人間がほかの動物と違うところはたくさんありますが、その中でも特に重要なことは、人間には創造力があるということです。
言われたことをきちんとこなすだけなら、それが知的なことであっても、これからのロボット技術や人工知能技術の発達によってできるようになるでしょう。
例えば、今人工知能の技術が視野に入れているのは、医療や法律に関わる仕事を代替することです。これらの仕事は、膨大な知識のデータベースを背景に、不確定な事象や資料に方向性を見つけることですから、機械の得意分野なのです。
だから、これから人間に求められるものは、治す医学ではなく創造する医学、直す法律ではなく創造する法律になります。
人工知能が創造力も持つことができるかのように言う人がいますが、それは見かけの創造力であって、本当の創造力ではありません。
例えば、「悲しい気分」とか「楽しい気分」とかいうテーマで、ランダムにそれらしい曲や詩を作るというのは、今のコンピュータでもできます。しかし、それは創造ではありません。創造の見かけを演出するプログラムなのです。
では、創造とは何かと言えば、その動機は、生きる意欲です。
コンピュータは、自動的に温度の調整をすることができます。しかし、それは、コンピュータが、「寒くて嫌だからもっと暖かくしよう」とか、「暑くてたまらないからもっと涼しくしよう」とか思っているわけではありません。ある温度になったらある動作をするというプログラムで動いているだけです(あたりまえの話ですが)。
ところが、人間は、もちろんそうではありません。だから、人間は、そこから一歩進んで、冬なのに寒中水泳をしたり、夏の暑い盛りに我慢大会などをしたりすることもあるのです。
生きる意欲は、一つですが、人間を取りまく事象は無限に多様性があります。暑かったり、寒かったり、大雨が降ったり、日照りになったり、また、人間自身も、お腹が痛くなったり、背中がかゆくなったり、鼻水が出たり、くしゃみが止まらなくなったり、無限に多様な状態に遭遇します。
生きる意欲というたった一つの動機が、それらの多様な事象を、解決されるべき多様な個々の問題として把握するのです。これが創造の出発点です。
動物や植物にも生きる意欲はあります。しかし、動機があり、問題が把握できても、動植物は自分に与えられた肉体の範囲での解決策しか思いつきません。猫は寒かったらこたつにはいり、犬は暑かったら地面に穴を掘る、という行動しかできません。まして、自ら寒中水泳をしたり、我慢大会をしたりするという予想外の行動を取る犬や猫はいません。
生きる意欲を阻害する問題を、肉体に制限された枠内で対応するのではなく、新しい手段や方法によって解決しようとするのが人間の創造です。
その創造の最も大きなツールが、言語です。しかし、その場合の言語は、ある一つの語句がある一つの定義に一致しているというような機械的な言語ではありません。
人間にとって、ある語句は、その語句を囲む濃淡さまざまなニュアンスに彩られた定義を持って個性的に存在しています。だから、比喩やダジャレや偶然のひらめきが、個人差を伴って生まれてくるのです。
この言語の多様性の背景となっているものが、読書と対話です。しかし、言語だけを優先させると、空理空論の理屈だけが空回りする言語になってしまいます。
一方、生きる意欲の背景となっているものは、経験です。しかし、経験だけを優先させると、手当たり次第行動するという動物的な経験になってしまいます。
だから、これからの子供の教育にとって大事なものは、豊富な経験を伴った豊富な言語なのです。
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寺子屋オンエアで勉強している生徒向けに、家庭学習のポイントを説明しました。
一般の方にも参考になると思いますので、要点を転載します。
なお、寺子屋オンエアは、3月16日からシステムを作り直すためにしばらくお休みになります。
4月から、時間帯なども増やして新たにスタートする予定です。言葉の森の生徒で、寺子屋オンエアの無料体験学習を希望される方はお問い合わせください。
■問題集や本には、付箋を
問題集や図書は、何ページから勉強するのかすぐわかるように、付箋などを貼っておいてください。
■国語の勉強から始め、読書は最後に
時間切れにならないように、まず国語の勉強から始めてください。
そのあと算数数学や英語の勉強を行い、読書は最後の空いている時間にやるようにしてください。
(これは寺子屋オンエアでは、国語の勉強は、感想を聞き質問をする時間を取るため、優先的にやってもらっているためです。)
■国語の問題集読書は、音読か線引きで
問題集読書で大事なことは、同じ文章を何度も読むことです。
そのために、必ず音読や線引きをしながら読むようにしてください。
ただし、音読の仕方について注意はせずにいつも褒めるようにしてください。
■勉強はできるだけ毎日同じように
勉強は、寺子屋オンエアのある日もない日も、日曜も祝日も、できるだけ毎日同じようにやってください。
ただし、国語の問題集読書は、寺子屋オンエアのない日は感想まで書く必要はありません。負担なく続けられるように音読だけを行っていってください。
■算数数学は、計算と答えをノートに書き、問題集には○×を
問題集に計算や答えを書き込むと、繰り返しの勉強ができません。計算と答えはノートに書くようにしてください。
また、繰り返しの勉強をしやすくするために、問題集には必ず○×をつけておいてください。
■算数数学のできなかった問題は
算数数学は、できなかったところを理解することが大事です。家庭で時どき、できなかったところの理由を聞いてあげてください。その理由はうまく説明できなくてもかまいません。説明しようとすること自体が勉強になります。
算数数学で、できなかったところは、解答を見て理解しますが、解答を見ても理解できないときは、その前のページにある例題と解説を書き写すようにしてください。書き写した例題と解説は、解説の部分を手で隠して説明できるようになるまで繰り返し読んで覚えてください。
算数数学は、一度で理解させようと思わずに、何度も繰り返して慣れることが理解することなのだと考えておいてください。
お母さんが子供に算数数学の解き方を説明するときは、問題集に載っている解説に沿って説明するとしやすくなります。
■カメラの位置は、勉強中はできるだけ上の方から
パソコンの下に、パソコンの本体と同じぐらいのサイズの薄い板を敷き、その板の手前(つまりパソコンの手前)にクリップでウェブカメラをセットすると、勉強中はほぼ真上から勉強しているところが写せます。
カメラの設置の仕方は自由ですが、できるだけ勉強しているところがわかるようにセットしておいてください。
(これは、寺子屋オンエアでは、ウェブカメラで勉強している様子をモニターしているためです。)
■音声はヘッドセットで
パソコン内蔵のスピーカーを使うと、その音をマイクが拾ってしまうので、相手が聞き取りにくくなります。
話をするときは、ヘッドセットをして話をするようにしてください。
ただし、勉強しているときは、ヘッドセットをはずして、パソコンの内蔵スピーカーにしておいてかまいません。
保護者と話をする場合がありますので、保護者用のヘッドセットも分岐ケーブルを使ってあらかじめセットしておくとよいと思います。
(寺子屋オンエアでは、skype(スカイプ)を使って先生と生徒が打ち合わせをするためえす。)
■保護者の方は特に近くにいられなくても結構です
寺子屋オンエアの勉強中、保護者の方は、特に近くにいられなくて結構です。
今はなかなか一緒にいる時間が取れない保護者も多いと思いますので、子供だけが勉強して、保護者が不在の状態でももちろんかまいません。ただし、その場合は、必ずその日に勉強したことを見せてもらい、これも優しく褒めてあげるようにしてください。
理想的な状態は、子供が勉強している間、保護者は近くで読書や家事などの自分なりのデスクワークをしていることです。そして、子供の勉強の様子を見るともなく見て、聞くともなく聞いて、勉強が終わったあと、優しく褒めてあげることです。
子供の勉強の様子を注視していると、つい注意したくなるので、自分なりの仕事をしながら近くにいるという状態が理想です。
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私は、その数日前からひどい風邪気味になって、当日は体調が最悪でした。
その日に大きな地震があり、その後のニュースで、原発の事故が発生したと知りました。
最悪の事態を想定して、いろいろと仕事の手を打ちましたが、13日になって、なぜかふと「日本は、もう守られた」と思いました。
その後しばらくして、私が普段読んでいる本の著者がそれぞれ次々に、3.11に関する本を出しました。
それらを読んでいて、やはり、その3月11日を境に日本が変わったのだと思いました。
日下公人さんは、太平洋戦争の戦前派と戦後派になぞらえて、東日本の震災前派と震災後派を分けました。それぐらい、日本人の意識が大きく変化したのです。
その変化は、まだ途上です。
しかし、世の中は大きくよい方向に動いています。
私たちにできることは、自分の今いる場所で、よりよい日本を作っていくことです。
そういうことを、誰もが特に口に出すこともなく、黙々と実践しているのだと思います。
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ベストエフォートとは、「最大限の努力はするができないこともある」という意味で使われます。重点は、「最大限の努力」の方ではなく、「できないこともある」の方にあります。
インターネットの世界では、通信速度や通信の品質でベストエフォートという言葉がよく使われました。
しかし、A型気質の日本人には、なかなかそういう発想ができません。電車が定刻どおりに発着するのは、日本の社会では当然のように思われています。これが、「○時○分に着くように最大限の努力をするが、着かないこともある」というのでは、ほとんどの人が納得しないでしょう。
そういう律儀な性格が、日本社会の発展の基礎になったのは確かです。
しかし、このベストエフォート型の発想が必要になる分野は、インターネット以外にもあるのです。それが、教育の世界です。
子供の教育は、工業製品のように、これとこれを組み合わせたら必ずこれになる、というものではありません。さまざまな個性や例外や逆説があるのが人間です。
しかし、全くランダムというわけではなく、こういうことをすれば確率的に大体こうなるだろうということは予測がつきます。
そこで大事になるのが、ベストエフォート型の発想です。
子供の勉強の姿の理想的なイメージは、まず時間が来たら勉強に集中して取り組み、その勉強によって分からなかったことがすぐに分かるようになる、というものでしょう。
しかし、そういう理想の姿は、現実にはほとんどありません。
時間が来てもなかなかやらず、人に言われてやっと取り組み、だんだん熱心にやってきたかと思っても、結局昨日できなかったことが今日もできない、という状態が普通なのです。
ここで、多くの真面目なお母さんは、切れてしまいます(笑)。その結果、「それなら、もう塾に行きなさい」となることも多いのです。
別に、塾に行くのがよくないのではありません。勉強の自覚がまだできない小中学生のころは、受験期の1年間は、やはり塾で受験型の勉強をした方がいいのです。それは、長時間の勉強時間が確保できるからです。
しかし、差し迫った受験がない時期は、できるだけ家庭で自分のペースで勉強していく方がいいのです。
その家庭での勉強に必要な発想がベストエフォートです。「集中力と理解力の伴った理想的な勉強をするように最大限の努力はするが、できないこともある」という勉強の仕方です。重点は、「最大限の努力」ではなく、「できないこともある」の方です。
なぜ、そういう勉強hの仕方が大事なのかというと、このベストエフォート型の勉強であれば、毎日できるからなのです。
勉強の本質は、毎日の気長な繰り返しです。毎日やっているうちに、たまに集中して理想的な勉強をするときはあるかもしれませんが、毎回それを求めていたら息切れして、結局毎日やることができなくなります。
週に数回集中して理想的な勉強をして、あとは遊んでいるよりも、土日曜も含めて毎日同じような勉強をあまり面白くもなさそうに勉強している方が、ずっと実力がつきます。
毎日続けるための心の姿勢が、ベストエフォートなのです。
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勉強の鉄則は、できないところが一つもなくなるまで、何度も同じことを繰り返すことです。
しかし、現在のような教材の豊富な時代は、この繰り返すということができない子が多いのです。
読書も同じです。同じ本を何度も繰り返して読む子は、その本から多くのものを吸収します。逆に、一度読んだからもう読まないという読み方で、新しい本を次々に読む子は、あまり読書力がつきません。
昔は、本が少なかったので、自然に同じ本を何度も繰り返し読む習慣がつきました。今は本が多すぎるので、同じ本を繰り返し読むための環境がなくなっているのです。
繰り返しの勉強を当然のように思わせるには、低学年のころから繰り返しの勉強に慣れておく必要があります。
低学年のころから、次々に新しい問題集を解かせるような勉強をしていると、学年が上がってから同じ問題集繰り返し解くという勉強がしにくくなります。
人間は、飽きる動物なので、子供も大人も、同じことを何度も繰り返すよりも、新しいことを次々とやりたがるものです。
しかし、何かを身につけるとき、この新しいことを次々とというやり方は最も効果の出ない方法なのです。
市販の問題集や通信教育の教材には、共通する弱点があります。それは、例えばその問題集を解くときに、問題集のページにそのまま答えを形になっているものが多いことです。
低学年のまだ間違いがほとんどない次期ならそれでいいかもしれません。しかし、学年が上がってくると、何度やっても間違えるとか、解法を読んでも理解できないとかいう問題が出てきます。
このとき、1冊の問題集を何度も繰り返すという勉強が生きてくるのです。
家庭学習で、1冊の問題集を何度も繰り返すという勉強がなかなかできないのは、新しいものを次々と与えた方が、子供が楽しんでやるからです。
しかし、新しいものを次々とやるのは、結局できることを次々とやることですから、勉強ではなくただの作業になることが多いのです。
そういう作業的な勉強法を克服するために行っているのが、言葉の森の寺子屋オンエア教育です。
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小さい子供を持つお母さん方の中には、「日本語など自然に身につくものだ」と考えている人も多いようです。
そして、そのかわり、「自分は英語が苦手だったから、英語は子供のうちから早めに身につけていた方がよい」と考えてしまう人も多いようです。
その結果、幼児期から英語教室に通わせ、更には、親子の会話にもときどき片言の英語を混ぜて話すような人も出てきます。
そういうふうにして育った子供の中に、日本語が十分に発達しなくなる子がときどきいるのです。
そういう子は、日本語が不十分になった分、英語が得意になっているかというと、そんなことはまずありません。
小さいころは、同学年の子が知らないような英単語を知っているかもしれませんが、そういう差は中学生になり、高校生になれば、全くなくなってしまいます。
特に、大学入試の英語は、英語力が半分、国語力が半分という問題です。国語で考える力がなければ、英語がいくら達者でも、考える英語は理解できないのです。
英語教育を、小学4年生あたりからやらせるのは、決して早すぎはしません。むしろ、よいことだと思います。そのころは、中学生のころよりも、柔軟に英語の音を身につけることができるからです。
しかし、英語教育を小学3年生以下でやらせるのは、早すぎます。まして、幼児期から英語の勉強をさせるというのは、子供の思考力の正常な発達を妨げるものになると言ってもよいと思います。
渡部昇一さんは、「英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし」という本を出しています。単刀直入のわかりやすいタイトルの本ですが、中身はしっかりした英語教育論です。
日本人は、日本語でものを考えます。日本語は、単に国語の教科だけで使われるのではなく、数学も理科も社会も美術も音楽も体育も、すべて日本語で把握して身につけているのです。
だから、幼児期から小学校低中学年にかけての教育は、日本語力を育てることを第一に考えていく必要があります。
日本語力を育てるためには、まず、早期の英語教育をしないこと、テレビなどの機械的な音声にできるかぎり触れさせないこと、そして、親子の対話と読書の機会を増やしていくことです。
つまり、家庭での普通の日本語による生活を大事にしていくことなのです。
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○がつけば誰でもうれしいものです。だから、子供はできるだけ○になろうとします。
しかし、自学自習で自分で採点するスタイルの勉強では、×がたくさんついた方がよい勉強なのです。
学校や塾のテストで、子供が悪い点を取ってきたとき、ほとんどの親は顔をしかめると思います。逆に、全部○のテストを持ってきたら、にっこり笑って子供を褒めると思います。
なぜ○がうれしく、×がうれしくないかというと、評価の基準を過去に置いているからです。その子のやったこれまでのことが正しかったから○になったと考えるからです。
しかし、本当に大事な基準は未来にあります。これから、その子がどういう勉強をしていくべきか考えるのが未来の基準です。
未来に基準を置けば、○は意味のない評価で、×こそが意味のある評価になります。
だから、子供の勉強で×がついたら、親はそれを喜ばないといけないのです(難しいと思いますが(笑))。そして、
「×がついた分だけ、自分がこれから賢くなるんだから、×はたくさんついた方がいいんだよ」
と、子供に言ってあげるのです。
こういう見方や考え方は、単に勉強のコツにとどまらず、子供の人生観にも影響を与えます。
それは、目先の利益にこだわらず、より大きな社会的な利益を目指すという考えに結びついていくのです。
昔、私(森川林)は、自分の子供が勉強しているときに、よく、
「わからない問題はあてずっぽうで答えを書いて○になるよりも、空欄にして×をもらった方がいいんだよ」
と教えていました。
その子は、中学生のとき、塾にはどこも行っていなかったのですが、友達のみんなが近くの塾に行くので、どんなところか知りたいと思ったらしく、夏期講習だけ試しに塾に行くことにしました。
ところが、そこで、塾の先生が、
「テストで時間がないときは、何でもいいから答えを書いておけば○になることもある」
と正反対のことを教えてくれたそうです。
それで、そういう塾での勉強を見限ったのか、結局塾には行かずに自分で勉強していました。
小さな得を求めていては、人間は成長しません。
○に満足するのが小さな得だとしたら、大きな得は×を出発点とするところにあるのです。
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リクルートが3月から小4以上の小中学生を対象にした「スタディサプリ」の提供を開始しました。月額980円で授業動画が閲覧でき、勉強のデータを生かして苦手箇所だけ復習する仕組みも作られているそうです。
教育へのネットの利用はこれからも加速します。ネットの利点は、自宅でできること、低料金でできること、個別対応ができることです。子供たちの勉強の環境は、これからも更に充実していくでしょう。
しかし、ここで問題になるのは、そういう勉強環境がどれだけ豊かで便利になっても、その勉強をするかどうかは本人の意志次第であり、低中学年の場合は、本人の意志に加えて家庭の環境次第であるということです。
家庭での勉強の習慣ができている子は、豊かな勉強環境を十分に生かしていくことができるでしょう。しかし、勉強の習慣ができていない子は、どんなにゲーム的な要素があるとか、ビジュアルでわかりやすいとか言っても、その勉強を続けさせるのは難しいのです。
そのことは、逆に言うと、勉強の習慣が確立している子は、ネットの勉強環境を利用することもあるでしょうが、勉強の中心はこれまでの紙ベースのものでこなしていくということです。
なぜかというと、勉強の本質は、知識を自分のものとして身につけることですから、問題集や参考書のような実際の形のあるものを何度も繰り返し利用する方がずっと定着度が高くなるからです。
これまでの寺子屋オンエアの経験から考えると、多くの子は、自覚なく無駄の多い勉強法をしています。例えば、できる問題を何問も解いてみたり、できない問題を1回しかやらなかったり、きれいに書くことに時間をかけたり、その一方で何度も読むという勉強をしていなかったり、というようなことです。
だから、勉強が進まない原因は、教材という「物」にあるのではなく、勉強法という「事」の方にあるのです。逆に言えば、勉強の仕方というソフトさえしっかりしていれば、教材は既にある便利なものを自由に使えばよいということです。そういう便利な教材のひとつとして、ネットの教材も利用できるということです。
ところで、この勉強の習慣を家庭で作れる時期は、小学校1年生になります。
1年生は、学校の勉強も簡単なので、家庭学習などをわざわざする必要のない時期のように思われますが、この時期にこそ家庭で毎日一定の時間を勉強する習慣をつけておくのです。
「スタディサプリ」のような教材をうまく利用できるのも、この1年生からの勉強の習慣が確立している子なのです。
(この記事を書いた時点では、「勉強サプリ」という名前でしたが、その後、「スタディサプリ」という名前に変わったので、表記を改めました。)
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