なら、1冊の問題集をできない問題がなくなるまでやり尽くすことです。ところが、ほとんどの子の勉強は、8割から9割できたところで新しい教材の勉強に移るようなものになっています。
その原因のひとつは、今の勉強が、自ら学ぶ勉強ではなく、人に教えてもらう勉強になっているからです。それは、教えてもらわないとわからないような気がする、差をつける勉強を増やしているからです。だから、時間をかけるわりに力がつかないのです。力がつかないから更に時間をかけ、そのために読書や自由な遊びの時間が減り、ますます真の学力から遠ざかるようになっているのです。
言葉の森では、作文小論文の指導をすることと並行して、これからは、子供たちの全教科の勉強面も見ていきたいと思っています。また、勉強面だけでなく、子供たちの自主的な生活力や他人や自然と共感できる人間力も育てていきたいと思っています。
これまでは、勉強は自分でするものと考えていたので、言葉の森では勉強面の指導はあまりしていませんでした。しかし、多くの子供たちの勉強の様子を見ていると、勉強の仕方の能率の悪さが、読書不足や生活の余裕のなさを生み出し、それが作文力や思考力に影響しているとわかってきたからです。
言葉の森では、今後、自然寺子屋オンエア合宿という企画で、子供たちの毎日の勉強も見ていきたいと思っています。
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勉強とは、もともと難しいものではありません。誰でも、多少の早い遅い、得意不得意の違いはあっても、同じようにできるようになるものです。それが、今の教育でそうなっていないのは、先生が、先生のペースで教え、先生のペースでテストをするからです。先生のペースに合わせられる子は成績がよく、合わせられない子は成績が悪くなります。
問題は、子供が学ぶのではなく、先生が教えることが教育の中心になっているところにあります。だから、逆に、先生のペースより先に進みたいと思っている子も、先生のペースに合わせざるを得ません。つまり、優れた子を作り出すことができず、劣った子を作り出さざるを得ないのが、現代の「教える教育」なのです。
言葉の森では、このような「教える教育」ではなく、自学自習形式の寺子屋教育を実力をつけるための本質的な教育として進めていきたいと思っています。また、それと並行して、これまで行ってきた作文を中心とした創造的な教育を更に進めていきます。本質的な教育と、創造的な教育をセットで教えていくがこれからの展望です。
創造的な教育の中身は、構成作文、プレゼン作文発表、森リン採点、小中学生の問題集読書と親子の対話、高校生以上の難読、幼児期からの対話式作文教育などです。
そして、寺子屋教育に参加する生徒が、自然との触れ合いや友達との触れ合いの中で成長するように、自然合宿教室も企画していきたいと思っています。また、通学の寺子屋教室に時間的距離的に参加しにくい子のために、googleハングアウトとskypeで、自宅でできる寺子屋オンエアの体制を用意していきたいと思っています。
この作文創造教育、自学自習寺子屋教育、自然合宿教育、自宅オンエア教育を総合して、これからは、言葉の森の教育と呼んでいくようになると思います。
自学自習の教育とは、1冊の基本となる参考書又は問題集を、音読、暗唱、反復によって百パーセント自分のものにするという勉強です。国語であれば読書と問題集読書、算数数学であれば1冊の問題集を解法ごと自分のものにする勉強、英語であれば1冊の教科書の暗唱と暗写です。こういう勉強で、国語・算数数学・英語の基本的な実力はつきます。
ただし、現在の受験勉強は、実力の勝負ではなく、差をつける競争に勝つための勝負ですから、受験期には独自に1年間集中して受験に対応した勉強に取り組む必要があります。しかし、受験勉強を前倒しして取り組む必要はありません。むしろ、前倒しによって、遊び、読書、じっくり取り組む勉強などの時間がとれなくなるマイナスの方が大きいのです。そして、そのつけは、かなりあとになってからやってきます。
しかし、受験期の1年間の集中的な勉強を自分の工夫で取り組めるのは、高校3年生の年齢になってからです。小学6年生や中学3年生のうちは、自分の工夫で受験勉強に取り組むことはまずできないので、受験のプロの家庭教師に頼むか、それが無理なら父母が志望校の過去問を分析して取り組むという勉強法になります。
しかし、これからは、そういう受験勉強自体が旧時代のものになっていくと思います。
受験勉強が旧時代の勉強だと思うようになったのは、日本の最高学府と呼ばれる大学を卒業して社会の重要なはずの役職についている人たちが、あまりものを考える力がないらしいということを、何度も見てきたからです。若い人ほどそういう傾向が強いというのは、現在の受験勉強が、本質を忘れた小手先のアクロバット的なものになっているからではないかと思います。
さて、言葉の森では、この、作文、自習、合宿、オンエアの教育をノウハウ化して、将来、森林プロジェクトや直営の教室で全国に広げていきたいと思っています。
更に、この日本的な教育の方法を、日本語、日本文化の教育とセットにして、世界に広げていきたいと思っています。
このようにして、旧社会での教育を担いつつ、これからの新社会の教育を準備していきたいと思っているのです。
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