今の勉強は、受験の競争に勝つことを主な目的にして行われています。そのため、差のつきやすい、うっかり間違えやすい、わかりにくい問題を解くことが、勉強の目標のようになっています。
しかし、これに対して、勉強は何かの役に立たせるために行うのだと考えると、これは受験勉強とは逆の低レベルの勉強に安住することになります。例えば、社会に出てから必要になるのは四則計算ぐらいだと考えると、数学の勉強はほとんど必要のないことになってしまいます。
数学の勉強、例えば因数分解を解くような勉強には、パズルを解くような面白さがあります。だから、受験勉強とも相性がいいのです。
しかし、実際に二次関数の解を求めるためには、根の公式さえ知っていれば間に合います。特に、現代のようなコンピュータの計算能力を前提にできる時代であれば、人間が因数分解をスマートに解く工夫をする必要はありません。
ところが、だから、そんな勉強をする必要はないのだとは言えないのです。
それは、勉強の中で真に求められているものは、試験に合格することでも、答えを得ることでもなく、その人の知的能力を高めることだからです。
多くの人が、この点を誤解しているようです。勉強は、成績のためにするものでも、実用のためにするものでもありません。成績と実用は、結果としての副産物であって、真の目標は人間の向上です。
小中学生のころに勉強が好きな子はあまりいませんが、高校生になると勉強を好きになる子が出てきます。それは、勉強というものが向上の喜びと結びついているからです。
小中学生のころは、解けた喜び、褒められた喜び、成績が上がった喜びでいいのですが、その喜びを自己の向上の喜びと結びつけていくところに教育の大きな目的があります。
昔、プログラミングの勉強を自己流でしているときに、ファンクション・オリエンテッドとオブジェクト・オリエンテッドの二つの方向があるということをある本から学びました。
その本の著者は、オブジェクトという一つのユニット化されたものを操作する方がわかりやすく能率もよいが、しかし、ファンクションという関数を自分なりに組み合わせて考える方が面白いし自分は好きだというようなことを述べていました。
そのときは、その理由がよくわかりませんでしたが、今になると、だんだん著者の言いたかったことが理解できるような気がしてきました。
数学の勉強でも、解き方のコツのようなことを知ると、確かに問題がすぐに解けて能率がよくなったように見えます。
しかし、わかりやすいということは、わかりにくい部分をブラックボックス化して、入力と出力の関係だけを操作的に理解させていることも多いのです。
すると、その操作に関しては能率がよいとしても、それを他の勉強に生かすことはできません。まして、そこから新しい考えを創造することなど更にできなくなるのです。
未来の社会で最も大事になる人間の能力は創造性です。
能率よく答えに到達する能力は、過去の工業時代に必要な能力でした。
そう考えると、これからの勉強は、答えを出すことでも、それを何かに役立たせることでもなく、問題を考えること自体の楽しさを味わうような方向で進んでいく必要があるように思うのです。
教育の問題を考えるとき、多くの人が共通して挙げる対策は、教育の自由化です。
本日の新聞(朝日新聞2015年5月20日)に、「義務教育を学校に限らず認めるという法案が、超党派の議員でまとめられた」という記事が載っていました。
この流れは、これから加速すると思います。
しかし、今の学校で行き詰まっている問題を、民間の創意に任せれば解決するかというと、事はそれほど単純ではありません。
今の学校外の教育のほとんどは、学習塾によって担われています。その学習塾は、成績を上げるプロですから、これまでの学校よりも能率のよい教育ができるかもしれません。
しかし、本当の問題は、成績を上げるというときの成績そのものの前提が問われているというところにあるのです。
教育の本来の目的は、人間が自立して社会に創造し貢献することができるようになる力を育てることです。
ところが、受験競争の影響によって、教育の目的は、差をつけるための試験で上位の成績を取ることに置かれるようになっています。
簡単に言えば、仕事や人生のための教育ではなく、成績のための教育になっているところに、今の教育の根本の問題があります。
その教育を支えているのは、先生です。多くの先生は、成績を上げるためのプロであるかもしれませんが、仕事や人生のプロではありません。
教育の自由化を考えるときに大事なことは、まず、教育によって何を目指すかというところから自由に考える必要があるということです。
もちろん、それは成績を否定することではありません。成績も含めたより大きな目的を教育の目的として考えていく必要があるのです。。
====引用ここから。
「学校外で義務教育、容認案 フリースクールや家庭学習 超党派、国会提出めざす」
不登校の子たちが通うフリースクールや家庭など、小中学校以外での学びを義務教育の制度内に位置づける法案を、超党派の議員連盟の立法チームがまとめた。実現すれば、義務教育の場を学校に限った1941年の国民学校令以来、74年ぶりの転換となる。不登校の子に学校復帰のみを求めてきた政策も見直す動きだ。
法案は「多様な教育機会確保法案」。議連には自民、民主、維新、公明、共産などの議員が加わり、27日の総会で案を固めたうえで、議員立法に向けて今国会での提案を目指す。
不登校の小中学生が約12万人いる現状を踏まえ、文部科学省は1月、フリースクールなどで学ぶ子を支援する方向で有識者会議を設けた。法案は「多様な教育機会の確保」という理念を掲げ、対象を「様々な事情で学校で教育を十分に受けていない子」と定めた。
保護者が子どもと話し合って学校以外で学ぶことを選んだ場合、地元の教育委員会や学校、フリースクールなどの助言を得て「個別学習計画」を作り、市町村教委に申請できる。教委は「教育支援委員会」を作って審査。その結果を参考に判断する。認定した場合、教委職員やスクールソーシャルワーカーらが定期的に訪問して助言。国や自治体は家庭への経済的支援も検討するという。
学齢期の子に限らず、義務教育を受けられずに学齢を超えた人向けに、夜間中学の整備を進める仕組みづくりも法案に盛り込んだ。
■<解説>不登校の子に選択肢
不登校の小中学生は20年近く10万人を超え続けている。「なぜ学校に行けないのか」と自分を責める子や悩む親は少なくない。
その現実を前に、政府の教育再生実行会議が昨年7月、フリースクールなどの位置づけを検討するよう提言。文科省も1月から検討会議で議論を始めた。
今回の法案は、場所を限らずに、保護者が子に一定水準の教育を受けさせた場合、義務を果たしたとみなすもので、制度化への機運が党派を超えて高まってきたことを示す。「学校一辺倒の教育に風穴を開けたい」と立法チーム座長の馳浩(はせひろし)衆院議員は話す。
実現すれば、子は自分に合った学びの場を選べ、教委も子の状態を確かめながら支援できる。
ただ、課題は多い。個別学習計画を教委がどう判断するのか。子の受ける教育の質をどう保証するのか。過去には、子への暴行が問題になったフリースクールもあり、そうした施設をどう排除するのか。卒業は誰が認定するのか。具体的な制度設計はこれからだ。(編集委員・氏岡真弓)
◆キーワード
<義務教育> 憲法は保護者が子に普通教育を受けさせる義務を負うと規定し、学校教育法はその場を小中学校、中等教育学校、特別支援学校と定めている。文科省は、フリースクールやインターナショナルスクールなどに通う場合は当てはまらないとしてきた。
====引用ここまで。