10.4週の言葉の森新聞に、森リン復活の記事を載せました。
====引用ここから。
■森リン大賞が復活しました
サーバー移転のため、7月と8月は森リン大賞を表示していませんでしたが、この9月4週から再び表示できるようになりました。
長い間、お待たせして申し訳ありませんでした。
今後は、この森リン点を使って、作文の進歩のあとが客観的にわかるようにしていきたいと思っています。
https://www.mori7.net/oka/moririn_seisyo.php
====引用ここまで
森リンは、小論文の力を測定するソフトです。
1200字の文章を基準としているので、それよりも短い字数では、正確な点数は出ません。文章が短ければ、誤差が大きくなってしまうのです。
1200字ぐらいの文章だと、その文章を書いた人の語彙力がかなりはっきり出てきます。森リン点で、86点以上取れると、かなり実力があります。
上記の「森リンの丘」という清書のページで見てみると、9.4週の作文が86点以上の生徒は、
・小学6年生……0名(0%)
・中学1年生……1名(1%)
・中学2年生……0名(0%)
・中学3年生……2名(5%)
・高校生…………3名(2%)
となっています。
9月までの作文の目標字数が、小6以上は800字となっていたので、800字ぐらいまでしか書いていない人が多く、全体に点数が低くなったのだと思います。
しかし、そういう課題の目標字数とは関係なく、自分のペースでいつも1200字以上書いている生徒もいます。そういう生徒は、書くことが好きで実力のある生徒です。
文章力というと、表現力のように考える人も多いと思いますが、本当の文章力は思考力です。
特に森リン点で高得点を取るような生徒は、物事をよく考えています。だから、大学入試の小論文でももちろんよく書けますが、小論文以外のどの教科も成績がよいこと多いのです。
コンスタントに86点前後を取り、たまに90点台を取るような生徒は、東大レベルです。
しかし、森リン点は、長文の要約が1段落あり、その後に自分の文章を展開する書き方をすると、その最初の要約の部分は点数が高くなることが多いので、実力はあまり正確にはでません。
要約の元の文章は、プロの評論家や学者が書いていることが多いので、その文章を要約した部分は、自然に森リン点が高くなってしまうのです。
サーバーの引っ越しが終わり、森リン点などの集計をしやすくなったので、今後、こういう客観的な文章評価をもっとわかりやすく表示していきたいと思っています。
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言葉の森は、設立当初は、受験とか成績ということをあまり意識せずにずっと作文の勉強を教えてきました。
だから、最初のころ言葉の森に参加した生徒は、みんな受験や成績にあまり関係のない子たちでした。勉強のよくできる子や、、小中高一貫校に通っていて受験の心配のない子が多かったのです。
その傾向は今でもあります。特に小学校低学年の子は、何か必要に迫られて作文の勉強をするというよりも、書くことが好きだから、又は面白そうだからという動機で作文の勉強を始める人が多いようです。
しかし、そういう子供たちも大きくなれば、みんな入試に直面します。
小学生のころ教えていた生徒が、中学生や高校生になると、時どき入試の相談を受けるようになりした。
最初は、大学入試に小論文があるという生徒に、その大学の入試傾向に対応した文章の書き方を説明するようにしていました。
言葉の森は、もともとは、大学生の作文指導からスタートした教室なので、受験小論文のノウハウは豊富だったのです。
ところが、そのうち、国語の読解力をつけたいという生徒が増えてきました。
実は、国語の得意な生徒は、国語の勉強をしたから得意になったというのではありません。国語力は教わってつくものではなく、国語的な生活環境や生活習慣の中でつくのです。
だから、国語の勉強を教えるとしたら、それは授業で教えるのではなく、家庭での自習として教えることが中心になります。
ところが、国語の苦手な生徒は、家庭で国語的な生活習慣がなかったから苦手になったということも多いので、国語の自習を続けること自体が難しいということもわかってきました。
国語の苦手な生徒は、毎日の読書だけで成績が上がります。普通の生徒は、毎日の音読だけで成績が上がります。得意な生徒は、毎日の問題集読書だけで成績が上がります。しかし、こういう形の残らない勉強は、毎日続けること自体が難しいのです。
毎日続けるということは、これまでの習慣の代わりに新しい習慣をつけるということですから、年齢が上がるほど難しくなります。週に1、2回やることと、毎日やることとは、日数の違いではなく質の違いになるのです。
そこで考えたのが別の方法です。(つづく)
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●国語の勉強のコツ
現在、既に入試問題集で問題集読書をしている人が多いと思います。
しかし、入試問題集は、文章は時事的で優れた内容のものが多いのですが、受験という差をつけるテストであるため、問題自体は参考にならないものも多く含まれています(例えば、ほとんどの人が解けないような問題があるなど)。
また、ページ数が多いため、1冊を年間を通して5回繰り返すという読み方はなかなかできません。
だから、入試問題の問題集読書は、これからも読書がわりに楽しく読む教材として使い、それとは別に市販の国語読解問題集を、新しい問題集読書として取り組む予定です。
やり方は、次のようになります。
(1)新しい問題集読書は、小1から中3まで取り組めます。(高学年の生徒が持っている入試問題集は、これからも時間を見て読書がわりに読んでいきます。)
(2)1日2ページぐらいを目安に取り組みますが、それより少なくても多くてもかまいません。
(3)最初に、自分の読むページの分だけ、問題集に答えを書き込みます。(問題を解くのではなく、先に答えを書き込み、その答えと問題をセットで読んでいくという勉強法です。)
(4)問題集読書は、国語の勉強の得意な人は黙読で読んでもかまいませんが、普通の人や苦手な人は、長文と問題と答えを全部音読で読んでいってください。特に、今回は長文だけでなく問題と答えを読むことも入るので音読の方が頭に入りやすくなります。
(5)読んでいる途中に、自分で線を引きたいと思ったところに線を引きます。線を引くのは、大事なところだけでなく、面白いと思ったところ、よくわかったところなど自由です。線は、カラーのペンではなく、できるだけ鉛筆やシャープペンで引いてください。何度も繰り返し使うものは、カラーペンよりも鉛筆やシャープペンの方が向いています。
(6)問題集読書をしたあとの感想は、長文を読んだ感想だけでなく、問題と答えに関する感想でもいいです。例えば、「この問題は答えを見て初めてわかったので勉強になった」「この読解問題の答えで、なぜほかの選択肢が正しくないかというと理由はこういうことだと思った」などでもいいです。大事なことは、読んだあと何らかの感想を書くということです。
(7)1冊の問題集が最後まで終わったら、また最初に戻り同じようにやっていきます。1冊を1年間で5回繰り返して読むことが目標です。
●算数の勉強のコツ
算数の勉強法のコツは次のとおりです。
(1)ノートは幅広く使います。複雑な計算は、横に伸ばすよりも、=の位置を基準にして縦にきれいにそろえるように計算過程を書いていきます。
特に、うっっかり計算ミスが多いという人は、そろえてきれいに幅広く書き、そしてできるだけ頭の中で暗算せずにいちいち紙に計算の途中の過程を書くというようにしていってください。
(3)少しでもわからないところがあった問題は、必ず問題集に×をつけておき、あとで繰り返して取り組むようにします。
勉強で大事なのは○がつくことではなく、×がつき、それがあとでできるようになることだという考えをしっかり定着させていってください。
(4)問題集には、答えや計算過程を書き込みません。問題集には○と×をつけるだけです。問題番号と計算過程と答えは、ノートに書きます。
(5)勉強にかかった時間を測り、その時間を記録するようにします。これは、時間を意識して勉強するようにするためです。
(6)できなかった問題は、解法を理屈で理解しようとしてもなかなかすぐには理解できません。また、同じ傾向の別の問題をやってもすぐにはできるようにはなりません。
全く同じ問題を次の日も同じようにやります。2日目でまだすぐにはできなかったら、3日目も、4日目も同じようにやります。つまり、問題と答えのセットを覚えてしまうぐらい繰り返してスムーズにできるようになると、自然にその理屈がわかってきます。そして、1冊の問題集が終わったら、またそのできなかった問題をします。
(7)このようにして、1冊の問題集を1年間で百パーセントできるようにします。
これが算数の勉強のコツですが、この方法はどの教科にも通じます。
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昔は、ただでくれるものなら、要らなくてももらっておくという発想をする方が普通でした。
しかし、今は、要らないものなら、ただでも、お金をもらっても要らないという人が増えています。
物の価値がどんどんなくなり、物でないものの価値が大きくなってきたのです。
要らないものなら、もらいたくないという考えのもとになっているものは、自分らしい生活スタイルで生きていきたいという価値観です。
つまり、物よりも、形のない文化の方が、人間の価値観の基準になりつつあるのです。
これは、教育の世界でも起こっています。
今は、優れた教材が低価格で豊富に手に入るようになっています。
しかし、だから、今の子供の方が昔の教材の乏しかった時代の子供たちよりも賢くなっているかというとそういうことはありません。
物としての教材がいくら豊富でも、それをどう使うかという文化が伴わなければ、豊富な物はその豊富さゆえにかえって学ぶことの邪魔にさえなるのです。
勉強のコツは、1冊を繰り返して完璧に仕上げることです。同じものを同じようにやることが、退屈ではあっても勉強の王道です。
しかし、教材が豊富な環境にいると、1冊をそこそこに仕上げたら、すぐに次の新しい教材に取り組むという人が多いのです。
その結果、どの教材も8割か9割しかできないことになり、その子はいつまでたっても学力が向上しないのです。
これから、物はますます低価格化が進みます。低価格化が進行するものは、ごく少数の大企業の寡占化の状態に陥ります。それは、競争によって活性化する市場ではなく、ひとつの安定した公企業の提供するインフラのようになっていきます。
松下幸之助が述べていた水道哲学の社会、つまり、水道のように物が安価に大量に行き渡る社会になっていくのです。
一方、文化は高価格化が進行します。人間が関わる個性的なものは、物の値段とは桁が違う形で高価格が進みます。
例えば、かつての茶道の文化の中では、一つの茶道具が現在の価格で数億円、数十億円で取引されていたものもありました。文化というものは、必需性の希薄なものです。
お茶、お花、俳句、ゴルフ、サッカーなど、今の世界で文化として確立し、一定の経済規模のあるものも、その文化が全くなかった状態から立ち上げるとすれば、参加者を募るだけでも難しいと思います。
それは、その文化が、人間の必要性に根ざしていない個性的、文化的なものだからです。
このような時代には、教育の内容も、その重点が物から文化へと移っていきます。
物の教育とは、実力をつけるための教育で、MOOCなどに見られるように安価で優れた教材が豊富に出てくるので、誰もがその教材を利用して最高の教育を受けられる環境を手に入れます。
しかし、人間はブロイラーではないので、優れた教材を豊富に与えられてもそれにすぐに取り組めるわけではありません。
物の教育を習得するためには、意欲づけや、その子に応じた取り組み方の手順や、うまくいかなかったときのフォローなど、個性的な対応という文化的なものが必要になってきます。
文化の教育とは、その物の教育の受け方のノウハウと、その教育によって実力をつけたあとの個性と創造の教育です。
言葉の森では、今、この教育の「物」的側面より、「文化」的側面を生かす教育の方法を考えています。
それは、具体的には、これまでの作文指導に寺子屋オンエアの仕組みを組み合わせたようなものになる予定です。
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昔、「数学は暗記だ!」という本がありました。和田秀樹さんの本です。
そして、「数学は暗記科目である」という本もありました。渡部由輝さんの本です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4562014792
渡部さんは、「小学校からの東大入試戦略―突破力としての数学学習法」という本も出しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4876477841
これらの本は、そのタイトルから受ける印象とは違ってきわめて深い内容を含んでいます。小中高生に必要な数学力は、基本的に解き方の知識なのです。
数学が暗記だという証拠に、数学者の岡潔さんの数学の勉強法は、普段は全然勉強をせず、試験の直前に全部丸暗記することだったそうです。それで間に合ったのです。
そして、岡さん自身は、自分の考えた問題だけは何ヶ月も、あるいは何年もそのことばかりを考えていたそうです。
考えるとは、そういうことで、受験の数学の難問を考えるというのは、考えるうちには入らないのです。
しかし、数学は暗記だと言われても、どう暗記すればいいのか多くの人は戸惑うと思います。
その方法は、できなかった問題を、解法を見ながら繰り返し解いて、その解法を丸ごと自然に覚えてしまうことです。
そうすると、その記憶が頭の中で成熟して、ほかの問題も解けるようになるのです。
数学や英語は、かけた時間に比例してできるようになると言われていますが、それは、結局繰り返した回数に比例しているということです。
本多静六さんは、数学で赤点を取り落第したあと発奮し、それから数学の問題集を解法ごと暗記したそうです。
すると、卒業するころには、数学の天才と呼ばれるようになり、数学の先生から、「もう数学の勉強はしなくてもいい」とさえ言われたそうです。
何か、漫画のような話ですが本当です。
落第するほど苦手だった数学が、暗記する方法に変えたら、そのやり方に慣れて、いつの間にか天才になってしまったのです。
だから、数学は、暗記だというよりも、慣れだと言ってもいいと思います。
何度も繰り返しているうちに、その解き方に慣れてくるのが数学です。
ところが、慣れていないうちは、いくら詳しく説明されても、説明を聞けば聞くほど難しくてわからないような気がしてくるのです。
数学と同じように、国語も慣れです。それは、難しい文章を読むことに慣れるということです。
読書好きな子供はたくさんいますが、難しい本が好きという子はあまりいません。読書量が多いわりに国語の力が今ひとつという場合は、読書の質が易しいものばかりであるのが原因です。
とは言っても、子供の興味とは別に難しい本を読ませようとすると、まず第一に読書の量が減ります。そして第二に、読書が苦手になってくるのです。
そこで考えたのが、低学年からの問題集読書です。
これは、読書のかわりに問題集を読むのではありません。読書は読書として楽しく読んでいくのですが、その楽しい読書と並行して、勉強として難しい文章を読む練習をしていくのです。
そんな難しい文章を読ませて、読むことが嫌いにならないかと心配する人もると思いますが、嫌いになるのは、その場で理解させて、その場でわからせようとするからです。
最初から理解したり深い読み方をしたりする必要はありません。最初は、慣れているだけでいいのです。
小中高でやる勉強は、もともと誰にでもできるものです。それを、受験で差をつけるために、わざとわかりにくい問題として出されたり、うっかり間違えやすい問題として出されたりするので、まるで難しいように思わされているのです。
算数も国語も他の勉強も、慣れれば誰でもできるようになります。それは、人間の能力にもともと内在している力、言わば本能のようなものです。
江戸時代の寺子屋は、教える先生が優れていたから成功したのではありません。優れた先生ももちろん多かったと思いますが、寺子屋教育は先生の指導力に依存しない教育法だったからうまく行っていたのです。
そして、寺子屋教育が、当時の世界の教育の最先端を行っていたのは、日本の文化の中に、勉強はやれば誰でもできるようになるものだという勉強観と人間観があったからです。
寺子屋の勉強の基本は、音読、暗唱、習字など、何度も反復するものでした。早くできる子と、遅くできる子の差はあったと思いますが、できる子が10回やればできるようになることを、できない子は20回やれば、できる子と同じようにできるようになります。だから、できるできないの差は本質的な差ではないという勉強観が社会全体の中にありました。
10回も20回も、人生の長い時間の中では大した違いではありません。結局、どの子も同じようにできるようになるというのが、江戸時代の教育でした。
受験のために差をつけるような勉強をする必要がないという点で、江戸時代は、勉強の本来の姿を体現していたのです。
言葉の森は、これから寺子屋オンエアで広げていきたいと思っています。
そして、その寺子屋オンエアを森林プロジェクトの教室でも行えるようにしたいと思っています。
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国語の実力をつけるための最も役に立つ方法は、多読と精読です。多読とは、自分の好きな本をたくさん読むことです。精読とは、難しい本を何度も繰り返し読むことです。
国語の力をつけると言って、問題集を解くような勉強をしている人も多いと思います。しかし、問題集は、その問題が解けたときは、もともと解かなくてもできたはずの問題ですから、その問題を解いただけ時間の無駄なのです。解けなかったときは、説明を聞いても、次回解けるようになるわけではないので、やはり時間の無駄なのです。
問題を解く勉強は、読むだけの勉強に比べて5倍から10倍時間がかかります。忙しい思いをしているわりに実力が伸びないのは、解く勉強に時間を割いているからです。
国語の力をつけるためには、まず文章を読む力をつけることです。それが、多読と精読です。
多読によって、文章を早く読み取る力と味わって読む力がつきます。精読によって、考えて読む力がつきます。
ところが、読む力がついても、それですぐに成績が上がるわけではありません。成績を上げるのは、上げるためのコツが必要だからです。
しかし、読む力のある生徒は、わずか1、2時間の説明で、成績を上げるコツをつかみます。とは言っても、その1、2時間の説明は、一般的な説明ではなく、その生徒の実際に解いた問題に即しての説明なので、一斉指導はできません。
解き方のコツは、家庭でお父さんお母さんがその子の実際に解いた問題に則して説明してあげるのがいちばんいいと思います。
▽参考ページ
「国語の勉強法」
https://www.mori7.com/as/769.html
「読解力をつけるには」
https://www.mori7.com/as/514.html
「国語の成績を上げるために――読解問題の解き方、記述の仕方」
https://www.mori7.com/as/1795.html
以上まとめると、国語の実力をつけ成績を上げるためには、
・多読による速読力
・精読による難読力
・国語の問題を解くコツ
の三つが必要だということになります。
この中で、最も難しいのが、難読力をつけることです。
速読力は、読書の好きな子ならば自然についています。問題を解くコツは、受験の数ヶ月前でも間に合いです。しかし、難しい文章を読み取る力は、なかなかつけることができないのです。
難読力をつける方法は、しかし、単純です。それは、難しい文章を繰り返し読んで、その文章に慣れることです。
言葉の森では、小学校高学年の生徒や、中高生で、国語力をつけたいと思っている人には、問題集読書を勧めています。入試問題集の問題文を読書がわりに読み、そういう文章に慣れる練習です。
この問題集読書は、これまで小学校高学年以上の生徒にしか勧めていませんでした。しかし、小学校低中学年の生徒でも、ある程度難しい文章を読む練習は必要です。
そこで、今考えているのは、小学校低中学年の生徒も、その学年に応じた問題集を読書がわりに読む練習です。
ところが、この問題集読書は、難しく退屈なわりに、やっていて張り合いのない勉強なので、家庭では取り組みにく面があるのです。そこで、今考えているのは、寺子屋オンエアの中で、小学校低中学年からの問題集読書を見ていく仕組みです。
問題集読書は、問題を解かなくてもいいのですが、せっかく問題があるのですから、解き方のコツは、知っていてもいいと思います。読んだ長文に関する問題の中で、1問だけ自分で答えを見て、なぜその問題で、その答えになるのかを説明させるようにしていきたいと思っています。
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言葉の森の作文指導の特徴は、毎週担当の先生が電話で指導することです。
こういう事前の電話指導があるので、その子の実力に応じた作文の書き方のアドバイスができます。
紙だけの作文通信指導がなぜ長続きしないかというと、子供が書き始めるきっかけが作れないからです。
電話指導は、声だけの指導と思われがちですが、これが意外と深く先生と生徒の信頼感を生み出しています。そのため、何年も同じ先生の指導を受けて勉強を続ける生徒がいるのです。
しかし、言葉の森の電話通信指導にも、弱点はあります。
それは、電話のあとすぐに作文を書き始めない生徒がいる場合です。
中学生ぐらいになると、自分で勉強時間の融通をきかせられるので、すぐに始めずにあとで書こうと思ってしまうことがあります。
しかし、作文の勉強というのは、開始するときの精神的エネルギーが、あらゆる勉強の中で最も大きな勉強です。だから、学校の感想文の宿題なども、多くの生徒は締切ぎりぎりにならないと着手できないのです。
電話のあとすぐに始めれば比較的楽にできることも、時間がたつとなかなかできなくなります。
しかし、電話指導だと、こういう生徒を途中で励ますような対応はできません。
もうひとつは、小学生で途中で詰まってしまう生徒がいる場合です。
こういうケースはそれほど多くはありませんが、勉強を始めて間もないときや、感想文を初めて書くときは、途中で書けなくなってしまうことがあります。
そのときは、すぐに教室に電話をして聞けばいいのですが、それをせずに、子供に何十分も自力で書かせようとしてしまう保護者も多いのです。
書くことに詰まって10分もしたら、もうあとは時間がたてばたつほど、いくら時間をかけても自分の力で書けるようにはなりません。
こういうときも、電話指導では、途中で生徒にアドバイスをするようなことができません。
そこで、言葉の森では今、従来の電話指導の枠を超えた新しいオンライン指導の方法を計画しています。
この冬からそのモニター生徒を募集する予定です。
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港南台教室で、全員に自習表を配り、6日間全部つけてきた人には福袋ということにしました。
よくつけてきた子が多かったのですが、つけ方のコツがまだよくわかっていない人もいたようです。そこで、自習表をつけるコツをいくつか。
まず第一に、まとめて塗らずに、一つできたつど一つ塗るというようにすることです。
まとめて塗ると、ただの色塗り作業のようになってしまい、かえってくたびれます。できたつど塗っていると、自分の自習が次第に形になっていく様子がわかるのでやる気が出てきます。
第二は、できそうなことをすることです。しかし、できそうだと思っていても、何かが長引いて、ほかのことができなくなるということもあります。
そういうときは、途中で軌道修正することです。最初に決めていたとおりにできないから、途中からもう少し簡単なものにしぼるというようなやり方をしていきます。そして、最終的に全部できることを目標にするのです。
しかし、それでもどうしてもできなかったということはあります。
したがって、第三に、どうしてもできなかったときは、赤と青の塗り分けではなく、できなかったところを黄色で塗ることです、
できなかったことも、できなかったという形にしておけば、それはそれで達成感として残ります。
うやむやのうちにできなかったとするのではなく、はっきりと自覚してできなかったということにしておけば、その土台の上にまた翌日も新しい気持ちで取り組むことができます。
さて、子供の自習の項目を親が見ると、楽にできることしかやっていないように感じることがあると思います。
特に、小学校高学年から中学生にかけては、わざとそういうことをやりたくなる時期にあたります。うまくさぼりたいとか、裏をかいてみたいとか、ごまかしてみたいとかいう心理が成長する時期なのです。
だから、要領よく手を抜いてやっていることに目くじらを立てる必要はありません。子供と同じように、大人も笑って見てあげていればいいのです。
しかし、同時に、折にふれて、人間の生き方について話をしておく必要があります。
それは、勉強でも、仕事でも、人に見てもらったり、人に褒められたりするためにやるのではなく、自分が成長し、将来社会の役に立つことをするためにやるのだということを、家族の談話の時間などに言っておくのです。
こういう骨格さえたまにしっかり話しておけば、普段は楽しく面白くやることを中心にしていっても何も問題はありません。多少の脱線があっても、それは大目に見ておけばいいのです。
自習表は、塗り方がわかるようになると、楽しくなると思います。
子供がなかなかやらないというときは、まずお母さんが自分でやってみて、その楽しさを味わってみるとよいと思います。
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