ニュートンは、世界を、力学という見方で見ました。それは、力学からの世界の発見でした。
発見は、見方を変えるだけで、それ自体は何も変えません。しかし、その発見がそのあとに続く世界の改造にさまざまにつながっていったのです。
今、世界は大きな曲がり角に来ていると多くの人が感じています。これまでのやり方の延長では、いずれうまく行かなくなると誰もが思い始めているのです。
では、その曲がり角とは何かということは、世界をどう見るかという発見の仕方と結びついています。
その一つは、環境の面から世界を見るという見方です。
今の社会の延長では、環境破壊の進展を止められないとすれば、その解決策は、画期的な省エネ省資源技術の開発と、環境を優先する経済の仕組み作りです。
経済の仕組み作りについては、例えば二酸化炭素の排出権取引は、そもそも二酸化炭素が温暖化に結びついていたかどうかに疑問が出され、これまでの試みは単なる経済的策略のように思われるようになってきました。
しかし、環境の保護や自然の再生という経済的な需給関係に任せていては解決のつかない問題を、国と国との条約で経済の仕組みに組み込むという発想は、これからますます必要になってきます。
未来の世界は、自由貿易によって動く金額だけでなく、この国際的に決められた尺度によって動く金額が、経済の大きな範囲を占めるようになるでしょう。
そして、この理念をもとにした枠組みは、環境保護にとどまらず、人間の自由や幸福や向上のようなところまで指標化する形で発展していくでしょう。
例えば、ブータンという国で、国民の満足度が高いとすれば、それは輸出品と同じように他国に売ることのできる経済的資産になります。これからは、その国の民度の高さも、それ自体が大きな経済的資産になってくるのです。
世界の曲がり角に対するもう一つの見方は、今の世界の停滞を新しい需要の不在から見る見方です。
現在では、生活の必需品に関しては、世界全体の供給力は、世界の需要力を上回っています。問題は、その供給力の余剰がほかのところに向かわずに、需要力の範囲に抑制されていることです。いわゆる豊作貧乏と同じようなことが、世界全体で起こっているのです。
この解決策は、新しい需要を創造することです。しかし、それは穴を掘ってまた埋めるというような需要ではなく、人間の生活にとって価値のある需要でなければなりません。
そう考えると、これからの新しい需要は、文化的な需要です。これからは、文化的需要を大衆的に生み出す力を持っている国が、大きな経済的可能性を持つようになるのです。
さて、世界の新しい見方とともに今後求められてくるのは、人間というものの新しい見方です。
これからの教育の方向を考える場合、人間をどう見るかということが重要になってきます。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。教育論文化論(255)
寺子屋オンエアは、ウェブ会議システムを使って、少人数での自宅学習を毎日チェックして指導する仕組みです。
これまでこういうシステムで勉強を教えているところはなかったので、ただ説明をしても実感としてわかりにくいと思います。そこで、既にある従来の勉強法の弱点と比較する形で説明します。
第一は、通学式の学校や塾での一斉指導との違いです。通学式の一斉指導という教育法の利点は、友達との交流ができることと、教える側の負担が少ないことです。しかし、通学の弱点は、通うのに時間がかかることです。また、一斉指導の弱点は、わかる生徒にとっては参考書を読んで自分で勉強すれば講義を聞くよりももっと能率よくわかることと、わからない生徒にとってはわからないまま講義を聞くだけで終わりになってしまうことです。
これに対して、寺子屋オンエアの指導の長所は、わざわざ通わなくても自宅で勉強できること、それぞれの生徒が個別に自分に合った勉強をすることができ、その方法もチェックしてもらえることです。
第二は、紙媒体の通信教材との違いです。紙媒体の通信教材の利点は、自宅でできること、比較的低価格でできることです。弱点は、子供が自分で勉強を始めるのが難しいので親の指示が必要になること、紙の説明だけで理解できるように作らなければならないので、低学年向けの簡単なものは一律に作成できるが、学年が上がると個々の生徒の理解度の差には対応できなくなることです。
これに対して、寺子屋オンエアの長所は、先生が生徒の勉強状況をチェックできるので、親の指示がなくても勉強が始められることと、個別に対応できることです。
第三は、通学式の個別指導の塾や、自宅に教えに来てくれる家庭教師などとの違いです。個別指導や家庭教師の利点は、生徒に応じた個別対応ができることです。弱点は、比較的高価なこと、友達との交流がないこと、通学や訪問というものは距離に制約されているので必ずしもよい先生と出会えるとは限らないことです。
これに対して、寺子屋オンエアの長所は、個別指導でありながら、友達との交流もできることです。また、ネット上の指導のため距離の制約がないので、生徒と先生の相性なども柔軟に調整できることです。
第四は、ネットを使った通信教育との違いです。ネット教育には多様な可能性がありますが、今出ているものは、紙媒体の通信教材をそのままネット化して発展させたようなものがほとんどです。
ネットを使っているので、堤出や返却などのスピードがあります。また、紙媒体のものよりもマルチメディアで魅力的な教材が作られ、しかも紙媒体のような印刷や郵送のコストがかからないディジタル配信なので、かなり低価格に作ることができます。
この典型的な例が、アメリカのMOOCに見られるような一流の授業と優れた教材の無料配信システムです。このネット教育の分野は、いずれはグローバルな数社の寡占状態になると思われます。特に理数系の分野は世界共通ですから、世界の理数系教育を、世界的な1社か2社が独占するというような状態に近づいていくと思います。
ネット教育の利点は、自宅でできること、優れた教材が低価格で提供されること、マルチメディアの面白さがあること、堤出と返却にスピード感があることなどです。
しかし、今のネット教育の弱点は、これまでの紙媒体の通信教育をネット化しただけというところにあります。そして、ネット教育を行う企業側の動機は、コストを下げることにあるので、個別指導ではなく一斉指導をスモールステップ化したものになります。そのスモールステップの勉強を生徒が進めていく動機は、ミニテストの評価によって引き出すという形になるのです。
今のネット教育の弱点は、優れた教材をスモールステップ化した形のものが多いので、低学年の易しい課題のときは誰でもできますが、学年が上がり個々の生徒の得手不得手が出てくるようになると、できる子とできない子の差が出てくるようになります。それをテストで動機づけしても、やはりできる子とできない子の差は出てきます。
その結果、今の学校や塾の一斉指導が直面している問題である、中間の位置にいる子を焦点に当てた勉強にならざるを得ない面があるのです。
寺子屋オンエアは、一斉指導ではなく個別指導の教育です。また、授業を教えるような教育ではなく生徒の自学自習を促す教育です。また、生徒が孤独に勉強する教育ではなく、生徒相互の交流も生かす教育です。
こういう形の教育であれば、できる子はできる子なりに、できない子もできない子なりに、自宅で自分のペースで、個別の指導を受けながら、友達との交流も生かして勉強を進めていくことができます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51) 寺子屋オンライン(101)
言葉の森は、作文の専科教室です。作文の指導だけを約30年間続けてきました。
なぜ、ほかの勉強、例えば漢字の書き取りとか、計算練習とか、国語の問題とか、算数数学の問題とか、英語の問題とかいうわかりやすいものをやらなかったかというと、そのような勉強は、誰かに教わらなくても自分でできるものと考えていたからです。
これに対して、作文の勉強というものは、第三者の見る目がないと自分では評価のしようがありません。作文は、音楽やスポーツに似ていて、他人からの評価がないとうまく勉強できないのです。
しかし、その後、意外と作文以外の基礎的な勉強のできていない生徒がいることがわかり、途中から国語の読解問題なども言葉の森の勉強の中に入れるようにしました。
この国語の読解問題の解き方のコツは、かなり優秀な生徒で、既に中学3年生や高校3年生の受験モードに入っている生徒でも、よくわかっていないことがありました。これは、たぶん今でもそうです。
毎月第4週の読解問題は、しばらく前から2問だけに絞って課題フォルダに掲載していますが、これは2問とも正解にしてもらうためです。読解問題は、理詰めで解いて満点を取ることで初めて力がつきます。6割できたとか7割できたとかというところで満足していたのでは実力はつきません。満点を取ることを目指し、もしできないところがあったら答えを見て、なぜそうなのかと自分で理屈で理解して初めて力がつくからです。
さて、話は戻って、言葉の森では、独学では勉強しにくい作文の勉強を、小学1年生から高校3年生まで、場合によっては幼児から社会人まで長年指導してきました。
大学入試の小論文は、実は言葉の森の指導は、ほかの予備校などの指導よりもずっと優れていると思います。予備校でも小論文の指導を受け、言葉の森でも小論文の指導を受け、両方を比較できる立場にいる受験生が、皆同じように言葉の森の指導がわかりやすく役に立ったと言っているからです。もちろん、小中学生の作文指導も同様です。
作文は進歩の遅い勉強ですが、言葉の森のやり方で続けていけば、誰でも必ず上達します。高校生のように入試の小論文を意識して勉強している場合は、大体1年間で自分でもうまくなったという実感がわきます。本当は、教える先生の目から見ればもっと早くから上達しているのですが、本人が自分で実感としてうまくなったと感じるのは1年間ぐらいたってからです。
ところが、作文の面では上達している生徒が、意外にも、普通の教科の勉強では苦手なものがあったり、能率の悪い勉強をしたりしているということがよくありました。
それは、なぜかというと、国語の読解問題の解き方と同じように、勉強の仕方がよくわかっていないままただ時間をかけて勉強しているというケースが多かったからです。
その勘違いした勉強の仕方の根は、小学生時代から始まっているようでした。
勉強は、本来もっと短時間で簡単に楽しく済ませられるものです。それで実力がつくのです。
ところが、勘違いした勉強法で勉強していると、長時間の複雑な苦しい勉強をしていながらなかなか実力がつきません。しかし、その複雑な苦しい勉強の仕方の方が、子供も親も先生も、真面目にしっかりやっているように感じてしまうのです。
本当は、小中学生の成長には、勉強よりも、遊びや趣味や読書や対話のような勉強以外の自由な時間が必要なのですが、多くの親や先生は、そういう自由な時間は無駄な時間と考え、生活時間をできるだけ勉強で埋めようとしてしまいます。
その結果、小学生の最初のころは成績がよくても、中学生、高校生と学年が上がるにつれて、思考力や集中力の不足が表面に出てくるようになり、かえって成績が伸び悩むことも多いのです。また、自由な時間の少なかった子は、大学生や社会人になってから創造力の不足が表面化してきます。
こういうことがわかってきたので、言葉の森では、作文の勉強とは別に、独自の方法で小中学生の全教科の勉強を見る仕組みを作りました。それが、寺子屋オンエアです。(つづく)
次回は、寺子屋オンエアの仕組みを説明します。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51) 寺子屋オンライン(101)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。実行課題(9)
日本は、ICT教育が遅れているということを言う人がいますが、そこで描かれているICT教育は、
・生徒数あたりのコンピュータが多くて、
・ICT教育のできる先生が多くて、
パソコンの前で、生徒と先生がにこにこと勉強しているようなイメージの教育です。
ICTという言葉や、パソコンやインターネットという物にとらわれている教育なのです。
教育の本質は、子供が何をいかに学ぶかというソフトであり、そこには学ぶとは何かという哲学のようなものがなければなりません。
しかし、今言われているICT教育は、学ばせる道具だけに目が向いているように思えます。
コンピュータとインターネットは、確かに活用できるツールです。しかし、その活用の仕方は、まだ初歩的な段階にとどまっています。
今考えられているICT教育の意義は、
・インタラクティブ(双方向的)な操作で楽しくできる
・個々の生徒の進度に応じた対応ができる
・僻地でも同じ教育が受けられる
という程度のものです。
その程度の意義でICT教育が考えられているならば、ICT教育と、これまでの通常教育との差はほとんどないと言ってよいでしょう。
もし違いがあるとすれば、それは、低学年の子や勉強の苦手な子に、インタラクティブな個別対応ができるというところだけで、高学年の生徒や、勉強の普通にできる生徒には、特に目立った差はありません。
むしろ、多くの普通にできる生徒は、インタラクティブに取り組まざるをえないICT教育にわずらわしささえ感じると思います。
かつて、子供たちに読書の面白さを伝えるためにといううたい文句で、参加者の対話や劇などを通して本に触れるという試みがありました。
読書嫌いな子にとっては、本に触れる機会になったかもしれませんが、読書好きな子にとっては、自分ひとりで本を楽しむよりも、ずっと遠回りで味わいの薄い読書経験にしかならなかったと思います。
それと同じようなことが、今のICT教育の発想に感じられるのです。
これは、民間で行われているICT教育についても同じです。
民間の場合は、もともとの動機がコスト削減ですから、優れた教材を提供できるのはいいのですが、結局多様なコピーを個々の生徒の進度に応じて割り振ることに情報通信技術が使われているだけです。
ニワトリにえさをやって、どのニワトリもその食べ具合に応じて成長させるということなら、そういう方法にも十分価値があります。
しかし、それは、ごく低学年のうちか、勉強の苦手な子にとって必要なレベルであって、その子が学年が上がり、勉強が普通にできるようになってきたら、そういうコピーの教材にはもう飽きたらなくなってくるのです。
教育の本質は、紙と鉛筆を使ってひとりで学ぶ時間の中にあります。その時間を確保するために、情報通信技術が使われる必要があります。
情報通信技術が前面に出るのではなく、子供の勉強が中心で、その勉強を支えるものとして、目立たない情報通信技術があるというのが、真のICT教育なのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。インターネット(25) 寺子屋オンライン(101)
今のICT教育は、子供が楽しく取り組めるように動画や音声のリッチコンテンツを多用し、それぞれの子供の進度に応じたきめこまかい教材提示や評価ができるように教材を細分化し、スモールステップ方式で単元化するという方向に進んでいます。
この方向は、これまでの、黒板による一斉授業よりもはるかに効率のよいものです。
しかし、そのICT教育の背景にある教育観に、ブロイラーを育てるような発想を感じることがあります。
その教育観をひとことで言えば、教育とは与えるべき餌をいかに効率よく食べさせてその子を成長させるかにある、というようなことになると思います。
効率よく餌を食べさせるというのは、教育の初期には確かに大事です。漢字を覚えたり、計算の仕方を覚えたり、理科や社会の基本的な知識を覚えたりするのは、教育の出発点であり、だれでも身につけなければならない土台です。
しかし、人間の成長にとって大事なのは、その出発点のあとに、自分の足でどう歩いていくかという時期の教育です。
ICT教育の多くは、低学年の子供や勉強の苦手な子供が、楽しく効率よく勉強できるようにするという点では、さまざまな工夫がなされています。
しかし、その先の学年の教育や勉強の得意な子供の教育に関しては、かえってICTのサービスが邪魔になっている面もあるのです。
勉強の得意な子は、紙の上に書かれている文字情報を自分で読み取り理解するのが、一般に最も能率のよい勉強法です。動画や音声が流れたり、ゲームの要素があったりする教材は、かえってわずらわしいものなのです。
勉強の本質は、人に教わることではありません。授業を聞いている時間は、まだ何も身についていない時間です。授業のあと、ひとりで机に向い、復習をしたり予習をしたり自分で考えたりする時間が本当の勉強の時間です。
しかし、今のICT教育は、そういうひとりで考える時間を生かすという発想があまりありません。
言葉の森では、現在、ネットとパソコンを利用した独自のICT教育を構想しています。
教育の最も基本的なツールは、モニター画面やキーボードやマウスではなく、本とノートと鉛筆です。その本とノートと鉛筆を活用するために、ネットとパソコンがあるという発想をしていく必要があると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101)
寺子屋オンエアのページを更新しました。
https://www.mori7.net/teraon/
毎日の自習の教材で、新たに、小1からの問題集読書読書を取り組むことにしました。
しかし、難しい文章だけでは読む量が少なくなります。その子の好きな本を読む時間は、どの学年でも必ず必要です。
====寺子屋オンエアのページからの引用。
入試問題集は、文章は時事的で優れた内容のものが多いのですが、受験という差をつけるテストであるため、問題自体は参考にならないものも多く含まれています(例えば、ほとんどの人が解けないような問題があるなど)。また、ページ数が多いため、1冊を年間を通して5回繰り返すという読み方はなかなかできません。
入試問題の問題集読書は、これからも読書がわりに楽しく読む教材として使い、それとは別に市販の「ハイクラス国語読解力問題集」(小1~小6・中学生)を、寺子屋オンエアの時間の問題集読書の中心にしていきます。
・小学生は学年別で、「ハイクラステスト国語読解力問題集」(受験研究社)
・中学生は1-3年共通で、「ハイクラステスト国語長文」(受験研究社)「これでわかる国文法」(文英堂)
やり方は、次のようになります。
(1)国語読解力問題集の問題集読書は、小1から中3まで取り組むことができます。
(2)1日2ページぐらいを目安に取り組みますが、それより少なくても多くてもかまいません。
(3)最初に、自分の読むページの分だけ、問題集に答えを書き込みます。(問題を解くのではなく、先に答えを書き込み、その答えと問題をセットで読んでいくという勉強法です。)
(4)問題集読書は、国語の勉強の得意な人は黙読で読んでもかまいませんが、普通の人や苦手な人は、長文と問題と答えを全部音読で読んでいってください。特に、今回は長文だけでなく問題と答えを読むことも入るので音読の方が頭に入りやすくなります。
(5)読んでいる途中に、自分で線を引きたいと思ったところに線を引きます。線を引くのは、大事なところだけでなく、面白いと思ったところ、よくわかったところなど自由です。線は、カラーのペンではなく、できるだけ鉛筆やシャープペンで引いてください。何度も繰り返し使うものは、カラーペンよりも鉛筆やシャープペンの方が向いています。
(6)問題集読書をしたあとに感想を書いて、先生に伝えます。感想は、長文を読んだ感想だけでなく、問題の答えに関する感想でもかまいません。
感想の書き方にも、字数や項目の目標がある方が書きやすいので、次のようにします。
・字数は50字以内(つまり10mmの方眼罫のノートで2行~3行です。できるだけ50字ぴったりにまとめましょう。句読点も1文字として数えます。)
・表現項目は、「たとえ」又は「自作名言(○○はAではなくBである)」のいずれかを入れるようにします。
・感想の内容は、自分なりにわかったこと、理解したこと、思ったことなどですが、「わかった」「思った」などは特に書かなくてかまいません。
(7)このようにして1冊の問題集が最後まで終わったら、また最初に戻り同じようにやっていきます。1冊を1年間で5回繰り返して読むことが目標です。
====引用ここまで。
勉強で大事なのは、問題を解くことではなく考えることです。
ですから、問題の答えは先に書き込んでおき、どうしてそういう答えになるのかを考えるという勉強ができればそれがいちばん能率のよい勉強になります。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。問題集読書(33) 寺子屋オンライン(101)
ときどき、「国語の成績が悪かった」という相談を受けることがあります。
対策は簡単です。そのテストを持ってきてもらい、問題と解答とその生徒の答えを見るのです。すると、おのずから成績の悪かった原因がわかってきます。
しかし、これは一人ひとりの対応が必要で時間がかかるので、すぐにできるわけではありません。基本は、家庭でお父さんやお母さんがやっていくといいのです。
国語に限らず、算数数学でも、英語でも、小中学生の勉強は、基本的に難しいものは何もありません。もちろん、高校生の勉強も同じです。
答えがあり解法があるものは、本来できるようにできているものです。確かに、受験用の問題は点数に差をつける必要があるため、難しく作り込んであるものもあります。それでも、途方に暮れるほど難しいものはありません。そして、途方に暮れるような問題は、もともとできなくても合否には影響しないのです。
テストを持ってきてもらうと、いろいろなことがわかります。
中学生の国語の問題で漢字ができていない場合、それが出題範囲の決まった問題であれば、単なる勉強不足です。対策も何もありません。テストの1週間か10日前から、いつどの教科の勉強をするか決めておき、そのとおりやっていればいいのです。
しかし、中学生は、そういう予定を立てて勉強をするということに慣れていません。最初は、親が手順を示してあげる必要があります。何の手助けのせずに、「もう中学生なんだから自分でやりなさい」では、やはり中学生ではできない子の方が圧倒的に多いのです。
親が手順を示すといっても、模範的な手順を示すのではありません。もし、親が自分でテストを受けるとすれば、こういう日程で勉強するだろうという主観的なものでいいのです。
大事なことは、子供が、勉強には計画が必要だということをわからせることです。
国語の勉強で文法問題ができていない場合は、教材が不足しています。薄いものでよいので、国文法の参考書・問題集を購入しておく必要があります。
試験前に、出題範囲を5回読んでおけばいいのです。
国語の読解問題ができていない場合は、理詰めに解くという解き方のコツを知ることです。それは、言葉の森のページに出ています。
これは、やればすぐに成績の上がる方法ですが、やっていない生徒がほとんどです。
記述の問題ができていない場合は、必要字数でまとめるのに慣れていないのがいちばんの原因です。
読解長文をもとに、要約や感想を書く練習を毎日していくことです。正解を目指すのではなく、毎日書き慣れる練習をしていきます。
塾に行っているのに成績が悪いという場合は、家庭で宿題に取り組むような時間がないことが原因です。
勉強の時間というのは、塾で先生の話を聞いている時間ではありません。家庭で自分で勉強をしている時間です。
そして、家庭で自分で勉強する時間があれば、塾に行く必要はもともとありません。塾の時間はほどほどにして、家庭での学習時間を充実させていくことが大切です。
しかし、もっと大事なことを言えば、実は成績などどうでもいいのです(笑)。
受験期になれば、どの子も何も言わなくても真剣に勉強に取り組むようになります。
そのときにぐんぐん力をつけていく子は、それまでにいろいろな本を読んだり、自分で考えたりしていた子です。そして、受験期の半年か1年で大幅な大逆転をしていくのです。
勉強だけしていて成績のよかった子は、受験期には逆に伸び悩みます。
だから、いちばん大事なことは、成績にとらわれず、しかし毎日の実力のつく勉強をすることです。
その代表的なものが、読書と問題集読書です。
その問題集読書を、言葉の森では、今後もっと取り組みやすいものにして、小学校低学年から家庭学習としてできるものにしていきたいと思っています。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。問題集読書(33) 中学生の勉强(21) 国語力読解力(155)