成績表をもらう時期になると、よくある話です。
言葉の森の生徒の保護者から、「ほかの成績はいいのに、作文のところだけCなんです」という相談を時どき受けます。
あるお母さんの話では、学校の家庭訪問のときに、習い事の話が出て、作文を習っていると言ったすぐ次の学期から、作文だけがCになったそうです(笑)。
こちらは、またかと思って笑って聞いていますが、そういう成績をつけられた子供はたまりません。せっかく熱心に勉強しているその勉強だけがとりたてて駄目だと評価されるのですから結構傷つきます。
しかも、そういう子たちが決まって明るく素直な性格のよい子なのです。
算数、理科、社会などのほかの教科では、こういうことはありません。また、同じ国語でも、漢字力や読解力の評価ではこういうことはありません。
それらは客観的に評価できることですし、誰かが特別の教え方をしているわけではないので、言わば誰でも教えられる勉強なので、先生の権威も傷つかないからです。
国語の専門の先生は、国語という教科に対して思い入れのあることが多く、特にそれが作文という勉強には強く表れます。
作文は、専門的なベテランの先生でなければ十分に教えることができないという思い込みがあるのです。
どの世界にも、未熟な人はいます。学校の先生だから特別ということではありません。
もちろん大多数の先生は、そんなことにヤキモチを焼いたりせず、むしろ子供をよいところを励ます接し方をしています。
先生という仕事で最も大事な性格が、このいつでも子供のよいところを見て明るく励ますことがができるということなのです。
では、子供がそういう「作文のところだけがC」という成績をもらってきたとき、お母さんはどうしたらいいのでしょうか。
子供には、次のように言ってあげるといいのです。
「作文というのは、いろいろな見方があるけど、お母さんはあなたの作文はとてもいいと思っているのだから大丈夫。いつか、あなたが大きくなったとき、この作文Cの評価が楽しい想い出話になると思うよ」
このように明るく爽やかに、むしろその悪い評価を楽しむような気持ちで話してあげるといいのです。
そして、こういう話し方によって、子供は不本意な悪い評価を受けたときに、どう対処していけばいいのかという人生の大事なコツも学んでいきます。
「
行蔵は我に存す。
毀誉は人の主張」(勝海舟)
他人の評価は過去のものとして明るく受け流し、自分は自分のよいと思ったことを実行していけばいいのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。生き方(41)
夏休みの勉強は次のように取り組んでいきます。
まず、夏休みから本格的な受験勉強を始めるために、夏休み前に、志望校の過去問を解いておきます。解くと言っても、自分の力で解くのではありません。答えを最初に書き写し、問題と答えを読んで、どういう傾向の問題か、自分ならどこまでできるか、今後どういう勉強が必要かということを考えるのです。
問題を自分で解こうと考えると、心理的な負担が大きくなり、過去問に取り組む勉強がどうしても後回しになってしまいます。過去問は、勉強の仕上げのためにやるのではありません。勉強の準備のためにやるのですから、まず取り組みやすい「答えの書き写し」という作業から始めるのです。
過去問の答えを書き写し、自分で問題と答えを読んでみると、これから力を入れなければならない分野が自ずからわかってきます。受験勉強は、得意分野を伸ばすのではなく、苦手分野を伸ばすことを第一に考える勉強です。
人生や仕事は、得意分野を伸ばして取り組むものです。それは、正解のない分野だからです。しかし、受験勉強は正解のあるものですから、自分の苦手を補強することを第一に考えるのです。
得意教科の90点を95点にする時間よりも、苦手教科の60点を70点にする時間の方が短いのが普通です。このように考えると、苦手分野に取り組むことの大切さがわかってきます。受験の合否は総合点で決まるのですから、苦手分野の点数を上げる方が能率がよいのです。
自分がこれから力を入れて勉強する分野がわかったら、全教科の教材選びをします。大きい書店に行き、参考書コーナーなどで、自分が勉強するのにふさわしいと思う問題集や参考書をできるだけたくさん買ってきます。ネットの書店では、中身が確かめられませんから、評判のよさそうなものを、これもできるだけ多く買います。この最初の投資が重要ですから、ここでの出費は惜しまないことです。
参考書と問題集を買ってきたら、ひととおり全部少しずつやってみて、自分に相性のよいものを選びます。原則として1教科1冊に絞り、その1冊を受験までに5回繰り返して完璧に仕上げることを目標にします。夏休みは最も時間の取れる時期ですから、夏休み中にどの問題集を何ページやるか、どの参考書を何ページ読むかというページ数の配分をします。以上が夏休み前の準備です。
夏休み中は、1日の勉強時間の目標を決めます。目標の絞られた勉強ですから、成績がどれくらい上がるかは、どれだけ時間をかけたかで決まってきます。1日7時間やるとすれば、朝3時間、午後3時間、夕方1時間などと大体の目安を決めておくとよいでしょう。自分の立てた計画で、夏休み中に1日6~7時間勉強すれば、成績は必ず上がります。それも、驚くほど上がります。だから、夏休みは、塾の夏期講習などに行っている暇はないのです。
中学3年生は、昔で言えば元服ですから、大人として一人前の行動ができる年齢です。自分の意志力に自信がないから塾の夏期講習に行くというような気持ちでは、将来も人並みのことしかできません。また、お父さんやお母さんも、子供が自分の意志で勉強することを見守る勇気を持つ必要があります。最初は試行錯誤の不安があるはずですが、自分の立てた計画で1か月勉強したあとは、成績だけでなく人間としても大きく成長しているはずです。
ただし、自分の成績を客観視するために、模擬試験は、夏休み中から何度か受けておきます。しかし、模擬試験はあくまでも模擬試験で、最も大事な基準は、志望校の過去問で自分がどれぐらい得点できるかということですから、時々過去問に立ち戻り勉強の軌道修正をしていく必要があります。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
具体的な教材としては、
1、国語は昨年の全国入試問題集の読書。実力さえつけておけば、成績はすぐ上がるので
2、数学は、解法の詳しい問題集1冊を完璧に。学校や塾で配られる問題集は解法が不十分なことが多いのであまりおすすめできない。具体的には、苦手な人なら「これでわかる数学」、得意な人なら「ハイクラステスト数学」など。
英語は、昨年の全国入試問題集の長文読解問題をばりばり解く練習。
理社は教科書を繰り返し読む。問題集には答えを先に書き込んでやはり繰り返し読む。理科は数学と同じく計算問題を完璧に。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。勉強の仕方(119)
寺子屋オンエアは、家庭学習を中心とした勉強法です。ところが、家庭学習がせっかく軌道に乗っているのに、もっとよく勉強させようと思い、家庭学習の時間を削ってまで塾に行かせようとする家庭も多いのです。
それは、親の世代が塾に行って勉強していたからという面もあります。また、今の社会では塾に行って勉強する子が多いので、それが最もオーソドックスな勉強の仕方だと思ってしまう人が多いからだと思います。
確かに、家庭で勉強をしていると、子供たちの勉強のアラが見えます。遊んだりふざけたり、集中できなかったりという勉強の欠点が見えるのは、親が近くにいるからです。しかし、その欠点は塾に行っていても変わりません。ただ、親の目につかないので気にならないというだけです。
子供たちの学力がつくのは、教えてもらっているときではありません。教えられたことを自分で反芻するときに本当の力がつきます。
塾に行って成績が上がる子は、家庭での宿題をきちんとしている子です。塾に行くだけで、家庭で何もしなければ、成績は決して上がりません。また、宿題のあるときだけ宿題をするという子も、成績は上がりません。宿題のあるなしにかかわらず、毎日同じような勉強をする習慣のある子が成績も上がります。ということは、逆に言えば、家庭で勉強する習慣のある子は、わざわざ塾に行って勉強する必要はないのです。
塾に行って教わる勉強をしていると、同じことを身につけるのに、家庭で勉強するよりも何倍も時間がかかります。そのため、塾に通う時間が増えると、子供たちの生活時間は圧迫され、遊んだり、本を読んだり、自分の好きなことをしたりする貴重な時間が削られてしまいます。なぜそういう時間が貴重かというと、それらの時間が子供たちの将来の仕事力や創造力の源になっていくからです。
塾でも、学校でも、先生に教えてもらう勉強という点では変わりません。しかし、小中学校の勉強は、わざわざ誰かに教えてもらわなくても、教科書と簡単な参考書と問題集だけでわかるようになっています。だから、教わる勉強はできるだけ少なくして、自分で決めたことをする勉強を中心にしていく必要があるのです。つまり、それは家庭学習です。
ところが、家庭で自分だけで勉強をしていると、その勉強法が正しいのかどうか不安になってくることがあります。また、それ以上に、勉強するきっかけをつかみにくいので、親から言われなければやらないという勉強になりがちです。
そこで、言葉の森では、寺子屋オンエアという仕組みを作ったのです。
しかし、ここでひとつ問題になるのは、学年が上がってくると、誰かに教えてもらわないとわからないような勉強も出てくることです。それは、受験のための差をつけることを目的とした勉強です。一種のパズルのような勉強ですから、教えてもらえばわかる、自分で考えたのではいくら考えてもわからないという勉強が出てくるのです。
そういう一見難しい勉強ができると、学力がついたように思いがちですが、それはパズルの解き方を知っただけで、本当の学力がついたのではありません。だから、中学受験のための難しい問題を解けるようになった子と、中学受験をせずに教科書レベルの易しい問題しか解かなかった子が、やがて中学3年生になり高校入試レベルの問題に取り組むようになると、かつての小学6年生のころの勉強の差は全くなくなっているということが多いのです。
では、その難しい受験勉強はどのようにしたらよいかというと、それは、家庭で志望校の過去問を研究することです。入試の傾向は、共通点もありますが、学校による違いがかなりあるからです。
学習塾での勉強は、子供たちに、どの学校でも受かるような全天候的な得点力をつけることを目的としています。しかし、それは最も無駄の多い勉強法です。能率のよい勉強法は、その子の志望校に絞って過去問を研究し、その子の実力に応じてどういう時間配分でどの教材を勉強するかを決めることです。
このように自分で工夫する勉強は、高校入試、大学入試、更には社会に出てからの仕事というように、成長するほど重要になってきます。
小学生時代は、他人に教えてもらう勉強の方が能率よく見えることがありますが、そういう時期は人生の中ではほんのわずかです。これからの長い人生の大部分は、自分で考えて自分で工夫する勉強法を身につけた子がよりよく切り開いていけるのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101)
悪い読書感想文指導の例は、次のようなものです。
先生「自由に書いてごらん。」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。うーん、これがだめで、あれがだめで、ここもだめで、あっちもだめだ。」
生徒「じゃあ、どうしたらいいんですか。」
先生「それは自分で考えるんだ。」
そして、中に、よく書けた子がいると、
先生「みんな、こういうふうに書くんだ。」
褒められたごく少数の子は、なぜ褒められたのかわかりません。注意された大多数の子は、どうしたら褒められるようになるのかわかりません。
しかし、たくさんの生徒を教えているから、中に必ず上手に書く子がいるので、こういう指導でも通用するのです。
よい読書感想文指導の例は、次のようなものです。。
先生「最初に、こう書いて、次にこう書いて、あれを入れて、これを入れるといいよ」
生徒「先生、できました。」
先生「どこどこ。なるほど、あれも入れたし、これも入れたね。よくできた。」
生徒「わあい。」
すべての子が、どう努力したらよいかわかるので、誰でも書けるのです。
しかし、なぜこういう指導が行われていないかというと、誰でも書ける方法は、苦手な子でも書けるので、レベルが低いと思われてしまうからです。
ところが、言葉の森の読書感想文指導は、この誰でも書ける書き方で、例年いろいろな賞をもらう子がいるのです。
読書感想文指導の目的は、上手な作品を書かせることではありません。
読書感想文を通して、子供の書く力を向上させていくことが第一の目的です。
今、学校や塾で行われている読書感想文指導の多くは、指導がなくて評価だけがある教え方になっています。
では、どうしたらよいかというと、家庭でお母さんが書き方を教えてあげればよいのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。読書感想文(19)
国語の勉強というと、ほとんどの人は、国語の問題集を解くようなことを考えると思います。しかし、問題集をいくら解いても、その解説をいくら聞いても、国語力はつきません。
国語力とは、国語の問題を解く力ではなく、日本語の文章を読み取る力だからです。更に言えば、その読み取る力の土台の上に、日本語の文章を表現する力だからです。
国語力があれば、国語の問題を解く力は、短期間で身につきます。
例えば、高3の生徒が、夏休みの8月ごろ、試しに国語のセンター試験をやってみると、平均点と言われる6割ぐらいしか取れないことがあります。
しかし、その生徒に、1、2時間解き方を説明するだけで、次の週からは、満点近い成績を取れるようになることが多いのです。それぐらい、国語力と国語の成績との間にはギャップがあります。
だから、基準にするのは、国語の成績ではなく、国語力です。
その国語力は、どうやってつくのかというと、それは、繰り返し難しい文章を読むことによってです。
ところが、その単純なことがなかなかできません。なぜできないかというと、難しい本を読むということは、真っ暗なでこぼこ道をろうそくの火を頼りに進むようなものだからです。
これに対して問題集を解く勉強は、明るい舗装された道を、わかりやすいクイズを解きながら進むようなものです。
だから、ほとんどの人は、やりやすい問題集を解く勉強をしてしまうのです。
難しい文章を読むためには、読むという行為を外化させる必要があります。それが音読です。
黙読では、途中で挫折してしまう文章も、音読であれば読み続けることができます。そして、読み続けているうちに読む力がついてくるので、やがて黙読でも読めるようになってくるのです。
この音読は、小学校低学年から始められます。大事なことは、どんなに下手な読み方をしても、間違った読み方をしていても、すべて褒めてあげることです。
音読が続けられなくなるいちばんの原因は、読み方の注意だからです。注意を一切しなくても、読み続けていれば読み方は自然に上手になっていきます。
しかし、注意をすれば、すぐに親の前で読むことを嫌がるようになり、結局肝心の音読を続けることができなくなってしまうのです。
小学校高学年になるころから、問読(問題集読書)に取り組むことができるようになります。
国語力をつけるための最適の文章は、新聞のコラムよりも、むしろ実際の入試問題の文章です。
力のある生徒は、この入試問題集の文章を喜んで読みます。力のない生徒は、読むとすぐに眠くなります。だから、ここでも音読が必要になるのです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 記述力(0)
記述力をつけるためには、まず難しい文章を読み取る力をつけることです。そのためには、問題集の問題文を読書がわりに読む方法が有効です。それも、一度で終わるのではなく、同じ問題集を5回繰り返し読んでいくようにします。
読む力は書く力の土台ですが、書く力には独自の要素もあります。それがスピードと字数と構成力です。勉強の仕方は、問題集の問題文を読み、自分なりの感想を50字なら50字と字数を決めて書きます。
そのときに大事なことは、書きながら考えたり、途中で消したり読み返したり直したりせずに、最初にしばらく考えたあと字数ぴったりまで一息で書くようにすることです。
作文の字数とスピードは、慣れという面があるので、それぞれ自分なりの癖のようなものがあります。努力して速く書こうとすれば、だんだん速く書けるようになります。長さも、努力によって長く書けるようになります。
書き方のコツは、第一に、文中の言葉をできるだけ使うことです。自分なりに考えたことを書くのは大事ですが、そのままでは幼稚な書き方になることが多いので、それを文中の少し難しい言葉を使って書くようにするのです。
第二に、要求された字数いっぱいまで書くことです。「50字から100字の間でまとめる」というのであれば、書く力のある子は自然に100字いっぱいまで書こうとします。だから、採点する側も、多く書いている子の方に好意的な見方をするのです。
第三に、難しい問題のときも空欄にはしないことです。何を書いていいかわからないときは、設問の文章を一部引用しながら書くぐらいでもいいのです。ただし、これはあくまでも試験のための方便で、これで実力がつくわけではありません。
第四に、物事を対比するような形で書くことです。ただ、「Aである。」と書くのではなく、「Bではなく、Aである。」又は、「確かにBもあるが、しかしAである。」という書き方をすることです。実際にそういう形で書かない場合でも、考え方としては、物事を対比して輪郭をはっきりさせておくことが大事です。
第五に、物事の二面性に着目して書くことです。これも、ただ「Aである。」と書くのではなく、「Bであるとともに、Aである。」「Bである一方、Aでもある。」「Bであると同時に、Aである。」という書き方をするということです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。国語力読解力(155) 記述力(0)
小さい子に、「赤は止まれ、青は進め、黄色は注意」と教えても、断片的な知識を条件反射的に覚えさせているにすぎなません。ほとんど、「お手」「おかわり」と同じレベルです。
子供には、「赤から青に変わるときは何。」というように、文で教えることが大事です。本当に必要なのは、正解となる知識ではなく、その途中の過程で文を読み取る力だからです。文で話しかけることによって、単なる知識ではなく、理解の力が身につきます。
更に工夫をするには、そこに思考を加えることです。「青から赤にはすぐ変わるけど、どうして赤から青にはすぐ変わらずに途中で黄色が入るのかなあ」などと考える話をするのです。
ここで大事なことは正解ではなく、その途中の過程で考えようとする姿勢を身につけることです。だから、間違ったことを言ってもいいのです。自分なりに考えようとしたことが大事だからです。
子供の頭のよさのほとんどは、問題集のプリントなどによってではなく、この親子の対話によって作られています。
これは、学年が上がっても同じです。
小学3年生以上の作文は、題名課題が中心で、そこに時どき感想文課題が加わります。この作文感想文の課題をきっかけにして、子供が親に似た例を取材する機会が出てきます。
そのときに、親は決して、「そんな似た話なんてない」などと言ってはいけません。たとえ、似た話がすぐには見つからない場合でも、何とか拡大解釈をして似た話を考えようとする姿勢が、子供の考える姿勢を育てるのです。
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。対話(45)
小学校低中学年のころの勉強で、難しいものを長時間やらせるのは全くと言っていいほど意味がありません。
なぜかというと、そのころの学年で難しいものでも、学年が上がるともっとずっと簡単にできるようになるからです。低中学年で長時間勉強したことは、高学年になるとずっと短時間でできるようになります。
だから、苦労して低中学年で難しいものを長時間やっていた子と、低中学年で簡単な基本的なものだけ短時間やっていた子とが、同じ高学年になると、すぐに同じレベルになってしまうのです。
よく出される例は英語です。小学校低学年から英語の勉強をしていた子と、中学生になって初めて英語の勉強をした子とで、英語の成績に差があるのは夏休み前ぐらいまでです。中学1年生が終わるころには、その差はもうすっかりなくなり、あとは中学での英語の勉強次第になるのです。
同じことは、算数数学でも言えますし、国語の漢字書き取りでも言えます。知識的な分野の勉強は、先取りすることにあまり意味がないのです。
しかし、低学年からやっていた方がいいこともあります。それは、知識的なものではなく、運動的なものや音楽的なものです。そして、この運動的、音楽的なものと同じものが、国語力なのです。
この国語力は、国語の勉強をして身につくものではありません。読書や対話の中で自然に身につくものです。この自然に身についた国語力が、読解力、思考力、表現力となって表れます。
だから、その子の本当の学力がどのくらいかということは、ペーパーテストを見てもわかりません。ペーパーテストは、一夜漬けでも点数が上がる面を持っているからです。
一夜漬けでは決して上達しないものの一つが作文です。作文の評価は、氷山のようなもので、表面に現れているものの何倍もの隠れている部分があります。その隠れている部分は、その子のそれまでの読書や対話のトータルな質と量なのです。
だから、小学校低中学年からの勉強で最も大事なものは、国語の勉強です。
算数数学や英語の勉強は、あとからでも比較的短期間で取り戻すことができます。しかし、国語力は、表面に表れている差はそれほど大きくは見えないものの、その小さい差を取り戻すことが実に大変なのです。
寺子屋オンエアで、国語の問題集読書を第一の勉強としているのはこのためです。(つづく)
この記事に関するコメント
コメントフォームへ。
同じカテゴリーの記事
同じカテゴリーの記事は、こちらをごらんください。寺子屋オンライン(101)