言葉の森の8月10日~15日は、休み宿題になります。
寺子屋オンエアも、8月10日~15日は、休み宿題になります。
先生からの話はありませんが、いつもと同じように家庭学習を続けていってください。
先生の話がないかわりに、ウェブ講座を開催しますので、時間のあるときにごらんください。8月10日から、通常の寺子屋オンエアの入口になっている「生徒ページ」にリンク先が表示されるようにします。
https://www.mori7.net/teraon/seito.php
youtubeの限定ページですので、その期間内であればいつでも見られるようにしておきます。
■夏休み
いずれも15分ぐらいの短めの講座にする予定です。
●19×19の掛け算を覚える一九一九講座
夏合宿でも行いましたが、九九を9×9=81で終わらせずに、19×19=361まで広げていく練習です。やる前は簡単そうに見えますが、実際にやってみるとこれがかなり難しい。しかし、やり方がわかれば誰でも必ずできるようになります。覚えているうちに、数字が友達のように感じられるようになります。
●中学入試から大学入試まで使える読解満点講座(保護者にもおすすめ)
選択式の読解問題を解くときの考え方を説明します。例として取り上げるのは実際の入試問題で、それをどのように解いていくか理詰めで詳しく説明します。
保護者の皆様もぜひごらんください。
●構成図の書き方講座(保護者にもおすすめ)
作文を書くとき、複雑な問題を考えるとき、構成図の書き方を知っていると便利です。お母さんが子供に作文の書き方を教えるときにも使える構成図の書き方を説明します。
●読書がどんどんはかどる付箋読書講座(保護者にもおすすめ)
1冊の本がいつまでも終わらないとか、読書がなかなか進まないなどという人には、付箋読書という方法が役に立ちます。付箋をつけて読んでいくと、難しい本もすぐに手にとって読めるようになり、長時間読んでいても読書に飽きなくなります。
●いいお話講座
子供向けの心の洗われる話、勇気の出る話、明るい気持ちになる話を紹介します。
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今年の夏休み自然寺子屋合宿は、7月29日から31日までの2泊3日で行いました。
宿泊場所は、横浜市の野島青少年センターで、学年は幼長から小6まで合計24名の子供たちが参加しました。
取り組んだ内容は、勉強面は、暗唱と作文でした。1日目の暗唱は、12×11=132、12×12=144、12×13=156と12の段の九九の暗唱。暗唱の内容そのものよりも、ただ繰り返せばだれでも暗唱できるようになるということを実感してもらうための勉強でした。2日目の作文は、遊びの記録を書いてもらうことが目的でしたが、海に行ったあとの2日目の夜の勉強だったので、みんなくたびれていたようです。
遊びの企画は、1日目はいかだ作り、ナイトウォーク、2日目は荒崎海岸で海遊び、バーベキュー、カニ釣り、スイカ割り、3日目は教室に戻って自己紹介ゲームでした。
1日目のイカダは、子供たちが作り方を工夫して面白い形のものを作っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=nKAQkY9GhMs&feature=youtu.be
2日目の荒崎海岸は、ちょうど大潮だったので普段なら行けないような沖まで潮が引き、ウニやカニやタコが取れました。
https://youtu.be/0lLBamgKKAI
言葉の森は、通信の生徒が多いので、普段はなかなかリアルな接触ができません。
今回、2日間一緒に寝泊まりしたことによって、親しくなった子供たちも多かったと思います。
寺子屋オンエアに参加している子は、画面でお互いの顔がわかりますから、このあと寺子屋オンエアの中で、交流の続きが始まる子もいると思います。
今回参加したのは、ほとんどが関東地方の子供たちでしたが、今後は関西地方でも合宿を企画していきたいと思っています。
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「褒める子育て」と「高い学力」に相関関係はありますが、それは単純な因果関係ではありません。むしろ、短期間で言えば、「叱る子育て」の方が学力の伸びは高い傾向があります。
しかし、「叱る子育て」を基本にしていると、勉強はだんだん暗い雰囲気になってきます。
競争も同じです。競争のない状態よりも競争のある状態の方が、学力の伸びは高くなります。しかし、競争を基本にしていると、物事や人間に対する視野が狭くなるのです。
だから、「褒める子育て」は、経済学として考えるのではなく、人間の生き方や社会のあり方として考える必要があります。
江戸時代の教育は、叱ることや競争を煽ることを極力避けて、子供の本来の自然を伸ばすような教育でした。しかし、それで学力が低下していたかというとそういうことはなく、当時の世界最高水準の教育が実現していたのです。
子育ては、学力の面だけで考えるのではなく、人間の成熟という面で考える必要があります。
大人でも、不満や愚痴をよく言い、世の中を批判し、機嫌のいいときよりも悪いときの方が多いような人は未熟な人です。そういう大人に「叱る教育」をされて学力が伸びたとしても、その子が望ましい成長をしているとは言えないでしょう。
教育に関する客観的な調査や研究は、もっと進められる必要があります。しかし、同時にその客観的なデータの向こう側を見る人間観を持つことは、もっと大事なことなのです。
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子供たちは、生き物が大好きです。言葉の森の港南台教室には、犬が1匹と鳥が4羽いて、最近はメダカもいます。教室の階段を登ってくるところには、スズメがいつも飛んでいます。教室の外にある電気メータの中に巣を作っているのです。
こういう生き物を見ると、子供たちはすぐさわりたがります。犬や鳥は迷惑そうにしていますが、子供たちは生き物が大好きです。
さまざまな動物と人間との交流が描かれている「ソロモンの指輪」という本には、動物と一緒の生活をしたことのない人には人生の喜びの半分が隠されている、というようなことが書かれています。犬や猫や鳥を飼っている人には、こういう言葉は実感を持って感じられると思います。
この動物と接する喜びの感情というのは、人生の初期に形成される気がします。
私(森川林)の場合は、物心ついたときから、家には犬とチャボとアヒルがいました。それらの動物が家族と同じような感じで暮らしていました。
また、昔は野良犬がよくいたので、小学生のころは、近所の友達と一緒に近くの野原で野良犬を半分飼っていました。飼うといっても、野原で一緒に遊びときどき餌をやるという程度でしたが。
中学生になると、親に頼んでジュウシマツを2羽買ってもらい、生まれた雛を何羽も手乗りにして遊んでいました。
そういう小動物が近くにいると、それだけで何となく幸せな気持ちになるのでした。
そこで、自分の子供が生まれたときにも、できるだけ早く動物を飼おうと思いました。
幸いというか何というか、子供が小学校に上がる前のころ、近所の公園から野良猫を1匹連れてきました。そのうち、その野良猫が家に居つくようになり、やがて子猫が何匹も産まれました。
同じころ、ゴールデンリトリバーの子犬を飼うようになり、猫と犬と人が共存する不思議な暮らしになりました。ゴールデンリトリバーは温和な性格で躾もよくできたので、海や山に遊びに行くときもいつも一緒に連れていきました。海では子供たちと一緒に泳ぎ、山ではテントで一緒に寝るという生活が、ちょうど子供たちの成長に合わせて十数年続きました。
人間になつく動物というのは、一緒にいるだけで幸福な気持ちになれます。
今ふりかえると、自分が子供にしてあげた中でいちばんのプレゼントは、この犬を飼ってやったことではないかと思うのです。
※現在の住宅環境では、犬を飼える家は少ないと思います。そういう家では、文鳥やオカメインコなどを手乗りにして飼うといいと思います。(ただし、オカメインコはコードをかじったり、パソコンのキーボードをはずしたりします。)
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日本の教育は、諸外国と比べれば総体ではうまく行っていると思います。しかし、教育の本来の理想から見れば、不十分なところが数多くあります。
第一は、受験のための枝葉の知識の詰め込みに追われ、真に実力をつける教育になっていないことです。
第二は、学校や塾という外部の機関に依存し、家庭や地域に根ざした教育になっていないことです。
第三は、点数化されるものだけを重視し、文化を伝える教育になっていないことです。
第四は、競争に勝つことが目標になり、独立と創造を目標にした教育になっていないことです。
これらを克服する新しい教育方法として言葉の森が提案するのが寺子屋オンエアです。
これは、インターネットを利用して子供が家庭で自由な時間に勉強し、それを講師がリアルタイムでトータルに見守り必要なアドバイスをするという教育方法です。
リアルタイムでというのは、子供が勉強している間、常に実際の先生が近くにいるということです。
現在のネット教育の多くは、子供の勉強の結果を機械が処理するだけで、人間の先生はネットの向こう側にいます。
だから、子供の興味をひくいろいろな工夫がなされているように見えても、それで意欲を持続できる子は少ないのです。
トータルにというのは、子供が勉強している様子が、そのまま先生には手に取るようにわかるということです。
通常の通信教育では、先生には勉強の結果が伝わるだけで、その子がどのような状況で勉強したかまではわかりません。
勉強の結果と同時にその過程も見られるので、勉強だけでなく、勉強の仕方や、勉強以前の生活の工夫のようなこともアドバイスすることができるのです。
更に大事なことは、寺子屋オンエアは、家庭での自学自習を勉強の基本としていることです。
今の子供たちは、学校でも塾でも人に教わることに慣れています。しかし、教わっている間は本当の実力はつきません。
教わったあと、自分なりにその勉強を身につける学習をすることによって初めて実力がつきます。
勉強の基本は自学自習で、手取り足取り教えてもらうのではなく、わからないときだけ質問できる人がいれば、それが最もよい勉強環境なのです。
この寺子屋オンエアの講師になるためには、どのような能力が必要でしょうか。
第一は、バランスが取れていること、明るく前向きなこと、どのような子供に対してもそのよい面を引き出そうとする姿勢を持っていることです。
第二は、学力です。しかし、社会人になってからも、子供と同じような全教科の勉強のレベルを維持している必要はありません。必要があればできるということでいいのです。
学力のいちばんの基礎は、国語の読解力です。センター試験の現代文でコンスタントに8割取れる力があれば、小中学生の英数理社は必要に応じてできると考えてよいのです。
第三は、新しいことに対する適応力です。寺子屋オンエアは、パソコンとインターネットを使うために、新しい技能を習得する場面が数多くあります。
しかし、パソコンやインターネットにあらかじめ詳しい知識や技術を持っている必要はありません。適応力と読解力さえあれば、努力次第で誰でもできるようになるからです。
日本の教育は、家庭から変えていく必要があります。
家庭での学習さえできていれば、学校はその結果をときどきチェックするぐらいでも十分なのです。
しかし、家庭学習を親と子だけで進めようとすると、途中で必ずと言っていいほど行き詰まることが出てきます。それは、親自身が子供に勉強を教える方法を試行錯誤で進めなければならないからです。
だから、寺子屋オンエアで客観的な教育方法のフォローを受けながら、親と先生が二人三脚で子供の教育にあたるというやり方が最も理想的なのです。
寺子屋オンエアの講師は、一般的には、既に子育てを終えた年配の人が理想です。もちろん若くて情熱のある人も、そのよさを生かせばよい教育ができます。
しかし、講師には、ただ勉強ができるだけでなく、社会生活の経験の豊富な人の方が向いています。社会的な経験のある人は、勉強の面だけでなく生活面や文化面でも自然に子供に大事なことを伝えることができるからです。
言葉の森が考えている日本の教育改革のイメージは、全国の子育てを終えた高齢者が、自分の社会生活の経験を生かして、全国の子供たちの家庭学習をインターネットを通じて自宅で毎日見て上げられるようになることです。
インターネットを利用した教育ですから、遠方の子でも海外の子でも、どの時間帯でも、毎日勉強を見ることができます。
また、勉強だけでなく、ネットを利用した子供たちの交流もできますし、時には集合場所を決めて実際に集まって交流することもできます。
言葉の森は、こういう新しいバランスの取れた自然な教育を、低価格で日本中に広げていきたいと思っています。
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寺子屋ってのは、江戸時代の諸藩が、次の時代の藩政を担う人材を育てることを目的に、一堂に会して切磋琢磨させることが原点だとしたら、この企画は、なんか得心に至らないです。
発案者の方には、批判的で申し訳ありませんが、わたしの率直な感想です。すみません。
村本さん、コメントありがとう。
その考えは違います。(あっさり)
藩校はどちらかと言えばより権威主義的、寺子屋はより庶民的大衆的なものでした。
教育の方法論は共通していましたが、先生も生徒も大衆の自発性に依拠していたというところが当時の世界では画期的だったのです。
寺オンの講師はまだ募集していますか?資格など必要ですか?
こねこさん、お問い合わせありがとうございます。
2月から寺オン講師講座の研修が続いてしまうため、今は一時休止にしています。研修が終わりましたら、また再開します。ホームページでお知らせしますのでお待ちください。
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国語、算数数学、英語の勉強の基本は、きわめて単純です。国語は、多読と難読の復読です。算数数学は、1冊の問題集を完璧にです。英語は、教科書の音読と暗唱です。
こういう勉強を毎日同じようにやっていれば、無理にがんばらなくても自然に勉強はできるようになります。
ところで、こういう勉強は、塾や学校でやるものではありません。家庭で自分ひとりでやる方が、最も能率よくできるものなのです。
塾などで、生徒が黙々とひとりで勉強するのをただ見守っているだけということはまずありません。先生は、必ず何かを教えようとします。
生徒が自分で勉強するのをただ見守り、質問があったときだけ簡潔にアドバイスをするという先生は、まずほとんどいません。先生にとっては、自分のペースで教える方がずっと楽だからです。
同じことは、家庭でも言えます。特に、子供が小学校低中学年のとき、お母さんやお父さんは教えたがるのです。それは、教える方が親にとっても子供にとっても簡単にできるからです。
ところが、教える勉強が中心になると、勉強の仕方が、問題を解くようなものになってきます。問題を出してテストをして○×をつけて、×のところを教えるという勉強が中心になってしまうと、かえって実力がつかなくなるのです。
なぜ問題を解く形の勉強がよくないかというと、できた問題はもともとやらなくてもできた問題ですから、その問題を解いている時間はただ解く作業だけの無駄な時間だからです。
また、できなかった問題は、すぐに答えを見て解法を理解しそれを反復して自分のものにするというのが本来の勉強なのですが、ほとんどの子は時間をかけて考えるだけで終わり、できなかった問題をせいぜい一度か二度やり直して終わったことにしてしまうからです。
勉強の中心は、国語でも数学でも英語でも、解くことではなく読むことにあります。それも、反復して読むことが大事です。
それは、人に教わる勉強ではなく、自分でやる勉強です。教わるのは、自分でやっていてわからなかったところだけでいいのです。
そういう自学自習のスタイルの勉強を、寺子屋オンエアで広げていきたいと思っています。
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テストが返ってくると、多くの子供とお母さんは、その点数だけを見て、「できた」「できなかった」と言います。
そして、ほとんどの場合、できたときは、「よくがんばったね」、できなかったときは、「今度がんばろうね」という言葉で話は終わってしまいます。
だから、何度テストをしても、上がったり下がったり同じところを上下しているだけなのです。
テストが返ってきたら、できなかったところがなぜできなかったのか考えなければなりません。
よく、「計算のうっかりミス」とか「漢字の書き間違い」とかいう、偶然のミスのような言葉で片付けてしまう人がいますが、うっかりミスにも必然的なパターンがあります。だから、当然、ミスをしないための確実な勉強法があるのです。
中学生のテスト結果を見ていると、共通するパターンがあることがわかります。
国語のテスト結果が悪い場合、その原因は、読む力の不足です。長い文章や難しい文章になると、時間内に読み取れなくなるのです。
この原因は、難読の不足です。問題集読書と読書を続けることが大事なのですが、ほとんどの生徒は、(1)国語の勉強はやりようがないから何もしないか、(2)漢字の書き取りのような知識的なことだけをするか、(3)問題集を解くような勉強をするか、のいずれかになっています。
問題集を解く勉強は、読むだけの勉強に比べて5倍から10倍の時間がかかります。つまり、それだけ密度の薄い勉強法なのですが、小学生のころから国語の問題集を解くことが国語の勉強であるかのような刷り込みがあるせいか、国語の勉強というと、国語の問題集を解くことしか思いつかない人が多いのです。
実は、国語の得意な生徒のほとんどは、国語の問題集を解くような勉強をしていません。というよりも、国語の勉強そのものをしていません。その代わり、読書が好きで、かつ難しい文章を読むことが苦にならないのです。
英語のテスト結果が悪い場合は、教科書の音読不足です。
教科書の音読をしているかしていないかは、文の語順の問題の出来具合でわかります。単語がいくつかランダムに並んでいて、その単語を正しく並べて文を作る問題です。この語順の問題は、文法的に理解してわかるものではありません。音読に慣れていれば自然にわかり、音読に慣れていなければいくら文法的に理解しようとしてもわからないのです。
教科書の音読をしていれば、それに付随して、文法的な知識も理解が早くなります。単語も自然に覚えられます。自分が声に出しているのですから、ヒアリングもできるようになります。問題集や参考書は、知識の仕上げとしてするもので、基本はあくまでも英文の音読に慣れることなのです。
方法は、1ページを20回以上音読し、そのページを空で言えるようにすることです。更にそれができるようになったら、空で書けるようにすることです。
数学のテスト結果が悪い場合は、勉強の方法が悪いからです。
数学は、受験で最も差の開く教科です。だから、数学だけは得意にしておく必要があります。
一方、国語は受験ではそれほど差がつきませんが、その後の将来の人生で大きな差がつく勉強です。だから、読書や問題集読書は、テストのためだけでなく、自分自身の成長のためにも続けていく必要があるのです。
数学の成績が悪いのは、1冊の問題集を完璧に仕上げていないからです。いろいろな問題集を8割か9割できたことで済ませているから、数学の力がつかないのです。
これも、小学校のころから、ただ問題集を解くだけで、できなかった問題を反復して仕上げる練習をしていなかったという勉強法の名残があるからです。
なぜそういう解くだけの勉強法になりがちかというと、学校や塾で使われている問題集の多くは、解法の説明が不足しているからです。
中には、小中学生の宿題で、家庭では問題を解くだけにして、答え合わせは学校で行うという形の勉強をしているところもあります。自分で答え合わせをしない勉強は、何時間やっても勉強にはなりません。
問題を解くというのは単なる作業で、本当の勉強は、答え合わせをして、間違いの原因を理解し、その問題を自力で解けるようになるまで繰り返すところにあるからです。
以上の、国語、英語、数学の勉強法は、すべて家庭で、市販のすぐ手に入る問題集を使って、自分の力だけでできるものです。数学の問題で解法を見て理解できないところがあれば、それは親に聞くか、facebookの「中学生の勉強相談室」で質問するか、寺子屋オンエアの「生徒掲示板」で質問すればすぐに教えてもらうことができます。
しかし、そういう質問の必要が出てくるのは、全勉強時間の中のほんのわずかです。ほとんどの勉強は、自分の力だけでやっていけます。
現在のように、学校も塾も至れり尽くせりの環境が整っているように見えながら、勉強の成果が出ていないのは、子供も親も、教わる勉強に慣れていて、自分で進める勉強をしていないからなのです。
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教育とは、教え育てることです。何を教えるかというと、既に答えのあるものを、先に生まれた先生が、後から生まれた生徒に、主に知識として教えることです。それによって子供は育つと考えたのです。だから、教える場も、学校や教室という空間に限定されたものでした。また、教える年齢は、学童期と呼ばれる一定の期間でした。
しかし、それは、どちらかと言えば西洋的な学校教育の考え方です。
日本では、子育ては、そのような狭い概念ではなく、子供の全人格的な成長として考えられていました。したがって、教える人は先生だけではなく、家庭の父母や祖父母、更には地域の大人や年長者でした。また、教える内容は知識というよりも、知識も含めた文化全体でした。教える場も、教室のような場所に限られたものではなく、子供の生活空間全体が教室のようなものでした。更に、子育ては乳幼児期から始まるものと考えられていました。
だから、西洋的な意味合いの教育に対して、子供の全人間的な教育を全育と呼んでもよいと思います。
その全育が、これからネットワーク技術の進歩によって復活していくと思います。
しかし、ネットワークで共有できるのは情報化されたものだけです。
テクノロジーの発達は、文字の情報だけでなく、音声や動画も情報化できるようにしました。だから、バーチャルの世界は限りなくリアルの世界に近づいているように見えます。
しかし、リアルの世界の本質は、情報化できないところにあります。それが、身体や感情や場所や時間です。
身体と感情と場所と時間は、その個人の経験と分かちがたく結びついています。ある場所に何時間いてどんなことをしてどんなことを感じたかということは、ビット化された情報に還元できない個性的なものなのです。
ここに未来の教育、全育の鍵があります。
つまり、ネットワークを活用しつつ、リアルの世界とつながる教育です。
ネットワークの活用だけでは、個人は単なる客体として対象化された生徒という存在にとどまります。今のICT教育の前提としているものは、この個別化された個人なのです。
しかし、リアルな世界だけでは、個人は全体的な主体性を回復するとしても、その中で焦点を絞った価値ある教育はできません。リアルな世界の密度の薄さを補えるものが、ネットワークの活用なのです。
言葉の森の寺子屋オンエアと夏合宿も、以上のような位置づけでこれから発展させていきたいと思っています。
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