言葉の森の寺オンで国語問題集の勉強をしている子の多くは、それだけでは時間が余るので算数数学の勉強をしています。
「でき太くんの算数クラブ」のプリントをやっている子も多いですし、「これでわかる算数(数学)」をやっている子も多いです。
学校や塾の問題集をやっている子もいますが、これはあまりすすめていません。
算数数学の勉強で大事なことは、できなかったとき、どうするかということです。
できる問題をいくらやっても力はつきません。勉強に時間をかけているわりに成績が思わしくない子は、できる問題ばかりを一生懸命やっているのです。
ある数学の個人塾で、成果を上げているところの勉強の仕方は、次のようでした。
まず問題集を1冊決めます。次に、生徒がそれを自分で解きます。問題を解いたあと自分で○×をつけ、×のところの解法を理解します。生徒が自分で解法が理解できないときだけ、先生に聞きます。
だから、先生が教えるのは最低限のことだけです。こういう勉強の仕方ですから、場合によっては先生が何も教えない日もあります。この勉強の仕方で、数学の力が確実につくのです。
ところが、今、多くの学校、塾、家庭でやっている勉強はこれとは正反対のやり方です。
まず、先生が教えすぎるのです。だから、生徒は受け身で聞いています。
問題をやる場合でも、生徒が自分で答え合わせができないように、答えだけはずしてしまう先生もいます。答え合わせも受け身なのです。
答えが違っていた場合も、多くの問題集は解説が不親切すぎます。まるで、先生に聞かないとわからないような作りの問題集になっているものが多いのです。
こういう勉強を続けていると、子供はどんどん受け身になっていきます。その結果、わからないことがあると、すぐ教えてもらおうとします。すぐに教えてもらった子は、そのときはわかった気がしますが、実力はつきません。
実力は、自分で考えて理解し、その理解を何度か反復する中でついてくるからです。
算数数学の勉強で大事なことは、まず問題集選びです。いちばんの基準は、解法が詳しく書いてあることです。その点で、学校や塾で使う問題集のほとんどは不合格です。それらの問題集は、先生がいないと勉強できない仕組みになっているからです。
「でき太くんの算数クラブ」のプリントは、子供が自分で勉強する中で理解する仕組みになっています。こういう自学自習の勉強法が重要なのです。
次に大事なことは、できなかった問題があった場合、自分で解法を理解しようとすることです。
学校でまだ習っていないところを勉強している場合は、解法の理解よりも、その単元の解説をしっかり理解することが先です。解説は、ただ読むだけでなく、そのとおりをノートに書き写し、その例題と解答が確実にできるようにしておきます。こうすれば、ほとんどの解法は理解できるようになります。
しかし、それでもまだ解法が理解できないときは、身近なお母さんやお父さんに聞きます。お母さんやお父さんが、学生のころ算数数学が苦手だったとしても問題はありません。
その解法のどの行からどの行に移るところがわからないかという絞った質問を子供にさせるようにすれば、小中学校の算数数学は、大人であれば誰でも理解できるようになっているのです。
お母さんやお父さんが子供に教えるときに大事なことは、教えすぎないということです。誰でも、自分にわかることはつい詳しく教えたくなるものですが、よくわかっていることほどできるだけ教える割合を少なくして、子供が自分でわかるようにさせておくことです。
また、その場で教えて子供ができるようになったことでも、人に教わったことは、1日たつと忘れてしまうのが普通です。同じ問題を、次の日にも、また次の日にも同じように聞かれても、同じように忍耐強く教えていくことが大事です。
親子で勉強すると、親子喧嘩になってしまう原因の多くは、親が熱心に教えすぎることと、一度教えたことはすぐできるようになるものだと思ってしまうことにあります。
では、親が解法を見てもわからないときはどうするのでしょうか。そのときは、先生に聞くのです。
しかし、解法を見ても、親が理解できない問題は、その問題集自体がよくないか、あるいはもともとできなくてもよい問題なのです。
なぜできなくてもよいかというと、その問題で入試の点数に差がつくことはほとんどないからです。
これは、国語でも同じです。
例えば、センター試験の選択問題は、原則として満点の取れる問題ですが、中には先生も正解が理解できない問題があります。その問題はできなくてもよいのです。
できるべき問題が確実にできていれば、できない問題はできなくてもよいということを子供に教えてあげることも大切な勉強の仕方になります。
合気道と書道の師匠が、偶然同じことを言っていました。練習は、毎回同じようなものなので、3、4か月やってみて、「ああ、なんだ、毎回同じだな」とやめる人。もう一方は、やらないとなんかおかしいという感じになってくる人。そういう二種類の生徒がいるということです。(師匠とは、保江邦夫さんと山本光輝さんです。)
現代の社会では、勉強は知識として習得することが中心になっています。数学の解き方のような方法も、知識として習得できます。理屈で理解して知識として習得するのですから、短期間で成果が現れます。
夏休みは、苦手科目を克服する時期だと言われています。夏休みの1ヶ月間、英語や数学などの特定の教科を本気で勉強すれば、そのわずか1か月で苦手が普通に、普通が得意になるぐらいの大きな変化があります。
同じように、国語でもテストの成績をある程度上げることはできます。それは、国語の問題の解き方にも、知識で理解して習得できる面があるからです。
しかし、国語力の土台になっているものは、知識や理解ではなく、その生徒のそれまでのトータルな読書や経験や思考の蓄積です。
だから、国語の問題集を解くような勉強では、国語力は決して身につかないのです。
では、国語力はどのようにして身につくかというと、それは合気道や書道の師匠が言っていたことと同じで、毎回同じようなことを続けることによってです。
国語の問題集は、ほとんどの場合、一度解いたらそれで終わりです。解けなかったからといって、同じ問題を二度三度解く人はまずいません。
数学の勉強は、これとは正反対です。数学は、解けなかった問題だけを、繰り返し解くことによって初めて身につきます。
国語は、問題を解くことによってではなく、問題に出されるような難解な文章を繰り返し読むことによって身につくのです。
ところが、この難解な文章を繰り返し読むという勉強は、家庭ではなかなかできません。それは、問題を解く勉強と比べると、形として残るものがないので、まず子供が飽きてしまうからです。
また、子供が何とか続けている場合でも、親にはその続けている中身を確認することができません。「問題集読書、やった?」「うん」。これでおしまいになってしまうのでは、親子とも張り合いがありません。
それで、多くの人は、国語の問題を解くような形の残る勉強に戻ってしまうのです。
国語の勉強は、知識と理解の勉強ではありません。体力をつけるのと同じ性格の勉強です。
知識と理解の勉強であれば、週1、2回でも成果が上がります。体力をつける勉強は、毎日やらなければ蓄積されません。しかも、毎日やっても変化がないような状態が長く続き、成果のことなど忘れたときにいつの間にか力がついていることに気づくのです。
言葉の森では、中学1年生のときに国語が苦手だったという子が、毎週作文を書くために長文を読むという勉強を続けているうちに、中学3年生になるころにはいつの間にか国語がいちばん得意になっていたという話がよくあります。
それは、国語の問題を解くことによってではなく、国語の問題に出てくるような難しい文章を繰り返し読んでいたからそうなったのです。
しかし、同じように作文や感想文の勉強をしていても、長文をあまり読まず、先生の言ったヒントだけをもとに書いてしまう生徒はあまり力が伸びません。
同じような勉強をしていても、自分の力で読む生徒と、人に教えてもらう生徒とでは、実力のつき方が違うのです。
そこで、言葉の森では、寺子屋オンエアという、先生と生徒が時間を共有できるできる仕組みで、国語の問題集読書を中心とした家庭学習の指導を始めました。
この問題集読書で大事なことは二つあります。
第一は、短い時間でいいから毎日やることです。問題集読書の音読だけならわずか3分でできます。感想を書く時間を入れてもせいぜい10分から15分です。これを毎日続けていくのです。
第二は、1冊の問題集を一度読み終えたら、また最初から繰り返し読むことです。この繰り返しを5回行うのです。
この問題集読書で、本当の国語力をつけ、それを作文の勉強にも生かしていくという形の勉強を作っていきたいと思っています。