国語の勉強の仕方と、算数数学の勉強の仕方はかなり違います。しかし、それを同じようにやっている人が多いようです。
国語の勉強というと、漢字の勉強をするか、国語の問題集を解くかするという人が多いと思います。しかし、問題集を解いても、ほとんど力はつきません。問題文を読むというところだけは役に立ちますが、問題を解くという作業はほとんど役に立たないのです。
しかも、問題を解くには、かなり時間がかかります。時間がかかるので、中には、問題を解くことだけ熱心にやって、やっと問題を解き終わると、答え合わせもせずに勉強をしたことにしてしまう人もいます。
読解の選択式の問題で大事なことは、合っている選択肢を探すことではなく、合っていない選択肢のどこが合っていないかを探すことです。しかし、問題を解く勉強では、なかなかそこまで気が回りません。
では、どうしたらよいかというと、問題集に先に答えを書き込んで、その問題と答えをまとめて読んでいくのです。小学生の場合は、黙読では斜め読みになり眺めるだけになってしまうことも多いので、音読で読むようにします。
ところで、子供が音読で何かを読むと、親はついその読み方が気になって注意をしたくなるものですが、読み方についての注意は原則としてしません。
注意をして直るという効果よりも、注意をして親の前で読むのを嫌がるようになるという逆効果の方がずっと大きいからです。
そして、どんな下手に思える読み方であっても、「読むのがだんだん上手になってきたね」と褒めてあげます。そうすると、読み方は、注意をするよりももっと早く上手になってきます。
さて、問題を解くのではなく、問題と答えを読むのが大事なのですが、この読むことも1回読んでおしまいというのではやはり力はつきません。
何度読んだらよいかというと、1冊の問題集の最後まで行ったら、また最初から今度は音読で読んでいくという形で、5回繰り返して読むのがよいのです。
この繰り返し5回というのは、あらゆる勉強に共通する方法です。というのは、難しい問題や文章であっても、3回繰り返すと大体わかるようになり、4回目でほとんどわかるようになるということがあるからです。
人間の頭には、時間をかけて繰り返すと自然に理解できるという力が備わっています。一度か二度じっくり説明してわからせようとするよりも、もっと簡単に、ただ日をおいて5回繰り返すという勉強をしていけばよいのです。
このやり方で、難しい問題集をどんどん読んでいくのです。
国語力は、難しい文章を読まなければ力はつきません。
しかし、難しい文章がいいからといっても、読書で難しい文章を読ませようとすると、読書量が少なくなります。読書は、自分の好きな本をたっぷり読んでいくことが大事ですから、読書で国語の勉強を兼ねるというようなことはしない方がよいのです。
ただし、易しい読書であっても、本を読んで登場人物に共感する機会が多いと、物語文の読解力がつきます。
説明文の読解力は、易しい読書ではつきません。しかし、難しい読書では読書がはかどりません。
問題集の文章は難しいものが多いので、問題集読書を、通常の読書と並行する形で読んでくとよいのです。
次は、算数数学の勉強の仕方です。(つづく)
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子供が小学校低学年のころは、勉強法も何もありません。どんな教材でもよいので、ただやれば実力はつきます。
計算練習でも、漢字書き取りでも、誰に教えてもらっても、どの教材でやっても、どのようなやり方でやっても大差はありません。
問題は、小学校中学年のやや複雑な問題をやるようになってからです。このころから、勉強法の差が出てきます。
更に、小学校高学年になり、入試問題の一部をやるようになると、もう勉強時間の長さよりも、勉強法の差の方がずっと大きくなります。これが、そのまま、中学、高校と続いていくのです。
成績のよい子というのは、家庭でよい勉強法の習慣がついている子なのです。
では、そのよい勉強法というのは、どういうものでしょうか。
第一は、明るく楽しく勉強することです。叱られたり注意されたりしながら、暗く真面目に長時間勉強していてはだめです。
第二は、1冊の教材を徹底して(というのは繰り返し5回ぐらい読んで)、その内容を百パーセント自分のものにすることです。
第三は、問題は解くことに力を入れるのではなく、答えを読むことに力を入れることです。その方が何倍も能率のよい勉強になります。
第四は、同じことを同じように毎日やることです。日によって気分を変えて目新しいことをするというのは、かえって身につきません。
第五は、基本となる「読書」「算数」「国語」(中学生なら「英語」も)に絞って勉強することです。
第六は、その基本の勉強と並行して、将来大事になる「作文」に力を入れることです。
そして、最後に、勉強が終わったあとは、よいところを必ず褒めてあげることです。
「もう少し字をていねいに書かないと」などという注意は、決して言わないことです。
注意して直るぐらいなら、世の中にいる子は、みんな天才になっています。先生が注意しても、親が注意しても、誰が注意しても直らないから、今の状態になっているのです。
直すよりも、今できているよいところを伸ばすのが先です。よいところを伸ばしていけば、悪いところはそのうち気にならなくなってきます。
ところで以上のことは、文章を読んだだけではなかなか実行できません。
勉強の方法というのは、習慣化されているので、これまでのやり方を変えるというのはかなり難しいのです。
では、どうしたらよいかというと、実際に、よい勉強法で勉強している子のやり方を見ることです。
その勉強法を、これから言葉の森で広げていきたいと思っています。
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今 小学校3年ですが先月から先生のおっしゃっている自習を始めてからやるべきことがはっきりしているので子供も集中して机にむかっております。
一つ質問なのですが問題集読書をやっていて、文章を音読して50字で意見をまとめることはできますが問題にどうやって取り組めばいいか親子でわからずにいます。問題と答えをズラズラと読んで理解しているのかわからないまま終わっています。
問題とのかかわりかたを教えていただければありがたいです。
かいママさま
お返事遅れてすみませんでした。
寺子屋オンエアでは、簡単な質問をしていますが、特にそういう質問がなくても、ただ音読しておけばいいです。
大事なことは、1冊を5回繰り返すことです。1回で深く理解するような勉強の仕方ではなく、軽く何回も読むという勉強の仕方をしていくといいです。
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言葉の森では、以前、作文検定試験を行なっていましたが、通学の生徒か近距離の生徒しか正式には受検できないという難点がありました。
通信の生徒も自宅でできればよいのですが、自宅では時間を一律には決められないので不公平に思う人も出てくる可能性がありました。
しかし、今、寺子屋オンエアで自宅学習をモニターする仕組みができたので、これを応用すれば自宅での作文検定もできるという見通しが出てきました。
例えば、検定試験の日時だけ決めておいて、その時間に、自宅からネット上の作文検定試験会場に参加してもらいます。
参加した時点で問題が渡され、その場で課題の作文を書きます。
書き方は、言葉の森の毎回の指導のように、表現項目を入れて、字数と時間制限のある中で書いていきます。
書き終えたら、その作文をデジカメなどで撮影してアップロードする形で堤出します。
小中高生のほとんどは、この試験のやり方で実力判定をしますが、更にその上のレベルを目指す人には、森リン判定も加えます。
つまり、課題が出されたら、手書きではなく、その場でパソコン入力で書いていくのです。パソコン入力に慣れている人には、手書きよりもずっと楽に速く書けると思います。
森リン採点の場合は、項目と字数と時間の評価以外に、語彙力の評価が加わります。
同じように項目を入れて必要字数を書いている人でも、語彙力の差はあります。その語彙力は、普段読んでいる読書や長文の質と量でおおよそ決まってきます。
また、森リン採点を補佐するものとして、人間の目による評価もありますから、ただ多様な語彙を使えばよいのではなく、その語彙が不自然ではない形で使われている必要があります。
インターネットによる自宅での作文検定は、まだ環境が整っていない人の方が多いので、一般化するのは少し先になると思います。
しかし、寺子屋オンエアなどで環境の整っている人は既に何人もいるので、まずそういう人たちからウェブの作文検定を実施していきたいと思っています。
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問題を解く形の勉強がなぜ身につかないかというと、問題を解いて正解だったときはそれはもともとわかっていたことですからその問題を解く時間は無駄だったということになるからです。
何時間勉強しても、その勉強時間のほとんどが問題を解いて正解だった場合、その勉強時間は何もしなかったと同じことなのです。それよりも読書をしていた方がずっと多くのことが身についたはずです。
では、問題を解いて不正解だったときはどうかというと、この不正解の問題は、日を置いて四回から五回繰り返す必要があります。不正解というのは、本来そのように根が深いものなのです。
ところが、小学校低学年のときの不正解は、一度ですぐにわかるものがほとんどですから、学年が上がっても、ほとんどの子供は不正解をそのまま確認して勉強を済ませてしまうのです。
したがって、本来の勉強の仕方を取り戻すためには、問題を解く形の勉強を改善する必要があります。
それには、まず第一に、問題を解くのではなく読む勉強を勉強の中心にすることです。それは、読書、長文音読、そして問題集読書です。この形の残らない勉強を勉強の中心とすることです。
第二に、問題を解く場合は、本人が答えと照合しながら問題を解くぐらいにフィードバックを早くし、不正解だったり理解が不十分だったりした問題には△印をつけ、その不正解の問題を四回でも五回でも繰り返せる仕組みを作っておくことです。
そして第三に、不正解の問題がなくなるまで、一冊の問題集を完璧に仕上げることです。
勉強というものは、これまでは勉強する「物」としての教材が重要な役割を果たしていました。よい教材があれば、それがそのままよい勉強結果に結びついていたのです。
しかし、これから重要になるのは、勉強する「事」」としての勉強の仕方です。
経済においてと同じように教育においても、供給過剰の時代には、物から事へと重点が移ってきます。
では、正しい勉強の仕方はどのようにして身につけたらよいのでしょうか。それは、正しい勉強の仕方を知っている人に、子供の勉強の仕方を見てもらうことです。
勉強を見てもらうのではなく、勉強の仕方を見てもらうのです。
勉強の仕方さえわかれば、子供は自然に勉強するようになります。その結果、テストの成績も上がるようになります。
テストを目的とした問題を解く勉強をやめて、勉強を身につけることを目的とした問題を読む勉強を中心にしていくことです。
言葉の森では、今、寺子屋オンエアという企画で、家庭における自学自習をチェックする仕組みを作っています。それは、この本当の勉強の仕方を身につけてもらうためです。
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ベネッセ教育総合研究所の「小中学生の学びに関する実態調査」によると、「上手な勉強のやり方がわからない」という子供が、小学生で40%、中学生で55%もいるということです。(調査対象の小学生は小4~小5、中学生は中1~中2)
「上手な勉強のやり方がわからない」から、「やる気がおきない(小40%中56%)」し、「勉強に集中できない(小33%中44%)」し、「勉強したことをすぐ忘れてしまう(小28%中40%)」し、「テストでよい点数がとれない(小25%中53%」ということなのです。
では、なぜ、上手な勉強のやり方がわからないのでしょうか。
それには、小学校低学年からの勉強のやり方が影響しています。
勉強とは、教科書に載っている知識や技能を身につけることです。だから、教科書あるいは教科書的な参考書を何度も繰り返して自分のものにすればよいのです。
ところが、今の社会では、勉強の結果がテストとして評価されます。その最終的な形が受験というテストの評価です。
こういうテストによる評価を目にしていると、親も子も、ついテストの点数をよくすることが勉強の目的だと思ってしまうのです。
テストの点数というのは、勉強の目的ではなく勉強の結果です。勉強がしっかりできていれば、テストも自然によい結果になります。
だから、勉強に力を入れればよいのですが、テストを勉強の目的のように考えてしまうと、本当の勉強ではなくテスト的な勉強をしてしまうのです。
テスト的な勉強というのは、問題集の問題を解く勉強です。
問題を解く勉強というのは、形がはっきりしているので、子供に取り組ませやすいという事情があります。そして、解いたあとがやはり形として残るので、勉強をしたという実感がわきます。
こういう勉強法は、小学校低学年のときにはうまく行きます。低学年のころは、身につける勉強の中身がまだ単純なので、問題を解けばそれがほとんどそのまま身につきます。
その結果、この小学校低学年のときにうまく行った「問題を解く」という勉強がその後も続いてしまうのです。
しかし、やがて、いくら勉強をしても、そのわりに成績が伸びないという時期がやってきます。同じように勉強しているつもりなのに、その勉強をしている子供どうしの間で成績の差が出てくるのです。
これが、その後の「上手な勉強のやり方がわからない」という調査結果につながります。(つづく)
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入学時の偏差値より、卒業時の偏差値を確実に上げている学校があります。
その学校の勉強のさせ方のコツは、「毎日の」「復習」だそうです。
復習というのは、学校で習ったことを家でもう一度復習するということです。
要するに、同じ教材を何度も定着するまでやるということです。
難しいのは、それを「毎日」やらせることだそうです。
小中学生のほとんどは、勉強に対する自覚はありません。親や先生に言われているからやっているだけで、自分の内面から勉強をするという動機は出てきません。
だから、毎日勉強させるというのは、実はかなり難しいことなのです。
多くの子供子は、宿題があるからやる、テストがあるからやる、やらないと叱られるからやる、という勉強の仕方をしています。
それは、逆に言えば、宿題がなければ、テストがなければ、叱られる心配がなければやらないという勉強の仕方です。
テストの前などにたまにがんばって長時間勉強するというのは、テストには役立ちますが、実力をつけるのには役立ちません。
だから、結局長い目で見ればテストにも役立ちません。
毎日の勉強の習慣は、低学年のうちに作られます。低学年のうちに、毎日の勉強の習慣をつけておくのです。
毎日ですから、平日も土日も同じように毎日やることが大切です。
大人の世界では、平日は仕事をするから土日は休みという発想になりがちですが、子供の勉強生活はそうではありません。
子供のころは、1日の例外もなく毎日同じようにやっていく方が楽にできるのです。
家族で旅行に行くときも、毎日の勉強の教材のうち幾つかは持っていきます。
そして、旅行先でも、たとえ分量は少なくしても同じ勉強を同じようにしていきます。
こういう毎日の必須の勉強として取り組みやすいのは、長文音読と読書です。ただ開いて読むだけですから、どこでも気軽にできます。
この音読と読書を軸にして、毎日の勉強の習慣をつけておくとよいのです。
子供たちの毎日の勉強を支援する仕組みとして、言葉の森が今考えているのは、寺子屋オンエアのシステムを普及させることです。
これは、子供たちが自宅にいながら、都合のよい時間帯にインターネットにアクセスして、先生に自習を見てもらうという仕組みです。
こういう勉強の仕方をしていると、学力がつくだけでなく、勉強をするということに対して自覚が出てくるのです。
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暗唱と音読でかかる時間で比較すると、暗唱は100字の文章を30回読むのに約10分かかります。音読は1200字の長文を1回読むだけですから3、4分で読めます。
しかし、この3、4分というのが、意外と長いのです。音読は、毎日続けていれば力はつきますが、この毎日ということが難しいので、週に何回か読んで音読をしたことにしてしまう子が多くなってきます。
音読の場合は、毎日やってもやらなくても、それは自分でしかわかりません。親でも先生でも確かめようがありません
しかし、暗唱の場合は、毎日やっているかどうかということは結果を見ればすぐにわかります。毎日やっている子は、一度もつっかえることなく楽に暗唱ができます。結果を見れば、その過程がわかるのが暗唱です。
しかし、この暗唱にも弱点があります。その一つは、電話指導による暗唱チェックだと、どうしてもチェックが不十分になるということです。
もう一つは、1ヶ月で約1000字の文章が暗唱できたとしても、それで終わってしまったのでは、やはり定着度が低いということです。
1ヶ月かけて暗唱できるようになった文章も、次の1ヶ月の暗唱ができるようになるころには、もうかなり忘れています。本当は、無意識のうちに口ずさむことができるようになるぐらい定着するのがいいのですが、1ヶ月ごとに終わっていたのではなかなかそこまでは行きません。
そこで、今考えているのは、第一に、寺子屋オンエアなどで画面を共有する形で暗唱をチェックできるようにすることです。
第二に、毎月の1000字の暗唱を1年間かけて合計12000字まで通して暗唱できるようにすることです。
暗唱をすると、どういう力がつくかというと、第一に作文力です。どんなテーマが出ても的確な表現と内容の伴った文章を書くことができるようになります。
第二は読解力です。理解の枠組みが大きくなるので、全体の内容をすばやく読み取れるようになります。
第三に、これは付随的なことですが、覚えることが苦にならなくなります。今の勉強のほとんどは記憶力を必要としますが、記憶することが負担にならなくなります。
第四に、これがいちばん大事なことだと思いますが、思考力が育ってくるのです。暗唱の力がついてくると、一つの言葉からいろいろな連想が生まれるようになります。そのために、個性的な考えが生まれやすくなるのです。
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言葉の森の音読は、1週間毎日同じ長文を音読するのが原則です。
同じものを読むのは退屈ですから、毎日の音読に飽きてくると、早口で読んだりわざと文章の一部を変えて読んだりする子も出てきます。しかし、そのように飽きてふざけて読むのは、その子に創造性がある証拠です。
ふざけて読んでいるのを見たら、「面白い読み方しているね」と笑って感心していればいいのです。どのような読み方をしていても、毎日読めば必ず力はついてきますから、明るく楽しく続けていくことが大事なのです。
毎日音読していると、文章の一部は、見ないでも読めるようになってきます。覚えようとして読むわけではありませんが、繰り返し読んでいると、自然に覚えてしまうのです。
この自然に覚えた文章の一節が、将来自分が作文を書くに、自然に出てくる語彙やリズム感になります。
繰り返し読んでいると自然に覚えてしまうという読み方の延長に、暗唱があります。
暗唱は、文章を覚えるのが目的ではありません。繰り返し読むことそのものが暗唱の目的です。
繰り返し読めば暗唱できるというのは、実は、やってみた人でないと、なかなかその実感がわきません。
今のお父さんやお母さんは、子供のころ文章を暗唱したという経験がないと思います。
もう二つぐらい上の世代の曾祖父母のころの人たちは、子供時代に暗唱をした経験のある人がかなりいます。その当時の人達は、勉強の基本が音読と暗唱だったのです。
音読と暗唱という勉強の仕方は、江戸時代の貝原益軒までさかのぼります。益軒は、四書五経などの文章百字ずつ百回空に読み空に書くという勉強の仕方を提唱しました。
こういう繰り返しの勉強法が、寺子屋の勉強の基本になっていました。
繰り返しや反復というと、理解や思考の反対のように考える人もいると思いますが、そうではありません。繰り返して身につけたものの土台があるから、思考力も伸びるのです。
それは、例えば、次のような比喩で考えるとわかりやすいと思います。文章のひとまとまりを暗唱できるぐらいに繰り返し読むと、その文章のまとまりが、一つのバケツに入ります。
普段、人間が考えるのは、言葉というバケツで、そのバケツを組み合わせることが文章を書くとか考えるとかいうことになります。大きいバケツを持っている人は、小さいバケツを持っている人よりも、より大きく速く考えることができるのです。
この大きいバケツの話は、作文力について言えるだけではありません。読解力についても同じことが言えます。
ひとまとまりの文章を何度も音読していると、それが難しい説明文のようなものであれば特に、新しい文章を読み解くときにその音読した文章の枠組みを使って理解することができるのです。
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暗唱へのハードルが高いという人は、まず音読からですね。
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