国語の問題というのは、感覚で解くのではありません。すべて理詰めで解くのです。
理詰めで解けない問題は悪問です。そういう悪問もたまにはありますが、原則としてすべての問題は理屈で考えて答えを出せるようになっています。
ある年のセンター試験の問題で、高校生の生徒が、「これはどうして5が正解なのかわからない」という選択問題がありました。
設問は、「『そのような日常言語は、人によってニュアンスが異なり多義的である』とあるが、『そのような日常言語』の具体例として最も適当なものを選べ」というものです。
選択肢は、五つです。うち二つは明らかに×とわかるものなので、微妙な三つを載せると、
1、山に登ると水は貴重だ。ペットボトルの水が半分残っているのを見て、ある人は「まだ半分ある。」と思うし、別のある人は「あと半分しかない。」と思う。水の分量は同じであっても、その受け止め方は人それぞれだ。
2、略
3、略
4、友人とデパートの入り口で待ち合わせた。約束の時間に現れないので携帯電話に連絡すると、別の入り口にいた。「デパートの入り口で……。」という同じ言葉であっても、それぞれが思い浮かべた場所は違っていたのである。
5、最近、家を新築したおじが、「駅から近いよ、歩いておいで。」といって、手書きの地図をくれた。「近い」というので地図をたよりに歩いたところ、かなり歩かされた。「近い」といっても人によってはだいぶ差がある。
正解は、5です。
1も4も5も、同じようなことを言っているので、なぜ1と4が正解でないかわからないという人も多いと思います。
1は、「ペットボトルの半分の水」と実物が対象ですから、日常言語が対象になっているのではないということで、消去法的に×なのです。
4は、「デパートの入り口」というのはニュアンスではなく、定義が曖昧だっただけで、北の入り口とか南の入り口とか言っていれば解決したことですから、これも消去法的に×なのです。
5は、「駅から近い」という日常言語のニュアンスが対象になっているので、特に間違えているところはありません。
この結果、最後に残った5が正解になるということです。
こういう理詰めの解き方を身につけるだけで、国語の成績は短期間で上がります。
しかし、これは国語問題の解き方のテクニックであって、本当の国語力ではありません。
本当の国語力とは、思考力のことです。だから、国語力を見るためには、小論文と口頭試問のようなことが必要になるのです。
今後の大学入試は、そういう方向に向かっていくと思います。