●学力と個性を共に育てる社会
教育の基本は(センタ試験)8割の学力と個性だと考えると、子供にどういう勉強をさせたらよいかということがわかってきます。
念頭に置く必要があるのは、その子が将来大きくなったときに、大きな船に乗り仕事に追われている姿ではなく、小さな船を作り上げてそこで楽しく仕事を追っている姿です。
そのために必要なのは、8割の学力と個性の育成です。8割の学力とは、教科書の百パーセントをマスターすることです。個性の育成とは、多様な経験と自由な時間を確保することです。8割の学力と個性の育成の先に創造が生まれ、その創造は、社会生活としては小船の創造となり、その無数の小船の創造が日本の文化となり、新しい時代の産業の基盤となっていくのです。
●8割の学力と質の違う受験勉強の進め方
今の時代では、東大の推薦入試のようなものを除けば、8割の学力と受験の学力とは異なります。受験は、中学入試であれ、高校入試であれ、大学入試であれ、8割の学力つまり教科書の百パーセントでは足りないからです。しかし、8割の学力があれば、受験に必要な学力まで高めるのは、長くて1年、短ければ半年か3ヶ月の集中学習で充分です。そして、むしろ受験前の短期間に集中的に受験のための勉強をした方が、勉強の方法としてはずっと能率がよいのです。
もちろん、受験勉強には、受験勉強のための正しい方法が必要です。その方法は、一言で言えば過去問に合わせた勉強で、1冊を徹底的にマスターする勉強法です。
塾や予備校や周囲の声に流されず、自分で決めた方法を貫いていけば、答えのある受験は合格するようにできているのです。
●考える力をつける勉強
今の子供たちの勉強を見ていると、受験などまだ先にある低中学年から受験的な勉強をしているところに問題があります。それは、教科書レベルを超えたちょっとひねった難問を解かせるという勉強です。
難問を解くのは、考える力のある子にとっては、一種の喜びがあります。だから、良質な難問は、子供の成長にとってはプラスです。しかし、その難問を解く時間によって、読書や遊びや自由な時間が削られると、その方が将来大きなマイナスになるのです。
小中学校時代に考える力をつけるために、勉強的な難問を解く必要はありません。考える力が最もバランスよくつくのは、親子の対話と読書によってです。中でも、親子の対話は、子供の年齢に関係なく、幼児から中高生までいつでも自由に取り組めます。
しかし、この対話と読書にも、アルファ的なものとベータ的なものとがあるのです。
●アルファ対話とベータ対話
90歳を超えた外山滋比古さんは、最近の著書の中で、読書には、わかったものを読むアルファ読みと、わからないものを読むベータ読みとがあると述べています。
物語のような本はほとんどがアルファ読みの本です。娯楽の読書は娯楽の読書であって、その読書によって自分自身が向上するという面はあまりありません。
対話も同じです。わかったことを話すのがアルファ対話、わからないことを話すのがベータ対話だとすると、親子の対話で必要なのはベータ対話の方です。
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●創造的な小船の時代に対応する教育
これからは、大きい船に無理をして乗る必要はありません。むしろ大きい船ほど今後リストラの風雨にさらされる可能性があります。
中ぐらいの船であっても、地域のリアルなニーズに結びついた、簡単には沈没しないものであれば、その方が安全で楽な航海ができます。
しかし、ベンチャーという小船は、乗るようなものではありません。むしろ、自分でその小船を作る時代になってきます。
自分で作った小船を、地域と人間とのつながりの中で安定したものにしていくと、それは家業になります。また、自分の小船の個性を磨き、誰もが真似できないものにまで高めていけば、それはひとつの道になり、その小船を作った人は、宗家や家元と呼ばれるようになります。
大きな船が工業製品で世界の経済を牽引していた時代のあとに続く時代は、このように小さな船が無数に創造を生み出していく時代なのです。
海を渡る大きな船の時代から、川を上り支流に分け入る創造的な小船の時代へという変化の中で、子供たちの教育もまた小船に対応していく必要があります。大事なことは、単に小さいことが目標なのではなく、創造的であることが目標だということです。
●野生の植物から繊維を取る話
先日、面白い話を聞きました。野生の植物から繊維を取り、それを編んで、カゴなどを作っている人の話です。栽培されていない自然のさまざまな植物から、その植物と対話をしながら繊維を取っているのだそうです。
カゴなら百円ショップでいくらでも手に入ると考えるのは、物の時代の発想の名残りです。今はまだ物の発想で考える人の方が多い時代ですが、広い世の中には、植物との対話や自分で取った繊維で自分の好きなカゴを作るということに心を動かされる人がいます。そういう少数の人のニーズとうまく組み合わせる工夫をすれば、そこにひとつの小船が生まれます。更に、植物との対話という不思議な世界を追求していけば、それはやがてこれまでの華道や茶道や俳句や短歌の世界のように、草道として成り立つような道の文化になる可能性があります。
こういう流れの根底にあるものは、自分の興味関心です。今の世の中で何が売れるかとか、どういうニーズがあるかというマーケティングが先にあるのではなく、自分が何を好きで何に心を奪われるかという自分自身のシーズが先にあるのです。
そのシーズを掘り下げていくと、同じように自分のシーズを掘り下げている他の人々と出会い、そこに新しいマーケットが生まれるという社会になりつつあるのです。
●東大の推薦入試の背景にあるもの
東京大学の2016年度の推薦入試は、100名の募集で、全国の高校から男女各1名までの推薦を受け、秋からレポートや面接で個性のある若者を選抜していくという仕組みです。肝心の学力は、センター試験8割の得点で担保するということになっています。これは、大学がこれまでの入試ではやっていけないという危機感を持ったから生まれた新しい入試システムです。
大企業、官僚、医師、弁護士などいわゆる大きな船に乗る手前に、東大などの有名大学があります。だから、そういう大学もまた大きな船です。
その船に乗るための橋は1本で、そこに多くの乗船希望者が集まるので、必然的に競争が生まれます。適度な競争は人間の向上に役立つので、受験という競争は基本的に肯定されるものです。しかし、その競争に大人が関わり、塾や予備校が関わり、さまざまな受験テクニックが関わってくると、競争は本来の学力の向上からはずれ、科挙化した競争に変わっていきます。
受験というものは、もともと答えのある世界ですから、正しい方法で取り組めば誰でも合格できるようになるものです。あとは、そこにかけた時間に比例して点数の差がついてきます。
今のように塾や予備校に管理された受験体制になると、人に言われたことを言われたとおり忠実に実行する人の成績が最も上がります。その結果、東大などの有名大学に、勉強しかできない人が入るようになってきたのです。
勉強以外の個性的なものはあまり育っていないので、答えのあるテストはできるが、答えのないところで自ら創造することができないという学生が次第に増えてきたために、推薦入試という新しい入試選抜制度を試みざるを得なくなったのです。
●センター試験8割の勉強の先にあるものは個性
もちろん、何をするにも学力は必要です。勉強は人間生活のすべての基本ですが、それはセンター試験の8割で担保される学力で十分なのです。
これまでは、この8割を9割や9割5分にすることが勝敗の基準となっていました。しかし、8割を達成するのに必要な時間が、仮にわかりやすく80だとすると、それを9割にまで持っていくための合計時間は90ではなく、100にも150にも200にもふくらんでいくのです。これが受験の弊害です。
もちろん、現在の子供たちの多くは、8割まで達成していないので、受験の弊害どころかもっと受験のような真剣味のある勉強を強化する必要があります。しかし、その8割の勉強の先にあるものは、9割や9割5分ではなく、8割の上に成り立たせる個性なのです。
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●大きな船に乗る時代は過去のものに
競争の価値観が後退し、共感の価値観が前面に出てくる時代に、社会はかつての縄文時代や江戸時代のように長い停滞期に入るのでしょうか。そうではありません。今度来る新しい共感の時代は、単なる共感だけではなく創造を伴った共感の時代になるからです。
子供の教育を考える場合、その子が大きくなったときの社会がどのようになっているかを考える必要があります。
競争の時代には、小さい船からより大きい船に乗り移ることが勝利で、そのために同じ大きな船を目指す他人と競争をしなければなりませんでした。
大きい船を例えば大企業とか、難しい資格とか、高い地位とか、人気や名声などと考えると、これからはその魅力が相対的に低下していく時代です。
これまで大きな船に魅力があったのは、いったんその船に乗りさえすれば、小さい船に追い越されることはまずなかったからです。これまでは、大きい船に乗りさえすれば、大きい船はますます大きくなり、小さい船は相対的にますます小さくなるという厳然たる傾向がありました。それが、限られた資本と、資本に支えられた工業生産というこれまでの社会の特徴でした。
これからの時代はそうではありません。資本は既にあり余っています。だから、何も生産しない金融ゲームにまでお金が回っています。工業生産物は既に人々の生活に深く入り込んでいて、多くの人がその性能に満足しています。だから、もはや小さな改良しか工夫する余地がないものが増えているのです。
●生き残りのための競争
これまでは大きな船に乗れば、ほぼ一生安泰でした。これからは、大きな船に乗っていると、強いニーズに支えられた新しい技術革新がない中で、その船全体がグローバルなコスト競争に巻き込まれていきます。すると、競争は、ブルーオーシャンを切り開く競争から、レッドオーシャンで生き残る競争へと変化していきます。そうすると、個性的な知識や技能を持っている人以外は、機械化やIT化やより低賃金の労働力への代替によって、常にリストラの圧力にさらされるようになります。
これまで、大きな船は安定の象徴でした。これからは、大きな船は、リストラの風雨をまともに受ける競争と淘汰の象徴になっていきます。それはちょうど巨大な恐竜が、小さな哺乳類に取って代わられたような、あるいは、戦艦巨砲主義が小さな飛行機の機動戦に取って代わられたような歴史の大きな曲がり角に現代の私達が到達しているからなのです。
●物の幸福から物以外の幸福へ
生産は消費の影に過ぎません。物が作られるのは、それが売れるからで、それが売れるのはそれを買いたい人がいるからです。つまり、「欲しい」という欲望が世の中の動因となっています。
今、供給の側の巨大化、効率化が行き詰まってきているのは、人々のニーズつまり欲望が物の所有という点でほぼ満足の限界にまで来ているからです。
確かに、物に対するニーズはまだいくらかは残っています。広い家、別荘、自家用の船舶やジェット機などのような夢なら、誰でも思いつくことができるでしょう。また、世界中の砂漠の緑化、海洋開発なども人類全体の大きな目標になっています。しかし、先進国で物の豊かさをそれなりに実感してきた人は、それらの物の豊かさの先に本当の幸福はないとわかっているのです。
物の所有はほどほどでよいと多くの人が考えるようになっています。食べ物を安全でありさえすればよく、安全と低価格と両立させるために自家菜園を行う人も増えています。家電製品は、機能がシンプルで使いやすく壊れにくいものでありさえすればよく、必要以上の飾りや付加価値に目を奪われる人はもういません。
人間の幸福の焦点は、物の所有から、自分自身の経験、交流、向上、貢献、創造へと移ってきているのです。
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●「子ども」か「子供」か
9月号の「致知」という月刊誌の記事の中に、「子ども」か「子供」かという話が載っていました。これはたまに話題になることなので一言。
「子ども」と書く人が多いのは、「供」には「お供」のように人を見下す意味があるからだそうです。その説自体も不確かなものですが、私はたとえその語源がどういうものであろうと、言葉の使い方を論じる際に、その中身ではなくニュアンスを前面に出すのは、思考を中断し、話を混乱させる原因になると思います。ニュアンスは各人の好みに任せるもので、共通の基準にするものではありません。ですから、普通の書き方は「子供」でいいと思います。
●競争に勝つことを目的にする時代は終わりつつある
これまでの時代は競争の時代でした。競争には勝者と敗者がいます。敗者が遅れた者、劣った者、弱い者であり、勝者がその敗者を倒し敗者を支配することで世の中が急速に進歩してきました。
これはあたりまえのことように思われるかもしれませんが、日本で一万数千年続いた縄文時代は、たぶん競争も勝者も敗者もない時代でした。江戸時代の庶民の生活も、同じように競争も勝者も敗者もきわめて希薄な生活だったでしょう。少なくとも競争に勝つことが人間の価値観の中心である社会ではなかったのです。
では、競争ではなく、何が社会の中心になっていたかというと、それは助け合いです。強い者と弱い者がいた場合、強い者が弱い者を助ける社会だったのです。
競争社会の喜びは勝利です。助け合い社会の喜びは共感です。相互の助け合いと相互の共感が、社会の絆となっていたのです。
●競争という価値観がこれからなぜ後退していくか
競争が善だという価値観は、主に近代の欧米から世界に広がりました。その競争文化のひとつがスポーツで、そのひとつの象徴がオリンピックです。
2020年に日本で開かれるオリンピックは、お祭りとしては多くの人に歓迎されていますが、いずれ今のように人と人とが競い合うことに激しく熱中する人は少なくなってくるでしょう。それは、野球でも、サッカーでも、ゴルフでも、すべて同じです。競争に勝つとか負けるとかいうことを、今のように大きな問題とは考えない人が増えてくるのです。
では、なぜ競争という価値観が、これからは社会では後退していくのでしょうか。それは、単に人間の意識が変化するからではありません。その社会の特に経済の仕組みの根幹が、競争よりも助け合いの方に傾くからです。つまり、競争によって豊かになる時代は過去のものとなり、これからは助け合いによって豊かになる時代に移行していくからです。
矛と盾が競い合い互いにより強い矛と盾になるという時代から、矛と盾が共存しさまざまな矛と盾のセットが生まれる時代へと変化していくのです。
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小6から中1になると、説明文から意見文へと作文のジャンルが変わってきます(言葉の森で「作文」と呼んでいるのは、小論文も含めた幅広い文章作成とその文章のことです。人によっては「作文」と「小論文」をわざわざ分けて考える人がいますが、文章を書くという点ではどちらも同じです)。なぜ中1になると作文が下手になるかというと、意見文のジャンルの語彙がまだ十分に備わっていないからです。
私立の有名中学に合格し、その後、東大や早稲田大や慶応大に進んだ人たちも、中1のころの作文は驚くほど平凡でした。
しかし、その子たちのいいところは、定期試験のとき以外はほとんど毎週出席し、自分で長文を読んで自分なりに考えて書いていたことです。だから、高3のころはそれぞれ自力で立派な文章を書き、森リン点もほぼコンスタントに高得点を取っていました。
家庭で子供の作文を見ていると、「長年やってきて、まだこんな文章しか書けない」とがっかりすることが必ずあります。しかし、そこでそのことを子供に言っても何の解決にもなりません。作文力は、体力と同じで、知識や理屈ではなく時間をかけることによってしか身につかないのです。
では、何に時間をかけるかというと、それが音読です。課題フォルダの長文の音読を続けていれば、それによって次第に意見文の語彙力がついてきます。更に余力のある人は、問題集読書でやはり難しい文章に慣れておくといいのです。
書く力は読む力に支えられています。ときどき、書くことがないとか、長く書けないとかいう子がいますが、その原因は読書をしていないことです。本を読んでいれば、自然に書くことが浮かんできます。本を読んでいないから書くことが出てこないのです。
読書は食事と同じで、毎日読み続けていくことが大事です。3日分まとめて食べて、あとは食べないという食事のとり方をする人がいないように、読書も、昔たくさん読んだから今は読まなくてよいというわけにはいかないのです。
読書は、易しい本をたくさん読むよりも、難しい本を少しでも読む方が力がつきます。しかし、難しい本を読むことだけに絞ると、全体の読書量が減り結局難しい本も読めなくなります。易しい本の多読を一方でしながら、問題集読書のような難しい文章の復読を平行して進めていくのがいいのです。
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紹介
日本語の起源・言霊百神
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言葉の森の8月10日~15日は、休み宿題になります。
寺子屋オンエアも、8月10日~15日は、休み宿題になります。
先生からの話はありませんが、いつもと同じように家庭学習を続けていってください。
先生の話がないかわりに、ウェブ講座を開催しますので、時間のあるときにごらんください。8月10日から、通常の寺子屋オンエアの入口になっている「生徒ページ」にリンク先が表示されるようにします。
https://www.mori7.net/teraon/seito.php
youtubeの限定ページですので、その期間内であればいつでも見られるようにしておきます。
■夏休み
いずれも15分ぐらいの短めの講座にする予定です。
●19×19の掛け算を覚える一九一九講座
夏合宿でも行いましたが、九九を9×9=81で終わらせずに、19×19=361まで広げていく練習です。やる前は簡単そうに見えますが、実際にやってみるとこれがかなり難しい。しかし、やり方がわかれば誰でも必ずできるようになります。覚えているうちに、数字が友達のように感じられるようになります。
●中学入試から大学入試まで使える読解満点講座(保護者にもおすすめ)
選択式の読解問題を解くときの考え方を説明します。例として取り上げるのは実際の入試問題で、それをどのように解いていくか理詰めで詳しく説明します。
保護者の皆様もぜひごらんください。
●構成図の書き方講座(保護者にもおすすめ)
作文を書くとき、複雑な問題を考えるとき、構成図の書き方を知っていると便利です。お母さんが子供に作文の書き方を教えるときにも使える構成図の書き方を説明します。
●読書がどんどんはかどる付箋読書講座(保護者にもおすすめ)
1冊の本がいつまでも終わらないとか、読書がなかなか進まないなどという人には、付箋読書という方法が役に立ちます。付箋をつけて読んでいくと、難しい本もすぐに手にとって読めるようになり、長時間読んでいても読書に飽きなくなります。
●いいお話講座
子供向けの心の洗われる話、勇気の出る話、明るい気持ちになる話を紹介します。
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今年の夏休み自然寺子屋合宿は、7月29日から31日までの2泊3日で行いました。
宿泊場所は、横浜市の野島青少年センターで、学年は幼長から小6まで合計24名の子供たちが参加しました。
取り組んだ内容は、勉強面は、暗唱と作文でした。1日目の暗唱は、12×11=132、12×12=144、12×13=156と12の段の九九の暗唱。暗唱の内容そのものよりも、ただ繰り返せばだれでも暗唱できるようになるということを実感してもらうための勉強でした。2日目の作文は、遊びの記録を書いてもらうことが目的でしたが、海に行ったあとの2日目の夜の勉強だったので、みんなくたびれていたようです。
遊びの企画は、1日目はいかだ作り、ナイトウォーク、2日目は荒崎海岸で海遊び、バーベキュー、カニ釣り、スイカ割り、3日目は教室に戻って自己紹介ゲームでした。
1日目のイカダは、子供たちが作り方を工夫して面白い形のものを作っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=nKAQkY9GhMs&feature=youtu.be
2日目の荒崎海岸は、ちょうど大潮だったので普段なら行けないような沖まで潮が引き、ウニやカニやタコが取れました。
https://youtu.be/0lLBamgKKAI
言葉の森は、通信の生徒が多いので、普段はなかなかリアルな接触ができません。
今回、2日間一緒に寝泊まりしたことによって、親しくなった子供たちも多かったと思います。
寺子屋オンエアに参加している子は、画面でお互いの顔がわかりますから、このあと寺子屋オンエアの中で、交流の続きが始まる子もいると思います。
今回参加したのは、ほとんどが関東地方の子供たちでしたが、今後は関西地方でも合宿を企画していきたいと思っています。
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「褒める子育て」と「高い学力」に相関関係はありますが、それは単純な因果関係ではありません。むしろ、短期間で言えば、「叱る子育て」の方が学力の伸びは高い傾向があります。
しかし、「叱る子育て」を基本にしていると、勉強はだんだん暗い雰囲気になってきます。
競争も同じです。競争のない状態よりも競争のある状態の方が、学力の伸びは高くなります。しかし、競争を基本にしていると、物事や人間に対する視野が狭くなるのです。
だから、「褒める子育て」は、経済学として考えるのではなく、人間の生き方や社会のあり方として考える必要があります。
江戸時代の教育は、叱ることや競争を煽ることを極力避けて、子供の本来の自然を伸ばすような教育でした。しかし、それで学力が低下していたかというとそういうことはなく、当時の世界最高水準の教育が実現していたのです。
子育ては、学力の面だけで考えるのではなく、人間の成熟という面で考える必要があります。
大人でも、不満や愚痴をよく言い、世の中を批判し、機嫌のいいときよりも悪いときの方が多いような人は未熟な人です。そういう大人に「叱る教育」をされて学力が伸びたとしても、その子が望ましい成長をしているとは言えないでしょう。
教育に関する客観的な調査や研究は、もっと進められる必要があります。しかし、同時にその客観的なデータの向こう側を見る人間観を持つことは、もっと大事なことなのです。
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