国語の成績をよくするためには、まず国語の成績が悪い原因を考える必要があります。
「国語の成績だけが悪かったんです」と、テストを持ってきてくれる中学生がいます。
子供も親も、たぶん先生も、点数にしか目が向きません。国語のテストの点数がよい子が、国語力のある子と考えてしまうのです。
テストの中身を見れば、その点数がどういう原因でそうなっているかがわかります。
以下、その原因をもとに、どうしたらよいかという対策を書いていきます。
成績が悪い原因は、大きく三つに分かれます。
第一は、勉強していないことです。
第二は、解き方のコツを理解していないことです。
第三は、読む力がないことです。
点数が悪いだけで偏差値上は何も問題がないということもあります。だから、本当は点数ではなく、平均点との差や順位の方が大事なのです。
第一の「勉強をしていないこと」は、問題を見ればわかります。
中学生のころの国語は、問題の分野が、漢字、文法、古典、読解、記述などに分かれています。
定期テストは出題範囲が決まっているのですから、漢字は読みも書きも全部できていて当然です。ここで数問間違えていたら、それは勉強をしていなかったということです。
次の文法も、古典も、同じです。これは、国語力ではありません。単なる国語的な知識の問題ですから、文法と古典ができていなかったら、そのための問題演習をしていなかったということです。
こういう言い方はよくないかもしれませんが、先生は点数に差をつけやすくするために問題を出しています。文法と古典は、勉強しているかいないかではっきり差がつき、問題も作りやすいからテストの問題となっているのです。
一度テストを受ければ、その先生がどういう傾向の問題を出すのかわかるのですから、それを毎回同じように文法と古典で点を落とすのは、勉強の対策ができていないということです。
漢字、文法、古典で×がいくつかあると、そのあとの記述の問題も自然に辛くなります。逆に、漢字、文法、古典で○が続いている生徒には、先生の心理として、記述も甘めに採点したくなるのです。
対策は、簡単です。定期テストの前に、時間を取って国語の出題範囲の勉強をすることだけです。
第二の「解き方のコツを理解していない」場合です。これも、問題と答え方を見ればわかります。
共通点は、問題文をきれいに、何の傍線も引かずに読んでいることです。そして、選択問題も、ただ合っていそうなものに○をつけて選んでいるだけです。
読解の点数を上げるには、問題文には必ず傍線を引いて読み、選択肢はどの選択肢についてもなぜその選択肢が○でないかというメモをしておかなければなりません。
何度も書きますが、テストの多くは差をつけることが目的です。感覚的に合っていそうなものを選べば×になるように作ってあるのがテストです。だから、その裏を読んで、合っていないものを理詰めで消去していって残ったものを○にするのです。
作文を読んでいると、その生徒の本当の国語力が大体わかります。作文はよく考えて書いているのに、国語の成績が悪いという生徒は、この解き方のコツを理解していないか、理解したつもりになっていても実践していないかのどちらかです。
こういう生徒は、実際の問題と照らし合わせて1、2時間も説明すれば、すぐに成績が上がります。中1や中2で、数学も英語もよくできるのに国語の成績だけが悪いという人がときどきいます。こういう生徒に解き方のコツを説明すると、次のテストからすぐに成績が上がります。そして、中3になるころには、「苦手だった国語がいちばん成績がよくなった」という嘘のような話になるのです。
これは、高校生でも同じです。高3の8月ごろというのは、もう実力もほぼ固まってきているころですが、この時期に、国語の苦手だという生徒に、センター試験の解き方などを説明すると、次の回から一気に成績が上がります。しかし、それはもちろん本人の読む力の範囲でのことです。
第三は、その「読む力がない」という原因です。
小学生では、文章を音読させてみると、たどたどしくしか読めないというのが、読む力のない状態です。それは、本人のせいではありません。だから、子供を叱るのではなく、親がまず反省して、気長に簡単なところから読書の生活を始める必要があります。
よく、「うちの子はどんなに言っても本を読まないんです」と、まるで本人が悪いかのように言う人がいますが、小学生の場合、本を読まないのは、子供の問題ではなく親の工夫の仕方の問題です。
話は変わりますが、今、寺子屋オンエアでは、勉強の前に読んでいる本を見せてもらい、勉強が早めに終わったときはその本を読んでおくようにしています。それだけで、どの子も毎日本を読むようになります。読書は、その生徒にとって難しすぎる本を与えていないかぎり、誰でもすぐにできるものなのです。
中高生では、さすがにたどたどしく読むという生徒はいません。しかし、中高生の読む力は、難しい言葉を知っているかどうかということに現れます。大学入試でよく出てくる「恣意的(しいてき)」などという言葉がその例です。こういう言葉が読めないということは、意味も理解できていないということです。
国語の問題文の中に、自分の知らない語句がいくつかあると、その文章を表面では読んでいても、中身が理解できなくなります。特に、高校入試や大学入試の問題文は、やはり点数の差をつけるためにだ作られていますから、文章の最初の方に特にそういう読みにくい言葉が並んでいることが多いのです。問題文を最後まで一息で読めば、全体は理解しやすくなるのですが、語句を知らない生徒は最初の方で時間がかかり、一息に読むということができません。
読書でもそうですが、最もよい読み方は、できるだけ早く全体を読み終えるということです。時間をかけて何日もかけてじっくり読んでいると、かえって全体像が頭に入りません。国語の問題文も、すばやく読み切ることが大事です。
では、中高生が読む力をつけるためには、どうしたらよいかというと、それもやはり読書なのです。先ほどの「恣意的」などという言葉が入っている文章を読むことが、読む力をつける最良の道です。しかし、そういう本を実際に読める子はなかなかいないので、そのために、言葉の森がすすめているのが問題集読書です。しかし、この問題集読書も、家庭ではなかなかできません。その理由は、形の残る勉強でないことと、読む力が伴わないうちはやはり面白くないということがあるからです。そこで、これも、寺子屋オンエアで行う勉強の中に組み込むようにしています。
国語の成績が悪いという場合は、以上のようにいくつかの原因があります。お父さん、お母さんは、点数だけ見て判断せずに、まずその問題の中身を見て、自分も一緒に問題を解いてみてください。そうすると、成績の悪い原因がどこにあるかがわかり、対策も立てられるようになります。
このように考えると、国語の成績とは、国語力とは少し違うのです。入試が過酷になると、成績と学力は更にずれてきます。それは、どの教科でも同じです。
次回は、「成績の逆転現象がなぜ起きるか」を書く予定です。
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お子さんの国語の成績にお困りのお母様からよく相談を受けます。やはり、読書体験の積み重ねが大事なのですね。私自身、小さいときから本ばかり読んで育ちました。読書に対するハードルを下げるには、小さいころからの読み聞かせが有効なのだと思います。
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世界から日本へ、グローバルからローカルへ、大都会から地元へ、という志向が、若い人たちの間で生まれています。
ローカルは、生活の必要で成り立っている社会ですから、大きく儲けることもなければ、大きく損をすることもありません。人間のつながりの中で、自分の個性をほどほどに生かしていくというのが、ローカルの社会です。
町内の相撲大会で優勝して満足するのがローカルの個性です。それ以上のプロを目指したり、オリンピックを目指したりするのではありません。ほどほどの個性に満足して、地に足の着いた生活をしていくのがローカルの人生です。
しかし、日本の文化の中では、生活の必要は、単なる必要のレベルにはとどまりません。もともとの個性にだんだん磨きがかけられ、やがてその個性が「道」を究めるようになっていくのです。
日本では、生活産業は、次第に究道産業へと進化していく傾向があります。それは、最初から日本一や世界一を目指すグローバルな発想ではありません。自分の興味を深めていくうちに、次第に自分でしか究められない世界に入っていくという進み方です。
だから、日本の社会でこれから生まれるのは、グローバルでも、その対極にあるローカルでもありません。グローバルとローカルの対比を超えたところにある「道」の文化が新しい産業として生まれてくるのです。
これまでの欧米中心の社会で生まれた文化の中には、サッカーやゴルフやバスケットボールのように、単なる遊びから生まれたものであるにもかかわらず世界的な広がりを持つようになったものがありました。
日本でも、アニメや寿司やカラオケなど、日常の延長から生まれたものであるにもかかわらず、世界的な広がりを持つようになっているものがあります。
これからは更に、今はまだ現れていない新しい日本文化が次々とローカルの生活の中から生まれてくるのです。
その根底にあるのは、向上心です。
欧米の文化の根底にあるのは、勝ち負けの発想です。あらゆるものが、勝つことに向けて収斂していく面があります。
日本文化にももちろん勝ち負けの発想はありますが、それと同時に、勝ち負けとは別に自分自身を高めることに価値を置く発想があるのです。これが「道」の文化の根底にあるものです。
「道」の文化は、国内でも一つの産業になりますが、更に世界に向けての輸出産業になる可能性を秘めています。
しかし、それ以上に大事なのは、「道」の文化が広がることによって、向上心が社会の共通の価値観として認められていくことです。
そこから、人間にとっても社会にとっても最も本質的な価値となる「創造」が生まれてくるのです。
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ハーバード大学などアメリカのハイレベルの大学に日本の若者が進学しなくなり、その代わり中国や韓国の若者が急速に増えているそうです。
しかし、日本の若者全体が海外に行かなくなったわけではありませんから、特に優秀な層が、海外に行かなくなっているのだと思います。
この現象を見て、最近の若者は覇気がなくなったと思う大人は多いと思います。しかし、それは実は違うのです。
海外と日本という対比と似ていますが、最近の若者には、大都会よりも地元へという志向が強くなっているようです。
マイルドヤンキーという言葉がありますが、地元でそれなりに自分らしい、そこそこに楽しい生活を送るという傾向が強くなっているのです。
今の日本の社会では、ローカル経済は、グローバル経済とは切れて存在する面が強くなっています。だから、円安でグローバル企業が利益を上げても、それがトリクルダウンする形で地方を潤すところにまで行かなかったのです。
しかし、そのことは逆に、これからグローバル経済に金融危機が見舞い、大きなシュリンクが起きた場合も、そのシュリンクが地方にまで波及することが少ないだろうことを予想させます。
地方の経済は、生活の必要で成り立っています。もちろん、ネットの影響を受ける分野は、グローバル経済の影響を受けますが、そうでないリアルな地方の産業は、世界的な経済危機があろうがなかろうが同じように存続し続けるのです。
このような情勢の中で、若者の発想は、世界を相手に大儲けをするという過酷な競争の人生には向かわずに、地元で成り立つ個性を生かした、大儲けもないかわりに大損もない、長続きする生活へと向かっているのです。
しかし、この生活には続きがあります。それは……(つづく)
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3月19日(木)から24日(火)にかけて、言葉の森のトップページから無料体験学習を申し込まれた方は、こちらのプログラムミスにより、情報が正しく送信されていませんでした。
体験学習の資料などが届かない方は、誠に申し訳ありませんが、再度、お電話又はフォームから体験学習をお申し込みくださるようお願い申し上げます。
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2月23日ごろに、「山のたより」の手書き作文の表示の仕方を変更しました。
これは、ブラウザのバージョンアップに伴い、ブラウザによって見え方が異なる問題を当面解決できないことがわかったためです。
しかし、そのために、2月以前の手書き添削が見られないようになっていました。
そこで、下記のページで、2月以前の表示の仕方もできるようにしました。なお、昔の山のたよりを見る場合は、インターネットエクスプローラーの「ツール」→「互換表示」で、古いバージョンへの互換表示を設定してからごらんください。
(新しい「山のたより」は、互換表示をしないで見るようになっています。)
https://www.mori7.net/oka/iyama_old.php
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言葉の森の生徒コードは、ひらがな3文字で作っていました「あああ」から始まって、「ああい」「ああう」と進み、最後のコードは「んんん」となるコードでした。
なぜひらがなかというと、数字やアルファベットでは味気ないからという理由もありますが、それ以上に、ひらがなは文字の種類が多かったからです。
数字で3桁のコードを作ろうと思えば、数字は1から0までの10種類ですから、10の3乗で、1,000種類しか作れません。アルファベットの場合は、26の3乗ですから、17,576種類です。ひらがなの場合は、「が」行や「ざ」行などを入れれば、60種類ぐらいの文字がありますから、60の3乗とすると、216,000種類もできます。(60進法ということです。)
これならしばらく安心と思っていたら、そのコードが次第に枯渇してきました。これは、生徒だけでなく、ただ問い合わせをした人にもコードを割りふっているからです。
そこで、今後のことを考えて、本日から生徒コードを4桁にしました。4桁ですから、60の4乗とすれば、12,960,000種類です。今世紀中は間に合いそうです。
しかし、順に作ったコードが、「ああああ」「あああい」「あああう」……と、何かコードらしくありません。もちろん、自分で、「もりおか」とか「やまなし」とか任意のものを作れますから、問題はないのですが、自分でコードを選ばない場合は、自動的に「ああああ」のようなコードになってしまいます。
そこで、3桁のコードのうち、空きができてまだ使われていないものを新たに追加することにしました。これは、明日作る予定です。
今、体験学習を申し込まれる方は、コードが4文字になっていますが、できるだけご自分で気に入ったものを選ぶか作るかしてください。
もちろん、いったん決めたコードも、変更することはできますが、最初から同じものの方がいいと思いますので。
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60の4乗の12,960,000種類でも間に合わなくなりますように。
関西(和歌山)の友人・知人に、言葉の森のよさを宣伝しています♪
ラウレアさん、ありがとうございます。
寺子屋オンエア方式で作文の通信指導ができることがわかったので、これから世界中の人に広げていきたいと思っています。
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日本人は、話し声も自然の音も左脳で処理します。だから、集中して考える勉強をするときは、音のないところでする必要があります。高学年の作文は、集中して考える勉強ですから、静かな環境でやる必要があります。
しかし、小中学生のうちは、自分の部屋で勉強すると、勉強に身が入りません。リビングで、みんなのいる中で勉強した方が集中して取り組めるのです。
ところが、リビングにテレビがあり、弟や妹がテレビを見ていると、やはり勉強には集中できません。そういうときは、テレビの音声が外に漏れないように、ヘッドホンで聞くようにするといいのです。今は、分岐ケーブルで複数のヘッドホンがつなげられますし、無線のヘッドホンもあります。
このヘッドホンでテレビを見るというのは、赤ちゃんのいる家庭でも有効です。幼児期には、テレビのような機械の音声はできるだけ触れさせない方がいいので、テレビを見たい人だけがヘッドホンで聞きながらテレビを見るようにするといいのです。
ヘッドホンの代わりに、勉強する人がイヤーマフをつけるという手もあります。イヤーマフと耳栓を組み合わせると、近くの話し声でもほとんど聞こえなくなります。
音と集中力の関係は、子供本人にはよくわからないので、親が子供の勉強の環境を工夫してあげる必要があります。
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国語の問題というのは、感覚で解くのではありません。すべて理詰めで解くのです。
理詰めで解けない問題は悪問です。そういう悪問もたまにはありますが、原則としてすべての問題は理屈で考えて答えを出せるようになっています。
ある年のセンター試験の問題で、高校生の生徒が、「これはどうして5が正解なのかわからない」という選択問題がありました。
設問は、「『そのような日常言語は、人によってニュアンスが異なり多義的である』とあるが、『そのような日常言語』の具体例として最も適当なものを選べ」というものです。
選択肢は、五つです。うち二つは明らかに×とわかるものなので、微妙な三つを載せると、
1、山に登ると水は貴重だ。ペットボトルの水が半分残っているのを見て、ある人は「まだ半分ある。」と思うし、別のある人は「あと半分しかない。」と思う。水の分量は同じであっても、その受け止め方は人それぞれだ。
2、略
3、略
4、友人とデパートの入り口で待ち合わせた。約束の時間に現れないので携帯電話に連絡すると、別の入り口にいた。「デパートの入り口で……。」という同じ言葉であっても、それぞれが思い浮かべた場所は違っていたのである。
5、最近、家を新築したおじが、「駅から近いよ、歩いておいで。」といって、手書きの地図をくれた。「近い」というので地図をたよりに歩いたところ、かなり歩かされた。「近い」といっても人によってはだいぶ差がある。
正解は、5です。
1も4も5も、同じようなことを言っているので、なぜ1と4が正解でないかわからないという人も多いと思います。
1は、「ペットボトルの半分の水」と実物が対象ですから、日常言語が対象になっているのではないということで、消去法的に×なのです。
4は、「デパートの入り口」というのはニュアンスではなく、定義が曖昧だっただけで、北の入り口とか南の入り口とか言っていれば解決したことですから、これも消去法的に×なのです。
5は、「駅から近い」という日常言語のニュアンスが対象になっているので、特に間違えているところはありません。
この結果、最後に残った5が正解になるということです。
こういう理詰めの解き方を身につけるだけで、国語の成績は短期間で上がります。
しかし、これは国語問題の解き方のテクニックであって、本当の国語力ではありません。
本当の国語力とは、思考力のことです。だから、国語力を見るためには、小論文と口頭試問のようなことが必要になるのです。
今後の大学入試は、そういう方向に向かっていくと思います。
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