国語でも、算数数学でも、英語でも、もちろん理科や社会でも、問題集を解くために使うのは密度の薄い使い方です。
問題集は、読むために使うことで、解くよりも何倍も深くしかも早く内容を身につけることができます。
例えば、国語の記述問題でも、模範解答を読めば、記述にどういう語彙が要求されているかがわかります。入試問題で記述に要求される語彙は、普通の受験生が普通の生活では使わないような抽象的な語彙です。そういう語彙が、問題という文脈の中で読めるのですから、問題と答えを読むこと自体が記述の勉強の基本になります。
読解問題でも同じです。ほとんどの人は、合っている答えを探そうとします。合っている答えを探して見つかるぐらいなら、わざわざ入試問題として出てきません。
入試問題は差をつけるための問題ですから、合っているものを探しても答えは見つかりません。合っていないものを探して、合っていないところがないものが正しい答えという仕組みになっています。
それが理解できるのも、問題集を読むことによってです。問題を「解く」だけでは見落としてしまうことが、間違った選択肢も含めて「読む」ことで気づくのです。
算数数学でも、基本は同じです。問題を地道に解くのは、低中学年のまだ簡単な問題で、しかも計算の練習も兼ねているような問題を解くときだけです。
高学年や中学生になれば、問題を見て、解けそうだったら答えを見て解き方を確認し、解けそうもなかったらやはり答えを見て解き方を理解し、あとでその問題を繰り返すために×をつけておくのです。
真面目すぎる生徒の中には、中学生や高校生になっても、明らかに解ける問題をきちんとていねいに解いている人がいます。解ける問題を解くのは、勉強ではなくただの作業です。
ところが、読む勉強というのはあてのない感じがするのか、子供も親も先生も、解いて形の残る勉強をさせがちです。
言葉の森では、今、寺子屋オンエアで国語の問題集読書をしていますが、これも寺子屋オンエアという形でなければ、子供が自分ひとりではなかなかできないと思います。
これから、この読む勉強というものをもっと広げていきたいと思っています。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。問題集読書(33) 寺子屋オンライン(101)
大学入試の小論文は以前からありましたが、中学入試、高校入試でも、作文を課すところが増えてきました。
しかし、作文試験と言われているものの中には、200字の作文や400字の作文もあります。200字の作文というのは、twitterのつぶやきのようなもので、その試験ではほとんど何の評価もできません。
かろうじて評価できるものがあるとすれば、誤字がないこと、文法的におかしくないことぐらいです。ですから、書いてあればどの作文も同程度の評価になります。200字や400字の作文で評価が大きく開くというようなことはありません。
では、どのぐらいの作文の字数なら意味ある評価ができるかというと、それは1200字以上だと思います。1時間で1200字の作文を書くのであれば、その生徒の思考力や表現力がはっきり出てきます。
しかし、大学入試の場合は、この1200字の小論文試験が1本だけでは正しい評価はできません。少なくとも、異なるテーマで複数の小論文を書かないと、小論文の実力はわからないと思います。
なぜ1200字以上が評価の基準かというと、その理由のひとつは、言葉の森の自動採点ソフト「森リン」の評価が、人間の評価と一致してくるのが1200字以上だからです。
人間が「何となく上手だなあ」と思う作文は、森リンの採点でも点数が高くなります。しかし、その点数の差は、ほんのわずかです。はっきりした差は出るのですが、その差はほんの数点なのです。
ですから、800字程度の作文では、誤差の方が大きくなることがあり、正しい評価としては使えません。
今、言葉の森で受験作文コースで勉強している生徒の中にも、短い字数であればとても上手に書ける人がいます。
しかし、その字数の作文としては上手なのですが、その短い字数の中で全力疾走しているような上手さですから、字数が増えればもう上手ではなくなる可能性がかなりあります。
オリンピックで100メートル走というものがありますが、100メートルは長いから、20メートル走で様子を見ようというのと同じようなものです。20メートル走の順位と100メートル走の順位の相関はかなり低いはずです。
では、作文の場合、上手さというものはどこに表れるかというと、それは主として語彙力と表現力です。語彙力というのは、同じ概念を言い表すのに多様な語彙を使う力です。表現力というのは、やはり同じ思考内容を言い表すのに、多様な言い表し方をする力です。
この語彙力や表現力は、語彙力の検定試験や問題集などでつけることはできません。生きた語彙や表現を使うためには、生きた文章を読んでいる必要があるからです。
多様な語彙と多用な表現を使える生徒は、ものごとを見る目も多様です。また、多様な考え方を理解する力もあります。
作文小論文の入試で評価したいのは、この思考力、理解力のはずですから、200字や400字の短い作文試験では、ほとんど意味がないのです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
長く書かなければいみがないですね。
りりあいかさん、こんにちは。
そうです。短い作文では何を評価しているのかわかりません。
しかし、「つづく」で書こうと思っていますが、短い作文課題でも、難しい課題であれば意味が出てきます。
ということは、逆に言うと、やさしい課題では字数が長くても、実力の差はなかなか表れないということになります。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。受験作文小論文(89) 作文教育(134)
受験作文小論文コースの生徒から、12月28日締切でファクスでお送りいただいた作品の添削アドバイスの動画をアップロードしました。
https://www.mori7.net/juken/ta.php
添削アドバイスは個人別ですので、ご自分のものしか見られません。
年末であわただしい時期でしたので、送り忘れた方は、1月に入ってからでも結構ですのでお送りください。
(ファクス:045-832-1466 24時間)
送っていただいたものは、全体によく書けている作品が多かったのですが、共通する弱点のようなものもありました。
そのいくつかを列挙しますので、来年以降に受験する方は、参考にしてください。
1、時間内に字数いっぱいまで書くためには、消しゴムを使わないつもりで書くのがコツ
普段から消しゴムで消しては書き消しては書きという形で書いている人は、そういう書き方が癖になりますので、できるだけ消さずに最初から直さなくてもよい文を書くように心がけていってください。
2、スピードを上げて字数いっぱいまで書くには、感動のあるエピソードを
よく考えて書く生徒に多いのですが、意見と説明だけで文字を埋めている作品がいくつかありました。
意見と説明だけで長く書けるというのは、考える力があるからですが、しかし、それでは書きにくいテーマにぶつかったときに、なかなか素早く長く書くということができません。
しかし、感動のない平凡な実例では、かえって密度の薄い文章になってしまいます。
自分のこれまでの経験の中から、個性、感動、挑戦などのあるエピソードを見つけて、いつでも使えるようにしていってください。
3、実例には裏付けとなるデータを
体験実例を書いているのに、その書き方に臨場感がなく、説明的に書いている人がかなりいました。
実例をリアルに書くためには、データをはっきりさせて書くことです。
「数えきれないほどたくさん」と書くよりも、「毎日朝6時から3ヶ月間」などと書く方が説得力があります。
しかし、生活作文ではありませんから、実例は簡潔に密度濃く書くことが大事です。
4、会話は使い方によって効果的にもなるし密度が薄くもなる
小学校低中学年のときは、会話を入れることによって具体的に書く練習をしましたが、受験の作文小論文の場合は、会話は、味のある会話やその人の人柄が伝わる会話だけに限ります。
どうでもいい会話を入れると、かえって文章の密度が薄くなってしまうからです。
一般に、受験作文では、会話を入れる場面はほとんどないのが普通です。
5、誤字は2箇所でボツ
誰でも誤字はあるので、受験作文で1箇所誤字があった場合は、まあ仕方ないかという目で見られると思います。
しかし、2箇所誤字があったら、そこでそれ以上はもう読んでもらえないと思っておくとよいと思います。
それぐらい誤字の評価は厳しいのです。
それは、誤字が少ないかどうかは、勉強を真面目にしていたかどうかと比例するからです。
ところが、小6や中3や高3の今の受験生の時期は真面目だったとしても、小学校4、5年生の時期は適当に勉強をしていたという人も多いのです。(特に男の子)
そのため、高3生でとてもよくできる生徒なのに、意外にも易しいところで漢字ミスがあるという人がときどきいます。
漢字の書き取りは、簡単な勉強ですが、やはり完璧に正しい字が書けるようになるには1年間かかります。
受験勉強に入る1年前から取り組んでおくといいと思います。
今の受験は、落とすための試験です。
よいところを見てくれるのではなく、悪いところを見つけるための試験です。
将来は、今の受験とは正反対の、その人のよいところを見るための試験ができると思いますが、それはまだ少し先です。
ですから、今の受験作文では、できるだけ欠点のないものを書いておくことが大事で(それは字数や時間も含みます)、その上に余裕があれば光る表現を入れるというようにしていってください。
受験生のみなさんは、本番では自分のいちばんよい面が出るようにがんばってください。
【保護者の方へのご注意】
人の作文を見て、そのアドバイスをするのは実は簡単なのです。
難しいのは、そのアドバイスを聞いて実際に書く子供です。
ですから、アドバイスは、それをそのまま子供に伝えるのではなく、お父さんやお母さんが自分たちも一緒に考えて、親子合作でよりよい作品に仕上げるようにしてください。
そのときのいろいろな対話がまた子供たちの考える材料になると思います。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。受験作文小論文(89)
一日の朝は、まだ全国では雪のところも多いようですが、やがて低気圧は東に去り、明るい青空が広がることでしょう。
ここ横浜では、既に空には星が光っています。今日は元旦らしいいい天気になりそうです。(1月1日朝5時ごろ)
言葉の森は、昨年までは準備の年でした。考えているだけの時間がかなりありました。
今年は、行動の年にしたいと思います。そして、行動せざるを得ないような環境の変化も相次ぐと思います。
変化の時代に大事なことは、勇気を持つことです。
守る姿勢になって留まろうとするのではなく、未知の世界に向かって前進することです。
私は、よく、「どんなベテランも最初は初心者」という言葉を思い出します。
生まれ落ちたときからベテランという人はいません。また、どこかの学校に通ってルールどおりに勉強すればベテランの資格を得られるのでもありません。
誰も、様々な失敗や成功の経験を経てベテランになるのです。
そういう当然のことが、平和で安定した日本にいると、つい忘れられがちです。
新しい服を着るためには、古い服は脱がなければなりません。
勇気を持つのは、その古い服を脱ぐための勇気です。
今年が日本と世界にとって新しいよりよい年となるよう、言葉の森もがんばっていきたいと思います。
言葉の森 代表 森川林(中根克明)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51)
世の中は大きく変わっていますが、日本に暮らしていると、それが実感できません。
古い体制の社会基盤(インフラ)がほぼ完成され、あとはそれを維持することが多くの人の関心の中心になっているからです。
昔、私(森川林)が小さかったころ、家の近くで舗装されている道路はむしろ少なく、雨が降ると、あちこちに泥んこの道が広がっていました。(どこに住んでいたんだと言われそうですが、横浜市の金沢文庫の比較的都会に近いところです。)
また、電話やテレビもない家が多く、電話を使いたいときは電話のある家に、テレビが見たいときはやはりテレビのある家に行くということが普通でした。
塾や予備校などはなく、子供たちは学校から帰ると、夕飯の時間まで表でたっぷり遊んでいました。ときどき、近所に紙芝居屋が来ると、みんなで10円玉を持って見に出かけました。
自家用車を持っている家もほとんどなく、多くの男の子たちのいちばんの夢は、オートバイや自動車に乗ることでした。
そういう生活が、今、中国やブラジルや東南アジアで進行しています。そういう国々のエネルギッシュな発展志向に比べると、日本の社会は守り志向に入りすっかり沈滞していると言ってもいいと思います。
しかし、かつての日本が経験し、今のアジアや中南米が経験している資本主義的な発展は、既に大きな行き詰まりを見せています。その行き詰まりを打開する道は、日本のような先進国が、新しい発展の道を作り出していくことです。
そのために必要なことは、すべての子供たちが高度な学力を持つことと、自分の個性を生かしそれを将来の仕事に結びつけていくことです。
それは、子供たちの生活に則して言えば、勉強と読書と経験をいずれもしっかりやり遂げていくことです。そして、家庭の愛情の中で、常に肯定的な評価を受けてのびのびと育っていくことです。
言葉の森は、そういう子供たちの生活を作文指導の中でより実際的なものにしていきたいと思っています。みんなの力でよりよい世の中を作っていきましょう。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51)
今年は、迫り来る社会変動の予感の中で、日本と私たちがどのような未来を目指すべきかということを中心に言葉の森の運営を考えてきました。
そのために、昨年に引き続きさまざまな企画を行いました。それは、プレゼン作文発表会、自習検定、自然寺子屋合宿、幼児作文コース、寺子屋オンエアなどです。
その中で、今後の大きな方向は、かなりはっきりしてきました。
第一は、日本は文化的大国になり、その文化を自立した個人が支えるという構図です。
第二は、その文化の中心となるものは、創造的な教育だということです。
第三は、創造教育の前提として、本質教育、実力教育、文化教育を進める必要があるということです。
第四は、それらの教育は、ネットを媒介として家庭と地域によって担われるものになるということです。
そして、この新しい教育を進めるために、言葉の森の作文指導と寺子屋オンエアの全教科指導を結びつけ、それを将来森林プロジェクトに結びつけていくという展望を考えています。
日本は幸いなことに、この未来の理想の社会に近い姿を、既に江戸時代に実現していました。
江戸時代に日本に来た西洋人が一様に驚いたことは、子供たちがどこでも喜びあふれる様子で遊んでいる姿でした。しかも、この時代の日本の教育は、識字率の普及に見られるように、当時の西洋の教育よりもはるかに進んだものでした。
そして、教育だけでなく、社会も文化も、当時の日本はヨーロッパよりも多くの点で進んでいたのです。
しかし、この江戸時代の社会は、科学技術と政治体制の分野に関してヨーロッパに大きく後れを取っていたため、いったん否定されなければなりませんでした。
そして、明治維新で西洋の文化を取り入れて再出発した日本は、先の戦争で再度その文化を否定されました。
しかし、この二度の否定と再出発によって、現在の日本は、欧米の文化を自身の文化と同じように消化できるようになっています。
だから、これから行われる日本文化の復活は、欧米の文化を包み込む、よりグローバルなものになると考えられるのです。
現在の西洋の先進国は、政治も経済も文化も教育も、多くの点で行き詰まりを見せています。しかし、新興国や途上国は、その先進国の後を追っているだけですから、経済の発展以外に新しいビジョンはありません。
日本も今は西洋の先進国の一員ですから、西洋の抱えている問題と同じ問題を抱えています。しかし、日本には西洋にはない過去の日本文化の遺産があります。
この日本文化の遺産を、現代の科学技術の中で再発見することが、これからの日本の、そしてたぶん世界の進む道になります。
言葉の森も、この大きな歴史の流れの中で、その流れを進める一助となるような仕事を進めていきたいと思っています。
この一年間、皆様いろいろありがとうございました。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。言葉の森のビジョン(51)
小2の課題集の1.1週、2.1週、3.1週の長文が、これまでにやったものと重複している場合があります。(これは、7月から課題と暗唱と読解マラソンの長文を編集し直しているためです。)
新しい暗唱長文を追加しましたので、小2の課題の生徒は、どちらかを選んで暗唱をしていってください。
https://www.mori7.net/mine/pdf/aske.pdf
暗唱には、教育的暗唱と文化的暗唱があります。
教育的暗唱とは、その暗唱が自分が書こうとする作文や自分が考えようとする意見の中に生かせるような暗唱です。しかし、単に知識を覚えるような暗唱は、この場合の教育的暗唱とは言いません。
文化的暗唱とは、日本文化の伝統として伝わっているものの暗唱です。この文化的暗唱の中には、日本語のリズム感やものの見方が共感されて伝わっているものと、ただ有名だから伝わっているものとがあります。
言葉の森は、これまで、子供たちが将来論説文を書く際の参考になる教育的暗唱として、現代文の暗唱を教材としてきました。
暗唱長文の多くは、その学年の課題を書くときの表現が盛り込んであるので、読めばその学年の文章の書き方がわかるようになっています。
中学生以上の生徒の書く文章は、そのまま社会に出てからも通用する意見文ですから、暗唱する長文も現代の意見文でよいのですが、小学生の生活作文の場合は、暗唱する長文も生活作文だとかえってものたりない面がありました。
そこで、今回の追加暗唱長文は、日本語のリズム感や、日本的なものの見方や感じ方がよく出ている近代や現代の詩を中心にしました。
低学年の生徒には、出てくる言葉の読み方も意味も難しいかもしれませんが、どれもよく知られているものですから、暗唱しておくと将来も使えると思います。
ただし、1週間で300字を暗唱するというこれまでのやり方と同じペースでやるのが難しい場合は、もっとゆっくりしたペースで取り組んでいってくださって結構です
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。暗唱(121) 生徒父母連絡(78)
物語文の読解力のもとになっているものは読書です。
子供時代、熱中して本を読んだ経験のある人は、夜寝るのも惜しいくらいの本があったと思います。なぜ、そんなに熱中したのかというと、その本をただの活字の文章として読んだのではなく、生きた経験として読んだからです。
本に没頭した経験があると、物語文の問題文も自然にその中を自分が生きて経験しているように読むことができます。すると、登場人物の気持ちやそのときの情景も、自分が経験したものとして読めるのです。
読解の問題を解くときは、自分の経験に照らし合わせて考えるので、問題文をわざわざ見直さなくても正解を選ぶことができます。
こういう読み方が、物語文の読解の基本です。そこに、読解の仕方という勉強法を組み合わせれば完璧です。
この読み方をするためには、小学校低学年のときから、本に没頭するような経験を積み重ねていく必要があります。
しかし、子供が没頭するような本は、親の目から見るとくだらないものが多いのです。
そこで、多くのお母さんは、もっとためになる本を読ませようとします。読書を、まるで薬か何かのように読ませてしまうのです。
すると、読書の量が減ってきます。よい本を読ませようとするよりも、子供が熱中する本を読ませることが大事なのです。
読書好きな子の多くは、漫画も好きという共通点があります。
ためになる本も、くだらない本も、漫画も、何でもばりばり読むのが読書好きの子の特徴です。
そういう読み方をするためには、同時に何冊もの本を並行して読んでいくようにすることです。
1冊が全部読み終わらなければ次の本を読めないと考えている子が意外に多いのですが、そういう読み方をしていると、読みにくい本にぶつかったときに読書が進まなくなってしまいます。
付箋読書という方法で、読みかけのところに階段状に付箋を貼っておくと、いろいろな本を並行して読んでいくことができます。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 読書(95)