物語文の文章を読んで、その内容について質問をすると、まるでその物語の中を生きてきたようにありありと答えられる子がいます。
そういう子は、物語文の読解問題でも、問題を見たあと、わざわざ元の問題文に戻る必要はありません。本の中で自分が経験したことですから、何を質問されても自分の経験を思い出すように答えられるのです。
物語文に没頭するような本の読み方をするためには、子供のときに、やはり没頭する読書をしている必要があります。
子供が没頭する読書は、大人の目から見れば、くだらない本に属するものが多いはずです。
しかし、誰もがすすめる有名な本を、薬でも飲むかのように律儀に読むよりも、面白くて止まらなくなるような本を飽きるまで読む方が、物語を味わう力がつくのです。
しかし、面白い本にただ熱中するだけでは、いつまでも易しい本を繰り返し読むことになります。
易しい面白い本に熱中するとともに、ちょっと難しい文章を毎日音読する練習をしていくといいのです。
これが、楽しい多読と、難しい精読という読書の両輪です。
そして、学年が上がるにつれて、読書は楽しい多読から、難しい精読に移っていくのです。
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言葉の森では、これまで学校の勉強とはあまり関係のない作文指導に30年間取り組んできました。
それは、学校の勉強は、受験勉強も含めて、既に答えのある勉強だから独学でも十分にできると考えていたからです。
そういうスタンスでありながら、その言葉の森の考え方に賛同して作文の勉強を続けてくれた人がたくさんいました。(うちの子2人も、小1から高3まで続けましたが。)
ところが、言葉の森の生徒には、全体に優秀な子が多いのですが、中に少数ですが学力的に問題のある子もいるということに前から気がついていました。
また、最近、小学校低中学年で、かえって頭が悪くなるような勉強の仕方をしている生徒が増えていることに気がつきはじめました。例えば、無意味な難問をやらせたり、勉強優先で読書が後回しだったり、低学年から英語の勉強をやらせていたり、という勉強の仕方です。
更に、中学生で、塾には通っているが、勉強の仕方がよくわかっていない生徒が結構いるということにも気がつくようになりました。
学校の教育力が低下していることは前から言われていましたが、最近では、学力の格差が大きくなり、できない子は更にできなくなるという傾向が表れています。
これまでの日本の教育の特徴は、格差の少ないことでしたが、2003年ごろから、PISAの成績で上位と下位の差が大きくなり、下位の子の成績は途上国並みに低いという状態が生まれるようになりました。
そこで、言葉の森が、創造性を育てる作文の指導をこれからも進めていくには、その創造性の土台となる本質的な学力を、日本中の子供たちを対象に育てていく必要があると考えたのです。
幸い、日本には、寺子屋教育という江戸時代の優れた自学自習法がありました。
また、勉強に必要な教材は、日本では既に多種多様に出ているので、それらの中から良いものを自由に選べるようになっていました。
更に、近年のインターネット・テクノロジーによって、オンラインで自宅にいながらにして学べる仕組みが作れるようになっていました。
そこで、寺子屋オンエアで、子供たちの本質的な学力を育てながら、そのオンエアシステムを将来の作文指導にも生かしていくという方向を考えました。
作文指導に生かすというのは、電話指導の代わりにオンエア指導をするとか、個別指導ではなくグループで交流できる指導をするとか、発表会をオンエアで行うとか、父母懇談会を行うとかいうようなことですが、可能性はほかにもいろいろあると思います。
本質的な学力について言えば、小中学生の勉強は、お金をかけたり人手をかけたりしなくても、勉強の仕方次第で短期間で誰でもできるようになるのです。
ところで、このICT(Information and Comunicaion Technology)教育の今の動向を見ると、ビジュアルでわかりやすい教材、ゲーム的な感覚を取り入れた楽しい学習、人気講師の優れた授業、限りなく無料に近いシステムで、資本力のあるところがその資本をバックに無人化したシステムを作る方向に進んでいます。そして、最終的には、世界で数社の寡占的な教育企業が生き残るような形になると思われます。今はまだそのずっと手前の段階なので、ICT教育の可能性だけが論じられている状態ですが。
ICT教育の普及の結果、教育の格差はなくなるかというと、確かに、格差は多少是正されると思いますが、企業化された教育の第一の目標は、優秀な子をよい大学やよい企業に紹介することになりますから、すべての生徒が本質的な教育を受けるという方向には進みにくいのです。
この一斉指導と、競争と、賞罰による意欲付けによって、能率よく指導し、優秀な子を優秀に育てることを第一の目標とするという教育観は、言葉の広い意味で西洋的な教育観です。日本の教育も今は、すっかりこの西洋的な教育観のもとで行われています。
そして、ICT教育における一斉指導は、個別化された一斉指導なので、同じ教材システムでできる子とできない子がいた場合、できない子は更にスモールステップの教材に取り組むような形になります。その結果、できないのは本人の意欲や努力の問題となり、勉強の仕方の問題として捉えられることはなくなるのです。
言葉の森がこれから行おうとしている寺子屋オンエアと、そのオンエアシステムを利用した作文教育は、世間で今言われているICT教育とは正反対のものとなると思います。
それは、教材という物を中心とした教育ではなく、勉強の仕方という事を中心とした教育だからです。
また、人手はかけないものの、機械に依拠した教育ではなく、先生と生徒と親の触れ合いに基づいた教育になるからです。
教育全般のオンエアによる指導と、作文指導自体のオンエア化が、これからの言葉の森の目指す方向です。
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言葉の森の作文指導の特徴は、高校生、大学生、社会人になっても通用する論説文の力をつけることを目標にしています。
しかし、小学校低中学年では、そういう文章はまだ書けないので、その前段階として、身近な生活作文を楽しく書く練習をしています。
小中学生の段階で上手な作文を書くことが目的ではありませんが、小学生のころは、楽しく書いていれば自然に上手な作品が生まれます。
そこで、自分なりによく書けたと思った作文は清書をして、新聞社やコンクールに投稿するようにすすめています。
小学校3、4年生は、子供たちが最も小学生らしいのびのびとした作文を書く時期です。この時期に、誰でも必ず年に何回かは傑作を書きます。
昨年(2014年)は、さまざまなコンクールに76名の人が入選しました。
入選は、子供たちに自信をつけます。どの子も、自分が入選したときの作文はよく覚えています。
よく書けたと思う作文があったら、家庭でお母さんができるだけコンクールなどに応募してくださるとよいと思います。
言葉の森の作文指導の特徴は、構成と表現をあらかじめて決めて書かせることです。
この書き方は、言葉の森が独自に開発したものですから、このように事前に書くことを指定した書き方を指導しているところはほかにないと思います。
この書き方をすると、不思議なことに、どんなに作文が苦手な子でも、すぐに書き出せるようになります。体験学習などで、初めて長く楽に書けたので、本人もお母さんも驚くということがよくあります。
また、指導の目標が決まっているので、先生は子供の作文のよいところを中心に褒めることができます。無理に褒めようと思わなくても、自然に褒めることができるようになるのです。
事前の指導がない作文を書かせると、ほとんどの子は、何をどう書いていいかわからないので途方にくれます。
また、先生は、事前指導がないと、子供が書いた作文をどう褒めていいかわからないので、つい直すところや注意するところが中心になります。
書き方がわからないまま、無理やり書かされて、やっと書いたと思ったら、次々に注意されるというのが、これまでの作文指導でした。だから、作文が苦手な子が増えていたのです。
言葉の森の作文指導では、誰でも自分のペースでしっかり書けます。だから、苦手な子もすぐに書きだすことができ、一方上手な子は更に上手な作文を書くことができるようになります。
苦手な子も、得意な子も、同じように勉強できるのが、言葉の森の構成と項目の事前指導を中心とした作文です。
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同じ教材を使っていても、同じ塾に行っていても、同じ先生に教わっていても、子供たちの成績は同じにはなりません。よくできる子とできない子の差は必ず出てきます。
では、その違いはどこから出てくるかというと、それは決して生まれつきの差ではなく、家庭学習を含めた家庭での育て方の差なのです。
しかし、その育て方というのは、なかなか伝えにくいものです。それは、典型的な例というものが、あまり身近にないからです。
その意味で、うまく子育てをした家庭の例は、これから子育てをするお父さんやお母さんの参考になります。
受験は、合否を競う競争という面が中心になりがちですが、同時に子供たちにバランスのよい学力をつけるひとつのきっかけとして取り組んでいくことができると思います。
この本の全体の内容は、それぞれ読んでいただくとして、言葉の森が普段述べていることと共通している点について、主な目次を紹介します。
1章の 3「子どもはとにかく褒めて褒めて褒め倒す」
9「母親の知的好奇心が子どもをつくる」
11「自分の読書は家事よりも優先させる」
3章の22「おもちゃは我慢させない、制限しない」
30「テレビなどの『画面』はなるべく見せない」
7章の55「何よりも読み・書き・そろばんから始める」
56「早期の英語教育は必要ない」
8章の62「お母さんの音読+解説で国語の成績は上がる」
褒めれば、子供は気分よく勉強するので、どんどんはかどります。注意をしたり直したりすれば、だんだん暗くなり勉強が進まなくなります。何しろ褒めることは、褒める方にとっても、褒められる方にとっても健康によいものです。
読書好きな子に育てるには、お母さんが子供の前で本を読んでいる姿を見せることです。「昔読んでいた」というのはだめで、「今もいつも本を読んでいる」というのが大事です。お母さんが、忙しくて本を読んでいる暇がないと言えば、子供も同じことを言うようになります。
テレビは、見る場合でも、1週間の予定を決めて見ることです。食事中は、必ずテレビは消しておきます。見たい人だけがヘッドホンをつけて、外部に音が流れないように見るのが理想です。特に幼児がいる家庭では、テレビはできるだけつけないことです。
小学校低中学年のころの勉強の基本は、第一が読書です。第二は算数が普通にできることです。英語は必要ありません。
国語読解力の中心は、難しい文章を読む力ですが、その難しい文章をどう読むかというと、繰り返し音読することと、その音読をもとに親子で対話をすることです。
その対話も、子供の話を聞くというよりも、お父さんやお母さんが自分の体験談を中心に似た話を楽しく話してあげることです。
親子の対話の際に大事なことは、子供の音読の仕方や説明の仕方を決して注意しないことと、脱線してもいいので何しろ楽しく話をすることです。
家庭で、そういう対話の習慣のあるうちは、まだあまりないと思います。しかし、今の家庭で親子で曲がりなりにも対話の習慣ができるようにしておけば、その子供が親になったとき、今度はもっとたやすく家庭での対話ができるようになります。
親子の対話は、二世代にわたって家庭の文化を作っていくという気長な気持ちで取り組んでいくといいと思います。
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国語でも、算数数学でも、英語でも、もちろん理科や社会でも、問題集を解くために使うのは密度の薄い使い方です。
問題集は、読むために使うことで、解くよりも何倍も深くしかも早く内容を身につけることができます。
例えば、国語の記述問題でも、模範解答を読めば、記述にどういう語彙が要求されているかがわかります。入試問題で記述に要求される語彙は、普通の受験生が普通の生活では使わないような抽象的な語彙です。そういう語彙が、問題という文脈の中で読めるのですから、問題と答えを読むこと自体が記述の勉強の基本になります。
読解問題でも同じです。ほとんどの人は、合っている答えを探そうとします。合っている答えを探して見つかるぐらいなら、わざわざ入試問題として出てきません。
入試問題は差をつけるための問題ですから、合っているものを探しても答えは見つかりません。合っていないものを探して、合っていないところがないものが正しい答えという仕組みになっています。
それが理解できるのも、問題集を読むことによってです。問題を「解く」だけでは見落としてしまうことが、間違った選択肢も含めて「読む」ことで気づくのです。
算数数学でも、基本は同じです。問題を地道に解くのは、低中学年のまだ簡単な問題で、しかも計算の練習も兼ねているような問題を解くときだけです。
高学年や中学生になれば、問題を見て、解けそうだったら答えを見て解き方を確認し、解けそうもなかったらやはり答えを見て解き方を理解し、あとでその問題を繰り返すために×をつけておくのです。
真面目すぎる生徒の中には、中学生や高校生になっても、明らかに解ける問題をきちんとていねいに解いている人がいます。解ける問題を解くのは、勉強ではなくただの作業です。
ところが、読む勉強というのはあてのない感じがするのか、子供も親も先生も、解いて形の残る勉強をさせがちです。
言葉の森では、今、寺子屋オンエアで国語の問題集読書をしていますが、これも寺子屋オンエアという形でなければ、子供が自分ひとりではなかなかできないと思います。
これから、この読む勉強というものをもっと広げていきたいと思っています。
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大学入試の小論文は以前からありましたが、中学入試、高校入試でも、作文を課すところが増えてきました。
しかし、作文試験と言われているものの中には、200字の作文や400字の作文もあります。200字の作文というのは、twitterのつぶやきのようなもので、その試験ではほとんど何の評価もできません。
かろうじて評価できるものがあるとすれば、誤字がないこと、文法的におかしくないことぐらいです。ですから、書いてあればどの作文も同程度の評価になります。200字や400字の作文で評価が大きく開くというようなことはありません。
では、どのぐらいの作文の字数なら意味ある評価ができるかというと、それは1200字以上だと思います。1時間で1200字の作文を書くのであれば、その生徒の思考力や表現力がはっきり出てきます。
しかし、大学入試の場合は、この1200字の小論文試験が1本だけでは正しい評価はできません。少なくとも、異なるテーマで複数の小論文を書かないと、小論文の実力はわからないと思います。
なぜ1200字以上が評価の基準かというと、その理由のひとつは、言葉の森の自動採点ソフト「森リン」の評価が、人間の評価と一致してくるのが1200字以上だからです。
人間が「何となく上手だなあ」と思う作文は、森リンの採点でも点数が高くなります。しかし、その点数の差は、ほんのわずかです。はっきりした差は出るのですが、その差はほんの数点なのです。
ですから、800字程度の作文では、誤差の方が大きくなることがあり、正しい評価としては使えません。
今、言葉の森で受験作文コースで勉強している生徒の中にも、短い字数であればとても上手に書ける人がいます。
しかし、その字数の作文としては上手なのですが、その短い字数の中で全力疾走しているような上手さですから、字数が増えればもう上手ではなくなる可能性がかなりあります。
オリンピックで100メートル走というものがありますが、100メートルは長いから、20メートル走で様子を見ようというのと同じようなものです。20メートル走の順位と100メートル走の順位の相関はかなり低いはずです。
では、作文の場合、上手さというものはどこに表れるかというと、それは主として語彙力と表現力です。語彙力というのは、同じ概念を言い表すのに多様な語彙を使う力です。表現力というのは、やはり同じ思考内容を言い表すのに、多様な言い表し方をする力です。
この語彙力や表現力は、語彙力の検定試験や問題集などでつけることはできません。生きた語彙や表現を使うためには、生きた文章を読んでいる必要があるからです。
多様な語彙と多用な表現を使える生徒は、ものごとを見る目も多様です。また、多様な考え方を理解する力もあります。
作文小論文の入試で評価したいのは、この思考力、理解力のはずですから、200字や400字の短い作文試験では、ほとんど意味がないのです。(つづく)
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長く書かなければいみがないですね。
りりあいかさん、こんにちは。
そうです。短い作文では何を評価しているのかわかりません。
しかし、「つづく」で書こうと思っていますが、短い作文課題でも、難しい課題であれば意味が出てきます。
ということは、逆に言うと、やさしい課題では字数が長くても、実力の差はなかなか表れないということになります。
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受験作文小論文コースの生徒から、12月28日締切でファクスでお送りいただいた作品の添削アドバイスの動画をアップロードしました。
https://www.mori7.com/juken/ta.php
添削アドバイスは個人別ですので、ご自分のものしか見られません。
年末であわただしい時期でしたので、送り忘れた方は、1月に入ってからでも結構ですのでお送りください。
(ファクス:045-832-1466 24時間)
送っていただいたものは、全体によく書けている作品が多かったのですが、共通する弱点のようなものもありました。
そのいくつかを列挙しますので、来年以降に受験する方は、参考にしてください。
1、時間内に字数いっぱいまで書くためには、消しゴムを使わないつもりで書くのがコツ
普段から消しゴムで消しては書き消しては書きという形で書いている人は、そういう書き方が癖になりますので、できるだけ消さずに最初から直さなくてもよい文を書くように心がけていってください。
2、スピードを上げて字数いっぱいまで書くには、感動のあるエピソードを
よく考えて書く生徒に多いのですが、意見と説明だけで文字を埋めている作品がいくつかありました。
意見と説明だけで長く書けるというのは、考える力があるからですが、しかし、それでは書きにくいテーマにぶつかったときに、なかなか素早く長く書くということができません。
しかし、感動のない平凡な実例では、かえって密度の薄い文章になってしまいます。
自分のこれまでの経験の中から、個性、感動、挑戦などのあるエピソードを見つけて、いつでも使えるようにしていってください。
3、実例には裏付けとなるデータを
体験実例を書いているのに、その書き方に臨場感がなく、説明的に書いている人がかなりいました。
実例をリアルに書くためには、データをはっきりさせて書くことです。
「数えきれないほどたくさん」と書くよりも、「毎日朝6時から3ヶ月間」などと書く方が説得力があります。
しかし、生活作文ではありませんから、実例は簡潔に密度濃く書くことが大事です。
4、会話は使い方によって効果的にもなるし密度が薄くもなる
小学校低中学年のときは、会話を入れることによって具体的に書く練習をしましたが、受験の作文小論文の場合は、会話は、味のある会話やその人の人柄が伝わる会話だけに限ります。
どうでもいい会話を入れると、かえって文章の密度が薄くなってしまうからです。
一般に、受験作文では、会話を入れる場面はほとんどないのが普通です。
5、誤字は2箇所でボツ
誰でも誤字はあるので、受験作文で1箇所誤字があった場合は、まあ仕方ないかという目で見られると思います。
しかし、2箇所誤字があったら、そこでそれ以上はもう読んでもらえないと思っておくとよいと思います。
それぐらい誤字の評価は厳しいのです。
それは、誤字が少ないかどうかは、勉強を真面目にしていたかどうかと比例するからです。
ところが、小6や中3や高3の今の受験生の時期は真面目だったとしても、小学校4、5年生の時期は適当に勉強をしていたという人も多いのです。(特に男の子)
そのため、高3生でとてもよくできる生徒なのに、意外にも易しいところで漢字ミスがあるという人がときどきいます。
漢字の書き取りは、簡単な勉強ですが、やはり完璧に正しい字が書けるようになるには1年間かかります。
受験勉強に入る1年前から取り組んでおくといいと思います。
今の受験は、落とすための試験です。
よいところを見てくれるのではなく、悪いところを見つけるための試験です。
将来は、今の受験とは正反対の、その人のよいところを見るための試験ができると思いますが、それはまだ少し先です。
ですから、今の受験作文では、できるだけ欠点のないものを書いておくことが大事で(それは字数や時間も含みます)、その上に余裕があれば光る表現を入れるというようにしていってください。
受験生のみなさんは、本番では自分のいちばんよい面が出るようにがんばってください。
【保護者の方へのご注意】
人の作文を見て、そのアドバイスをするのは実は簡単なのです。
難しいのは、そのアドバイスを聞いて実際に書く子供です。
ですから、アドバイスは、それをそのまま子供に伝えるのではなく、お父さんやお母さんが自分たちも一緒に考えて、親子合作でよりよい作品に仕上げるようにしてください。
そのときのいろいろな対話がまた子供たちの考える材料になると思います。
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一日の朝は、まだ全国では雪のところも多いようですが、やがて低気圧は東に去り、明るい青空が広がることでしょう。
ここ横浜では、既に空には星が光っています。今日は元旦らしいいい天気になりそうです。(1月1日朝5時ごろ)
言葉の森は、昨年までは準備の年でした。考えているだけの時間がかなりありました。
今年は、行動の年にしたいと思います。そして、行動せざるを得ないような環境の変化も相次ぐと思います。
変化の時代に大事なことは、勇気を持つことです。
守る姿勢になって留まろうとするのではなく、未知の世界に向かって前進することです。
私は、よく、「どんなベテランも最初は初心者」という言葉を思い出します。
生まれ落ちたときからベテランという人はいません。また、どこかの学校に通ってルールどおりに勉強すればベテランの資格を得られるのでもありません。
誰も、様々な失敗や成功の経験を経てベテランになるのです。
そういう当然のことが、平和で安定した日本にいると、つい忘れられがちです。
新しい服を着るためには、古い服は脱がなければなりません。
勇気を持つのは、その古い服を脱ぐための勇気です。
今年が日本と世界にとって新しいよりよい年となるよう、言葉の森もがんばっていきたいと思います。
言葉の森 代表 森川林(中根克明)
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