一日の朝は、まだ全国では雪のところも多いようですが、やがて低気圧は東に去り、明るい青空が広がることでしょう。
ここ横浜では、既に空には星が光っています。今日は元旦らしいいい天気になりそうです。(1月1日朝5時ごろ)
言葉の森は、昨年までは準備の年でした。考えているだけの時間がかなりありました。
今年は、行動の年にしたいと思います。そして、行動せざるを得ないような環境の変化も相次ぐと思います。
変化の時代に大事なことは、勇気を持つことです。
守る姿勢になって留まろうとするのではなく、未知の世界に向かって前進することです。
私は、よく、「どんなベテランも最初は初心者」という言葉を思い出します。
生まれ落ちたときからベテランという人はいません。また、どこかの学校に通ってルールどおりに勉強すればベテランの資格を得られるのでもありません。
誰も、様々な失敗や成功の経験を経てベテランになるのです。
そういう当然のことが、平和で安定した日本にいると、つい忘れられがちです。
新しい服を着るためには、古い服は脱がなければなりません。
勇気を持つのは、その古い服を脱ぐための勇気です。
今年が日本と世界にとって新しいよりよい年となるよう、言葉の森もがんばっていきたいと思います。
言葉の森 代表 森川林(中根克明)
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世の中は大きく変わっていますが、日本に暮らしていると、それが実感できません。
古い体制の社会基盤(インフラ)がほぼ完成され、あとはそれを維持することが多くの人の関心の中心になっているからです。
昔、私(森川林)が小さかったころ、家の近くで舗装されている道路はむしろ少なく、雨が降ると、あちこちに泥んこの道が広がっていました。(どこに住んでいたんだと言われそうですが、横浜市の金沢文庫の比較的都会に近いところです。)
また、電話やテレビもない家が多く、電話を使いたいときは電話のある家に、テレビが見たいときはやはりテレビのある家に行くということが普通でした。
塾や予備校などはなく、子供たちは学校から帰ると、夕飯の時間まで表でたっぷり遊んでいました。ときどき、近所に紙芝居屋が来ると、みんなで10円玉を持って見に出かけました。
自家用車を持っている家もほとんどなく、多くの男の子たちのいちばんの夢は、オートバイや自動車に乗ることでした。
そういう生活が、今、中国やブラジルや東南アジアで進行しています。そういう国々のエネルギッシュな発展志向に比べると、日本の社会は守り志向に入りすっかり沈滞していると言ってもいいと思います。
しかし、かつての日本が経験し、今のアジアや中南米が経験している資本主義的な発展は、既に大きな行き詰まりを見せています。その行き詰まりを打開する道は、日本のような先進国が、新しい発展の道を作り出していくことです。
そのために必要なことは、すべての子供たちが高度な学力を持つことと、自分の個性を生かしそれを将来の仕事に結びつけていくことです。
それは、子供たちの生活に則して言えば、勉強と読書と経験をいずれもしっかりやり遂げていくことです。そして、家庭の愛情の中で、常に肯定的な評価を受けてのびのびと育っていくことです。
言葉の森は、そういう子供たちの生活を作文指導の中でより実際的なものにしていきたいと思っています。みんなの力でよりよい世の中を作っていきましょう。
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今年は、迫り来る社会変動の予感の中で、日本と私たちがどのような未来を目指すべきかということを中心に言葉の森の運営を考えてきました。
そのために、昨年に引き続きさまざまな企画を行いました。それは、プレゼン作文発表会、自習検定、自然寺子屋合宿、幼児作文コース、寺子屋オンエアなどです。
その中で、今後の大きな方向は、かなりはっきりしてきました。
第一は、日本は文化的大国になり、その文化を自立した個人が支えるという構図です。
第二は、その文化の中心となるものは、創造的な教育だということです。
第三は、創造教育の前提として、本質教育、実力教育、文化教育を進める必要があるということです。
第四は、それらの教育は、ネットを媒介として家庭と地域によって担われるものになるということです。
そして、この新しい教育を進めるために、言葉の森の作文指導と寺子屋オンエアの全教科指導を結びつけ、それを将来森林プロジェクトに結びつけていくという展望を考えています。
日本は幸いなことに、この未来の理想の社会に近い姿を、既に江戸時代に実現していました。
江戸時代に日本に来た西洋人が一様に驚いたことは、子供たちがどこでも喜びあふれる様子で遊んでいる姿でした。しかも、この時代の日本の教育は、識字率の普及に見られるように、当時の西洋の教育よりもはるかに進んだものでした。
そして、教育だけでなく、社会も文化も、当時の日本はヨーロッパよりも多くの点で進んでいたのです。
しかし、この江戸時代の社会は、科学技術と政治体制の分野に関してヨーロッパに大きく後れを取っていたため、いったん否定されなければなりませんでした。
そして、明治維新で西洋の文化を取り入れて再出発した日本は、先の戦争で再度その文化を否定されました。
しかし、この二度の否定と再出発によって、現在の日本は、欧米の文化を自身の文化と同じように消化できるようになっています。
だから、これから行われる日本文化の復活は、欧米の文化を包み込む、よりグローバルなものになると考えられるのです。
現在の西洋の先進国は、政治も経済も文化も教育も、多くの点で行き詰まりを見せています。しかし、新興国や途上国は、その先進国の後を追っているだけですから、経済の発展以外に新しいビジョンはありません。
日本も今は西洋の先進国の一員ですから、西洋の抱えている問題と同じ問題を抱えています。しかし、日本には西洋にはない過去の日本文化の遺産があります。
この日本文化の遺産を、現代の科学技術の中で再発見することが、これからの日本の、そしてたぶん世界の進む道になります。
言葉の森も、この大きな歴史の流れの中で、その流れを進める一助となるような仕事を進めていきたいと思っています。
この一年間、皆様いろいろありがとうございました。
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小2の課題集の1.1週、2.1週、3.1週の長文が、これまでにやったものと重複している場合があります。(これは、7月から課題と暗唱と読解マラソンの長文を編集し直しているためです。)
新しい暗唱長文を追加しましたので、小2の課題の生徒は、どちらかを選んで暗唱をしていってください。
https://www.mori7.com/mine/pdf/aske.pdf
暗唱には、教育的暗唱と文化的暗唱があります。
教育的暗唱とは、その暗唱が自分が書こうとする作文や自分が考えようとする意見の中に生かせるような暗唱です。しかし、単に知識を覚えるような暗唱は、この場合の教育的暗唱とは言いません。
文化的暗唱とは、日本文化の伝統として伝わっているものの暗唱です。この文化的暗唱の中には、日本語のリズム感やものの見方が共感されて伝わっているものと、ただ有名だから伝わっているものとがあります。
言葉の森は、これまで、子供たちが将来論説文を書く際の参考になる教育的暗唱として、現代文の暗唱を教材としてきました。
暗唱長文の多くは、その学年の課題を書くときの表現が盛り込んであるので、読めばその学年の文章の書き方がわかるようになっています。
中学生以上の生徒の書く文章は、そのまま社会に出てからも通用する意見文ですから、暗唱する長文も現代の意見文でよいのですが、小学生の生活作文の場合は、暗唱する長文も生活作文だとかえってものたりない面がありました。
そこで、今回の追加暗唱長文は、日本語のリズム感や、日本的なものの見方や感じ方がよく出ている近代や現代の詩を中心にしました。
低学年の生徒には、出てくる言葉の読み方も意味も難しいかもしれませんが、どれもよく知られているものですから、暗唱しておくと将来も使えると思います。
ただし、1週間で300字を暗唱するというこれまでのやり方と同じペースでやるのが難しい場合は、もっとゆっくりしたペースで取り組んでいってくださって結構です
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物語文の読解力のもとになっているものは読書です。
子供時代、熱中して本を読んだ経験のある人は、夜寝るのも惜しいくらいの本があったと思います。なぜ、そんなに熱中したのかというと、その本をただの活字の文章として読んだのではなく、生きた経験として読んだからです。
本に没頭した経験があると、物語文の問題文も自然にその中を自分が生きて経験しているように読むことができます。すると、登場人物の気持ちやそのときの情景も、自分が経験したものとして読めるのです。
読解の問題を解くときは、自分の経験に照らし合わせて考えるので、問題文をわざわざ見直さなくても正解を選ぶことができます。
こういう読み方が、物語文の読解の基本です。そこに、読解の仕方という勉強法を組み合わせれば完璧です。
この読み方をするためには、小学校低学年のときから、本に没頭するような経験を積み重ねていく必要があります。
しかし、子供が没頭するような本は、親の目から見るとくだらないものが多いのです。
そこで、多くのお母さんは、もっとためになる本を読ませようとします。読書を、まるで薬か何かのように読ませてしまうのです。
すると、読書の量が減ってきます。よい本を読ませようとするよりも、子供が熱中する本を読ませることが大事なのです。
読書好きな子の多くは、漫画も好きという共通点があります。
ためになる本も、くだらない本も、漫画も、何でもばりばり読むのが読書好きの子の特徴です。
そういう読み方をするためには、同時に何冊もの本を並行して読んでいくようにすることです。
1冊が全部読み終わらなければ次の本を読めないと考えている子が意外に多いのですが、そういう読み方をしていると、読みにくい本にぶつかったときに読書が進まなくなってしまいます。
付箋読書という方法で、読みかけのところに階段状に付箋を貼っておくと、いろいろな本を並行して読んでいくことができます。
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受験が近づいてくると、誰でも不安になります。そして、これまでのやり方とは違うことをやろうとしたり、これまでとは違う先生にアドバイスを聞こうとしたりしがちです。
しかし、そういうことをすると、それまでせっかく身についていたことがかえってなくなってしまうことがあります。
これまでとは違う塾などに行くようなことがあると最悪です。新しいところでは決して前の塾のよいところなどは言いません。たっぷりけなすのが普通です。「けなす」ことに熱心になるのは、その先生に自信がないからなのですが、子供も親もそこまでは考えが回りません。
そして、古いやり方に自信をなくし、新しいやり方は定着せずに、子供はかえって混乱してしまうのです。
受験というものは、誰でも緊張するものですが、それだからなお一層、親はいつもゆったりと構えていることが大切です。親の不安そうな様子は、そのまま子供に反映します。親は自分がどんなに不安でも、子供の前で決してそういう態度を見せないことです。
そして、これまでやってきたことに自信を持ち、これまでのやり方を更に徹底して身につけるということをしていくのです。
成長するのは、子供だけではありません。親もまた、さまざまな試行錯誤の中で親として成長していきます。
その成長に欠かせないのは、自分の判断で行動するという勇気です。塾や先生という他人の権威に頼るのではなく、まず自分の判断で堂々と子供を引っ張っていくことが大切です。
子供はまだ十代です。親はその何倍も生きているのですから、親がリーダーになるという決意をしっかり固めることです。
これまで受験直前に動揺するお母さんが多いので、少し辛口に書きましたが、しかし、それでも不安なときは、言葉の森まで電話をしてください。どうしたらよいかをアドバイスします。(ただし、これは言葉の森の生徒の保護者に限らせていただきます。今はあまり時間がとれないので。)
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寺子屋オンエアは、現在、月曜から金曜の午後4時から午後8時まで行っています。
参加している生徒は、今のところ小1から中2までで、いちばん多い学年は小4です。
寺子屋オンエアのカメラを高性能なものにしたせいで、子供たちの書いている文字もはっきり読めるようになりました。
どの子も、ほぼ1時間集中して取り組んでいます。
家庭での勉強というと、あまり刺激のない状態でだらだらやるようになりがちだと思いますが、寺子屋オンエアの場合は、どの子も1時間しっかり取り組んでいます。
こういう集中力で毎日勉強をする習慣がつけば、学力は必ず上がります。
寺子屋オンエアの利点は、この集中力以外に、家庭だけでやっていると陥りがちな能率の悪い勉強法を早めに修正できることです。
これまでの例では、
・算数の答えを直接問題集に書いてしまう。(これでは繰り返しの勉強ができません)
・ノートを行を空けずにぎっしりと使う。(間違ったとき、正しい答えを書く余白がありません)
・算数の採点をまとめてお母さんにしてもらう。(採点は、そのつど自分でする方が自主的に勉強する習慣がつきます)
・勉強優先で読書が後回しになっている。(小学校低中学年では、勉強よりも読書が優先です)
・お母さんが詳しい説明をしすぎる。(子供がわからないときでも、親はすぐに詳しい説明をしない方がいいのです)
などがよくありました。
これまで何度も書いているように、子供の学力は、学校や塾でつくのではなく、家庭でつくものです。
学校や塾で習ったことを、家庭でどう定着させるかということが学力の伸びを左右します。
そして、家庭で毎日1時間勉強する習慣がつけば(ただし、正しい勉強法で)、塾に行く必要はないのです。
寺子屋オンエアは、まだネットの利用の仕方に難しいところがあり、すぐには始められない人も多いと思います。
しかし、ネットの利用の仕方はこれからだんだん簡単になり、やがて誰でもできるようになります。
小中学生が毎日の家庭学習で、楽に学力をつける仕組みを作っていきたいと思います。
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■実力教育
実力教育とは、時間をかけ、量を積み重ねる教育です。
例えば、昆虫が好きな人は、昆虫の本を読み、昆虫を観察し、採集し、昆虫のことだけに人一倍時間をかけて取り組みます。人間の実力とは、その人が何に時間をかけたかによって決まってきます。動物好きな人、物づくりの好きな人、読書好きな人、料理の好きな人、音楽の好きな人など、人間にはさまざまな好みがあります。その好みを時間をかけて伸ばしていくことが、その人の実力になります。
ところで、現在の社会は、その土台に豊富な知識があります。膨大な知識によって支えられた知識社会が現代の社会です。だから、どの分野に進むにせよ、その土台としての知識を身につけなけければなりません。
その知識を身につける方法のひとつが読書です。この読書は、理科や社会の勉強も含めた広い意味の読書です。
そして、この読書の知識を支えるもうひとつの方法が経験です。この経験は、実験や観察や調査なども含めた広義の経験です。
本質教育で身につけた基礎学力の上に身につけるものは、受験のための準備教育ではなく、まずこの実力教育です。
低学年で本質教育がよくできた子は、中学年から受験教育の先取りをするような形の勉強に向かいがちです。しかし、受験教育は、受験期の1年間で集中して取り組む方が能率のよいものです。
もちろん、受験期の1年間に受験教育に集中するためには、本質教育を学年を超えて半年間か1年間先に進んでおく方が有利です。しかし、それは受験勉強の難問を先取りすることではなく、基礎的な学力を学年を超えて先取りしておくことです。
そして、基礎的な学力を身につける本質教育は、特に誰かに教わらなくても教科書や参考書で独学できるものなのです。
受験期の勉強の仕方は、まず受験する学校の過去問をもとに、その子がどの分野が苦手かを分析することから始まります。
なぜ苦手を見るかというと、現在の受験勉強の評価の多くは、受験科目の総合点で行われているからです。総合点を高くするためには、点数の低い科目を高くするのが最も能率のよい方法です。
力を入れる科目や単元が分析できたら、次に、そのための教材を探します。この教材選択は、1年間使うものですから、時間をかけて慎重に行う必要があります。多少の無駄は覚悟の上で、よいと言われている教材をすべて取り寄せ、少しずつやってみる中で、その子に最も合ったもの1冊に絞り、その他の教材は使わないという選択の仕方をします。教材選びは、投資と割り切ることが必要です。
あとは、その1冊に絞った教材を5回を目安に繰り返し読み、完璧に自分のものにすることです。途中でときどき過去問に立ち戻り軌道修正を行う必要がありますが、基本は最初に決めた教材を確実に仕上げることです。
こういう勉強は退屈なものですから、1年間又は半年間勢いをつけて脇目もふらずに取り組むものです。受験勉強は、長い期間をかけてこつこつやるよりも、短期間に集中した方が効果が高いのです。
受験教育は、受験期の1年間に集中して取り組むものですから、本質教育のあとに行う教育は、受験教育ではなく、学年の少しずつの先取り教育と実力教育です。
低中学年の子は、基礎的な勉強が終わったら、そのあと難問を解かせて受験勉強の先取りをするような形の勉強をするのではなく、基礎的な勉強の範囲で先の学年に進むとともに、読書と経験に力を入れていくといいのです。
この読書と経験は、その時点での教科の成績にすぐに結びつくわけではありません。そのため、勉強の時間を優先し、読書や経験の時間を切り詰めてしまう家庭が多いのですが、本当は逆にしなければなりません。
低中学年の勉強は、ほどほどにしていればよく、ほどほどの勉強の結果余った時間は、読書や絵画や工作や遊びや実験や旅行など、さまざまな経験に費やしていくことが子供の実力を育てることになります。
この実力教育は、小学校時代だけでなく一生続くものですが、その発端は小学校時代の豊富な読書と経験によって培われるのです。
■創造教育
教育の最も重要な役割は、創造性を育てることにあります。それは、創造こそが、人間の生活に深い喜びを与えるものであるとともに、社会を本質的に豊かにするものだからです。
本質教育で育った幹と枝の先に、実力教育で多くの葉が茂り、その葉の間から咲く花が創造というふうにたとえることができます。
ところが、この創造教育というものには、これまで確立した方法論がありませんでした。創造は、偶然の天才によってもたらされるものだと考えられていたからです。
しかし、世界には、創造性にたけた民族がいます。それが、ユダヤ人と日本人です。
ユダヤ人の創造性が高いということは、ノーベル賞の受賞者数などで多くの人に認められています。日本人の創造性が高いというのは、江戸時代の長い鎖国の期間にもかかわらず、その時期に欧米で生まれた文化に対比できる文化を独力で生み出していたことに表れています。
この二つの社会で行われていた教育を意識的に推し進めていくことが創造教育の方法になります。
その方法の一つが読書と対話です。しかし、その読書と対話には、多くのメタ言語が含まれている必要があります。抽象度の高い言葉、造語で言えば「難語」というような言葉が含まれている読書と対話が、認識の構造化を進める道具となります。
もう一つが、これも造語で言えば「難読」です。語彙だけにとどまらず、思考の枠組み、つまりさまざまな独創的なパラダイムを身につけることが、思考の構造化を進める道具となります。本格的な難読に取り組めるのは大学生になってからですが、小中学生の間には、問題集読書のような形で難読の力をつけていくことができます。
この難語と難読を身につけるためのもう一つの方法が、音読とその発展したものとしての暗唱です。抽象的な構造を持つ語彙と思考の枠組みを秘めた文章を暗唱することが、これからの暗唱教育になり、それが創造教育の一つの重要な方法になります。
読書、対話、音読、暗唱で読む力の構造化を進める一方、書く力でも、思考の構造化を進める必要があります。それが作文です。
その作文も、ただ事実に則した文章を書くだけでなく、構成図という方法で構想をふくらませ、構成の明確な文章を書くことに力を入れていく必要があります。
また、作文をただ書くだけで終わらせずに、絵や写真や音楽や動画などのマルチメディアで立体化し、互いに発表し合うようなプレゼン作文発表をするような機会が必要になります。
このような読書作文教育のトータルな展開が、これからの創造教育の中心になっていきます。
■文化教育
創造教育の先にあるものが文化教育です。この文化教育には、日本の歴史や文化を継承する教育のほかに、音楽や絵画の教育、心身の教育、思いやりの教育、自然に親しむ教育、礼儀作法の教育、幸福に生きる教育などがあります。
この文化教育の一つとして、先に挙げた「枕草子」の「春は、あけぼの」を味わうような教育があるのです。
人間は、歴史と文化の中で生きています。
グローバルで無色透明などの国にも共通する教育というものも確かに必要です。本質教育のかなりの部分は、そういう普遍的な教育です。また、受験教育のほとんども、普遍的な教育です。だから、本質教育と受験教育についていは、世界共通の試験なども可能なのです。
しかし、実力教育は、身に付けるために時間をかけるという点で、その人の個性や関心と分かちがたく結びついています。
また、創造教育は、方法論には共通性がありますが、何を創造するかはその人の個性によって大きく異なります。それは、作文で言えば、同じテーマで同じ構成で同じ項目で書きながら、それぞれに内容の違うものが生まれるのと同じようなことです。
文化教育は、その教育自体に意義があるとともに、実力教育や創造教育で育てた個性に、文化の色彩をつけることにもう一つの意義があります。
ここで形成された新しい創造文化が、過去の日本文化を引き継ぐとともに、未来の新しい日本文化の土台となり、それがその文化の中で生きる日本人の新しい感性となっていくのです。
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