暗唱と音読でかかる時間で比較すると、暗唱は100字の文章を30回読むのに約10分かかります。音読は1200字の長文を1回読むだけですから3、4分で読めます。
しかし、この3、4分というのが、意外と長いのです。音読は、毎日続けていれば力はつきますが、この毎日ということが難しいので、週に何回か読んで音読をしたことにしてしまう子が多くなってきます。
音読の場合は、毎日やってもやらなくても、それは自分でしかわかりません。親でも先生でも確かめようがありません
しかし、暗唱の場合は、毎日やっているかどうかということは結果を見ればすぐにわかります。毎日やっている子は、一度もつっかえることなく楽に暗唱ができます。結果を見れば、その過程がわかるのが暗唱です。
しかし、この暗唱にも弱点があります。その一つは、電話指導による暗唱チェックだと、どうしてもチェックが不十分になるということです。
もう一つは、1ヶ月で約1000字の文章が暗唱できたとしても、それで終わってしまったのでは、やはり定着度が低いということです。
1ヶ月かけて暗唱できるようになった文章も、次の1ヶ月の暗唱ができるようになるころには、もうかなり忘れています。本当は、無意識のうちに口ずさむことができるようになるぐらい定着するのがいいのですが、1ヶ月ごとに終わっていたのではなかなかそこまでは行きません。
そこで、今考えているのは、第一に、寺子屋オンエアなどで画面を共有する形で暗唱をチェックできるようにすることです。
第二に、毎月の1000字の暗唱を1年間かけて合計12000字まで通して暗唱できるようにすることです。
暗唱をすると、どういう力がつくかというと、第一に作文力です。どんなテーマが出ても的確な表現と内容の伴った文章を書くことができるようになります。
第二は読解力です。理解の枠組みが大きくなるので、全体の内容をすばやく読み取れるようになります。
第三に、これは付随的なことですが、覚えることが苦にならなくなります。今の勉強のほとんどは記憶力を必要としますが、記憶することが負担にならなくなります。
第四に、これがいちばん大事なことだと思いますが、思考力が育ってくるのです。暗唱の力がついてくると、一つの言葉からいろいろな連想が生まれるようになります。そのために、個性的な考えが生まれやすくなるのです。
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言葉の森の音読は、1週間毎日同じ長文を音読するのが原則です。
同じものを読むのは退屈ですから、毎日の音読に飽きてくると、早口で読んだりわざと文章の一部を変えて読んだりする子も出てきます。しかし、そのように飽きてふざけて読むのは、その子に創造性がある証拠です。
ふざけて読んでいるのを見たら、「面白い読み方しているね」と笑って感心していればいいのです。どのような読み方をしていても、毎日読めば必ず力はついてきますから、明るく楽しく続けていくことが大事なのです。
毎日音読していると、文章の一部は、見ないでも読めるようになってきます。覚えようとして読むわけではありませんが、繰り返し読んでいると、自然に覚えてしまうのです。
この自然に覚えた文章の一節が、将来自分が作文を書くに、自然に出てくる語彙やリズム感になります。
繰り返し読んでいると自然に覚えてしまうという読み方の延長に、暗唱があります。
暗唱は、文章を覚えるのが目的ではありません。繰り返し読むことそのものが暗唱の目的です。
繰り返し読めば暗唱できるというのは、実は、やってみた人でないと、なかなかその実感がわきません。
今のお父さんやお母さんは、子供のころ文章を暗唱したという経験がないと思います。
もう二つぐらい上の世代の曾祖父母のころの人たちは、子供時代に暗唱をした経験のある人がかなりいます。その当時の人達は、勉強の基本が音読と暗唱だったのです。
音読と暗唱という勉強の仕方は、江戸時代の貝原益軒までさかのぼります。益軒は、四書五経などの文章百字ずつ百回空に読み空に書くという勉強の仕方を提唱しました。
こういう繰り返しの勉強法が、寺子屋の勉強の基本になっていました。
繰り返しや反復というと、理解や思考の反対のように考える人もいると思いますが、そうではありません。繰り返して身につけたものの土台があるから、思考力も伸びるのです。
それは、例えば、次のような比喩で考えるとわかりやすいと思います。文章のひとまとまりを暗唱できるぐらいに繰り返し読むと、その文章のまとまりが、一つのバケツに入ります。
普段、人間が考えるのは、言葉というバケツで、そのバケツを組み合わせることが文章を書くとか考えるとかいうことになります。大きいバケツを持っている人は、小さいバケツを持っている人よりも、より大きく速く考えることができるのです。
この大きいバケツの話は、作文力について言えるだけではありません。読解力についても同じことが言えます。
ひとまとまりの文章を何度も音読していると、それが難しい説明文のようなものであれば特に、新しい文章を読み解くときにその音読した文章の枠組みを使って理解することができるのです。
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暗唱へのハードルが高いという人は、まず音読からですね。
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言葉の森では、毎日の自習として長文音読をすすめています。毎日音読をしていると、わずか3、4分の勉強ですが、文章のリズム感がついてきます。また、作文に書く語彙も、次第に増えてきます。
中学1年生のとき、言葉の森の勉強を始めた中国人の生徒がいました。日本語は喋れますが、本を読もうとしても漢字が読めません。中国から来ていますから、漢字はよく知っているのですが、日本語の漢字と中国語の漢字は、読み方も意味も違います。ひらがなばかりの本なら読めるという感じでした。
体験学習で最初に作文を書いたときは、わずか数行で、それも間違いだらけの文章でした。しかし、もちろん、言葉の森はその間違いをわざわざ直しはしません。作文に間違いがあるのは、作文の問題ではなく、読む力の問題だからです。
そこで、その生徒のお母さんに言ったことは、
「毎日、課題フォルダの長文を1編音読してください。3、4分の勉強ですが、毎日続けるのは大変なので、朝ごはんの前に読むようにして、読まなかったら朝ごはんは抜きということで(笑)。そして、どんな読み方でもいつも褒めてください」
ということでした。
漢字が読めないので、全ルビのページを作り、その生徒だけ特別に全部の漢字にふりがながつく長文にして毎日音読をしてもらうことにしました。
すると、半年ぐらいたったころから、作文力がぐんぐんついてきて、中学3年生になるころには、普通の日本の中学生よりもずっと語彙の豊富な立派な文章を書くようになったのです。そして、もちろん第一志望校に合格しました。
毎日音読を続けた本人も素直でえらいのですが、いちばんがんばったのは朝ごはん前に、中学生に毎日の音読を続けさせたお母さんだったと思います。
小学生のころの作文は生活作文が多いので、語彙力の差はそれほど大きくは出ません。生活作文というのは、日常生活で話すような言葉が中心ですから、誰でも大きな違いはありません。もちろん、それで、音読や読書の習慣がある生徒は、同じことでもより気の利いた言葉で表すことができます。
音読による語彙力の差がついてくるのは、説明文や意見文を書くようになってからです。ここで出てくる語彙力の差は、読んでいる文章の質の差ですから、ただたくさん本を読むだけでなく、ある程度の難しさを持った文章を何度も繰り返し読んでいることが必要になるのです。
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こんにちは。通信受講生(小4男子)の母です。
中国人の生徒さんの話、とても参考に、そして励みになりました。
ここでの「長文」とは課題フォルダの「長文 11.2週」などと書かれたものを、1週間同じものを読む・・・という方法でいいのでしょうか?
音読と暗唱とではどちらを先にお勧めされますか?
息子は漢字が苦手。こつこつ努力するのを嫌います。
熟語の意味が分からない。別の単語で説明してもわからずなかなか勉強が進みません。
読書も、やさしい本は読めますが、毎晩少しずつ読み聞かせをしていた中学年向けの本を、続きは自分で読んでみるよう渡すと「意味が分からない」と数ページでなげだします。
どうしたら力がつくのか思案しています。
1週間同じものを読み、週に1回、家族でその長文について楽しく話ができるといいです。
長文の方が楽です。暗唱はやや負担が大きいです。だから、どちらかに絞るとしたら、長文音読の方です。
長文音読は、意味を調べさせたり、説明してあげたりする必要はありません。意味はわからなくていいので、すらすら読めるようになることだけを目標にしてください。
読書は、難しい本を与えすぎだと思います。親から見てレベルが低すぎると思う本が子供にとってはちょうどいい本です。
読書は楽しく、音読の長文は難しくという使い分けです。
ご回答ありがとうございました。
長文音読、こつこつ楽しく続けてみます。
(親も、ほめ言葉の練習をしなければ?!)
本選び、ゾロリは全部読んでしまったのでその次が難しい・・・。「読み聞かせの途中で与えてみた」のは、岡田淳さんの作品で、息子とほぼ同学年の子供の、学校の物語なので自分で楽しく読めるかなと思ったのですが。。。
残念ながらfacebookはやっていないのでこちらでお勧めの本は見ることができませんが、じっくり探してみます。
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以前、グーグルハングアウトを使って、公立中高一貫校講座などを行っていましたが、当時はまだ参加できる人があまりいなかったようなので、ただ動画をアップロードするだけの講座になっていました。
本当は、リアルタイムで複数の参加者がやりとりする形で勉強を進めたかったのですが、グーグルハングアウトはまだ多くの人に敷居が高いものだったのだと思います。
その後、寺子屋オンエアの企画に、グーグルハングアウトを使うことにしました。この場合も、やはりパソコンの設定などが難しいこともあり二の足を踏んでしまう人が多かったようです。
それでも、何人かの方はグーグルハングアウトの設定をして、寺子屋オンエアに参加してくれました。
ただ、グーグルハングアウトの難点は、メンバー全体に話が飛び交うので、一人ひとりじっくり話すことができないことです。(いずれ、グーグルハングアウトにもそういう機能ができるでしょうが)
そこで、グーグルハングアウトでの画面の共有は基本にしながら、個人間の話はスカイプで行うことにしました。すると、これがなかなか使えるのです。
教室での授業風景を連想するとわかりやすいと思いますが、通学の教室では、子供たちが何人もいてお互いに一緒に勉強している雰囲気が伝わります。そして、先生と生徒の話は個別指導ですから、個々に話をします。
そういう教室での勉強スタイルと同じことが、グーグルハングアウトとスカイプの併用でできることがわかったのです。
今は、寺子屋オンエアは家庭での自学自習をアドバイスするものという形で使っていますが、これはもっといろいろに発展させることができます。
そのひとつは、センター試験満点講座です。これまで、通学教室では、大学入試のセンター試験満点講座を開いていました。しかし、これは、リアルにその生徒と直接話をしないと通じにくいところがあります。そのため、通信ではそういう講座を開くことができませんでした。
しかし、このグーグルハングアウトとスカイプを使えば、通信の生徒も通学教室と同じようなことができるようになります。
更に、今後は、国語満点講座、受験作文講座、読書講座、作文検定、プレゼン作文発表会など、いろいろな取り組みがウェブでできるようになると思います。
ただ、寺子屋オンエアに参加するためには、ウェブカメラの機材を用意したり、skypeやgoogle+の設定をしたりする必要があります。
そこで、12月からは、寺子屋オンエアの無料体験学習として、カメラなどの機材をすべて貸与することにしました。(ただし、当面は言葉の森の生徒対象)
グーグルハングアウトを使える人が多くなれば、これからいろいろな企画をウェブ上で行っていきたいと思っています。
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小中学生のころの勉強は、義務教育というぐらいですから、基本的に難しいものは何もありません。
教科書や参考書を読み、問題集の詳しい解答を読めば、誰でも自分ひとりで理解できるものです。
学校や塾で、たまに難しい問題が出されることがあるかもしれませんが、それは難しいクイズのような問題に過ぎません。
その難しい問題ができたから頭がよいわけでもなく、できないから頭が悪いわけでもありません。
小中学校のころの勉強は、基礎さえしっかりできていればよく、あとは年齢が上がれば誰でも自然に難しいこともできるようになるのです。
そして、その基礎の学力は、もともと教科書をしっかり読めばわかるようなものばかりなのです。
ところが、現代ではそれがそうなってはいません。
小中学校の勉強で既にできる子とできない子の差があり、できない子は、どこから手を付けていいかわからないぐらいできないことも多いのです。
基本的な勉強ばかりなのに、なぜ基礎の段階からできない子が出てくるかというと、それは、教えられる勉強をしているからです。
教わるというのは、自分のペースで理解することではなく、教える人のペースで理解することです。だから、かえって理解しにくいのです。
そして、教える人のペースで理解したことは、理解したつもりになるだけなので、かえって頭から抜けていくのも早いのです。
勉強の基本は、自分で理解することです。そして、どうしてもわからないときだけ、身近にヒントを教えてくれる人がいればいいのです。
勉強の基本を、他人から教わるところに置いている子は、長時間勉強するわりに実力がつきません。そして、教われば教わるほど学力は低下しやすくなるのです。
勉強の教え方の上手な先生は、めったに教えることはしません。
まず、子供自身が自分で解いて、自分で○付けをするのを待っています。
間違えた問題は、子供が自分で解答を読んで納得するようにします。
解答を読んでもどうしても理解できないときだけ、先生が登場します。
しかし、それは直接的に教えるためではありません。どう考えたらよいかというヒントを与えるだけなのです。
このような教えない教え方をしていると、子供の実力はどんどん伸びます。
それは、自分のペースで理解するので、その理解が定着するからです。
この教えない教え方をしているのが寺子屋オンエアです。
これから、こういう勉強法をもっと増やしていきたいと思っています。
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言葉の森では、これまで受験生で国語の力をつけたい人に、入試問題集読書をすすめてきました。
もちろん、この入試問題集読書をするだけでは、それがそのまま国語の成績に結びつくわけではありません。(もちろんそういう場合もありますが)
入試問題集読書で読む力をつけておくと、国語問題の解き方のコツを理解したときに、成績の上がる度合いが大きくなるのです。
国語問題の解き方がわかれば、誰でも成績は上がります。しかし、その上がる度合いは、その生徒の読む力の範囲までです。
そして、その読む力は、難しい文章を繰り返し読むことによってついてくるのです。
ところで、入試問題集読書の難点は、受験学年になるまでは読めない漢字があることです。中学入試でしたら、小6で習う漢字まで読めないと読み進めることができません。
ほとんどの人は、読めない漢字や意味のわからない言葉が次々に出てくると、読んで理解しようという気持ちがなくなってしまうのです。
そこで、今取り組もうとしているのは、入試問題集読書ではなく、通常の国語問題集読書です。
入試問題集読書と国語問題集読書の違いと長所、短所は次のようになります。
◎入試問題集読書の長所
・最新の時事的な問題意識を反映した長文が多い
・読める長文の量が多い
△入試問題集読書の短所
・問題が難解で悪問もある(正解が怪しいものもある、解答が載っていないものもある)
・量が多いので反復が不十分になる
・ページ数が多く重く値段も比較的高い
・難文、難読漢字が多く、高学年にならないと取り組めない
・読解力の勉強になるが、語彙文法記述などには直接は取り組まない
入試問題集読書のちょうど反対の長所と短所を持つのが国語問題集読書です。
◎国語問題集読書の長所
・練られた問題が多く解答が参考になる
・薄いので反復ができる
・軽く扱いやすい、値段も比較的安い
・低学年から学年に応じてできる
・読解力の勉強以外に、語彙文法記述も直接に取り組める
△国語問題集読書の短所
・新しい時事的な長文が少ない
この国語問題集読書を取り組むと言っても、家庭ではなかなかできません。
というのは、ほとんどのお母さんは、注意するのは得意ですが、褒めることが苦手だからです。また、すぐに成果を上げようとするので、気長に続けることができないからです。
国語の力は、音読や読書のような単純なことを毎日ずっと続けていって、成果のことなど忘れたときに、ふと国語力がついていたことに気がつくという力の付き方をします。
そこで、この新しい国語問題集読書を寺子屋オンエアの中で取り組むことにしました。
その寺子屋オンエアも、今新しいシステムを作っているところで、これからは、より手軽に、しかもより低価格で利用できるようする予定です。
近々、国語問題集読書とセットにした寺子屋オンエアの長期間の無料体験学習を実施する予定です。対象は、言葉の森の小1から中3の生徒です。ただし、受験生は時間がとれないと思うので、受験が済んでから参加していただく方がよいと思います。
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これからの教育を考える場合に大事なことは、人間をどう見るかということです。
これまでの教育は、人間を性能のよい歯車として見ていました。それは、決して否定的な意味ではありません。
社会という機構が正確に動き、その社会の発展がみんなの幸福に結びつくためには、一つひとつの歯車もやはり正確に動く必要があったからです。
そしてまた、性能のよい歯車になることは、その当人にとっても利益をもたらしました。
よい歯車と認められれば、その性能に見合った高収入を約束されたからです。
性能のよさとは、端的に成績のよさで表されます。国語数学英語理科社会という主要5教科の成績がよいことが、その人間の性能のよさとほぼ一致していると見られていました。
その結果、歯車の性能の客観的な指標として、学歴というものが重視されるようになりました。
やがて、勉強の目標自体が学歴になり、その学歴を手に入れるための受験勉強が目標になりました。
そして、勉強の目標から学問が次第に消え去り、その代わり、答えに早く近づく技術が勉強の中身になっていきました。答えに早く近づく技術を習得することが勉強そのものだと思われるようになったのです。
ところが、受験勉強として習得された技術は、ゲームの技術の習得と似ていて、現実の生活にはあまり役に立ちません。
昔、受験勉強がまだ学問と比較的結びついていた時期には、受験勉強はその人の成長にもプラスになりました。しかし、受験勉強が技術化するにつれて、勉強の技術は現実生活の技術とは関係の薄いものになっていったのです。
これからやってくるのは、創造性を必要とする現実生活です。
誰もが自分の創造性を発揮し、それによってその人自身が幸福を感じるとともに、社会全体がその創造性によって豊かになっていくという世界がこれから生まれてきます。
そのときに必要なのは、人間を歯車として見ることではなく、創造する種子として見る見方です。
ちょうど、ドングリの実を、コマ作りの材料として見るのではなく、将来のドングリの木々やドングリの林の可能性として見るような見方が、これからの人間の見方にも必要となってくるのです。
ドングリの例で言えば当然のように思えることが、これまでの人間の見方においては当然ではありませんでした。むしろ、これまでの人間の見方は、その人間が「歯車として使えるか使えないか」ということが中心になっていました。
では、人間を、歯車ではなく種子として見たとき、教育はどう変わっていくのでしょうか。(つづく)
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ニュートンは、世界を、力学という見方で見ました。それは、力学からの世界の発見でした。
発見は、見方を変えるだけで、それ自体は何も変えません。しかし、その発見がそのあとに続く世界の改造にさまざまにつながっていったのです。
今、世界は大きな曲がり角に来ていると多くの人が感じています。これまでのやり方の延長では、いずれうまく行かなくなると誰もが思い始めているのです。
では、その曲がり角とは何かということは、世界をどう見るかという発見の仕方と結びついています。
その一つは、環境の面から世界を見るという見方です。
今の社会の延長では、環境破壊の進展を止められないとすれば、その解決策は、画期的な省エネ省資源技術の開発と、環境を優先する経済の仕組み作りです。
経済の仕組み作りについては、例えば二酸化炭素の排出権取引は、そもそも二酸化炭素が温暖化に結びついていたかどうかに疑問が出され、これまでの試みは単なる経済的策略のように思われるようになってきました。
しかし、環境の保護や自然の再生という経済的な需給関係に任せていては解決のつかない問題を、国と国との条約で経済の仕組みに組み込むという発想は、これからますます必要になってきます。
未来の世界は、自由貿易によって動く金額だけでなく、この国際的に決められた尺度によって動く金額が、経済の大きな範囲を占めるようになるでしょう。
そして、この理念をもとにした枠組みは、環境保護にとどまらず、人間の自由や幸福や向上のようなところまで指標化する形で発展していくでしょう。
例えば、ブータンという国で、国民の満足度が高いとすれば、それは輸出品と同じように他国に売ることのできる経済的資産になります。これからは、その国の民度の高さも、それ自体が大きな経済的資産になってくるのです。
世界の曲がり角に対するもう一つの見方は、今の世界の停滞を新しい需要の不在から見る見方です。
現在では、生活の必需品に関しては、世界全体の供給力は、世界の需要力を上回っています。問題は、その供給力の余剰がほかのところに向かわずに、需要力の範囲に抑制されていることです。いわゆる豊作貧乏と同じようなことが、世界全体で起こっているのです。
この解決策は、新しい需要を創造することです。しかし、それは穴を掘ってまた埋めるというような需要ではなく、人間の生活にとって価値のある需要でなければなりません。
そう考えると、これからの新しい需要は、文化的な需要です。これからは、文化的需要を大衆的に生み出す力を持っている国が、大きな経済的可能性を持つようになるのです。
さて、世界の新しい見方とともに今後求められてくるのは、人間というものの新しい見方です。
これからの教育の方向を考える場合、人間をどう見るかということが重要になってきます。(つづく)
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